爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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11年目の縦軸 38歳-39

2014年07月20日 | 11年目の縦軸
38歳-39

 完璧さという言葉に憧れながらも、その完璧さなどどこにもないと教えられるのが人生だった。その実体に近付きそうになるが、いつの間にか、しぼんだり、割れたりした。また懲りずに夢中になって百点満点を目指すが、それはそもそも理想の最終形でもなければ、究極の美でもないのだ。そう見えているだけなのだ。完璧という言葉に結果としてまどわされている。辞書には、この世に歩む限りないもの、と率直に定義したらよいのだ。

 ひと本来の性格がある。世間的に認知されたり、金銭や肩書の上昇をのぞむものもいる。ぼくは内面だけという小さな枠で、自分自身を上方にもちあげたかった。すると、完璧というものが、馬のためのにんじんのようにぶら下がってしまう。

 しかし、しないこともある。もう少しだけ優しくなれるのは簡単だった。思いやりにあふれた人間になることも、いまの地点を考えれば伸びる余地は充分過ぎるほどあった。だが、結局はしない。あの少女や、希美を失った時点で完璧さなどないと教え込まれていたはずなのだ。だが、ぼくは、冤罪に苦しむ犯罪者の判決を覆す正義の弁護士のように、あいまいな証拠として過去の血痕に目をつぶる。あれだけ血が流れていれば、犯罪は成立していたのだ。いまも、あの当時も。

 では、絵美は完璧ではないのか? ぼくは反論ができない。避けるということではない。この現在のぼくにとっては満点をつけたくなる。もう一度、では、欠点がないということなのか? それも違う。欠点などあることは、四十手前の人間が知らないはずもない。ひとは小さな嘘をつき、小さなごまかしをする。ぼくらは生きているのだ。生きているというのは、それらを許されることなのだ。できないなら、未然に自殺か、もしくは製造そのものがされる理由がない。

 ここに完璧などない。だが、ぼくはましな人間にならなければならない。設定をして、それを果たし、別の基準を設ける。その繰り返しを到達してやり過ごすことが、まだ、ぼくにとって生きるということなのだ。今後、その基準を捨てたり、うやむやにするかもしれない。そうなれば、ぼくの悩みも根絶されるだろう。その地点のぼくは、もうぼくと呼べるのだろうか。ぼく自身は、なにでぼくと成らせているのだろう。

 ほんとうの愛はないが、理想の愛はある。理想の女性はいるが、人間に完全さなど求めてはいけない。かたつむりが完全な生物ではないように。カエルが、どの変態の場面でも完全さなどあきらめているように。

 ぼくらは息をして、病気になる生物なのだ。最後は死を迎えるのを拒めない生命体なのだ。頭脳も劣ることを傾向としてもっており、体力も、気高さも失わせようとすることに何度も直面させられる。ここにも完璧さなどない。だから、それに近いひとに会えただけで幸運だと思わなければならなかった。欠点を探している余分の時間もないのだ。

 このようにいつも思考のために思考する。人間はカエルでもないし、アヒルでもない。沼には飛び込まないし、冷たい湖に裸で、裸足で入りもしない。

 この思考を無理して止めれば、ぼくでいられなくなる。ぼくの性格や性向を直そうとしたひともいたが、あれはぼくのために成ったのだろうか? ぼくを、ぼく以外の何にしたかったのだろう。ぼくは怠けることを正当化させるためだけに、こんな発言をしているのだろうか。それとも、あのときに直さなかったから、ぼくは絵美と幸せになれないのだろうか。

 結論などない。ぼくが決めるものでもない。死後に、ぼくの棺の周りで友人たちが語り合えばいいのだ。ゆっくりと。頑固さと妥協の産物としてのぼくの生存した日々のことを。必死さと倦怠の中間にいるぼくを。ぼくは両極端にいない。誰もいない。川上から下流にながれ、いずれ海へとでる。みな、その間に角が摩耗されていく石なのだ。完璧の角もどこかですり減っていく。その小さな芯が、そのひと自身でもあるのだろう。

 ぼくは砂浜にある小石をつかむ。そして、遠くに投げる。だが、十メートルぐらいしか飛ばなかった。絵美も同じことをする。それは、海水のところまでもたどり着かず、波打ち際の手前で落ちた。彼女は普通に右利きであった。

「もしかして、左利きだったんじゃないの?」
「じゃあ、もう一回、投げてみる」

 彼女の投球フォームはさらに不格好になった。それにならって飛距離も減った。歩幅でも数歩という感じだった。
「だまされた。おなじことしてみ!」

 ぼくは左手で小石を拾う。左利きには冷たい世界。彼らにとって、この世界は反対でもあり、逆にできている。ぼくは勢いよく投げる。さっきよりもちろん遠くにはいかなかったが、それほど悪いこともなかった。ぼくは反対の世界に足を踏み込む。そうなれればよかった。絵美ももう一度、行う。ふたりは完全ではない社会に住み、完全ではない政府とその機能に従っている。覆すことなど想像もせず、歴史のなかでそうした人々にあこがれを抱いたのも、かなりむかしのことだった。反対を数回もくりかえせば、もちろん正面であり、裏側などどちらかも分からなくなった。そして、絵美の姿勢のよい背中が見えた。
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11年目の縦軸 27歳-39

2014年07月19日 | 11年目の縦軸
27歳-39

 未来の恋人。

 現在、遠い地にいる恋人。

 ひとは、ひとを、断片的にしか追えない。連鎖も、変遷もみな無駄な試みだった。ずっと親しい関係のままだと思っていた友人とも、いつの間にか疎遠になった。また会えばあの状態に簡単に戻れることは知っていたが、家族や付属物が変わっていって、その状況に置くこと自体もむずかしくなるのがしばしばだった。家のローンをもう抱え込んだ友人もいる。仕事などそのひとを測る物差しではないころからの知り合いも、もう社会という仕組みの一員に正当に、完全に組み込まれていた。彼らがその社会でどれほどの能力を見せるのか、役立っているのかなど、もう友人でも分からなかった。

 それでも、男同士なら、あのときの状態にまだ戻りやすかった。男女の間ではそうもいかない。終わったものは終わったものだし、はじまりそうなものは、はじまりそうな嬉しい予感が男同士では味わえない類いのものとして分かたれていた。

 ぼくはアンドロイドにもサイボーグにもならなかった。人間という失敗と傷つきやすさをたっぷりと備えたものから外れなかった。その生身である限り防ぎようもない失敗を、拒否することもできずに受容し、繰り返すことを余儀なくされており、取り出せない機能として埋め込まれている自分を希美は選んでくれた。たまにかかってくる電話でその信頼の裏側のようなものが口振りから充分に理解できた。

 こうなると、離れたことがまったくの無駄だとは思えなくなってくる。新鮮さというのは距離と時間のずれ(タイム・ラグ)を必要としていた。同時に誤解もそのずれが好きだった。電話の向こうで彼女は疲れていた。慣れない環境の疲労感というのは時間差で襲ってくるらしい。自分は新しい環境に足を踏み入れていないなと気付かされた。しかし、希美がいないというのも新しい環境に違いなかったのだが。

 彼女の疲労を取り去ることも、なぐさめることも、笑わせることも遠くにいればできなかった。それも、言い訳のように聞こえたが、正直な気持ちだった。

 ぼくらは気持ちが通じ合って電話を切ることもあれば、ケンカの最寄りという場所で会話を打ち切らせることもあった。終わったのは通話だけで、その後も不愉快さと謝罪したいという気持ちはそのままのこっていた。こんなときに、気まぐれに希美がアイスをスプーンですくって食べたなと、幸せの一瞬の幻想のようなものを思い出していた。

 ぼくは窓を開けて夕日を見る。一軒家とアパートだらけの細切れの空は、海の向こうの国への思考を阻んだ。その点ではぼくの思いもアラジンのランプのころから具体的な情報を更新せずに、大まかには変更させていないようだった。ふたりは同じ町を歩く。十代の半ばのぼくらには渋谷という場所も、未知な事柄がたくさんあった。通うようになれば未知は遠退き、店の形態が変われば気付くという風になじむようにもなっていく。希美のいま見ている場所はどういう光を放っているのだろう。そこで疲れるということは、どのように身体やこころを蝕んでいき、かつ跳ね除けられる、成長させる力をぼくらにもたらすのだろう。夕日に答える義務もない。ぼくにも問い詰める権利はなかった。

 味気ない夕飯を食べに外にでる。希美の部屋はいまは誰が住んでいるのだろう、とぼくは口を動かしながら考えていた。もちろん、知る権利もない。すると、ぼくが足を踏み込んではいけない場所や、考えが、たくさんあるように思えた。

 孤独という状態は悪でもなかった。割合と程度による。放課後や日曜に、家の前まで自転車に乗って友人たちが集まる環境をなつかしんでいる自分もいた。約束も、計画も何一つない。ただ、友人の家の前に行くだけだ。こちらも準備も、用意も、算段もない。ただ、家のドアを開けて友人の姿を見つける。その行為がすべてだった。

 あそこに孤独も思案もなかった。いつから、無頓着になれなくなっていくのだろう。

 会うということは遠退いていた。ぼくらは会わないひとに関心をもつことなどできなかったはずなのだ。そこに電話が介在し、テレビの女性タレントに興味を抱き、架空のことにも幻想を覚えるようになる。だが、いまは生身のものだけが欲しかった。ただ、ここにあるもの。手で触れるもの。会話ができて、無愛想でもいいから返事をしてくれる相手。なぜ、大人はこの複雑さに耐えていけるのだろう。こんなものを文明だと信じて、持ち込んでしまったのだろう。ぼくは料理の代金を払った。思いがけなくクーポン券がつかえた。ひとはさまざまなものを発明するのだ。発明することにより距離が生じ、その距離を埋めるためにさらに別のものを発明する。それを売るために世界に出向き、それを作るのもどこか別の国なのだ。ぼくは満腹になっていた。自分が支配できるのはこの気持ちだけのような心細い感じを払い除けられなかった。休日の夜の駅は家族連れをたくさん吐き出した。同じ湯ぶねに浸かり、同じ炊飯器からご飯をよそう。目覚まし時計は家に何個、あるのだろう。ぼくには家族というものが等身大で分からなかった。そうしたかった相手は、いまは別のところにいた。
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11年目の縦軸 16歳-39

