爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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11年目の縦軸 38歳-34

2014年07月05日 | 11年目の縦軸
38歳-34

 ぼくは録音技師になるべきだったのだ。彼女の声の記念として。

 しかし、才能などは端的にいえば雌牛の乳房にたまったミルクのようなものだと思う。どんな量で、どんな成分を増やしてほしいなど、こっちの勝手な意図は組み込まれない。ただ、定量を毎日、毎日、きちんとしぼることが必要なのだ。そして、ある日、不意に打ち止めになる。それが手の習熟した技能によるのか、蛇口をとりつけるのかは分からないが、与えられたものを注ぎだせばミルクも才能も終わりだった。干上がってしまえば、なす術もない。

 ぼくの耳はさまざまな音を聞き分ける。これも、普通のひとが感じる程度にだ。好悪というものも、それぞれが違う。ぼくの耳は絵美の声を純粋に美しいと思っている。もちろん、朝一番の扉の向こう側にいるような声や、喜んで甲高くなるときもある。でも、総じて普段は落ち着いた声を出した。

 音を最終的に耳に届けるには、どんな優れたデジタルの媒体であってもアナログにどこかで変換しないといけないそうだ。通常の会話の音ではそんなことは一切、気にしてもいない。声に限定せず、軒下に揺れる風鈴だろうと蝉の鳴き声であろうと。

 CDやレコードがある。そこに音が、信号とか溝として封じ込められているはずだが、それらを再生する装置が必要になり、アンプを通して増幅し、最後はスピーカーやヘッドホンという出口に向かう。人間の声はそこまで難しい配線を通していない。いくつかの器官がものを食べながら、別の役割で音も出した。

 留守番電話にその声の断片がのこっている。大体は聞き終わって役目を果たせば同時に消した。ぼくはこの声の持ち主と未来があるのだという漠然とした信頼が勝利をおさめているころだ。地球外の生物にもし接したときに相手が困らないように、理解への導きとして歴史的な録音が宇宙のどこかにただよっている。みな、ないかもしれない可能性のために労働をすることも、面倒を厭わない場合もあるのだ。なぜ、ぼくが努力をためらっても罰せられないのだろうか。

 声は音程なのか、振動なのか、濃度なのか、空気の含み具合なのか。すると総合体として考慮することになると、もしこれが仮定でも、このまま押し通せば、録音という方法が間違っていることになる。風船のようなもので絵美の周辺の空気を漫然と吸い込むしかない。もちろん、そこに音はない。

 なぜ、音だけにこだわるのか。存在から発せられる一部分でしかないはずなのに。ラジオよりより身近になった媒体もたくさんある。かといってラジオを葬り去るわけにもいかない。

 彼女は、ぼくがそれほどその声を気に入っていることは知らないはずだ。長所というのは指摘されて、はじめて長所になるのか。自分で得意がっていることを評価されずに、自分がいやいやしたことの結果を褒められることもまれにあった。第三者の目、ここでは耳、が判別する。ひとは自分のことを正確に知り尽くすことはできない。町でばったり自分自身に出会い頭にぶつかりそうな機会がなければ、自分の第一印象がどういうものかが客観的にも類推的にも分からない。テープにとった自分の声もまったくの他人のものである。自分の骨という壁面にぶつかって反響が起こった音しか、通常は聞き取ることができないのだ。

 ぼくは絵美の声に魅了されていることだけを書こうとしていたのだった。しかし、それだけを取り出すことはできない。声だけに会っている訳ではない。その温かい、ときには冷たい手を握り、まつげの動きを見て、笑うときに眉毛がアンバランスになることも、すべてが魅力だった。

 機材もリハーサルも特別なマイクも必要ではなかった。チューニングに手間取ることも、ポリープに悩むことも、外部の騒音にいら立つこともなかった。普通に生きられるということがぼくの身の回りにはのこっていた。そこに絵美がいつもいた。

 だが、ぼくはイラスト程度なら描けるのだ。紙とペンだけあれば。詳細なデッサンではない。数本の曲がった線だけがそのひとの特徴となる。だが、どこかで似ていない。似せるという行為そのものが間違っているような気もした。誰にも似ないでいい。個性そのものを際立たせればいい。あざとくならずに。計算ずくめにならずに。

「そういうときの顔、意外と格好いいよ」

 ぼくは彼女の部屋で切れた電球を取り替えていた。両腕を伸ばして、長年、着過ぎた、洗濯し過ぎたよれたTシャツの裾がへそを隠すことをやめていた。自分としてはあまり納得のできない姿だった。いや、自分の外見や様子など、そのときはまったく意識していなかった。ただ、目の前の問題を片づけることだけに注視していた。

「これが?」
「それが」

 この三文字だけを放つ絵美の声も素敵だった。耳というのは次の音を待つようにできている。脳だけが、一瞬前の過去の音の意味と味わいを分析しようとしている。分析というには精度もあまり高くなく、ぼんやりとしていて、間違うことも多い代物だった。

 ぼくは手を洗いスイッチを押す。電気はつく。録音機のスイッチもどこかにあると良かった。
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11年目の縦軸 27歳-34

2014年07月04日 | 11年目の縦軸
27歳-34

 ぼくは彫刻家になるべきだったのだ。彼女の横顔のためだけにでも。

 ぼくは粘土をこねくり回し、彼女に似せたものをつくる。本物があれば、本当はその必要はない。彼女の鼻。鼻梁。それを見るには彼女の横にいつづける必要があった。

 好きな相手の保険など、あってはならないものなのだろう。今後、我が身に傷が生じるとしても。

 しかし、この瞬間の彼女はこの日にしかない。ある日、目の端をぶつけて切れた皮膚を縫うことがあるかもしれない。小さな変化の訪れ。だが、移ろい往く過程を知ることこそ、付き合うという迷走の醍醐味なのだ。

 ぼくの差。

 問題集をひとつ解き、予習をした成果として原付の免許を取っても、彼女と並走することはなかった。彼女への道にそもそも通じていなかった。そのときとぼくの体型も顔もそれほどは変わっていないだろう。中味は変わったかもしれない。

 それでも、ぼくは希美の顔を彫刻の姿でのこす要求を抑え切れない。その才能や天分に自分が恵まれていればと想像する。世界はぼくの作品を絶賛するのだ。そのもとになったひとのことなど介在させないで。

 いや、公開などということは念頭にもない。その反対の貸金庫での保管というのもふさわしくなかった。どこかのひっそりとした部屋でぼくはその優雅な横顔を眺める。すると、やはり当人はいなくなるのが前提のようだった。

 喪失というのを体験すれば、あの恐怖を未然に防ぎたいと思うのが妥当な結論になるのだろう。かといって、がんじがらめにして拘束することなどできない。文明とは充分な自由とある程度の裁量が与えられた場所のことなのだ。たとえ、誤った判断と方法ばかり選んでしまっても、その裁量を奪われることは断じて拒否しなければならない。ぼくのもとを去る自由も、当然、そこに含まれた。

 ぼくという個体の中味がいくら変化したとしても、大きな才能が急に芽生えるわけもない。そもそも種が体内のなかには最初のスタートから植えつけられていない。あるもの、発芽しかけたもの(いくらかのギフト)を剪定したり、もうちょっとで咲きそうなものの元になる土に栄養を加えたり水をかけて丹念に育てるしかなかった。これから、どうもがいても、社長にもならなければ、会社の創業者にもならない。株の操作で大金を回収する技能もない。ぼくを他と区別しているものは、決して飛び越えられないものではなかった。

 その理屈を周囲にも適用すれば、どこかに希美に似た存在がいて、ぼくはその女性の方を好きになっていた可能性もある。広大過ぎてつかみきれない言葉でもある可能性の幅が、徐々に狭まっていくのに妥協するのも生きることが押し付けてくる冷酷で義務的な事柄だった。

 彼女はストローで飲み物を飲んでいる。そのものを発明したひとは一体、誰なのだろう。今日のこの希美の魅力がそれによって加算することを予想していただろうか。小さな襟も、不思議な形のボタンも、爪の色も彼女のことをより美しくするために必死のようだった。

 大理石の彫刻にはカラフルさがいらない。陰影が色以上のものを表現する。希美には色が必要だった。ぼくを楽しませるいくつもの色彩。

 この色しかぼくの前では着ないで、という無理な注文をくりかえせば、いつか、その色彩自体が主導権をもち、ぼくのことを考えざるを得なくなる。犬の訓練にも似た単純な方法で。

 だが、そんな言葉はぼくから出ない。彼女がどのようになるか、振る舞うかをぼく自身が真っ先にびっくりしたいのだ。新鮮さの代償はなにもない。また新鮮さだけを追求すれば、これまでの歩みを打ち消すことにもなる。ぼくらには短いながらも歴史もあるのだ。歴史と呼ぶのに値しないぐらいの期間しかないが、ぼくらにとっては大事なものだ。

 ぼくは彼女のみどり色の下着のことをなぜだか考えていた。そんな色をこれまで目にしたこともなかった。あれは、一度きりでその後も目にしていない。あれをもう一回、身につけてほしいと思ったが、わざわざ口にすることもなかった。世の彫刻は裸であることを強いられている。いくつかのお地蔵さんは寒さに備え、帽子を被らされているが。付帯するもので評価が異なる。もっと青い子どもならばきちんと分けていただろうが、もうその潔癖さはどこかに捨てられていた。

