快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

自然災害 仕組みとアプローチ -  バヌアツでM6の地震発生

2017-01-31 19:18:33 | 地震 津波
バヌアツでM6の地震が有りました。

引用開始(一部抜粋)

2017-01-30 23:35:24.1
10hr 25min ago
14.78 S 167.10 E 84 6.0 VANUATU

引用終了

  有名なあの「バヌアツの法則」ですが、何年か前にネットで知り、その後は地震との関連性を気にする事は時々有ります。
 筆者が気にして確認した範囲に限りますが、外れる事も有るようですが、有意な差で当たる事の方が多かったです。
 ただどのあたりのマグニチュードを目安にしたかは今覚えていません。
 今回はケルマディック諸島やミャンマーではまだM6以上の地震が発生していません。
 今後どうなるでしょうか。
 これまで記事にした月齢や宇宙からの影響、そして地球規模のウネリとのタイミングがもし合えば、どちらかと言うと発震の活発化にはなりやすいと思います。
 そして仮にタイミングがズレて地震トリガーとならなかったらラッキーか? と言うと、あまり良いことであるとは限らないと筆者は思います。
 地殻やプレートはいつも動いているわけで、通常は歪(ストレス)は貯まっていく一方のはずなので、それを時々トリガーとなるもので発散させてやらないと、スロースリップで解消されない限りは後になる程に大規模な地震、あるいは地震の多発になる可能性は高い事になるはずですから。
 今回は果たしてどうなるでしょうか。
 最近はアラスカ、アリューシャン、極東ロシアエリアでの目立つ地震がないので、今後更に時計回りの傾向が出て来るかどうかもポイントかと思います。
 

自然災害 仕組みとアプローチ -  有感地震の震源域の傾向は現時点ではほぼ通常パターンに戻っています

2017-01-30 20:38:47 | 地震 津波
 1月28日の記事、サブタイトル「有感地震の震源域に変化の傾向」の件は現時点ではほぼ通常パターンに戻っています。
 多少注目しているのは、

引用開始(一部抜粋)

http://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2017-01-30 02:43:58.9
8hr 38min ago
9.90 N 126.04 E 88 5.1 MINDANAO, PHILIPPINES
(中略)
2017-01-29 14:59:50.9 30.32 S 177.50 W 20 5.8 KERMADEC ISLANDS, NEW ZEALAND
(中略)
2017-01-27 18:46:34.6 28.17 N 104.89 E 20 5.3 EASTERN SICHUAN, CHINA
(中略)

http://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes&min_mag=5&min_intens=0&max_intens=8&view=2
2017-01-24 09:38:31.0 12.04 N 146.31 E 10 5.6 MARIANA ISLANDS REGION

引用終了

 フィリピンとマリアナ諸島の地震は時計回りがやってきたかどうか、ケルマディック諸島の地震はケルマディックの傾向則に近付いているのかどうか、中国の地震はあの四川大地震のエリアと言う点ですが、いずれもM6に届いていないので、様子見と言った所です。
 まあ年がら年中地震が活発なわけではないはずなので、多少静穏な期間もいつかは有るかとは思います。

自然災害 仕組みとアプローチ -  直虎の井伊氏と日蓮 そして桶狭間の戦い

2017-01-29 22:13:11 | 地震 津波
 直虎の井伊氏の家紋と日蓮宗の寺紋が同じとの事で調べてみました。

引用開始(一部抜粋)

http://www.hokkeshu.com/event/dic_si_shuuso.html

 丹羽基二著「家紋大図鑑」によれば、橘を用いているものもかなりあるがとして、  井伊氏伝には「祖・共保は井中よりあらわれた化人である。井戸より現れると きは井桁にタチバナの実一つあったのでこれを記念とし、家紋とし、井桁を幕 紋にした」という(寛永諸家系図伝)。日蓮宗の寺院でも「井桁にタチバナ」 を用いているが、祖師日蓮がやはり井伊氏と同じく藤原氏良門流だからである。 とあり、貫名家が井桁に橘の紋を用いていたとしている。

引用終了

 井伊氏も貫名氏も藤原良門の子孫との事でした。
 それではきっと南渓瑞聞(南渓和尚)も日蓮宗なのだろうと念の為調べるとそうではなく、臨済宗なのでした。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B8%93%E7%91%9E%E8%81%9E
南渓瑞聞
南渓 瑞聞(なんけい ずいもん、生年不詳 - 天正17年9月28日(1589年11月6日))は、戦国時代の僧侶。臨済宗龍潭寺二世住職で、南渓和尚とも呼ばれる。今川義元の葬儀を取り仕切る安骨大導師なども務めた。井伊家出身で、女性の井伊直虎を同家当主に推薦した[1]ことから、当主不在時に井伊家を率いていた可能性が高い。