2014年07月18日 | 11年目の縦軸
16歳-39

 継続して何かを身につければならない年齢なのに、既に十五、六にして半年間の短い間ですら保たせているものがひとつもなかった。しかし、この苦しみだけが永続性を与えられるようだ。負の勲章。人間という矛盾した生き物。

 それだけ本気だったのだ。失わないと大事なことすら分からなかった愚かな生き物でもあった。

 この引き摺り、かつ晴々れとしない鬱々とした感情はいったいどこから来たのだろう? ぼくと同じであろう血液が流れている兄弟には、薄められて投入されているのだろうか? 開けた自室の横の廊下を通る兄の何番目かの彼女を眺めながら、ぼくはそう思う。レンガで家を作ったりする側もいれば、もっと燃えやすい素材で目論見もなく、堅牢ではないことに甘んじる兄弟もいるのだ。それも含めての受取りを拒否できない個性だ。

 はっきりと終わっているという事実は認めている。認めないほど自分は意固地でもなければ、賢くないわけでもなかった。だが、もし賢いならば、やり直すなり、立ち直る方法をたくさん見つけられるはずだった。その点ではずっと愚かでありつづけようと思っていた。

 ぼくは自分自身の記憶を厄介払いする、という変な表現を頭に浮かべる。放すということは、簡単なはずだった。つかまえていないから、もう放しているとも説明できた。手放したものを、放せない。するとぼくの苦しんでいることの対象はどこにあるのだろう。実体は、どういうものなのだろう。

 ぼくは本を読んでいる。自分に起こった悲恋と同じようなものを探して。生きるというのは、どれほどの不幸の分量が混ざっているのが妥当なのかと、サンプルを探して。しかし、表向きの理由とは別に、その行為自体に永続性が生じる。

 ぼくはスポーツに興じ、衝突や諍いごとを腕力で片付けている頃より、当然、思案深くなった。生意気な気持ちは影をひそめ(程度の問題)、簡単に解決しないことが世の中にあることを知る。これが本来の自分だと思い込もうとすれば、そうも言えた。生き別れの双子の兄弟の異なった成長した姿のように。

 自分はどういう人間になるべきなのだろうかと空想した。空想の範囲を超えることはないが、それでも、考えない訳にはいかなかった。見返すという発想などぼくにはなかった。ぼくは捨てられた立場にもいない。なんだか、終わらせてしまったという中途半端な立地点から離れられなかった。靴のひもがいつの間にか緩んでほどけてしまったみたいなあっけなさで。

 既に学問を習得するレールにはいなかった。女たらしになるには生真面目過ぎた。そして、行動的ではなくなり、思索のほうに向きはじめてしまっていた。

 不運は賢くなるきっかけとしては構造としても、動機としてもよくできていた。すべて台無しにする可能性も充分に内包しているが、ぼくは悲観的になりながらも肯定する術を知っていた。身体は元気で、苦しみは内部にだけとどまっていた。

 ぼくの十六才を知っている女性は、これからも話すことはないが確かにいた。ぼくの十七才を知る女性はいまのところはいない。ぼくの思案も、どこにも書き留めなければ、きっとないも同然だった。ギターを弾けるわけでもない。音程のない鳥は鳴けない。自分の痕跡をのこすにはどういう媒体が似合っているのだろう。なぜ、ぼくはそもそも自分の生きた証をのこす必要性を感じているのだろう。運命の岐路に立つカエサルでもなく、歴史の危うさを熟知したチャーチルでもないのに。

 ぼくは模範を探そうとする。若者は兄貴分のような存在から吸収するのだ。だが、ぼくが向かいたい場所には前例となってくれるひとが近場にいなかった。模索する日々。ぼくは段々と芸術という分野に惹かれていく自分を感じる。

 遅いということはない。反対にすれば、早いということもなかった。タイミングというのはすべて丁度なのだ。ぼくを思案深くするための段差や石は、その役目をきちんと果たしてぼくをつまずかせた。もっとひどかったかもしれない。転んで、すり傷をいたるところに作った。ぼくはこうして進路を阻まれて立ち止まらなければならず、うめきながらも賢さへとつながる道の切符をつかみながら、手当も受けずに立ち上がろうとしていた。これは誰のためでもなかった。彼女にまた会った時に立派な男性になっていようという思いもなく、先ほども言ったが、見返すというあわれな気持ちにも該当せず、ただ自分のこころに灯った炎のふさわしい帰結点と予兆だった。ぼくはこれをきちんと管理し、制御し、消えないようにしようと願った。大人というのはただでは起き上がらないのだ。ぼくも大人への第一歩をやっと踏み出すのだ。

 ぼくは未練というものを抹消し、根絶できないであろうが、もう彼女に電話することはないであろうと考える。ぼくの青い日々を知る異性も見つけられなさそうだが、低空飛行の時代だと自分の焦りをむりやりに納得させる。ぼくはその埋められた土管のなかのような場所で何かを習得しなければならない。ぼくの身の回りでは、この価値の正当な地位を判断できるひとは皆無かもしれない。だが、味方など、もうおそらく必要ではなかった。ぼくの味方はひとりだけだったのだし、そのひとりもぼくとは縁が切れてしまった。いつか、ふさわしいひとと出会えるかもしれないが、この時以前のぼくとは別人であり、こころだけでも整形(美へなのか醜へなのか)されてしまったぼくのアンドロイドのようなものかもしれない。不満足でも、その未来の恋人には我慢してもらうしかない。
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11年目の縦軸 38歳-38

2014年07月17日 | 11年目の縦軸
38歳-38

 絵美のすべてを憶えておきたいと思っている。一挙手一投足。あらゆる形状。

 物忘れがはびこる年代にはまだ早過ぎた。でも、生活のなかで忘れてしまったものも多くある。忘れた事実も忘れる。だから、本当は忘れていないともいえる。

 約束や記念日を覚えていないと注意され、男性は自分の大ざっぱさに気付かされる。あのときは、ああ言ったと台帳を調べられるように過去のひとことを押さえられた。昨日のぼくからも自由でありたいという自分の願いは絵美の前では許されなかった。彼女はぼくのことやふたりのことを必死に憶えておきたいと始終、考えつづけているわけでもないのだろう。だが、細かな部分の情報をもっていた。ぼくはすべてを自分の掌中につかんでおきたいとの願望がありながら、細切れな部分はまったくあやふやだった。

 昨日の新聞やニュースの内容を忘れ、口にしたものも忘れる。やりかけの仕事は別の緊急な仕事の陰で、むっつりと黙ったまま、ぼくの記憶の奥でひざを抱えて座っている。反対に時間の作用の影響を受けずに、立ち止まるものもいる。砂時計の中味が重力にさからい、上に吸い込まれるように。

 ぼくと絵美はテレビでクイズ番組を見ていた。あの当時はみなが話題にしたものも時間が経てば自然の淘汰を避けられないことを知る。名前を思い出せない元有名人。大金を思いがけなく拾った人。金メダルを公共の場所に忘れるひと。みな、した(あるいはしない)ことは覚えていても、名前という個人を特定する分類までは到達しなかった。ぼくは絵美をそういう境地には決して置かないだろう。ある面では身近過ぎ、ぼくはその名前を自分の声で何度も呼んだ。彼女はその響きを聞き、振り返った。これまで忘れてしまったら、それこそ人間失格だろう。

「覚えてないもんだね!」

 と、感嘆のような、同情のような、嘆きのような声を絵美はもらした。ぼくは火の粉がふりかかる、という表現を思い出す。ぼくの記憶はゆるやかな下降の段階に入ってしまった。

 それだけが理由でもない。男性と女性の差もあった。もちろん、個人の得意や不得手という問題も加味された。

 ぼくらはクイズの答えを聞き、分かったような気になったが、明日にでもなれば、また忘れてしまうだろう。もう、重要ではないのだ。ぼくらの若いときは友人たちの電話番号を覚える理由があった。いまは、ひとつの器械を持ち歩く億劫と便利さを引き換えに、番号からも自由でいられる。

 写真は思い出をある形で保存するが、生身の人間の肖像を必要ないと宣べるほど有効ではなかった。もう行けない場所の景色や、いなくなった人間の当時の映像とかをまかなうことはできる。だが、現在という観点こそがいちばん重要であった。

 そして、ぼくは絵美の一挙手一投足を憶えておこうと願っている。憶えているのは会っていた状態のことや、会話した内容のことだ。不機嫌なときもあれば、上機嫌な時間もある。その感情も憶えておく必要ができる。しかし、時というのは忘却に傾いている。坂の下の方に忘却の部屋がある。

 だが、ぼくはその部屋を漁っている。中からは当然、絵美以外のものも含まれているので意図せずに引っ張りあげられる。腐敗も劣化もない。見事に当時のままの状態を保っている。色褪せないものたち。

 ぼくは忘れている。希美を送った成田のあとのあの女性を。忘れようと努力したことも、忘れまいと執拗に暗記帳に書き込んでめくった覚えもない。でも、いま不図、思い出している。先ほどのクイズに出題された人々のように。

 手順は忘れない。靴のひもの結び方も忘れない。ネクタイも結べる。自転車にも乗れる。体得したものは、減らすことも消し去ることもできない。名前や思い出が忘れられる運命にある。すると、ぼくは絵美をそういう分野から解放する必要がある。

 無駄な努力をいくつも考える。

 今日も新たな情報を入手する。これも記憶の一部になる。ついでに過去の一部を忘れないようにと計画して、実行しようとしている。ふたつの別々の流れが同じ脳でどう区分けされているのかぼくには分からない。一度、覚えたものをなぜ忘れてしまうのだろう。ぼくは二次関数が解けるかどうか想像する。ぼくはあれでなにを導き出そうとしていたのだろうか。