 希美の飲み物ののこりは少なくなっていた。氷の角は丸まり、溶解という状態に近かった。自分のこころもこれと大して違わないような気もした。さらに物事はきっちりと輪郭を要求してもいない。誰かに恋するなど、白か黒でもない。別の色であるかもしれない。あのみどり色のようなものでも間違いではない。

「ここに最近、かわいい下着を売ってる店ができたんだ」希美はある方角を指差す。
「え?」
「いっしょに入れないよね?」
「まあ、気まずいよね」

 ダビデ像は、きょうも裸のままだろう。それが彼の仕事なのだ。歌い終わったジェームス・ブラウンはガウンを肩に優しくかけられてステージを降りる素振りをするも、それを勢いよく脱ぎ去って、かなぐり捨ててからアンコールに応える。それも、彼の仕事なのだ。ぼくは彫刻などつくることはできない。ただ、想像を膨らませているだけで、胸を張っていえるような仕事ではないが、趣味という小さなクローゼットに詰め込むには分量が多過ぎた。
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11年目の縦軸 16歳-34

2014年07月03日 | 11年目の縦軸
16歳-34

 ぼくは画家になるべきだったのだ。彼女の追憶のためだけにでも。

 もう四月になっている。季節は、どれほど女々しく悲しもうが、目一杯、存分に楽しもうが容赦なく動いていくものである。楽しい方がいくらか早く感じる。体感的に。ぼくはスーパーと文房具屋の間の道路で、スクーターに乗る彼女を見かける。ぼくらは同じ町に住んでいるのだ。邂逅があっても不思議でも奇跡でもない。まだ、頭を覆うヘルメットは常用しなくても良い時期だった。短い髪の彼女の髪は風になびくこともすくないが、それでも、その程度で魅力が簡単に軽減するわけでもなかった。ぼくらは挨拶をする。少しだけ言葉を交わす。バイクの免許、取ったんだ? とかぐらいの。

 ぼくは愛情をもっている素振りも見せない。彼女の表情からも本心は分からない。ただ、憎まれていないことには、いくら鈍感だろうと勘付く。彼女は去る。自分もバイクの免許(50CC)ぐらい取っとこうか、と考える。そのことを頭に浮かべれば自然と鮫洲という地名が脈絡もなくでてきた。いや、明確な理由はある。みな、そこに行くしかなかった。東京の西の方を別とすれば。

 東京に住むひとの免許の交付場所なのに、東京のまた別の反対側のはじにいる自分にとっては、ずっと神奈川県だと勘違いさせるほど、そこは、はるか彼方の遠い場所だった。

 彼女は高校二年生になったばかりなのだろう。ぼくにその名称は相応しくもなく、妥当でもなく、明らかにするならただの十七才間近、1986年という数字で表すしか方法がない。学年という名札はとうにない。阪神タイガースの夢の一年はもう完全に終わってしまった翌年の四月なのだ。

 ぼくは絵筆を取り、この短い再会時の彼女の印象を描き写すべきだったのだろう。才能の有無を鑑みもせずにトライだけでもしてみることは間違いではなかったはずなのだ。高校生がスクーターに乗って、ぼくの前を通り過ぎる。彼女のスピードは手首の回転だけで速まり、ぼくはあの地点でまだ停滞していた。あの寒い月日のことだ。渋谷と原宿の間の明治通りの歩道橋あたりで。

 あのスクーターが別世界へと飛翔する彼女の馬車でもあった。象徴的に。絵の題材としても悪くない。星空につながる背景のなかで空中に浮かぶスクーター。多分、色は黄色で国産だ。

 ベスパという美しいバイクがあった。ぼくは映画をひとりで見る。横に彼女はいない。ビギナーズ。ある時代のイギリスの若者がグループになって、ベスパを乗り回す映画もむかしにあった。

 ぼくはビギナーズという映画を新宿で見て、バスで明治通りを渋谷に向かう。途中の表参道で古着屋に寄る。店員とその映画の話をした。ファッションというものが個性と流行の狭間で揺れる。

 映画は映画館で観るものであり、若者はあの辺に出向く時期だった。学校で教えてくれないもの、という陳腐な表現を借りる。教えてくれたかもしれない可能性のものを入手する機会がぼくにはなかったためどう評価することもできない。だが、漠然としたあの時代と空気感を喪失が伴うとはいえなつかしんでいる自分もいる。

 ぼくは一時間ほど時間をかけ家に戻る。おそらく次のバイトをしていた頃だ。時給も高くはないが平日のほとんどの時間を費やしているぐらいだから、そこそこにはなった。それが古着に化け、映画館の暗闇に沈む時間を与えてくれた。デートの相手はまだいなかった。おみくじの大吉の到来を待ち望んで、ただひたすら中味をゆすっていた。逆さにすることは絶対にないのに。そこに彼女はもう入っていないのだから当然だった。すべてが凶に近いものか、スカとでも呼びたかった。

 ぼくは絵筆を握ることも、パレットに色を用意することもなく、自室で本を開く。電話をする相手もいなくなった。異性の同級生も進行形ではもういなかった。その圧迫的な夜に本を読もうとしている。開かれた本こそが正しい状態なのだ。閉じたままでは未完成であり、不完全なままのものだった。活字を追っている最中にあらゆる思考が往き来する。

「どんな書籍も公の記念碑なのである」

 ぼくは自分の部屋で本を読み、その言葉を発見する。どんなに目立たないものでも人類の記念碑になり得る。全体的にひとりよがりの内容だったが、その一行があるだけで読んだ甲斐があった。無駄な299ページ分を開かざるを得なかったとしても。すると、どんな絵画も彫刻も作者の手から離れれば公の記念碑になり得るのだ。ぼくは彼女をもう一度、自分のものにしたいと思いながらも、公の記念碑になることをより望んでいる。どちらかといえばそちらに傾いている。年月というのは不思議なものだ。

 スクーターで飛翔する少女の絵画が世界の裏側のどこかで飾られているかもしれない。作者の名は不明である。夢見ることは勝手で、無料だ。それもぼくの脳裡から生み出された記念碑だ。手を動かさなかっただけで、本来はどこかにあったのだ。もしくは作られて飾られる必然性があったのだ。あのスーパーの前の雑踏のような場所ではなく。きちんと整備された場所に、凛然と。見守るひとが稀であったとしても。
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11年目の縦軸 38歳-33

2014年07月02日 | 11年目の縦軸
38歳-33

 訊かれてもいないのに絵美は自分の相手の人数を告げた。外国への旅行ならば、ちょっと多いなという数だった。ぼくの正直な反応としては嫉妬も起こらない代わりに、興味も湧かなかった。それより、ぼくはその数に匹敵する事柄ならば海外に旅したことの方が楽しそうだなと深い考えもなく思った。ぼくの対決した、あるいは共闘した相手は絵美の口から出た数字と比較すればいくらか少なかった。とはいえ大食漢の胃袋をあまりうらやましいのと思わないように、数量やグラムの分量で計る必要も、判断材料にする気もなかった。

 彼女はぼくの人数をさらっとした問いかけで訊きたがった。ぼくは答えるかどうか一瞬だけ迷う。同じ土俵にあがることもないが、会話というのはこういう無駄なやりとりを繰り返すことだということも経験上、知っていた。それさえ拒否するほど無神経でも無頓着でもなかった。

 さらに絵美は自分のはじめてのときの年もいった。またぼくはひらめくというような形で少し遅いなと単純に感じた。別にレースや競争をしている訳でもない。100メートルのタイムを10秒でどうにかこうにか切るかの問題でもない。もっと耐久的な話なのだ。少なくても数十年を費やす作業なのだ。ゴールはもっと先だ。しかし、絵美はスタートが遅れながらも立派に後半伸びて追い上げた。

 ぼくは大人になりはじめる頃から日常的に密接した事柄になり、ずっとつづけることを考えた。歯はもっと小さなときから毎日みがいている。腕時計をすることも大人になりかけの頃が開始の時期だろう。子どもは深い眠りから揺すり起こされ、学校の通学の時間さえ後押しされる。あ、そうだ、ひげを剃ること。ネクタイを結ぶこともその部類かもしれない。すると、同じ作業でもメーカーを変えたりして、ひとつの製品や種類をずっと継続させることは不可能なのだと思いはじめた。何年かに一度は買い換える。現物を手にしたり、結んでいる間は気にもしていない。ブランドも忘れている。大事にしないということではない。ただ、しっくりきてるなという安心感があればそれで充分だった。

 パスポートに押される外国の門を通過した刻印。絵美のものにぼくのスタンプもある。斜めに押され、端はかすんでいる。別に契約書のように鮮明に押す必要もない。係員はきょうの夕飯や妻とのケンカと仲直りのプレゼントのことなどを考えながら、適当に押しただけなのだ。流れ作業の一部として。