引用終了

 それでは何故わざわざ臨済宗だったのか?と言う事で更に調べると、

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97
臨済宗
歴史的に鎌倉幕府・室町幕府と結び付きが強かったのも特徴の1つで、京都五山・鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められている他、室町文化の形成にも多大な影響を与えた。江戸時代の白隠慧鶴(1686 - 1769年)が中興の祖として知られる。

引用終了

 なるほど、つまり室町幕府と結び付きが強かった宗派に属していた方が、確かに今川方から命は狙われにくいと筆者は思います。
 井伊直虎をトップに立てながら自分は実は表には出ず、しかし実際には影で中核となり井伊家を支えたのは実は南渓和尚だったのではないでしょうか。
 もしそうだとすると要所要所で影武者を使ってピンチを切り抜ける家康と何処か似てますね。
 野戦の戦場ではどんなアクシデント、特に自然災害が発生するかわからない。
 だから影武者を使って万が一に備える。
 それを身を持って思い知ったのはあの桶狭間の戦いです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A
桶狭間の戦い
(中略)
13時頃、視界を妨げるほどの豪雨が降る。『信長公記』には「石水混じり」と書かれているため、雹だった可能性がある。織田軍はこれに乗じて兵を進め、義元の本隊に奇襲をかけた。今川軍の総勢は2万人であったとされるが、義元を守る兵力は5,000から6,000人に過ぎずに、双方の戦力が拮抗した結果、大将同士が徒士立ちになって刀槍をふるう乱戦となった。
(中略)
織田信長の桶狭間の戦いでの勝因を、「民家への略奪行為で油断する今川方を急襲したから」とする説を、黒田日出男東京大学名誉教授が唱えている。勝因について、明治時代には陸軍を中心に迂回奇襲説が、近年では『信長公記』に基づいて正面攻撃説が主流である。だが、黒田は『甲陽軍鑑』に着目し、「記憶違いはあるが、悪意の捏造はなく、体験に基づく良質な史料」と断定した。そして、当時武田氏と今川氏は同盟していたため「敗因を間違えるとは考え難く、第三者が敗者から得た信頼できる情報に基づく」とした。『甲陽軍鑑』には「その日の(事前にあった別の)戦いに勝ったと思った今川軍が略奪に散る中、織田軍が味方のように入り交じり、義元の首を取った」とあり、また別の史料で徳川家康が「今川軍が略奪し、油断していた」と証言したのも確認した。黒田は略奪を"乱取り"と呼び、新説を「乱取り状態急襲説」と名付けた。
 
引用終了

 例え同じ状況でも今川義元が影武者を使ってニセ本陣を演出していたら討ち死にする事はなかった、と筆者は考えています。
 
 当時の状況は大体次のような感じではないでしょうか。
 今川軍は丸根砦、鷲津砦の攻略に成功し、ほぼ勝利を確信していた。
 そこで疲労と空腹も有り、兵力は分散したままか、或いは更に分散して「乱取り」を開始し、食事と休憩を始めた。
 そこへ雹と雨が強く降り、雨宿り、或いは民家などの中で休憩した。
 圧倒的に有利な状況で油断しており、更に雹と雨では戦も無いだろうと考えるのが普通かと思われます。
 そこへ信長の織田軍が移動速度を速めて今川本陣に接近。
 見張りの兵は建物の中か、雨宿りで腹ごしらえでお休み中、或いはそうでなくても雹と雨で見通しは悪く、移動の音や気配はかき消されて鳥の羽ばたきも見えず、殆ど織田軍の急接近に気がつかなかった。
 そして仮に気がついても雹と雨で狼煙による合図は送れず、ホラ貝(?)太鼓(?)などの大音響を出すものも雹と雨の音などで掻き消された。
 そして雨と雹が止む頃にはもう織田方の急襲部隊は今川義元がいる本陣のすぐ近くにあり、更に田んぼは元々足を取られる泥状態で、本陣から離れた周囲の今川方の部隊は本陣に集結できないうちに今川義元は討ち取られてしまった。
 
 大体こんな状況ではなかったかと筆者は考えています。
 信長が「狙うは今川義元の首一つ」と言ったのは、本陣にいるのが義元の影武者ではなくホンモノと確信していたからでしょう。
 急襲したのがもし影武者のいるニセ本陣だったら、今川方の圧倒的な兵力にやがて囲まれる自殺行為だった事は間違い有りません。
 「梅雨将軍」と言われる程に雨天を利用した戦闘での勝利が多かった信長は自然災害を上手く利用した武将でした。