 何年もデパートの洋服売り場で働いたひとが、大体のサイズの見当をつけることを不得意とすることはないだろう。視力を測る電子機器はおおよその数値を当てる。それは数々のデータを通過し、インプットした結果なのだ。ぼくは無数のデータを欲しているわけではない。いまはこの絵美の分だけでいいのだ。そのひとつですらぼくには困難なようだった。

 彼女の生まれた年を口にする。その当時、ぼくは何才だったかも直ぐに浮かぶ。ふたりは会わないということもあり得た。だが、会った。会うまでにどれほどの日数が過ぎ、その日々を越えるには、ぼくらはそれぞれどの年齢になるのか計ろうとした。ふたつの数字が重なる。これが関数なのか。ぼくには分からなかった。ぼくも、絵美もグラフの上にはいなかった。碁盤上の四角いものではなく、さまざまな角度でぼくらはできていた。まっすぐに見える絵美の髪の毛一本も、詳しく見つめると、ゆるやかに曲がっていた。黒と思っているものも、もっと違う表現ができそうな色だった。
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11年目の縦軸 27歳-38

2014年07月16日 | 11年目の縦軸
27歳-38

 忘れるという自意識で解決すべき問題ではなく、簡単に会えないが彼女は別の国にいた。離れていても考えることが多くあれば、頭のなかには絶えずいた。きらいなひとのことさえたくさん目に付く部分をあげつらえば、もうそれは好意と同等になった。ぼくはそれ以上に好きなのだ。身悶えという言葉をあてはめてもいい。思考の巡りのなかにこそ、強力な対象への興味が生じた。

 いったん別れるということもできたのにな、と相変わらず身勝手な考えを押し込めないでいる。好きということは連絡を取り合い、会うことなのだ。深夜になっても別れを先延ばしにする方法を探すことなのだ。もう門限をせまる両親のもとにもいない。自由というのは勝手に決められる権利をたくさん有しながらも、決めるということはぼくだけが持っている裁量でもない。数限りない決定を、不本意な決定を含めて周りの人間や相手がする。それを受け入れるのが大人であった。おもちゃを買ってくれない決定にダダをこねる子どもではない。その決定がもし間違っていても、その間違いの報いは彼女に帰ってくるのだ。ぼくは、どうすればいい?

 ぼくは矛盾している。海外に働きの場を変えたスポーツ選手を応援している。一喜一憂している。その勇気を賞賛している。希美の選んだことも同じではないのか?

 ぼくは仕事をしている。相変わらず、希美の会社に用事で出向いた。その場所は希美とある意味で同義語だった。その景色のひとつひとつに希美が溶け込んでいた。柱に刻んだ我が子の身長の伸びの痕跡のように。

 そこで仕事が終われば待ち合わせて彼女に会った。ぼくはその楽しい作業を省かなければならない。ひとは話し相手を必要としているのだと痛切に感じる。誤解やすれ違いがあっても、そうすることは喜びなのだ。口は作られ、言語も発明されている。希美はいま違う言語を話しているのだろう。ぼくはそれをうまく操ることができただろうか。現場では通訳など介在させる余裕はないのかもしれない。より誤解や、小さな摩擦が生まれるかもしれない。それを潰さないと利益が発生しない。

 ぼくはひとりでビールをゆっくりとすすり、美人と自由との兼ね合いを考えていた。ぼくは希美に監視されることはないが、そばにいる美人と会話をすることを後ろめたく感じている。いったん別れていればぼくの選択は無制限になった。別れで自分のこころが傷つくことは無視したことにするが。

 だが、二十代も後半になれば、自由など狭い通路しか与えられていない。本道は、日々の雑務が占めることになる。給与と約束とノルマと月々の支払。ロック・スターが歌う内容などもうどこにもなかったし、彼らも契約という拘束のなかにいるのだろう。多少の幻覚的な薬が入手しやすい立場にいこそすれ。

 ぼくはビールの軽い酔いで自由になっていた。すると、いままでの経緯が頭のなかを縦横に駆け巡った。彼女は本気になった二番目だった。だからといって新鮮さが完全に奪われることなどなかった。そして、重要なこととして自分は次を探すことも、新たな恋を見つけることからも解放された。ぼくの体内の深くに埋もれていたその種は、ようやく芽を出した。まだ何個のこっているのか知らない。これが最後でも良いのだ。間違いではないのだ。その確信に似たものがぼくにはあった。正直にいえば成田空港で見送る前日まではあった。読みおわった本を時間が経った後にふたたび開くと内容がまったく思い出せないことがある。そこまで非道くはないが、大まかにはあれだった。出来事や質感はおぼえているが、あの小さな確信は、小さすぎて探すのも困難になってしまった。

 思いの外、自分の歩行はまっすぐにならなかった。いくぶん揺れていた。地球は丸いからだ、という意味のない論理をもちだしていた。駅に行くには希美がいた会社の前をまた通らなければならない。まだ窓ガラスには明りが灯っている部屋もあった。ぼくの肩書もぼくを証明するにはいたらず、ぼくの両親もぼくの最近のことを知らない。友人は入れ替わるようにできていた。十代の地元のファミリーレストランで管をまいていた日々が懐かしかった。野望も大それた考えも、同時に責任もなかった自分も恋しかった。あのボートは転覆したのだ。ぼくはいま、別の少し大きくなったボートに乗っている。希美を乗せるぐらいの余裕もあった。彼女は勝手に湖に飛び込み、ぼくはその余韻としての波紋を見ている。

 警備のひとが不可解な視線を送る。ぼくはここでも部外者だ。昼間に受付の女性はにこやかに通してくれたのに。腕時計を見る。希美がいる時間は針の場所が違う。今度の休みには帰ってくると言った。ぼくは鵜呑みにする。先ず、ぼくに会いに来ると思っている。希美はいくつもの決定をする。大人は、決定の重なる部分を探す。重ならない部分が繁殖する。

 ぼくは駅に着いた。電車を待つ。生涯、どれだけの時間がこのホームで待つという行為に費やされるのだろう。行為といったが、ほぼ何もしていない。待つというのは何もしないことなのか? ぼくは希美を待っている。彼女の承諾を待っている。明日というのは幸せだけを運んでくるのだ、というおとぎ話のようなことを考えていた。電車は遅れている。もう一度、ホームにアナウンスがあった。途中の経過を伝えるということも愛情と仕事の一環なのだ。ぼくは状況を知る。その状況を変化させることも、覆らすこともできない。混雑のなか、多くのひとも同様にできなかった。
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11年目の縦軸 16歳-38

2014年07月15日 | 11年目の縦軸
16歳-38

 彼女のことを忘れなければならない。過去を葬る努力をはじめなければならない。うっかりでも常習的にでも忘れるということは善の側には常にいなかった。これまでに起こったなにかを忘れて叱られた体験を思い出す。宿題や絵の具や音楽の授業で用いる笛を忘れ、注意される。家に電話して学校までもってきてもらうよう叱責される。忘れるということは不注意の結晶であり、いつでも誤りの領域にあった。今度は、まったく反対のことをしなければならない。ぼくの生存は、彼女を忘れることを要求しているし、必須だった。

 だが、つい先日までぼくの一部以上のものだったのだ。それを簡単に忘れるなんて。

 代理という考えも入り込む。ぼくはバイトの帰りに、コンビニエンス・ストアに寄る。レジにいるのは一学年下の女性だった。小柄な身体。エネルギーがみなぎっているような溌剌さ。ぼくは缶の紅茶を買う。充分に雑誌を立ち読みしたあとに。デート・コースや会話の方法など、いまさら仕入れるには遅過ぎたのに。ぼくはお金を払う。この子でも、間違いではないのではないのだろうか。もう、ぼくの目から見ても子どもではない。

 彼女はソフトボールをしていた。ぼくは下から投げる球が意外と早いのに驚く。野球の劣化版という態度では、バットで前に運ぶことすらむずかしかった。その女性。遊びでピッチャーをしてくれた。

 だが、もし仮に、前の彼女が万が一でもやり直したいと思ってくれたときに、ぼくの身体もこころも、誰のものでもなく、絶対的に自由であるべきなのではないのだろうか。いまの継続の関係をすんなりと終わらす手間すらあってはいけなかった。束の間の猶予も。そこを通過することは新しい相手にも失礼にあたるのだ。サブスティチュート。代理。野球やソフトボールなら代打は正式なルールの範囲だった。しかし、この場合は確実に違う。

 だからぼくには新たな関係を見つけて育んだり、構築することは許されなかった。忘れようと努力することも解決にと道は通じていなかった。まっすぐでも、曲がりくねっていなくても。

 ぼくは一学年下の卒業アルバムを借り、別の女性にも目を留めた。彼女らも高校生になる。垢抜けない制服の少女たちではもうなかった。その姿をぼくは駅で目にした。もちろん、ほんとうに出会いたかったのはひとりの女性だけであったのに。

 ぼくはアルバムのなかに書かれている電話番号をメモする。そして現物は返した。自分にチャレンジする能力があり、多分、本気にならなくても交際のスタートぐらいには立てるだろうという確信のない自信があった。それを証明する機会を設けようともせず、ぼくは手足をもがれたひとのように傷を隠せないでいた。隠せないのは自分自身だけで、この胸中の葛藤を友人も、もちろん以前の彼女も知らないでいるのだろう。このアンバランスさは、どこかでひとを遠ざけ、自分を気難しい人間へとその後、導いた。だが、それはもっと遠い未来であり、ただ種だけがここで蒔かれていた。さらに、ぼくは水を与えつづけた。日陰でもそれは充分に育った。

 こうして被害者のフリをしている。あまりにも居心地が良いので。

 ぼくは、同じ年から選ぶということをまったくしないことに数十年経ったいまになって気付かされている。ライバルだったチームからトレードしたひとをブーイングする観客のことを思いだす。ぼくが、もし彼女以外の同年齢のひとを見つけたら、ぼくの耳にはそうしたノイズが激しく、厳しく、こだまするだろう。