 大人になってから。またはなりかけの具体的な事項として。思考の飛躍を戒めなければならない。

 すると腕時計というのは自分を管理することの象徴なのか。遅刻をしないように学校やバイトや仕事に行き、約束した相手との時間に間に合うように向かう。仕事の重要な約束ならば、あとで大きな金額に化け自分の成績に反映するかもしれない。大元の目覚まし時計も個人各々の所有になる。

 ネクタイは通勤電車に耐えられることの象徴のようだった。雨でも台風でも、電車の事故でさらに満員のぎゅうぎゅう詰めの車内に身体をねじこめることができるかを問われるのだ。

 大人の毎日の勤勉なる営み。その大人には、その大人だからこそ解放も必要だ。快楽も捨ててはならない。絵美にはその相手が必要だったのだ。この数とさらに別の数を掛けた分だけの。

 ぼくは数だけにこだわれない。相性と趣味がある。

 好きというのは相手の何が好きなのだろう。ぼくの内部の何が好きと告げているのだろう。ファンファーレのように。ぼくは身体を差し出す。その差し出した人数を多いとか少ないと比較している。

 互いに提案し合う好みもある。容姿や考え方などとは別のところの趣味が。

 ぼくは古着のジーンズに愛着をもつ。所有は買った時点からはじまるが、その印象と歴史は見たこともない誰かがどこかでつくった。年月が経ち、丁度いい風合いと色合いになる。ぼくは履きつぶす。捨てるまでがぼくのものであり、ゴミの収集時間前に置いた時点でぼくの所有権は消える。会社に行く。満員電車に詰め込まれる。

 数だけが厳然と証明するものがある。ある種の通帳の残高。テレビのチャンネル。ラジオの周波数。

 胸の大きさは数字であり、かつ数字ではない。

 感触の数値化。

 ぼくは数字にもてあそばれる。ぼくはひとつのスタンプに過ぎない。確固たる個性など、夜のひとときに主張してもあまり通じないものなのだろう。この快楽もぼくの所有であり、同時に絵美の所有でもあった。混ざり合ったものがふたりの捨てるものでもある。その所有にはちっぽけな永続性もない。また同じことを繰り返さなければならない。定期的に。

 訊かれる前から絵美はその数字を述べたのだ。十数年前の彼女ははじめてそのことを知る。ぼくの二十二年前をきちんと葬ることにしよう。映写の途中で切れてしまった映画の貴重なフィルム。そのつづきは別の男性がつないだ。ぼくはつづきをどこかの倉庫の奥で探す。その探すという作業をしないでつづきを引き継いでも良かったのだ。選択というのはむずかしい。もっとも困難なものである。その困難と毎日、直面している。間違わない方がめずらしい。目覚ましが鳴ってもまた眠るのだ。もう少し、自分の採点を甘くしてもかまわないのかもしれなかった。
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11年目の縦軸 27歳-33

2014年07月01日 | 11年目の縦軸
27歳-33

 ぼくは希美を抱きしめている。暗い中でも、当然、希美だ。

 過去におそらく誰かがそうした。未来にも同じように、ぼく以外の誰かがするだろう。

 頂上に向かう登山者が途絶えないように。あとを絶たないように。ゴミはもちかえるようにという看板が目立つ。その看板を登山者のためにわざわざ突き立てたものは誰だろう?

「引きも切らずに。引きも切らさない?」
「え?」
「あ、ごめん、ひとりごと」
「ねえ、集中してよ」笑い声を過分に含んでいった。

 永続性も永遠もぼくの手のひらからこぼれる。どうやっても水をとどめるには手は形状として向いていない。手の上向きの問題だけではなく、同じ体勢も、ずっとずっとはつづけられない。同時に並行させないということが大人のルールであり、最低限のエチケットでもあった。それさえ守れば何事も許される。漠然とした提示だが、そもそも誰が許す側で、誰が許される側なのか、厳然とした取り決めもない。ただ、暗黙にそういうものなのだろう。誰と誰との暗黙かも明確にするのは抜きにして。

 ぼくは中断している。過去に誰かがそうした。未来にもおそらく誰かがそうするであろう。その合間に、昔の洋画なら白黒の画面でもはっきり分かる紫煙と表現するのが似合う漂い往くものがハンサムな主人公の口から吐かれていることだろう。ぼくは、代わりにぼんやりとする。時代も、男性に求められているものも違う。ただ、ぼんやりとする。暗い中でも視線が有効になっている。ぼくはうつ伏せの希美を見る。エッフェル塔からの眺めを楽しむように。パリは昼でも夜でも輝いている。希美自身の存在がおそらくそうなのだろう。セーヌとシテ島。

 ぼくは再開する。過去に誰かがその機会を奪われ、未来にぼくも失い、誰かが再開するのだ。一時的なものにこそ宝が含まれているのだ。過去に金脈を発見して、ゴールド・ラッシュというブームがある。アメリカン・フットボールのチームもうまれる。ぼくは何を考えているのだろう?

 ぼくは下山する。ゆっくりと下山する。一気にかもしれない。急斜面を。希美も下山する。ゆっくりと下山する。再度、彼女は登山靴を履きはじめる。ぼくは冷たい飲み物を探す。冷蔵庫を開ける。冷蔵庫も開けていいのは自分だけなのだ。権利というのは所有という概念と引き換えのものなのだ。友人の家の冷蔵庫を勝手に開けることもむずかしい。ぼくはどうでもいいことばかり考えている。

 ぼくは行動を思考に置き換え、さらにその思考の過程と答えらしきものを言葉にしようとしている。その最中にも刻々と思考自体が変化してしまう。ぼくは十六才のあの少女の一日を捕まえきれなかった。そうしていたら、どんな変化が訪れ、そのことと、付属するあらゆるものを執拗に言葉にする義務を自分に課したのだろうか。

 文章にしようということが土台無理なのだ。十六才のぼくの世界は文字では納まらないし、埋まりきらない。行動を逐一表現するのは文字というのは機能として優れていない。感情の連鎖と絡まり具合には合致か釣り合いのようなものがとれ、喪失の綿々たる嘆きにも合う。歓喜には即時性という一点のことだけでも向かない。記録や、印刷、保存という過程が間に挟まれば、この歓喜も消えてしまうのだ。ベルリン・オリンピックの当時ですら映像は動きというものを記録するのに向いているのだ。躍動感もあれば、身体という外面へ滲み出すさまざまな内面の奥の側の感情もともなって表情にあらわれる。引きずり出される疲労や焦り。だが、ぼくには言葉しか与えられていない。二十六文字以上はあるが、組み合わせの確立はそう変わらない。

 ぼくは動いている。同時に耳のそばで立てられる音を聴いている。過去にこの哀切なる響きを聴き、未来にも吐息が混ざった音を耳にする。誰かが耳にする。音は刃向わない。情報に忠実である。ぼくはあの蓄音機の前の犬のように希美の声で安心する。

 目をつぶる。五感が鋭くなるよう神経を落ち着かせ、かつ荒立てる。女性の年齢により身体の温度が変わった。いや、人々にもよる。毛髪ですら愛着のもととなるのだ。

 ぼくは文というものに期待をかけ過ぎ、そのために失敗する。行動するひとはメモすら鬱陶しがる。戦場カメラマンはカメラだから優位に立てるのだ。ぼくには思考という回路を移し替えるのに、記号でもなく設計図のようなものでもなく、まどろっこしい文しか与えられていない。時間の経過が不可欠なものなのだ。当事者から一歩、退くとより緊密になれる媒体。ぼくは当事者の資格をおそれている。

 文章なんて所詮、ブドウ酒美味しゅうございました、に尽きるのだ。

 本人がいなくなった後としては。

 感謝とあきらめ。分際をわきまえる。身の程を知る。

 ぼくは冷たいもののフタを閉める。希美にもフタを閉める。

 シテ島という中洲。セーヌはそこを分岐点として両側に分かたれる。またひとつになる。閉じられる足。浮かんだいくつもの言葉。空中で舞い散り、網のなかに入れられなかった言葉。捕獲されない賜物。生まれなかった子孫。生まれたよろこび。誰かが得る可能性としてのよろこび。前倒しの限界。
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11年目の縦軸 16歳-33

2014年06月08日 | 11年目の縦軸
16歳-33

 悲劇は終わらない。

 Yシャツについたスパゲティのソース。台無しにするのは簡単だ。卸したてに戻れないさびしさ。

 音楽ならば、イントロや序章が終わったばかりなのだ。このぼくの恋の顛末も。そうした長い構成の曲をぼくはまだ知らない。途中で飽きるという退屈が放つ身勝手さによりかかって聴いていなかっただけなのだろう。こんなことになるのなら第一楽章で退席しておけばよかったのだ。だが、またもや暗転になりつづきがはじまってしまう。空咳をしておかなければ。

 ことの成り行き。ぼくらは会わないという変更の基点はあったが、実物を目にしないで、さらに当人との会話がなくなっただけで、さまざまな情報は耳にした。小さな町での無条件かつ無抵抗の侵犯。
 彼女は新しい男性をみつけた。みつけたというより言い寄られたから付き合っただけなのだろう。