引用開始(一部抜粋)

http://www.shinchosha.co.jp/book/112219/

信長が飛躍するのはいつも雨の時季だった。「歴史」を見る目を変える異色歴史小説。全9編。

引用終了

 そして家康はこうした自然災害と言うアクシデントで戦況が左右される事を目の当たりにして、特に野戦で影武者を多用したのでしょう。
 

自然災害 仕組みとアプローチ -  有感地震の震源域に変化の傾向

2017-01-28 23:30:08 | 地震 津波
 少なくとも先日からはどうも震源域に変化の傾向が明らかなようです。

2017年1月28日 22時40分ごろ 秋田県内陸南部 M5.0 最大震度3
2017年1月28日 8時19分ごろ 留萌地方南部 M1.6 最大震度1
2017年1月28日 6時39分ごろ 根室半島南東沖 M3.1 最大震度1
2017年1月28日 5時02分ごろ 徳島県北部 M3.9 最大震度3
2017年1月28日 4時06分ごろ 宮城県沖 M3.8 最大震度1
2017年1月27日 20時59分ごろ 大阪湾     M3.3 最大震度1
2017年1月27日 12時35分ごろ 静岡県中部 M2.9 最大震度1
2017年1月27日 10時33分ごろ 国後島付近 M3.6 最大震度1 

 地殻かプレートのバランスが変化したのか、それとも今日の新月を含めてこれからの新月は次第に大きくなる事に関連した引力変化によるものなのか、或いはまた別の要因なのか、それはわかりません。
 一昨日ですが、2017年1月26日 17時06分ごろ 岩手県沖 M5.1 最大震度3  も有り、少し気になります。
 気温が急上昇したり急低下したりと激しいようですが、気温上昇時には積雪が多い所は雪崩が発生しやすいのと、それに輪をかけて地震リスクを考えると要注意なのかも知れません。
 

自然災害 仕組みとアプローチ -  イタリアの雪崩の時の地震を再検索して見た結果わかった事

2017-01-27 18:15:16 | 地震 津波
 前回の記事では雪崩が発生したと思われる時間帯 世界標準時で18日の15時半頃~16時40分頃について発生した地震を検索しましたが、これはM3以上で検索したもので、ピッタリこの時間では該当するものが有りませんでした。
 雪崩の発生時刻の誤認なのかと思っていましたが、どうもM3未満でも震源が浅いと有感地震レベルになるのはしばしば有るようです。
 例えば日本で直近のM3未満の有感地震は、

 2017年1月27日 12時35分ごろ 静岡県中部 M2.9 最大震度1
 2017年1月26日 23時40分ごろ 熊本県熊本地方    M2.4 最大震度1
 
が有ります。
 それでイタリアの雪崩も例え震度1でも有感地震であれば震度1程度でも、前回記事に書いた内容に該当するのではないか? と言う事で、M2.5以下で再度検索してみました。
 結果は以下の通りです。

引用開始(一部抜粋)

http://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes&start_date=2017-01-18&end_date=2017-01-18&min_mag=2.5®ion=CENTRAL+ITALY&min_intens=0&max_intens=8&view=2
2017-01-18 16:31:55.4 42.56 N 13.26 E 13 2.9 CENTRAL ITALY
2017-01-18 16:25:27.1 42.52 N 13.35 E 10 2.7 CENTRAL ITALY
2017-01-18 16:14:59.6 42.52 N 13.28 E 12 2.5 CENTRAL ITALY
2017-01-18 16:13:33.1 42.58 N 13.26 E 15 2.5 CENTRAL ITALY
2017-01-18 16:12:02.7 42.50 N 13.31 E 14 2.8 CENTRAL ITALY
2017-01-18 16:06:42.7 42.52 N 13.26 E 13 2.9 CENTRAL ITALY
2017-01-18 15:59:54.2 42.55 N 13.29 E 13 2.8 CENTRAL ITALY
2017-01-18 15:52:49.1 42.59 N 13.31 E 10 2.5 CENTRAL ITALY
2017-01-18 15:51:27.4 42.58 N 13.31 E 11 2.7 CENTRAL ITALY
2017-01-18 15:46:54.2 42.53 N 13.28 E 13 2.6 CENTRAL ITALY

http://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes&start_date=2017-01-18&end_date=2017-01-18&min_mag=2.5®ion=CENTRAL+ITALY&min_intens=0&max_intens=8&view=3
2017-01-18 15:46:54.2 42.53 N 13.28 E 13 2.6 CENTRAL ITALY
2017-01-18 15:43:03.2 42.49 N 13.31 E 14 2.9 CENTRAL ITALY
2017-01-18 15:35:35.3 42.48 N 13.27 E 13 2.6 CENTRAL ITALY

 引用終了

 世界標準時間の15:30~16:40のそのままの範囲で、M2.5~M2.9の地震がこれだけ発生していました。
 これらの内、少なくとも一部は当然有感地震となっていたはずです。
 と言うわけでやはり前回記事に書いた「確かにM5クラスの大き目の地震は直接雪崩発生のトリガーにはならなかったが、その後のM3以上の地震の多発で場合によっては疲労破壊のように次第に雪崩のなりかけとなる状況となり、最後の一押しとなった15時16分か或いは16時45分(時刻から見て前者の方が怪しい)の地震によって、雪崩となった可能性は否定できない。しかし一方では関係なく雪崩になった可能性も否定はできない。いずれなのかは今となってはわからない。証拠となる積雪はもう無いから」と言う部分は間違いではないと思います。