 どれも思案と模索で終わる。代理などなかった。だが、災害でもあれば線路のうえの障害物は直ぐに取り除かれ、通行を再開する。ぼくも、きっとそうするべきだったのだろう。模造のダイヤだって、偽のブランド品だって愛着をもてば、本物より好きになることもあるのだろう。あとは自分の気持ちだけが問題だった。

 ぼくは付き合いもしなかった少女たちをいまになって傷つけようとしている。だが、当時、ぼくは代わりだと言って傷つけた訳ではなかった。しかし、同等の罪と悪意がある。誰かを好きになった報い(あるいは、報われないもの)がこれだった。この状態から早く抜け出したかった。

 ぼくは待っている。待つということが恒久的になっている。携帯電話がない時代で良かった。そのなかに電話番号やアドレスがあれば、我慢という火あぶりにも似た事実を胸に突き付けられので、これも地獄にも等しかったろう。ぼくは家の電話にかかる電話を四六時中、待つことなど決してできない。家にいつづけることは不可能で、友人たちと夜通し遊ぶことも多かった。

 彼らもそれぞれ愛を見つける。何度目かもある。ぼくだけが二度目がない。夜が長すぎる。月の領分も多すぎる。橋の上で別の年下の女性を見かける。いつの間にか大人に成りかけていた。そして、重要なこととして、いつの間にかぼくの彼女と似た容貌をもちはじめていた。代理になりそうだった。次の打者としてサークル内で素振りも充分に果たしたかもしれない。ぼくは失礼なことをずっと考えている。ぼくは生きなければならなかった。どうしても、生き延びなければならなかった。そこには忘却が絶対に必要だったのだ。そして、自分でもとっくに知っているのだが、絶対に忘れることなどできるはずもなかった。忘れるなどはあってはいけないのだ。だから、低空飛行のまま軌道に乗らずに間違った行路を、ぼくはずっと、たゆまず、ずっと、進んでいった。
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11年目の縦軸 38歳-37

2014年07月14日 | 11年目の縦軸
38歳-37

 男女間にわざわざ愛など割り込ませる余地はないと考える。考えるのは自由だ。辞書で「愛」の項目を開けば、それらしき意味合いはあるかもしれないが、誰一人としてきちんとした定義など説明することはできないのだ。グラムという単位まで正確に量り間違えることなく。

 しかし、定義などなくても存在しているものもたくさんある。風船。石鹸。爪切り。日常品がもっともすばらしいものたちなのだと仮定する。引き出しの手前にあり、直ぐに取り出せるもの。経常的な使用に耐え得るもの。評価も誉め言葉もないのに、主人に献身的に仕えるものたち。

 期待を失いつづけ、本来の妥当な大きさとして認識する。膨らませたのも風船ならば、もとの原型のしぼんだものも風船と呼べた。子どもたちはどちらを喜ぶのだろう。空気のつまった風船を叩いて宙に浮かばせることが楽しければ、その状態になるよう自分の息で空気を吹き入れることも楽しみの一部に違いなかった。

 愛だけが、居心地の良い場所を与えられている。何にへつらうこともなく優位な状態を確保している。ぼくらは、それを前提にして生きている訳でもなかった。

 雑巾やティッシュ・ペーパーが汚れを拭き取るのだ。価値や値打ちの高いものだけが生活を組み立てているわけではなかった。摩耗し、すり減ることを余儀なくされるもの。その従順なる使用の過程こそ、はかなく貴重なものだった。

 目標も、結果としての金字塔もない。やり過ごしたことはすべて忘れていいのだ。いまだに主張するのは図々し過ぎる。その生意気な自意識がぼくの体内にある。失恋の事実を記憶して、たまには思い出すよう促す。愛というものが、もっとも誇らしい記念碑になると鞭打って。

「卵焼きでもつくる? 目玉焼きの方がいいかな?」
 絵美が冷蔵庫を開けて、そう言った。
「半熟ぐらいの目玉焼き」

 これが愛だろうか。等身大の愛の重さだろうか。

「その間にポストのなか、見てきてくれない。音がしたから」

 ぼくは玄関のドアを開け、絵美の名前のシールが貼ってあるアルミ製のポストを開いた。新築だか中古の売家のチラシが無造作に突っ込まれている。ピザの宅配用のメニューや、クレジット・カードの明細書らしきものもあった。ぼくは取り出してから中が空になったことを確認し、また閉じた。

 ぼくは部屋に戻り、テーブルにそれらを置いた。結婚というもので名前が変わる場合がある。カードの名義も変える必要があるのか考えた。どれも、休日の朝のいまは面倒だという認識しかなかった。すると、焼きたての匂いがする皿がそのわきに置かれた。

「いらないものばっかり」ひとつひとつを点検して、そのほとんどを絵美はゴミ箱に捨てた。

 ぼくらは大勢の人間と毎日、すれ違う。瞬間ごとには印象は感じたのかもしれないが、ほとんどは覚えてもいない。そして、自分の家のポスト以外を開けることもないので、何が入っているかも知らなかった。だが、こうして見ると、そんなに大差がないことに気付く。当然といえば当然だった。もっと大きなものは宅配便の運転手がもってきてくれて、サインと交換に手渡してくれるのだ。

 コーヒーを飲み、たまごを食べた。横にはソーセージもあった。飽きないものたち。飽きる前に奪われてしまったもの。飽きるという峠があるなら、そこからの下降は急なのだろうか。ずるずると地盤沈下するようなものなのだろうか。ぼくには分からなかった。

 ぼくは流しで皿を洗う。よれたスポンジ。使い込まれたタオル。どこに愛があるのだろう。ぼくらが涙を流すようなものとして貴く感じる愛などいったいどこにあるのだろう。

「分割にしておけばよかった」

 と絵美は袋を破る音がしたあとに言った。一遍に払うもの。一気に奪われるもの。徐々にぼくの前から消えるもの。

 大事なもの。大切にしていたもの。手にしたもの。手から離れてしまったもの。いつまでも魚の骨など喉に刺さったままではいないのだ。どこかで終止符があり、何らかの解決をする。物質があるものの常として。非物質の方こそ、自己主張が強く、こだわりを必要以上に長引かせた。その拘泥の大元はぼく自身のうちにあった。

「なに、買ったの?」
「洋服。後で着て見せるよ」
「そんなに高いの?」
「まあまあ」

 彼女のまあまあというのはどれぐらいの値段なのかぼくは予想する。自分の着ているTシャツ。去年も着ていた。汗を吸い込み、たくさんの回数、洗濯され、干されて、また着た。このどこに愛があるのだろうか。それでも、身近にあるものこそ愛ではないのだろうか。ぼくの辞書の定義は、意味合いが異なってしまう。感情にも無頓着になる。ピザのメニュー。もうどの会社のものかも分からない。まあまあの味。まあまあの値段。まあまあというものに周りを囲まれて生きている自分。そこに切なさも必死さも紛れ込まない。そんな余地もない。正確さなども求められていない。絵美は着替えている。まだ首元に値札がついている。ぼくはそれを教え、教えただけでは終わらずに、ハサミで切った。
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11年目の縦軸 27歳-37

2014年07月13日 | 11年目の縦軸
27歳-37

 写真を見ながら電話で話していても、彼女の今日というものに嫉妬を覚えてしまった。希美の微笑みを誰かが一メートルも離れていないところから見て、素敵だなと思うかもしれない。小さな怒りで頬をふくらます様子を可愛さと等しく思うかもしれない。その架空の事実にすら嫉妬する。ぼくの希美はまるで動かなかった。

 新しい場所。

 新しい関係性。

 見慣れない顔が増えた。もし、歓迎会でもあって、アルコールの作用で多少の酔いが生じれば、不図、淋しさに襲われ、誰かの温かさを求めるかもしれない。渇望という程度にまでそれは強く、かつ高められることはないかもしれない。しかし、永遠に遠ざけておくことも難しいからこそ、ぼくは遠い地で嫉妬を感じているのだ。

 すると、ぼくはその身体に嫉妬を抱いているのだろうか。ぼくの横にその身体がないということが、ぼくの究極の困惑の原因であり、理由なのだろうか。

「ぼくはあてどなく町をさすらう」と頭に思い浮かべて悲劇の主人公のように歩いていた。森のようなビルの乱立のなか、ぼくは獣道さえ失ってしまった迷子のように途方に暮れていた。期限というのがぼんやりとありながらも、ぼくはその無性に長い期間をどう過ごしていいのかも判断できず、やり切れなさでいっぱいだった。

 ぼくはいくつもの失恋の歌を口ずさむ。この感情が忘れていたぼくの十一年前の悲しさを容易に再現させるきっかけとなった。それは過ちをおかした自分への罰と結ばれた。ぼくから離れることを許したのだ。平気だと浅はかに考えていたぼくの無理解への罰だった。

 ぼくは友人と酒を飲む。途中で新婚の妻が合流する。彼らの間には疑うことのない平和があった。ぼくのこころは時化ていた。大揺れだった。友人はふざけてぼくに新しい女性を紹介すると言った。妻は笑いながらもいやな顔をしてその提案をいさめた。ぼくは宙ぶらりんである。ただ、帰ってくるのを待つしかないのだ。その間に、彼女のこころも変わることなどないと宣言できるのだろうか。
 そばにあるものに愛着を抱くようにできている。ショーケースのなかの新しいものを欲しても、手近なものに未練がある。こだわりもある。つづいてきた関係性もあった。子どもが手放せない汚れたぬいぐるみと似た気持ちだった。

 だが、距離を置いてしまうとその愛着もほこりだけがただ目立った。揺り返しとして急に美点だけしか目に付かなくなる状況もあった。ぼくはショーウインドウ内のおもちゃを目にする。新しいものは、新しいという一点にこそ貴重な価値があった。