 ぼくとその男性は去年まで同級生だった。ハイエナという形容詞をためらいもなくぼくは値札のシールのようにつける。女性を選ぶときに、誰かの後釜ということに拘泥しない、あるいは、そのことに付加価値を認めるような性質なのだろう。ぼくには中学のときに交際にいたらなかったが好きといってくれた女性がいた。直接にせまられたわけでもないので、本心は分からない。のちのち、彼女のタイプを系統だって見れば完全にぼくという存在は外れているようにも見受けられた。しかし、未遂に終わると、やはり、次の出番として彼があらわれる。舞台での代役のように。だから、今回で少なくとも二回目だった。それでも順序がどうであろうと彼はきちんとものにする。ぼくがずっとためらっていたことをきちんと遂行する。友人たちがその話をしている。彼女はどうやらはじめてだったようだ。ぼくは文章という声高にならないがすこしだけ暴力的な媒体を信奉するのに脳が犯されているため、ここでこの事実を書かない訳にはいかなくなる。ぼくの周りに生まれて動向を目撃されてしまった悲劇でもある。

 つまりはぼくは彼女とそういう関係にならなかった、ということも暗黙のことながら知れ渡ってしまう。近いうちにという予定はあきらめとも同義語になる場合もあった。いつか、誰かと接触と関係をもち、大人になる。いずれ誰しもが通らなければならない。多少の早さの前後はあるが、大体は似通った時期に訪れるのだろう。だから、ぼくは恨みをもちこむ必要はまったくないのだ。しかし、はらわたが煮え返るという表現を用いたい誘惑にもかられる。そして、正解としては、ほんとうはぼくが彼女を手放さなければよかっただけなのだ。怠った自分も同様に憎んでいる。模範解答もない青春の日々の誤った記述と失くした消しゴム。

 その二人の通学範囲は近寄っていた。うわさのつづきでは、アマチュアの蜜月はそう長くももたなかったらしい。彼女はぼくとの関係が終わり、やけになっていただけなのだろうか。誰かがそばにいてほしかったのだ。ぼくは自分を美化することを辞められない。いくら女になろうと、ぼくは彼女の少女性を簡単に捨て去る訳にもいかなかったのだろう。ゴミの収集車を追いかける自分の姿を映像化する。このときの焦燥を詰め込んでほしい。ぼくの見えないところに捨て去ってほしい。または高温で焼き尽くしてほしい。しかし、どうやっても追いつかない。ぼくはぜいぜいと身体から変な息切れの音をだし、懸命に追いかけるのをあきらめてしまう。

 一度、ぼくらのたまり場になっていた居酒屋で彼女とその男性をみかける。彼女はぼくと視線を合わせもしない。そして、勘違いであってほしいが、ぼくに見せなかった表情を彼女が作れることを見つける。ぼくにも、してほしかったという切なる憧れがのこった。

 そこからのぼくの話になる。

 ぼくは、はじめて男性を受け入れるという女性と対面したこともない。皆が皆、ぼくの舞台の壇上に登場したのは、すれっからしでもないし、ぼくが避け通しですまそうと誓ったのでもなかった。ただ、機会が単純に目の前にこなかっただけだ。さらなるうそと美化の上塗り。

 象徴というのは、いつも限りなく美しいものである。痛々しいぐらいに純な美を含んでいる。

 まっさらな半紙に墨汁を滴らせるような行為を自分は誰にもしないであろう、今後も。手を出せない少女か、もしくは成熟した女性しか目を向けない。過渡期をおそれる。だが、もうぼくの年ではその恩恵も、あるいは加虐の機会もそうやすやすと訪れてはくれないだろう。心配する必要もない。地下鉄のトンネルは掘られ、もう毎分ごとに電車が行き来している。吊革につかまるぐらいしかぼくに道はのこされていないのだった。過去に掘削機が活躍した。その現場を知らないことにグレイスという言葉を当てはめる。

 強力な洗剤でもしみは落ちなかった。かえって手のひらや指が荒れた。クリームが必要だ。保護し、油分が浸透する。湿潤。しかし、書くことの題材を与えてくれたことにも感謝する心境である。むしゃくしゃも結局は、扉でしかない。扉の開いた向こう側に行くも、反対に躊躇するのも自分自身の決断である。意識しても、盲目のとりこになった無意識にでも。
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11年目の縦軸 38歳-32

2014年06月07日 | 11年目の縦軸
38歳-32

 誰かに恋焦がれるということの対象は女性に限ったことであろうか。

 ぼくも、もう三十八才なのだ。より壮大な人類愛に目覚めたとしても、決して罰はあたらないだろう。もちろん精神的なことにというタイトルをつけて限定される話だが。

 ある一人のひとが居なかった世界を真っ向から拒絶する。

 アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフがジャズのレーベルを立ち上げる。アメリカ合衆国で。船で祖国を離れて。もし彼らが浮かんだ計画を実現していなければ、ぼくはレコードやCDを一時的にせよコレクションすることもなかったのだ。実際のところ、冷静に判断すれば、その誘惑に負けたかもしれないが、確実に棚の枚数は減っていたはずなのだ。彼らの作り上げた、もしくは採取した音楽はとても魅力があった。ジャケットもアートになり得るということも教えてくれた。天才という言葉を軽々しく使いつづける人類。ぼくは彼らにもその言葉をあてはめない。ただ淡々と(底辺にながれる深い情熱で)仕事をこなす立派さ。一時的な華やぎではないのだ。そこに永続性を帯びる不思議さもある。

 仮に。もし、ドイツに居つづけたら? すると、ヒトラーの行った唯一、素晴らしかったことは彼らにとってドイツという国を住みにくくしたことなのだ。追い出された地で実が結ぶ。外国人の耳というのは固定観念を脱ぎ捨てれば、時折り重要な価値を与え、到達できない仕事をのこさせる。

 より身近に。三十八才の人類愛。音楽への捨て切れない情熱。

 対象には名前はある。仮にT・Hとする。ベーシスト。

 低音の有無こそが音楽のクオリティを左右する。ぼくは家のうらにあった小さなジャズ・ハウスで彼を発見する。ウッド・ベースという持ち運びに不便な楽器がすでに室内に置かれ、主人のないままに横たわっている。

 ぼくは年に四度ある会計がもたらす残業が片付いてゆっくりとした日々を黒いビールを飲みながら座席にすわって実感している。特に目当てというひとがいるわけでもない。この日までは。

 誰に会わなくてもいい、電話をすることも必要ない。その解放感がすべてのような時間だった。お詫びも催促もいらない。誰に気に入られる必要もない。どこにも劣等感も優越感も起こらない。ただビールの減り具合だけを気にしているだけの時間だった。

 今日、演奏するであろうひとが部屋の片隅でコーヒーを飲み、軽食を口に入れている。はっきりといえば自分の特技や技能を職業にしているひとの誇らしさが彼らにあるようだった。だが、その才能がなければひとは衝動として突き動かされることも減り、安定した気分でいられるのも確かだった。ぼくは絵美のことをすっかりと忘れていた。思い出すと、なにかの記念日とか、しなければならない未来のいくつかのことに少しだけ憂鬱になった。

 ぼくは自由であることを望んではいなかったが、この場所で取得していた。トイレに行ったり、店主と雑談をしたりした。そこには本もたくさん並べられている。数冊をぱらぱらとめくる。視力には良くないであろう薄暗い明りなので根気をいれることもない。ただの待ち時間のためで、暇つぶしだった。

 ブルー・ノートのレコードを一枚選び、店主にかけてもらう。大きなスピーカとそれに見合ったアンプが個人の家での限界を忘れさせてくれる。小さいという面はある面では貴重で、反対に大きさや重厚さもふさわしいときがある。電話など小さくなればなるほどいいと思うが、手のひらにしっくりとくるサイズも計算にいれる。聴くということに重点を置いた自分だったが、なにかを演奏するとか表現するという才能はまったくないようだった。だから、レコードの内容にも精通していて演奏者より詳しい部分もある。だが、それを音とかコードという実際的なノウハウに移す場合、この費やした時間はまったくの無意味になった。無意味にならないということを追い求めるだけも能ではない。ほとんどのことが無駄であり、暇つぶしであるとも言えた。

 ファンというものは総じてそういう輩だった。監督の気分になってスポーツを観戦する。交代のタイミングを計る。攻撃のパターンを考えたり、踏襲したりする。理想というのは現実に踏み入れないからこそ、幻想であり、楽しい事態のままで納まった。 

 すると演奏がはじまる。ピアノ・トリオ。ベースの豪快な音に耳が向く。科学者のような理知的な風貌からは想像できない挑みかかるような音だった。彼が長いソロを取る。イントロからずっとベースだけが主役の演奏だ。曲はダーク・アイズ。ブロードウェイも弾く。スタンダードになるには時間を要する。歴史の一部になるということは踏み固められてほこりの舞い散らない砂のようなものだった。土になり、雑草も生えないまでに固められる。

 演奏が終わる。ぼくは声をかける。ほとんど貸切のような状態だったのだ。占有できた時間と場所。ぼくはひとを誉めることに遠慮しない。多分、唯一の長所であり、同様にけなすこともいとわない。

 重い扉を開ける。思いベースを担いで帰る必要もない。ポケットに携帯電話があるぐらいだ。引っ張り出すと絵美からの着信があった。ぼくは彼女を占有する。いや、しない。きな臭い予感のために自分の育った場所を、あらゆる理由にせよ去る必要もない。だが、ほんの数歩で家に着いてしまう。もう、夜も遅かった。明日にすべてをもちこし今日は寝ることに決めた。
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11年目の縦軸 27歳-32