 ぼくはその友人と、女性がとなりの席につく店に入った。彼の妻はこういうことに関してなぜだか寛大だった。その交渉はどこでどのように締結へと至ったのか、経験も薄い自分には分からなかった。友人はぼくの立場をおもしろおかしく女性たちに説明した。裏切られた男性。少し生活の排出に困っている男性。ひたすら待つということに忠実な番犬の複合体として。

「目の前にいてもらわないと絶対にダメだよね」と、派手な化粧をほどこした女性は言った。どんな見かけをしていたって真実は真実である。「目の前でしっかりとつかまえていてもらわないと」

 結婚したばかりの友人は、もうひとりの女性と親しく話していた。同性からからすれば、たまに信頼に値しないほど重みのない彼だったが、異性はその短所を見抜けないのか、あえて盲目でいることを望んでいるのか、年齢によって聴きやすい音調が違うように性別によっても見える部分が別々なのだろうか、そのことを指摘されないままでいた。ぼくは、普通に判断に迷う。しかし、この場面では彼は勝利に甘んじ、ぼくは敗者の気持ちを多くなぞっていた。

 彼女たちも仕事を終えて、次の店に四人で行った。その後、ぼくはタクシーにひとりの女性と乗り込む。ぼくは自分の家に帰る予定だった。予定というのは現実に近いもののはずだが、結果には差異が生じた。

 その女性が化粧を脱ぐと、幼い少女があらわれた。ぼくは復讐する。希美に対して。自分に対して。この会ったばかりの女性に。あるいは未来の誰かに。だが、本音としては十六才の少女と、彼女と消えたあいつに対してだ。ぼくは、これぐらいに酔っていた。

「このこと、誰にも言わないよ。だから、言わないでね」と、その女性は言った。酔いが作った朦朧とした夜だった。それにしてはぼくの身体にさまざまなものが付着した。彼女の香水もそのひとつ。他にもたくさんのものがあった。

 ぼくは希美がいない間に、このようなことを何度、繰り返すか予想した。多分、これが最後だったろう。縁を切るという考えも起こらないほどの一瞬のできごとだった。ぼくは純粋ということを忘れかけたものに変化する。これとまったく同じことが希美に起こらないとも言い切れない。可能性があるものは、つまりは可能なのだ。ぼくは言い訳を探す。探してふさわしければ正当化させる。正当だと思ったものが自分の脳に記憶される。これが一連の思考の流れだ。彼女はまた化粧をする。昼の日射しのなかで見ると、華やか過ぎた。ぼくは希美の顔を思い浮かべた。だが、もうどこかで違う。ぼくは余程、モナリザの方が希美の顔よりうまく描けると思っていた。そのぐらい、意味もないことに自信があふれていた。
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11年目の縦軸 16歳-37

2014年07月12日 | 11年目の縦軸
16歳-37

 ぼくが実際にこの目で見なかったものまでが、ほんの一瞬でも、頭に浮かばせたという理由だけで、いとも簡単にぼくを責め立てる。真相は、「ほんの」という程度のごく短く、そして、細切れの時間ではない。もっとこの頭のなかには長い間、映像としてたゆたい、底に沈むことなく泳いでいた。それこそ、疑いを起こさせること自体が犯行に匹敵する為なのか、原因や動機の追究のためなのか分からないが、胸にいぶった炎がまだあったので、無限の追及から、死にもの狂いの脱走兵のように逃げる手段も機会も逸したのだろう。こんな事態から、許しも自由も、誰も与えてはくれなかった。

 ある映像。いくつかの積もった姿。

 左利きの女性をその後、何人か見た。ぼくは当然、ぼくの彼女と結びつけない訳にはいかなかった。捜査線上の証拠はこの左利きというひとつのことだけなのだ。彼女は選ばれた側のひとだと大げさに考えるように関連付ける。それは半数(男女比)のさらに半数以下のひとびとの小さな集団、群れなのだ。

 ある飲食店で給仕をしてくれる女性の振る舞い。左手でお玉をつかみ、スープをよそう仕草。それは世界に挑まれている姿だった。大多数がルールを自分たち用に決める。少数派は世間に不平を言う価値も役割もあるのに、この女性は自分自身に信頼を置くことができている。そして、黙って甘受するのも厭わない。ぎくしゃくともせず、まるで優雅な作法を身に着けているようだ。ぼくは反対に些細なことで、不満をもらした。このひとつのモデル例をとっても、ぼくにはとても生きやすい世界なのに。マジョリティの傲慢さとちっぽけな優越感。

 ぼくは左利きの女性の信奉者になる。いや、求心力にあらがえない。

 もうひとつ加える。髪の短い女性。飾りを華美にしなくても素材だけで勝負できる側のひと。シンプルなエレガントさ。

 ぼくの十六才のたったひとつの選択がその後の生活まで影響するようになる。偶像としての、左利きのショート・ヘアのひと。

 しかし、あの十六才のときのぼくの気持ちなど簡単に思い出すことはできない領域に入ってしまっていた。カギも壊れているとあきらめていたが、ぼくの前にずっと後になってあらわれた女性によってあの気持ちをかき立てられたのだ。こうして物語の三分の一として仕立てあげることも可能になった。

 不思議な会話。

 ぼくはその後、その封印していたはずの扉を開くきっかけになった女性と世間話をするようになる。面影も背丈もよく似ていた。十六才のときにもし別れていなければ、ぼくの前に二十代の前半の女性になったときに、こういう成長を果たしたのだという確定の姿を教えてくれた。仮にという状態を決して越えない確定の範囲なのだが。

「いちばん好きな映画って?」

 彼女はある映画の名前を上げる。その年代の子が見る映画でもなかった。ずっとむかしの記憶に埋もれてしまった映画。だが、ぼくはびっくりする。それは、ぼくがあの最後のデートの日に見たものだったのだ。ぼくは秘密を固く封鎖していた。誰も暴きに来たりはしないが、あの日々の記憶はぼくだけが所有するもので、アクセスの権利もぼくのみが許されていたのだった。

「かなり古いものだよね?」

 ぼくは平然とした振る舞いをする。そういえば、オレも、見たことあったっけかな、という軽い感じで。そして、彼女は突然バイトを辞めると宣言して、ぼくの前から消えそうになる。その日は、偶然にも、ぼくの最後のデートの日だった。あの寒い渋谷の日だった。この長くつづったことを書かそうとする力をぼくは感じる。ぼくの歓喜と恥と後悔がクリームとしてつまったパンのコロネのような物語を。

 しかし、三人以外の女性の要素を排除しなければならない。彼女と希美と絵美以外は。ピラミッドを他の場所に建ててはいけない。

 愛は変わるのだ。それを否定するように愛をピンで止めるのだ。その模索がこの物語なのだ。

 ぼくは苦手だった理科の時間をいまになって思い出している。幼虫とさなぎと成虫というある命にとっては避けて通れない異なった段階のことを。彼女らをむりやりにそれに当てはめようとする。不可能なことはいちばんぼくが知っている。彼女らはそれぞれの段階と役割で魅力的だった。ぼく自身がその変態の過程をゆっくりと経てきたのだ。自分の気持ちを大っぴらにしないで、地味にうごめく虫のような存在として。最後に蝶にもならないし、羽ばたかないことも自分は説明もいらないほどに知っていた。解明や弁解の余地もない。

 誰かは誰かに似る。そのことすら許そうとしない。だが、彼女に似ているひととの一瞬の邂逅で、ぼくは居なくなった彼女をパズルでも組み立てるように再現しようとしてしまう。ピラミッドの石の破片で年代を計算できる研究者のように。訓練も鍛錬も考古学の知識もいらずに、自己流という溢れる自信だけなのに、権利だけは主張する。左利きのひともいなくならない。髪の短い女性など無数にいる。その組み合わせは、いったいどれほどの数なのだろう。ぼくの握りつかんで手放さない思い出と、どちらが多いのだろう。どこかの部分が一致するにせよ、しないにせよ。
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11年目の縦軸 38歳-36

2014年07月11日 | 11年目の縦軸
38歳-36

 戻りたくないあの日。

 そういう日々が自然と増えていく。せめて片手の指の数ぐらいで収まってほしい。

 失敗など一回もしないということは不可能だ。何度も同じ過ちを繰り返すというのも愚かだった。しかし、人間はどちらかをする。いや、どちらもするというのが普通だ。誰かを好きになり、いずれ別れてしまうということまで愚かと定義してしまうには極端すぎ、景色としても途中の道は華やかだった。失恋を考慮に入れて恋などしないが、あれも含めて好きになってしまった褒美と土産だった。

 褒美だろうが戻りたくない日々なのは変わらない。

 恥ずかしさ。言わなければよかった言葉。口にするべきだった一言。謝るタイミング。怒りをおさめる機会。自らの怒りからも手を引く。

 ぼくはまじめすぎる過去をなつかしんでいる。いまは、もっと無頓着になり、図々しく変貌し、厚顔になった。なれないと思っていた厚かましさも悠然と手に入れた。堂々とその厚顔さを披露した。

 戻りたくても戻れないし、戻りたくなくても、どう足掻いてもあの日に再び帰れないことは知っていた。気持ちだけがその過去に縛られている。だが、それが両方とも同じことだとは思えなかった。意図していることと、冷や汗をともなうもの。

 絵美の体温を感じている。布団のなかでつるりとした足が絡んでいる。あの日も、この日もない。この瞬間だけが正解だった。ぼくのひげは伸び、絵美のおなじくすべすべの腕に微小な痕跡をのこす。横にいてくれるだけでぼくは大満足だった。別の誰かを探す必要もない。やり直しの二回目の告白に戸惑い、ためらう青年でもない。ぼくは自分をコントロールでき、悲しみの袋もいくらか干上がってしまった。みな、若くて元気だからできたのだ。悩みも悲しみも存分に味わう新鮮な若さがぼくにはあったのだ。もう、遠くに生き別れた弟を感じるように、ぼくはその過去の日々のあれこれを復唱していた。

 十六才のあの日。ぼくは彼女とぼくの同級生(後釜)が店を出た後、行きそうな場所を探した。ぼくにそうする権利はあったのだろうか? あれも、若いからためらいもなく行動できたのだ。恥も見栄もなかった。ただ彼女を取り戻したかった。ぼくらの世代に純潔などという言葉は、もうなかった。概念も意味も、すべて絶滅した古代の動物たちのようなものだった。ぼくは、そして、もし取り戻したら責めないでいられただろうか。放さないということを躊躇しなかった自分に、理屈も何も通らない。自分勝手の権化なのだ。

 ぼくは絵美の腕をさすり、トイレに立ちあがった。いつもと違う芳香剤の匂いがしたが、実際には殺風景なトイレのままで、棚にも数個のトイレット・ペーパーがむきだしに置いてあるだけだった。ぼくは水の音を聞く。それから、レバーをひねった。

 カーテンからもれる微かな日差しが絵美の足首あたりにあたっていた。ぼくはその部分を毛布で覆い、自分もその横に身体をすべり込ませた。

「何時?」

 ぼくは十六才の彼女を探した。ついに居なかった。もし、見つけていたら、どうなっていたのだろう。ふたりの男性を天秤にする彼女。ぼくが断られていたら、あの時以上に立ち直る早さが遅くなっていたかもしれない。だが、ぼくはもう立ち直っていた。古びた表現ならば、十度のカウントの前には立ち上がり、顔の傷も素早く治療されたのだ。

「そろそろ六時だよ」
「夜中、地震あったね?」
「気付かなかった」
「信じられない。でも、そうだと思った。ぐっすり寝てたから」

 これが、ぼくの到着点。神経も鈍麻し、なにも気付かない。すべては昨夜のできごと。過ぎ去ったものを評価し、分類して仕舞うだけ。

 彼女はあの夜のぼくがとったみじめな行動を知らないままで死ぬのだろう。そんなに夢中になったひとがいたことも、もう忘れているかもしれない。総じて、女性などそういう生き物なのだ。ぼくだけが過去に行ける扉をいまだに大切にもっているのだ。みな、そんな扉があることすら知らないのだろう。

「もっと、大きな地震だったら、どうしてた?」ぼくは、眠りの入口を失っていた。
「ひとりで、隣で寝ているひとは置いて逃げた」
「後悔するよ。ずっと」
「後悔しないひとなんて、ひとりも居ないよ」
「いるよ、ぼくとか」
「うそばっかり」

 十六才の少女は、ぼくの同級生の横で目を覚ます。もしかしたら、年齢的に夜通し過ごすことなど許されなかったのかもしれない。どこかで服を着込み、家まで送られて別れる。

「うそじゃないよ」
「だって、未練ぽい寝言、言ってたよ。未練ていうのは現在じゃないんだよね」

 真理を発見したように絵美は目を輝かせていた。

「絵美の寝言もきこえたよ」
「なんて?」
「オムライス、食べたいなって」
「食いしん坊」

 もう空は、朝のうららかという段階を辞めようとしていた。ぼく自身もそうだった。十六才が正午前なら、いまは何時ぐらいなのだろうかと考えていた。夕日に映える海岸というものを美しく感じる理性。今日あたり、もしくは今度の休日あたり、絵美と見に行ってもいいと考えていた。その時刻に着くには、朝の早い時間に出た方が思う存分、楽しめるだろう。
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11年目の縦軸 27歳-36

2014年07月10日 | 11年目の縦軸
27歳-36

 戻るべきあの日。

 希美がいなくなり、ぼくらの関係はつづいていたとはいえ、物理的な距離が間に挟まった。この距離の介在を無視できるほど、ぼくは精神的にできていなかった。ぼくは、はじめて希美に会ったときを追憶している。彼女は仕事の相手側の会社にいた。

 その姿こそが重要だった。ぼくは内面など一切、知らなかった。徐々に世間話もするようになり、望んでいたことだったが交際することになる。いっしょの時間を過ごす。そこには必ず肉体が伴っていなければならない。ぼくらはまだ通信会社の宣伝を鵜呑みにして、かつ全面的に受け入れるほど、電波やシグナルを信じていなかった。対面することが親密さを増すには第一の、唯一のとっておきの方法だった。

 年齢というものはとても重要だと仮定する。ひとは三才で結婚する相手を決めたりしない。そう宣言したこともあるかもしれないが生活の実感は無論、まったくない。自分も養われる存在で、ぐずって眠れなければあやされる立場なのだ。

 何かがピークに向かい、いっしょにいたいというひとを探す。運よく巡り会う。相手も同じであってほしいと願う。話さなければ、ないと同然になってしまう。打ち明ける。返事は宙ぶらりんのまま、彼女の姿はなくなる。

 あるところも知っている。電波も信号も信じていないといったが、その役目と恩恵にまかせっきりになる。時差がそれほどないにもかかわらず、同じ朝という感覚は、それでも遠ざかってしまう。空はつづいているという事実も法則も無視して、別の空間の下で暮らしているという感覚が圧倒的に支配した。

 休みのたびに会うということが、あんなにも幸福だったということをこの日々に教え込まれていた。ぼくはひとりでピカソの絵を見ている。難解というぼくへの挑戦は、はっきりといえば、ぼくのこの状況より難解ではなかった。彼は自由だった。ぼくは不自由だった。彼は愛するひとをたくさん変える。ぼくは、ひとりを愛しつづけようともがいている。まったくの反対にいるひとの絵を、ぼくはひたすら眺めている。希美は、この絵をどう思うだろうか。

 次のピカソの絵は泣いている女性らしかった。題名はそう伝えていた。ぼくは希美が泣いている姿を思い出していた。ぼくに分からないようにして背中を向けていた。この絵の女性は泣くことを強烈にアピールしていた。画家はそのことを冷静に分析できるのだろう。普通ならば、泣いている女性がいれば筆などもたずに、なぐさめることになった。報道写真家も決定的瞬間を求める代わりに、いくつかの命を救うこと、また自分の命を危険にさらすことも避けられた。だが、使命のあるひとは、どう説得してもしないわけにはいかないのだろう。

 ぼくは足の疲れをおぼえ、同じビル内の地下で冷えたいやに丈の高いグラスでビールを飲んだ。ぼくは、ひとりで休日を楽しむことを長くしてきたはずなのだ。だが、いまはどんなに不機嫌でもいいし、もちろん慟哭という言葉がぴったりくるぐらいに泣いたままでもいいので希美に会いたかった。すっぴんでもかまわない。パジャマでもよかった。ただ、目の前にいてほしかった。それを離れた相手に電話でいうのは今更、卑怯な気がした。言うならば出発を決める前に口に出すべきだったのだろう。ぼくは、大人ぶろうとした。大人というのはふところの広いことと同義語だった。相手に自分の気持ちを押し付けないことだった。その報いとして、ぼくはビールをお代わりする羽目になる。長いグラスは、もっと長く伸びたような印象を与えた。

 ぼくは希美が好きそうな洋服を着ている女性の後ろ姿を見ている。彼女と髪形も似ていた。希美は髪を切る場所を見つけられるのだろうか。いっそ一度別れるという選択はあったのだろうか。もし、戻ってきたときにどちらもまたあの同じ状態をなつかしめば戻ればいい。だが、ぼくらはつづいている。ただ、身体も声もここにはないのだ。

 ぼくはこの痛みを再度、味わうとは予想していなかった。スクーターの女性はこころから消えたのだ。おたふくやある種の伝染性の病気はいちどかかれば耐性というのか免疫というのかができるはずだった。ぼくは、このような状態から抜け切れる即効の薬が欲しかった。その役目にビールはなってくれなかった。ぼくはテーブルの濡れたグラスの底がつくった輪っかのいくつかを眺め、そこをあとにする。

 円というのはそれだけで完全であるようにも思え、その完全さを主張することこそ、いびつなのだという矛盾した考えをぼくは階段をのぼりながら考えていた。ぼくは堂々巡りをしている。希美に似たひとは振り返ると、まったく似ていなかった。希美はひとりであるべきだ。ぼくが選んだ彼女の代わりはいなかったのだ。ぼくは、なぜだか息切れのようなものを感じていた。外にでる。無意味な大型電気店の店名とロゴを小さな声に出して呼んだ。歩き出すと、いくつものティッシュを受け取ることになる。ひとや会社は何かを宣伝し、売り上げや利益に結び付ける。ぼくには利益も得もなかった。希美がいないのに、あるはずもなかった。いや、見つけなければいけないのだろう。だが、どこに? 誰と。ひとりで。
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11年目の縦軸 16歳-36

2014年07月09日 | 11年目の縦軸
16歳-36

 家族で海水浴に来ていた。クーラー・ボックスには冷えたジュースが入っていた。満載といってもいいぐらいに。ぼくはもっと冷やそうと一本のサイダーを取り、浅瀬の砂の中に缶を埋めた。後ろを向き、少し経ってから振り返って柔らかな水のなかの地面を掘り返すと、それはもうどこにもなかった。跡形もなく消えていた。波はやってきて、自分の家に戻るときに多くのものをついでにお土産にすることを知った。だが、ぼくはその自然の大いなる作用にただ戸惑っていたばかりだ。ふざけて失くしたことを叱られもせずに、もう一本のジュースをもらった。今度は大事にしよう、手から片時もはなさないようにしようと誓うように缶を開けて口を近付けた。あの誓いの有効期限は過ぎてしまったようだ。

 一度、失いかけたものを再度、手にする喜びに焦がれているのだろう。痛烈な喪失を経なければ、大事なものが分からないという鈍感さに惑わされていた。

 バイトが終わり、地元の駅に着く。古着のジーンズがそのころのぼくの制服のようなものになっていた。ある喫茶店の前でぼくに手を振る女性がいる。小柄なシルエット。ぼくは視力が悪いが、メガネを日常的にはめていなかった。下級生? 通り過ぎてしまったが名残惜しくぼくはそこまで戻った。