2014年06月03日 | 11年目の縦軸
27歳-32

 ぼくは、いつまできれいごとの世界の住人のような顔をしているのだろう。美化した自分を、読む者が少ないとはいえ見せびらかすことに恥はないのか。ためらいは一抹も起こらなかったのか。

 動物園のなかにいる優雅な動物も夜中になれば獰猛な様子で餌を食べているのだろう。飼育員もろともという機会もゆくゆくは狙って。摩天楼とよばれる輝ける都市の明かりや照明も、蛍光灯を取りかえる時期が周期的にやってくるはずだ。タイムズ・スクウェアであろうと、五番街の華やかさであろうと。

 飲食店の多い地下を行き交う溝にはねずみが繁殖している。大っぴらに顔は出せないが事実は事実であった。反対にぼくは七五三の衣装を毎日、着ているような素振りをしている。

 自分のことを客観視することは立派なことである。俯瞰という不思議な言葉もある。だが、段々とぼくはきらめきというものに身を包み過ぎている。自分の醜さやずるさや劣等感は、裏側にかくれてしまっていた。

 楽しみという分量が炭酸飲料の泡のように徐々に消えかかっている。口ゲンカやそれに準じた無言の時間が能動的に支配する。その傘下にいることを望んでもいない。ぼくは意図などしていない。だが、癇に障るということを自然にしてしまっているようだ。そもそも他人のふたりなのだ。好きなところも見つかった(奇跡の一部)のであれば、きらいなところがあっても仕方がない。そこを注意されるとは自分はこの日まで考えてもこなかったのだ。指摘されなければそれは存在もしなかった。わざわざ名称を与えることによって公衆で明らかになり、名誉ある立場も得られるのだった。勲章のような欠点。共有される感情。しかしながら、不快に思っているのはぼくだけのようでもある。

 何が、この不快感の原因なのだろう。足をくじいたとか、魚の骨がのどに引っかかったという具体的な理由が欲しかった。その理由が分かれば対策は講じられる。ぼくは男女間でも対策などという無駄な言葉を使いたがっている。そこには政府軍も反政府軍もない。ただの漠然とした違和感のぬかるみが横たわるだけである。

 希美は黙り込んだまま屈んで公園でハーブを触っている。その指先をぼくの鼻にもってきた。

「どう?」これで、いさかいも終了だよという合図のようでもあった。ぼくは、まだ自分の周囲の環境を美化したがっている。
「こんな匂いがするんだ」
「知らなかったでしょう?」

 明確に分けることもないが希美がいなければ知らなかったこともたくさんある。ぼくはそれを求めて希美と交際をしているわけではないが、結果として得るものもあるのだ。ぼくは得という観点に立ちはじめている。損も、また反対の利益など眼中にもなかったはずなのに。ぼくはお金で動かない代わりに、相手にも自分のすべてにも揺るぎない損得勘定の役割や、間違っても判断の材料として介在させたくなかった。これも、きれいごとをひとつ増やすに過ぎない。

 希美の将来がある。彼女の両親もそのことを検討に入れる。ぼくの職場の名前や明らかになっていない収入も話題のひとつであろう。ひとそのもののパーソナリティーの深い部分は、最初のきっかけより、目に付かないという点で臆病かつ重要で、さらにすすめば対外的に力があるほうが安心でもあり、また守られているという感覚を女性に与えるのであろう。希美がぼくを選ぶことをためらっている理由を彼らも欲していた。

 勉強をする。良い会社に所属する。その自分の選ばなかったものがしっぺ返しをする。される正当な理由がある。誰も穴の開いた船にすすんで自分の娘を乗り込ませる必要性を感じない。

 ブランド品のバッグも選ばれる正当な理由があるのだ。では、ぼくは希美の外見を見栄や資産であると一切、感じなかった、もしくは魅力とも思わなかったと言い切れるのだろうか。奥深いパーソナリティーを知るまではそのことがぼくというものを動かす原動力になっていただろう。誰も間違えていない。だが、誰もがボタンを掛け違える要素を忘れかけている。

 判断材料を探す。収入。名声。知名度。将来性。ぼくという個人は会社のような基準で判断できるのだろうか。もし、ぼくという株が流通していれば、将来を見越して、先行きを見届けたくてわざわざ買ってくれるだろうか。ぼくはリコールされ、ぼくは倉庫に投げ込まれる。株価は下がる。

 希美という存在を同じようなもので判断しようとした。ぼくに安心感を与え、一人前の人間になれるよういろいろ考えてくれる。彼女も自分の個性や才能を伸ばす。誰も自分自身のままでいることを許してくれそうになかった。成長しないものは、つまりは悪なのだ。

「ハーブね」とぼくは無意味に口に出す。
「アーブ。フランス人なら」

 Hという音声もどこかの国では悪なのだ。いや、悪とまではいかなくても、いらない類いのものなのだ。ぼくのいない世界というのを希美も、希美の両親も選ぶのかもしれない。しかし、発音しないからといっても、あるものは渾然一体とはならないでどこかに歴然とあるのだ。主張がすべてである世界と、自らを消そうとする世界。対策もなにもない。受容するしかないのだ。汚れてクタクタになったタオルこそ、水を吸収する。踏みつけられてもそういうものであろうと思った。希美が靴の裏で花々を踏みつけないよう注意しながら歩いている背中を見てそう願っていた。
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11年目の縦軸 16歳-32

2014年05月31日 | 11年目の縦軸
16歳-32

 最後のデートからおよそひと月ほどして手紙が届いた。放置の期限である。ぼくは文字を読む。その後も自分がずっとしつづける行為でもあるが、ダイレクトにもっとも響いたのは、根底から揺るがしたのは、この文章であった。彼女はぼくとの短い期間で終わってしまった交際にありがたくも感謝を述べている。非難も叱責もない。その後、何度も別の女性にはされたことなのに、若い彼女はしなかった。

 ぼくは呆気にとられる。この期間に進展も発展の努力もしないくせに、ここで終わってしまうのかという単純な驚きである。そして、自分は愚かなことをしてしまった、そのために何もしなかったという自分への憐みがともなったものである。ぼくは彼女のこころがわりを覆す努力をしようとも思わなかった。なにもリアクションがなければ、それはすなわち同意である。ここで完全に終わった。すべての終わりはさっぱりするものでもないということも教えられる。後味の苦さ。

 ぼくがとった行動は二つあった。

 先ずは写真を焼いた。こうすれば簡単に次にすすめると浅はかにも考えたからかもしれない。これほど陳腐で言い古された慰めとならない言葉が持ち主のない空中から耳打ちする。彼女ひとりが女性じゃないよ、と。だが、ぼくにとってひとりだった。アマチュアの競技者が四年間追い求める唯一の大会のように。

 写真と実物との差は歴然とあるというが、記憶にあるその写真は彼女そのままの愛らしさを寸分の狂いもなく刻み付けていた。ぼくは失う。後日、グループでデートした友人がその写真をもっていた。やはり、愛らしさという虚勢も化粧も施さない表現がいちばんぴったりときた。

 だが、焼いた。ぼくのこころからもいなくなった。そう単純に終わればよいが、そうはいかない。埋葬の許可もないまま葬ることはむずかしい。いずれ土中から暴かれる。
 あとひとつは、すべてがいやになりバイトを辞めた。高校も辞め、バイトも辞める。もし仮に自分の身内にそういう選択をする若者がいるならば、ぼくもやはりまっとうな道をすすむよう押しとどめたい。

 だが、ぼくが取らなかった行動の方がのちのちの影響は大きく、傷もひろがった。しないということが、こんなにも力を発揮するとは当然に予想もしていない。その結果のひとつひとつを拾い集める。数としては神社の境内の銀杏ほどもないが、そんなに少なくない数でもあった。しかし、大まかに言えばひとつの不幸という総称でまとめてもよさそうだった。

 ぼくはまだ十六才である。このときの恋など簡単に忘れてしまうだろうとも思っている。彼女には悪いが。世界には数えきれないほどの女性がいた。若くて魅力があり、ぼくのことを好きになってくれるひとも彼女が最後だとも思えなかった。しかし、日が経つにつれ、いちばん欲しいのは彼女とのあのなにもない時間であることに気付いた。しつこいようだが、ぼくは若かった。この、もしかしたら自分で招いた苦難を乗り切るのはそうむずかしくなさそうだった。毎日、悲嘆にくれるには元気もありすぎたし、エネルギーも充ちていた。満タンの車はどこにでもいけるのだ。それでも、点火の仕組みはどこかで狂いはじめていた。

 ぼくは、なぜはっきりときらいになったわけでもない相手との交遊を、こうも簡単に投げ捨ててしまうことをためらわなかったのだろう。次がいたからという理由でもない。打ち込むためのなにかが待っている訳でもない。ただのシンプルな欠陥品だ。根底には両親のいさかいというものが影響を与えているのかもしれないが、その部分をひとの所為にするのもずるかった。それに、これはぼくの人生である。すべての良いことも、悪いことも、世間や環境の下での避けられなかった被害ではなく、自分を基盤にしたうえでの意識した主体性での選択、あるいは逃げられない無意識での流れと思いたかった。どちらにせよ、加害者側であり、加担するという方式をとっているはずだった。

 彼女にも選びたい次があるのだろう。連絡をくれない相手を気長に待っているほど、魅力がうせたわけでもない。充分、若い蜂々を惹きつけられることが可能な存在のままなのだ。
 だが、ぼくはそれを遠い架空の世界であるとでも思っていたのだろう。アリババの話とか、シンデレラの靴の物語でもあるように。

 いままで何度もかけた電話番号がもういらなくなった数字になったことを知った。その数字の組み合わせを覚えていても、彼女にかける権利はもうないのだ。選挙におちた政治家。クビをきられた会社員。もう威力のあるボールを投げられなくなった野球選手。ぼくも同類だった。まだ十六才だったのに。

 気持ちというのは断続的ではなく継続性のあるものだった。ボーリングの球のような重い球体を坂道からゆっくりと転がす。はじめは止めるのも容易で障害物に引っかかることも起こり得た。だが、次第にそのものが力強さを増し加え、意志のようなものまでもつように感じられる。失恋したからといって急に停めることもできない。それ自体が、もう勝手な主導権をもって動いているのだ。だが、どこかの壁にぶつからなければいけない。もしくは川や沼のようなところに落ちなければいけない。そこが実際の終点であり、終止符である。ぼくは転がるものから飛び降り目にしないで終わらせよう、済ませようともまだ考えている。
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11年目の縦軸 38歳-31

2014年05月29日 | 11年目の縦軸
38歳-31

 クレジット・カードを何枚か保有し、パスポートがあり、運転するための免許証は実物よりわずかながら劣っていそうなここ数年の写真をともない、専有の保険証も自分のことを証明してくれる。ぼくの周りを取り囲んで認めてくれる複数のものたち。だが、外周がたくさん備わっていてもぼく個人の核心がより明確になるわけでもなかった。十六才のときと比べて。

 これらのものの総体が、さらに深い中心にいるのがぼくなのだろうか。一面では、そうだろう。ぼくはこのパスポートを使って、二十年も前には知らなかった土地を歩けることになる。その経験はぼくのものとなり、誰かに話すまでぼくの体内にとどめられている。あの青年はこのときの楽しみを知らないし、あるいは求めていなかった。数人の友人とつるんでいるだけで、楽しさの頂上には簡単にたどり着けたのだ。

 タレントさんが外国に行ってクイズを出すという番組をぼくは絵美と見ていた。質問に答えられるものもあり、なつかしいという生意気にも似た感慨を抱ける町もあった。あの片隅でぼくはひんやりとした空気を感じたとか、味覚という不確かなものでさえワインのうまさを再認識させようと挑んできた。

 それは過去をなぞる行為でもあり、当然、なつかしさという甘美の袋を開くことでもあった。過去は過去であるだけでもう充分、美しいのだとぼくは認識する。どんな最悪な失恋でさえ微量にその粒を含んでいるのだと思うとした。いや、もう意図も意思もぼくにはない。ただ、無条件に受容するのだという気持ちしかない。それしかぼくにはなかった。

 外国の空港で飛行機を待っている。電車と違い、来たものに直ぐ飛び込んで乗ればいいという軽いものではない。時間までぼくはビールでも飲んで過ごそうと考える。両替の狭間にいる。クレジット・カードを出して冷えたビールと交換する。種類がたくさんあるらしいがぼくには分からない。目の前に出されたのは普通のビールだった。つまりは、これでいいのだ。しかし、子どものころに教え込まれた感覚とはすこし違う。購入という行為には金銭(コインや紙幣)の授受が発生しなければいけない。ただのプラスチックの薄い板がぼくが払うであろうということを証明してくれる。仮のお財布には上限がある。それが、ぼくが世間から認められたお小遣いだったのだ。

 ここにアジア人がひとりという感覚も幼い自分には分からなかったであろう。同じような身の丈で、同一の言語で暮らしてきた。そのひとつの言葉でも誤解がときにはうまれた。厳密に比重にかければ、理解より誤解の方が多かったかもしれない。こんなにも言語があれば、理解などそもそも不可能なのだと気圧の関係で狂い、さらに酔いで生じた思考のまどろみのなかで判断し、決めた。永続性などなにひとつないのだ。このビールの泡のように、目の前にあるものを飲み干すだけで人生は過ぎ去ってしまうようにできていた。簡単なことだった。

 空いたグラスをみつけると、さらに店員はお代わりを促した。ぼくはポケットからまた薄いカードを差し出す。使用した事実がどこかの電線を通って、カード会社に情報が伝わり、さらには支払の通知が郵便で配達され、ぼくのであると証明された銀行からある日、引き落とされる。これがぼくの履歴にもなる。

 履歴こそがぼく自身なのだ。

 しかし、カードには有効期限というものが如実にあった。この日付までがぼくであり、明日は新しいものが届かないとぼくであることさえ売買間では認められない。ひとも同様に移ろっていくのだ。あの子の明日は希美であり、その明日が絵美であった。

 今度は絵美がクイズに答えていた。

 マンホールの口に手をおそるおそる入れるタレントさん。真実と疑惑の中間で。

 もうあの地点で排水溝というものを考えられるようにできていたのだ。汚れたものは下水に流す。過去も同様に流され、どこかで浄化される。

「免許証、見てもいい?」
「なんで?」絵美は不可解そうな様子をした。
「どんな顔かなと思って」
「きれいじゃないよ」拒みながらもバッグのなかをまさぐり、差し出した。
「どれどれ」

 ぼくは彼女の顔写真を見つめる。そういう写真にはめずらしくうっすらと微笑んでいるようだった。基本の顔のつくりがある。土台としての笑顔。しかめっ面。たくさんの感情がありながら、ひとつのものに数十年も左右されるとベースが勝手に決まってしまう。彼女にはたくさんの笑うことがある。ぼくも、おそらく数回、増やしたことになる。笑わすことは簡単なのだ。お互いが信頼し合っていれば。反対に、憎しみが含まれてしまうとそれを取り除くことはむずかしくなるだろう。

「どう?」
「こういうのって、大体、本人よりきれいに見えないけどね」
「え、写り、わるいよ」
「そのままだよ」

 言葉というのはむずかしいものである。彼女は不満そうであった。むくれている。ぼくは、あのすき間に自分の指や手を入れて真実さを試そうとした。今後、片手で暮らすことになるのも憤慨を引き起こしそうな問題だった。失われれば彼女の重そうな荷物を肩代わりすることもなくなる。ただ、ちょっとお世辞を言おうかどうか迷った結果なんだとの言い訳を胸にでも下げたい気分だった。
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11年目の縦軸 27歳-31

2014年05月28日 | 11年目の縦軸
27歳-31

 ぼくは自分の感情を問われる立場にいる。ハンバーグが好きかどうかの類いの話ではない。その作ったひとへの気持ちだ。忠誠心に似たものだ。ぼくは問われるたびに子ども時代はもっと簡単だったなと過ぎ去った月日をなつかしむことになる。少女たちは、そんなことは訊かなかったのだ。困れば、泣いたり、怒ったり、自分の母に言いつけたりする。めぐりめぐってぼくは自分の母から注意される。女性はか弱い生き物なのだそうである。配慮を多分に要する。ぼくは布団叩きで何度も、そのか弱い側から自分の尻を叩かれた。それでも、簡単だった。痛みとともに理解の扉の開閉は無事にすんだ。恨みもなにもない。

 なぜこうも複雑になってしまうのだろうか。好きとか嫌いになる感情が、ラジオの波長のように一定していないためであろうか。それとも、男女の感情の表現の仕方や受け止め方の単純なる差であろうか。

 質問と答え。質疑応答。誰もこの関係の正しい解答を教えてくれなかった。手探りでみな対応してきたのだ。失敗を繰り返したのかは知らないが、離婚する友人も増えた。学校を辞めるという選択とどちらが重いのであるかと片方しか経験していないぼくはひとしきり考える。

 ぼくは答える。好きである。ひとつの答えしかないはずだが、正解ではないようで相手は不服そうである。かけ算ならば間違えようもない。きちんと答えはでているのである。

 一先ずぼくに猶予が与えられる。第二審がある。弁護人は自分だけであり、判決の権利は相手がもっている。

 ぼくらはまだ部屋にいる。名作と言われている本のあらすじを紹介する番組を希美とふたりで見ていた。主人公はある日突然、虫になり、周囲との関係性がもてないまま疎んじられていく。

「うらやましな」というぼくの無神経な発言が、不本意ながらもあらそいを再燃させる。
「もう、全部、面倒くさいんだ!」
「違うよ」
「なにが違うの?」

 ぼくは即答もせずに、叱責という文字の書き順を考えていた。自分に口があることを呪う。話すことも弁解することも、しかし、これでしかできない。なぜ、名作であるのか訥々と解説者は述べている。ぼくは説明が長引けば長引くほど、再読したいという気持ちを失わせていく。みな置かれた状況から片時も逃げられないのだ。