 女性がふたりいた。なぜ、ぼくは見過ごすようなマネをしてしまったのだろう。何度も思い描いた女性なのに。目の前にいなくても執拗に思い描いた姿や場面は数え切れないぐらいあったのに。そこはふたりで一度、入った店だった。彼女は、ぼくに偶然、出会えたためなのか、うれしそうな様子をしている。彼女の横にいる友人は一歩、退いて会話に入らないという誓いを立てたようだ。

 何度も思い描いたはずなのに、彼女がこれほど小柄であったことも忘れている。ぼくはそのことを告げる。忘れたことではなく、小柄なことの方を。彼女は笑った。ぼくのいちばん見たかった笑顔でもある。

 彼女は誰のものでもない。ないのだろうか。

 まだあの小さな身体はぼくを刺激し、揺さぶる力を存分にもっていた。ぼくの恋は終わってもいなかったし、完結とも呼べる状態にない。継続していた。本人も知らないところでまだ生きていた。

 ぼくは彼女の次の交際相手をうらみかけた自分を恥じた。ぼくらの間にはどんな些細な隙間もなかったのだ。昨日、最後の電話をしたような自然さがふたりにはあった。信頼とは、はじめて手にする信頼とはこのようなものなのだろうか。

 ぼくは上手くいっていた、順調にすすんでいた日ではなく、この日の、この瞬間に戻りたいと願っている。台風で落下した無傷のりんごを拾って丁寧に拭い、実ったよろこびに感謝するのだ。ぼくには言うべき言葉がたくさんある。彼女も了承する機会、うなずくことが与えられる。問題を乗り越えたよろこびこそ、ぼくらにふさわしいのではないのだろうか。ぼくは数日後にたまらず電話をする。無言の時間が神経を病ませる。結局、語るべきだったはずのセリフを口に出さないという決断をする。喉元で終わった言葉にならなかったものをぼくは感じられるが、世間は認めない。ここでいう世間とはいったい何であろうか。ぼくは形のないものに責任を押し付けようとまだ懲りずにしていた。

 問いかけもなければ、当然、答えもない。ぼくが聞きたい答えは電線を通っても与えられない。

 なにが、それほどに気弱にしたのだろう。一度、関係が終わっているのだから、恥もなにもなかった。終わったものが、終わっただけになるのだ。どう考えても問いにはプラスしか発生しない。減ることなど何一つなかったはずだ。

 いや、ぼくの無駄なプライドが折れる。折れても、また今後、何度も折ったが、ここで経験をしても良かったのだ。

 ぼくは受話器を置く。再会から訪れた微妙な変化とチャンスをぼくは無惨に放り投げる。

 持ち主のいないビーチ・サンダルが海岸に落ちている。

 今年は終わるのだ。

 ぼくがこの瞬間に戻りたいといったのは、この決断を覆すことを可能にするためだ。頭を下げて、もう一度、交際のお願いをする。ためらう彼女。ふたりともにやり直すチャンスが与えられる。ぼくの望んだ物語となる。希美もいない世界。絵美のいない世界。ぼくは引き換えにそれらを提供しなければならない。する覚悟もあるが、もうどうにもならない。

 冗舌さもいらなかったのだ。ただのほんの数語だけで運命が変わったかもしれない。その選択の結果がいまの自分であり、わずかながらも愛着がある。その意気地のない自分を好きになってくれた未来の女性がふたりいる。誰しもが過去を塗り替えてしまったら、支流が多過ぎてしまう。人間など芯が一本、本流が、太い本流があればいいのだ。

 あの日のぼく。小柄な彼女。ふたりは会う。別のプログラム。五つの横線がつらなる紙はまっ白なままで、記されることのなかった九作目のシンフォニー。ふたりの再会からの歩みのひとつひとつが、小さな音符なのだ。休符という記号が延々とひたすらつづく不格好な傑作をぼくは生む。

 落とされた爆弾。壊滅状態の都市。またひとが住むようになる。緑がところどころに生える。成長する。過去の記憶など覆い尽くして美となる。ふたりのベンチ。ふたりの最初のキスの場ともなる公園。

 ぼくは過去に大切なものを置き忘れたが、停まった時計もまたぼくの大事な財産でもあった。
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11年目の縦軸 38歳-35

2014年07月08日 | 11年目の縦軸
38歳-35

 永続性を信じられなくなったということが、ぼくの身に受けた罰だった。

 例えるなら、八月六日と九日のまさに神々しい光を浴びたふたつの都市のやる瀬ない住人のように。

 不運をその場しのぎでやり過ごし、幸運の深い井戸も乾いたままでよく、なるべくなら新たな水脈を発見した時点で自分の手で埋めた。深さやコンコンと湧き出る水など、もうぼくにはいらなかったからだ。また、自分というものに拘泥し過ぎなければ、どれも、耐えられそうな不運ばかりであったのも事実だ。

 ぼくは嘘が上手になっている。文字というものは信ぴょう性を与えられやすいものだ。人間から希望を奪い取ってしまえば、そう長くは生きつづけられないのだから、嘘に違いない。

 ぼくは目の前にいる絵美を眺める。この女性が希望の役割をまったく引き受けていないと誓えるだろうか。ある種の魚は放流をふくめてフィッシングなのだ。そのままの姿で、そのままの場所に帰す。

 すべては一時的な所有に過ぎないのだ。

 失うと仮定して、まだぼくには悲しむ気持ちがあるのか試してみたくなる。もしかしたら、悲しみのスイッチがとっくの前に切れてしまったのかもしれない。直す機会も巡ってこなかったので、そのままになっている。運よく使われなかった倉庫の奥の防災用品のように。乾パンの期限も切れ、腐りそうもない水も腐っている。ひとは、この年になって、あまり恋人と別れたりもしないのだ。二十代の前半から、もう経験しないひとだっている。ぼくは成熟や老いを無意識化で遠ざけるために、対価としてこれらを体験しなければならない。しかし、そのスイッチも摩耗した。悲しむ元気があるひとも逆説的にうらやましく思う。ある女性のささいな感情の揺れに一喜一憂できる豊かさを。

 その分、楽しさが減るかといえば、そういうものでもなかった。絵美と出会う前より、確かにぼくは機嫌も良かったし、世界観も美しいものに化けていた。絵美がもたらした恩恵であり、その結果、ぼくから奪われたものは比較すれば何もなかった。

 だが、永続性という考えはもてない。ひとはなぜ、それらに信頼が置けるのだろうか。無心に。ふたりの間に子どもがいて、永続性の一部を肩代わりするために、変体して生き延びるのか。家のローンや、車の月々の支払いが元となって寄り添い、永遠につづくのだろうか。ぼくは敢えて将来を潰そうと願っているのだろうか。

 多分、絵美は明日もきれいなままである。あさっても、来年も。ぼくは、それを確認する機会がもてるかもしれない。他の別の男性がその楽しみを承継するのかもしれない。こう考えると、ぼくの愛の分量こそ、タンクのなかで減少しているのだろう。燃料切れ。十一年前と二十二年前に空吹かしをたくさんしてしまった所為なのだろう。節約も、手加減をすることも考慮しなかった。それほどに夢中であった。あれを毎年することは、ワールド・シリーズを勝ちつづけることと等しかった。せめて、ワイルド・カードぐらいの愛をと思う。文字の信ぴょう性をぼくは誤解している。

 永続性がないということは絶対がないと同じであるのだろうか。であれば、ぼくには絶対などとっくになかった。絶対的な拘束を求める愛も、絶対という誓いも、絶対という希望も。ぼくだけがないのではない。大人はだいたいは途中でなくすのだ。そして、完全なる微笑みを捨て、眉間にしわがよった。不満は絶えず浮かび上がり、解消する力も失っていく。

 ぼくは思考のためだけに思考している。ぼくを失って困らなかった数人の女性のために、愛を語っているのだ。なんと不毛なことだろう。引き取り手のない宝物は、ぼくにとってだけ宝物だったのだ。金(ゴールド)とかある種の紙幣とかの共通の価値など、ぼくにはまったくない。子どものおもちゃのお金のようにふたりだけで通用していたものなのだ。しかし、共通さなど入り込ませないからこそ、貴さも逆にうまれた。

 ぼくは書くことだけのために、異性と交際し、ある面では破れさせたのだ。ふすまや障子を貼りかえる作業が、つまりはこの物語なのだ。永続など真にあったら、この物語も消滅する。絶対も永遠もないからこそ、ぼくはすすめられている。これも、またなんと不毛なできごとだろう。

 絵美はきっと、明日も美しいのだろう。ぼくが保証する。ぼくの推薦の書類をもって次の会社の面接に向かうように、新しい男性のもとに向かえばいいのだ。これが、八月七日と十日のぼくだった。そして、十六日に後悔する。

 後悔しても絵美は美しいだろう。だから、ぼくは後悔するのだ。後悔だけは永続性をもっている。彼らの主要な成分は、継続性でもあった。

 永続を信じなくなった自分は、後悔の継続ということに縛られている。意外なものに足をすべらせる結果となる。どんなに注意していても転ぶときは転ぶのだ。立ち上がることもできるし、転がった姿勢のまま憤慨を抱きつづけることもできる。だが、さっと立ち上がった方が格好いい。そして、見栄も永続する。こんなつまらない人間の見栄など、大して値打ちもないはずなのに。
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11年目の縦軸 27歳-35

2014年07月07日 | 11年目の縦軸
27歳-35

 ぼくと希美は結婚する計画だった。少なくともぼくの側では。もちろん、雨天で順延するようなものではない。大きな過ちがない限り、車輪は回転していくのだ。

 ある日、希美は海外での勤務のことを言いだす。寝耳に水ということばをぼくは脳のどこかから引っ張り出した。

 ぼくの仕事ではそのような状況は起こらなかった。だから、他のひともそういうものだと勝手に決めていた。周りでエイズで死んだひとが見当たらなければ、その病気がないということでもない。どこかにはあるのだし、日夜、研究員は新薬を発見できるよう試しているのだろう。だが、ぼくの周りではないも同然だった。