 テレビは次の番組になった。覚せい剤というものが持ち出されている。生涯、少なくとも今後、九時から五時まで会社に拘束されることもないひとたちの得たい自由というものがぼくには分からなかった。もう充分過ぎるほど手に入れているのではないのか。その自由の制限の歯止めはどこまで効かせる必要があるのだろう。こう考えつづけると、ぼくには自由などまったくないようだった。そして、自由を望んだ瞬間に、この希美との関係も潰えるのだという我が身に起きる淋しさの本質の到達の予感におびえた。

 でも、考えてみれば自由を薬に頼った結果、牢屋という自由のなさの象徴のようなところに閉じ込められるのだ。不思議なものだ。ぼくのある友人は離婚して、次の再婚相手はまた同じようなタイプだった。ぼくには彼女たちの指摘できるほどの差が分からない。彼にとっては、とても重要な問題であるのだろうが。別の種類の自由を誰しも望むものなのだ。

 そういう彼女はぼくに惜しみなく愛情を表現した。だが、結婚の意思の返答は、どちらにするにせよ返ってこないままだった。ぼくは責められるのには慣れていったが、反対のことはしたくなかった。彼女もか弱い側の住人なのだ。そもそも敵対することになるには、あまりにも魅力的な敵であったのだ。

 ぼくらは夕方の町を散歩する。向かい合わないで横にその姿を感じる。肩の位置や歩幅など本質ではないところでぼくらは確かに合っていた。しかし、隅々が合えば、大きな部分でも一致するのではないのだろうか。薄い紙に描かれた同じ二つの四角い絵の角と角を重ねれば、他の辺も必然的にぴったりと合うことになる。まったく同じ理屈だ。無理難題を求められてもいなくて、訊いて安心できることならこれほどた易いこともない。ぼくはどんなことでも言うべきなのだろう。

 目の前で男の子の乗る自転車がゆらゆらと揺れている。転びそうだなと思った瞬間には、もう転んでいた。男の子は手とひじ辺りを強打する。泣くかどうか検討するような間があった。母らしきひとが近づくと、彼の緊張はゆるみ、遠くにいるぼくらまで声がきこえた。
「泣いちゃったね。痛そうだったね」と、希美は言う。

「泣かないの、男の子なんだから」近づくぼくらには母のその声も聞こえる。そばには姉らしき赤いスカートの少女もあらわれた。即席の看護婦の役目を彼女は果たしたい意欲があった。

「ああいう理屈もどういうもんかね」
「なにが?」

「痛みなんて外的なものには、女性の方が全体的に耐えられるもんなんだよ。だから、何度もこりずに赤ちゃんを産むし」
「その理屈も、あんまり言わない方がいいと思うよ。紳士って、そういうことを口に出さないから紳士になれるんじゃないの」

 もうぼくらは痛がる彼の横を通過している。この子もいつか問われるのだ。自主的にか、懇願されてかは分からない。痛みにも馴れる。自由にも馴れる。そして、不自由を選ぶ。ぼくは、泣きたいときは泣いてもいいんだよ、と聞こえないぐらいの音声で発した。好きだよ、という言葉もこのぐらいの音量なのだろう、いつも、いつも。
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11年目の縦軸 16歳-31

2014年05月27日 | 11年目の縦軸
16歳-31

 ぼくは後悔という意味や感じ方、その言葉がもつ概念をまったく知らなかった。幼いころに戻る。五十円というお小遣いが半ズボンの前の足の付け根あたりのポケットにある。ぼくにとって大切な資産であり、大げさにいえば世界のすべてだった。

 ぼくは近所の駄菓子屋の前につき、何かを買おうとした。しかし、お金はなかった。ポケットに穴も空いていなければ、逆立ちもしてない。ぼくの世界はあっけなく消滅したのだ。喪失の打撃のピークはここからこれまで更新されていなかった。

 なぜ、新たなものを追加してしまったのだろう。そして、オーダーは、次の調理を手ぐすね引いて待っている厨房に通ってしまったのか。キャンセルというのはどの時点まで有効だったのだろう。
 更新したからといって、彼女は決して五十一円ではない。微々たる増加ではないのだ。棒高跳びの記録を一センチずつ増やしているのでもない。五億円でも足りない。五十億円でも足りない。では、例えとしてぼくがいまその金額をもっていたとしたら、あの状況に戻れる権利と交換するのであろうか。おそらく、そうするしか道はないのだろう。では、いまのぼくはこの過去のトンネルを通過した自分ではないのか? これは誰なのだ。この机の前にすわっているのは喪失のなんたるかを知っていて、明らかに、さらにきちんと表明しようとしている自分ではないのだろうか。すべての経験は避けがたく、だから、かつ美しい。

 何もしないということは罪であり、ぼくは何もしないということで正当な罰を受ける。

 例えば、車を走らせていたとする。給油のタイミングはいつでもあった。次の道路を曲がったところでと考えていたら、あるところから、ひとつもなくなってしまったことに気付く。だが、もう遅い。ガソリンはのこっていない。油断というのは愚かさと利口さの狭間でおしゃべりもせずに準備して決行を待ちかまえている。

 ぼくは自分のずるさと怠惰をひとつの美談にしようとしている。

 最後のデートをした。最後だと思っているのはいまの視点の上であり、その当時はデートのひとつだった。ぼくはその後、友人たちと隣町でお酒を飲んだ。今日、デートしてきたんだ、という自慢げな気持ちもあったことだろう。

 次の日になる。なぜか、電話をしない。楽しかったという短い感謝の報告もしない。次の日も。あさっても。来週も。

 ぼくらにとって大事なイベントがある。ぼくはクリスマスのプレゼントも確かに買った。中味は覚えていない。だが、ぼくは渡すために会う予定を作らなかった。バイトは大晦日までした。普通は、新たな年を初詣というイベントで彩ることも可能であった。だが、不思議とぼくは彼女に連絡しなかった。もちろん、嫌いになった訳でもない。そして、彼女からも連絡はなかった。ぼくがキライになったとでも思ったのだろうか。確かめる術もない。

 バイトの仲間とレストランで今年の最後の日に騒いだ。ひとりはぼくに気のある素振りをした。隠すフリでもなく、声高に宣言するわけでもない。若さというのはいじらしいものである。あの時代の若者はと限定しての話なのだが。

 ひとりで帰るときにも公衆電話は無数にある。インフラという言葉など知らなかったころだ。だが、ぼくは受話器をあげず、コインも投入しない。そのことに焦りもしなかった。ただ、ちょっと期間が空いてしまっただけなのだ。また、もとの状態になることは簡単なのだ、と信じていた。世界の運行が停まったわけでもない。軌道を数ミリ修正するだけで、ぼくらにはあの日々が、いとも簡単に復活するのだ。

 だが、やはり、きっかけは男性が作るべきなのだろう。彼女を安心させる言葉を吐き、お詫びの気持ちも告げる。言葉や優しさをともなう表情しか能弁になる方法はない。ぼくは、しかし躊躇していた。いや、ためらう前から行動に移そうともしていなかった。

 自分になにが起きていたのか。ミスを選んだという認識ももてない。ただ、しなかった。言いつけを守ったとか、誓いを立てたとか、何かの基準の前後や左右を考えてのことではない。ただ、しない。彼女からもかかってこない。もし、一回でも電話があれば、「あれ以来、会ってなかったね。どうしてだろうね」と無自覚な反省に似たものを伝えられたかもしれない。もっと大人の女性は、しつこくぼくの気持ちを確認するための質問を投げかけただろう。すべての失敗を若さの所為にする。若さというぼんやりとしたものの迷惑も考えずに。

 こうして次の年になった。阪神のすばらしき優勝の年も過去のものになってしまう。あの道頓堀に落ちた白いメガネ姿の人形をぼく自身の投影と考える。ぼくは、ここでも自分の失策をごまかそうとしている。そのことにもかろうじて失敗する。

 ぼくはあの日々を極限まで美しくするために、あえて、無意識にでも途絶えさせようとしていたのか。しおれる前の花として。そのためであるならこうむった被害もかなり大きなものだ。そして、この今日まで覚えているぐらいだから成果はあったのだともいえる。ぼくは被害者のフリをしている。彼女にとってみれば加害者である。また同時に両者とも罰を受け、両方とも若さという永遠性を閉じ込める努力を精一杯ながらして、むごさとともに勝ち取った。
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11年目の縦軸 38歳-30

2014年05月23日 | 11年目の縦軸
38歳-30

「ああいうの見るの?」
「ああいうのって?」ぼくらはレンタル店を出たばかりだ。

「奥の部屋にありそうなやつ」絵美はアイスを舐めている。空いているもう片方の手で服を脱ぐ真似をした。ぼくの手には借りたばかりの映画の袋がある。

「あ、あそこの。うん、見ないこともないけど」
「はっきりしない返事。とっても、はっきりしてない」

 見るときっぱりと宣言できるほど、世の中の異性に認知されたものでもない。胸を張ることもむずかしい。しかし、見ないというのも正しい答えではない。胸に手を当てれば。さらに、それは代用に過ぎないものだ。プロの選手には使用が許されていない金属バットのようなものである。言い訳めいているが、ぼくは代用や模造品からこっそりと楽しみや満足を得ているなど、オリジナルに対して説得を企てたり、反論を準備するほど野暮でもなかった。だが、尋問はつづく。