 海外勤務と不治の病を同列に置くことも正しくないのかもしれない。だが、避けられなかった事実と見るならば、横に置くのが普通であり、対処の方法がないと見なすと、まったく同じものだった。

 しつこいようだが、ぼくは彼女と結婚するであろうと想像していた。想像の範疇を一歩越え、その要求をつきつけた。彼女の返事はまだなかった。その為に、ここで離れた場所に行き、冷静に考えるのは悪くないと納得させようとする友人もいた。離れればそれで終わりだとあきらめを知っている友人もいた。離れたからこそ、大切なものに気付き、より大事にするという不思議な論理をもちだすひともいた。みな、自分に起こらなかったことだからこそ、身勝手なことがいえた。こちらは生活がかかっていた。未来の問題であり、同時にいまの自分の方向性を見極める通過点の難題でもあった。

 結局、最後は彼女の判断なのだ。ぼくが口出しする権利は彼女の両親を含めて三分の一に過ぎないようだった。彼女をいれれば二十五パーセント。ハンバーグの楕円をレストランでその形に切り分けながら、空腹を満たす量にも足りないのだと、その肉の切れ端を口に運びながら考えていた。

 テーブルの向こうには希美がいる。彫刻にならなかった希美。

 ぼくは別れがもたらす何かを知っていた。十一年前に身をもって体験していた。あれが地獄でなければ、ぼくの想像力は余程、働かないのかもしれない。いや、想像で終わっていればよかったし、安楽だった。あれが現実になったのだ。アンハッピーという安上がりな表現では軽く、もっと重たいものをぼくの上に誰かが載せた。あるいは自分で被せた。

 彼女は陽気さを演出し、ぼくは不機嫌という切り身をまな板に載せた。不機嫌など調理できるわけもなく、グツグツと煮える鍋に放り込み、不機嫌はさらに重々しいものとなった。

 時間は経ち、いまは成田空港にいる。希美の何度もの涙をこの間に見て、ぼくのふてくされた顔を数え切れないぐらい見せた。だが、ここまで来れば楽しげに見送るしかない。これも、人生なのだ。人生の一部なのだ。

 希美の友人もいた。ぼくも会ったことがある。友人というのは応援するためにいるのだと思われた。その応援は結婚ではなく、海外勤務の選択に傾いていた。彼女のジャッジは不利ではなく、ぼくよりも長い交遊が生んだ明晰な分析と判断だった。

 ぼくはまだ長い夢の無邪気な通過を待ちわびるような気持ちにときどきなっていた。しかし、現実に電光掲示板は順序を繰り上げていく。友人の手前、抱き合うこともできない。最後に儀礼的に握手をして、希美はパスポートをつかんだ片手を振って、見えないところに消えた。

「さて、どうする?」と、希美の友人はいう。めぐみという名前だった。「さっぱりした?」そして、笑った。

 ぼくはめぐみ、という言葉が意味するものを考えた。直ぐに連想したのは恵みの雨、という慣用句だった。空は快晴だった。飛行機の機体がきらきらと太陽の光を反射させていた。恵みの雨が大量に降り、運航を遅らせることなどなさそうだった。

 ぼくらは電車に乗った。都心まで小一時間はある。ぼくらは会うべき理由はなかったのかもしれないが、喪失の共犯者としてここにいる。電話もあり、時間はかかるが手紙もある。そのような待機の時間割の提言をめぐみは付け加える。実体がないということにぼくは不満なのだろうか。目の前にいるということは何より大事なのだろう。十六才のぼくはそのことを充分、強引な力によって理解させられた。

 ぼくらの家は意外と近かった。ぼくの家のそばの通い慣れた店に入って酒を飲んだ。ある店員は交際相手を変えたんだ、という表情を隠せないでいた。ぼくは正す必要性を感じない。やけという気持ちに近かった。

 喪失の共同体の仕上げとして、ぼくらはぼくの部屋のベッドに忍び込む。ぼくは誰かを罰さなければならなかった。第一に希美であり、当然、そうされる理由があって、ずっとか、おそらく数か月はこの事実を知らないでいる。ぼくへの信頼の罰でもある。いや、抑えられなかった、彼女の決定を制することができなかった自分への罰である。それもわずかに違う。希美の決定を後押ししたこのめぐみへの罰である。彼女の助言により、ぼくはひとりになったのだ。

 しかし、全部うそっぱちであった。罰ではなくギフトであり、報いである。甘い果実である。ぼくは得られなかったであろうものを、こうしてその当日に手にしていた。罰の要素も、罪の観念もぼくにはまったくなかった。歯をみがき、うがいの水とともに、そんなものは流しに吐きだしてしまったようだ。
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11年目の縦軸 16歳-35

2014年07月06日 | 11年目の縦軸
16歳-35

 友だちとファミリー・レストランで夜中の時間を過ごす。別の友人の両親も夜中と呼ぶ前のまだ早い時間には遠い座席にいて、自分の息子が過去の青い時期にぼくにしたことを気にかけて、ぼくらのテーブルにビールを注文してくれる。ぼくの指には数針の、そして数センチの縫ったあとがあり、その傷の報いをこうして受けている。閉じた傷からも恩恵があるのだ。

 閉じない傷は、逆にこころのなかで雄弁だ。

 別れた彼女と同性の友人もいた。ぼくらの真後ろの席にいる。狭い世界の話だ。この近くの公衆電話でぼくは度々、彼女の家に電話をした。ぼくの友はぼくの終わった関係をからかう。暇にしているぼくらにとって、ちょうど手頃な話題だ。トランプを偶然、二枚引っくり返したら、同じ絵柄だったように。ぼくらは後ろ向きでひとことも会話を交わさない。ただ、背中に彼女の視線があるような気がした。小さな町の又聞きから情報を入手すると、彼女はぼくともう一度きちんと会って話してみたいと言っているそうである。ぼくは有頂天になることをいさめた。一回、山で遭難したひと、あるいは海でおぼれたひとがそれらから遠ざかるように、ぼくは浮上の幸福ではなく、墜落の高さをおそれた。登山の楽しさではなく、遭難にあう憂き目をおそれ、救出の迷惑と恥を事前検証した。すると、ゴーサインを出せるはずもなかった。

 子どもであれば宣言として必要以上に泣くこともできた。誰かの耳に手厚い保護や愛撫の欲求を入れるため、伝えるためにわざとアピールする。シミュレーションでPKをもらうように。大人は軽々しくそうした振る舞いもできずに、表面と根底の感情を使い分けるのだった。ぼくはちっとも悲しんではいないという風に。転がる姿を見せるなど、鍛えていない証拠なのだ。

 ビールのジョッキが空になると、今度は自腹で飲む。彼女の会話は聞こえない。ぼくはいないフリをしているが、そこにいて振り向いて様子を確認したいという誘惑と戦っている。もし、別の友人といるなら、そうしたかもしれない。ぼくと彼には数年の間柄がある。弱音を見せることなどもできないし、見栄に過ぎなかろうが、強さ以外の感情を介在させないなにかが確実にあった。

 だが、ぼくは彼の家にその後泊まり、寝言で未練たらたらの言葉を吐いていたそうだ。夢のなかまではコントロールできない。ましてや支配下にも置けない。そして、ぼくの寝言の対象を彼は知らないでいた。別の誰か、どこか遠くの見たこともない女性かもしれないと予想もできた。

 こころを隠すということを、このように自然にしてしまうようになった。もっと開けっ広げに、彼女が話したいというならば応じればよかったのだ。た易いことだ。ぼくには面子があり、その面子を保つために、ぼくの外部と内部に差があった。これがつづけば精神の病をかかえるようになるかもしれない。その判定を自分が下すわけにもいかないが、ひとに知られることにも無言で抵抗した。だが、それは明らかなのだ。ぼくには、もう次がないのだ。好きになりそうな感触はこころのなかにあり、芽生えそうでもあったが、やはりどこかで、彼女と比較した。もうそのままの、ありのままの等身大の彼女ではない。ぼくのなかにいるメッキされた、コーティングされた彼女とである。勝ち目がないのは当然だろう。

 ぼくは親指の付け根を見る。過去の傷がある。数年前に近くの医院で縫われたものだ。痛むことも、血がでることも当然のことない。外傷というのは見かけには影響するが、直ってしまえば重く考えることもなくなる。それに対して、内面の傷はもっと厄介であった。ひとは原因やいまの状況を、好奇心か慰めか、あるいは両方のためか知ろうとするかもしれないが、ふて腐れてしまえば訊きようもない。故に世間との溝ができる。

 ぼくが望んでいた、生きたかった十七才というのは、いったいこういうものだったのだろうか。話すことが楽しかった相手が、ぼくの一メートルも離れていない後ろにいるというのに、そこにはわだかまりがあり、誤解があり、そして、恋の終焉があった。ぼくは、またここでも被害者になろうとしている。彼女こそ栄光の被害者なのだ。その愛くるしさによって、その立場がふさわしくないように感じられているだけなのだ。

 ぼくらの喉に数杯のビールが消える。彼女たちも帰った。「じゃあね」とかの軽い挨拶もいえず、ぼくらは別れるときに必ずキスをしていたはずなのに、もうぼくにはできない。主導権がないということではない。同じことをすれば、犯罪者に近く、婦女暴行という定義とも、そう離れていなかった。

 ぼくらもそこを出る。以前、使っていた公衆電話を見ないフリをして通り過ぎる。あれが何度も彼女の声を通じさせてくれた。ミュージカル映画でもあれば、この物体は突然に意思をもち、楽しげな様子で自分の四角い身体の横から腕をだして、さっとぼくの眼の前に受話器を差し出すところだった。さあ、ちょっとした勇気をだして、会話しなよ! という風に。

 だが、ぼくは友人と別れて、とぼとぼとひとりで歩く。その付近では大きな公園を横切る。ここで彼女とよく話した夜もあった。後日、ある歌手は唄うのだ。全部、君だった、と。
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