「なんで、見るの?」顔中を疑問という表情に絵美はする。「どうして見るの?」
「どうしてね」
「おうむ返しばっかり」
「流行を知るためじゃないの」
「え、流行?」今度は失望という顔になった。「あんなのに、流行りも廃れるもないんじゃないの?」
「女性の雰囲気は変わるだろう」

 ぼくはいつの間にか見るという側の立場にたって発言をはじめている。どちらかといえば擁護もしている。なぜだろう。しかし、個々の違いとか、差異というのも確かに少ないものだった。どれも大まかにいえば同じだが、ある面では異なった趣向がある。こういう際立ったレアさは日の目を浴びないままで終わった方がいい。小さな差を整頓上手なひとの部屋のように美しく分類し、規定することにして、見るべき理由を無理にあげれば、時代に合わせた長い髪や短い髪のひとがいるから流行などと不本意と思いながら持ち出したのだ。凹凸の大小の兼ね合いもある。本来の好みや誰かとの相似性というのも重要なものだ。彼女たちは映像としてその当時のままで残る。年をとることを拒否できる代わりに、それほどまでに永続するものでもないし、大切に保管、保存されたりもしない。国会図書館にも居場所はないだろう。後続がたくさんおり、次から次へと登場するのだ。そして、流行を追う。

「家、戻って探索するからね」
「ないよ、どこにも」
「ほんとは、あるとこ知っているよ。さっき、片付けしたときに」

「なんだ」
「いっしょに見ていい?」
「いっしょに見るもんでもないし」
「見てもいいじゃん」

 家に着き、絵美はアイスの棒をゴミ箱に捨てる。当たりかはずれがあるものらしく小さく舌打ちした。ぼくはその間にいくつかの機械の電源を入れ、デッキの口に隠されていたものを挿入した。金属バット。模造ダイヤ。それから、ぼくらはダブル・プレーの名手たちを見るように展開を見守った。ときには、トリプル・プレーもあった。

 酔いが全身にまわってきたのか絵美はその場でうとうとしはじめる。ぼくは公に見ている自分の立場が恥ずかしくなってきたので、スイッチを消して、歯を磨いた。

 ぼくは布団をめくり絵美をもちあげて横たわらせる。オリジナルの重み。この実体の重みを感じることこそ、明日につながる責任のようだった。身体も熱を帯びている。風邪もひけば、発熱する人体。代用はそうした心配や愛が伴わなければ感じるであろうささいな迷惑をぼくにかけることもできないし、世話を要することも欲しない。ただ、挿入口から取り出されれば運命も終わる。簡単で、あっけないものだ。こころの交流もない。なくてかまわないという考え方もあるだろう。いちいち関係を深めていくほど、温泉のように毎分ごとに生み出される欲の根は重要ではないのだ。

 ぼくもその横に寝そべる。絵美の腕がぼくの首にからまる。アイスのにおいが息にまじっている。幼いころに見た何かの蜜に群れ集う昆虫たちの姿を目に浮かべる。ぼくの脳はあれより賢いかもしれないが、本能的なものを比較すれば同等のようだった。虫たちに、支払いやおつりという感覚はないのかもしれない。でも、手に入れるとか強欲にならないまでも引き寄せられる気持ちは、どんな生物も同じだろう。それらには子孫の繁栄とか存続とかまっとうな理由があるために正しいことにも思える。ぼくは、ただ暇つぶしを探しているだけのようなこころもちになった。

 ぼくはアイスのにおいの元をたどる。すると、その前のアルコールのにおいが後から勝ってきた。ぼくが代用品を見る理由があやしくなってきた。生きるということには汚れや腐敗がまぎれこんでくる。避けるということは不可能なのだ。それだからこそ無垢なものは尊く、精神的な意味合いもふくめて腐敗を遠ざけたひとを勝利者として認定できるのだ。ぼくの本能はにおいや接触から影響を受ける。ぼくが自ら生み出したものでもなく、刺激されて、魅惑されて存在が許されるのだ。その歯止めはいらない。そして、余りにも多くなると、代用品にまで手を染めるようになる。正式な場所でもなければ模造のダイヤを指にはめて満足する貴婦人の安心感のように。落としても失ってもかまわないのだ。本物は箱にでもおさめて大切にしよう。
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11年目の縦軸 27歳-30

2014年05月18日 | 11年目の縦軸
27歳-30

 ぼくは希美から映画に誘われる。こまっしゃくれた映画。ブルース・ウィルスが裸足で駆けずり回ることもなく、トラック野郎もいない。柴又の風来坊がまた旅に誘われる映画でもない。

 ぼくはこれまでに女性の涙を見て、口を尖らせてふてくされた様子を見て、困った顔をいくつか作る要因となった。歓喜でさえ苦痛のようにゆがむあのときの表情も知っている。経験というのは無限にいくつもの箱を作ることだった。そこに無造作に表情のサンプルを放り込み、あとは漫然と忘れようとした。

 このような仕組みのなかで、映画が難解であってはならない理由などひとつもない。寂寥とした主人公の捉えどころのない心象に付き合わされることもあるのだ。ぼくは断片しか知らないラーメンを作る映画を思い出した。ぼくはどっちかを選ばなければならない。どっちかは二つだが、選択肢ももっと無制限にあった。

 インテリが夢想する漂白された革命とか、自分の恋人は友人と陰で隠れて寝ているとか、ぼくにとってどうでもよいことを主人公は悩みの種としていた。ぼくは、爽快になりたかった。早く、この耐えがたい地獄が終わり、ぬるくてもよいのでビールでも口に入れたかった。希美は退屈でもなさそうである。せめて代金分は楽しもうという女性特有の気持ちがあるらしかった。

 しかし、まったく見どころのない映画なども皆無だ。ぼくは最後のほうに流れた理知的な音色のトランペットにこころ打たれていた。悪くなかった。映像もなくなりエンド・ロールで曲目と演奏者を確認する。
「やっぱり」とぼくは言う。

 それまで退屈そうにしていたぼくが、映像もなくなって急に話したので希美は戸惑ったような様子をした。

「なにが、やっぱりなの?」
「あの音楽。トランペット」
「ラッパ」

 その響きはぼくに夕暮れ時の豆腐屋のもの哀しい音色を思い出させた。あのような売り方をしていたのは一体、いつぐらいまでだったのだろう。そうするためには、家に主婦たちがいなければならない。もう、みな外で働くようになってきたのだ。帰りにスーパーで買えた方が手っ取り早い。世の中は流通でもあるのだ。映画も同じ産業であり、仕組みだった。だが、それに引き換えても退屈だった。

 ぼくはぬるいビールも飲まずにすむ。まだ日は高く、椅子も高いスツールだった。柱も見当たらない大きな窓があり、ぼくらはその窓際のカウンターに座り、外を眺めていた。ひとりひとりにも、先ほどの映画の主人公のように知られていない殺伐とした気持ちがあるのか考えようとした。だが、少しのアルコールでぼくは愉快な気分になり、ひとのことなどどうでもよくなってしまった。

 すべてを置き去りにしなかった。ぼくの頭にはまだあの音楽が鳴っていた。ぼくは理解できるようになっていた。もし、あの十年以上も前の自分だったら、きっとこころに何も残していないだろう。もちろん、交際相手がさっきの映画を選ぶこともなかった。ぼくは、イングマール・ベルイマンを知り、難解さをすべて避けようとしたこともない。しかし、デートで見るような類いのものもあるだろうと提案したかったのかもしれない。でも、ビールの喉を通過する快適さは完全には奪われない。

 ぼくらは渋谷の町を歩く。いくつも近道を覚えていて、でも、急いでいるわけでもないので、歩き方はゆっくりとしている。地下鉄の駅を発車すると車両いったん空中に浮かぶ。その光景の不思議さをもう格別にめずらしいとも思わなくなっている。すれちがうひとは同じような服を着ていた。流行と個性の間を見つけるのもうまい女性もいた。デザインとサイズがあり、販売のテクニックと財布のひもの兼ね合いがあった。その吹き溜まりが渋谷というところのようだった。

 ぼくは希美が洋服と友だちへのプレゼントを選んでいる間、地下の大型の書店で立ち読みすることにした。ぼくは彼女の熱中とおおよその費やす時間を把握するようになっていた。ぼくは新刊を手にして、最初の数行を試しに読む。試着と同じだ。自分で選ぶ服と、似合うとすすめられる服は違う。自分で読んで楽しかった本と、気に入ると思うよと言われてすすめられる本も異なっている。でも、誰かに新しいものを教えてもらわない限り、自分の枠も興味も段々と先細りになってしまいそうな予感があった。ぼくは目ぼしいものが見つからないので、希美がいそうなフロアを探した。たくさんの女性がいる。ぼくがもし選ぶと仮定して、さらに、友人から気が合いそうに思うよ、と紹介されて一致する確率を想像した。しかし、ぼくはもう新しいものを必要としていなかったし、欲していなかった。気まぐれになることもない。忠実なる番犬も、あの裕福そうな別の飼い主に飼われたいなと浮気ごころを出すこともないだろう。首の紐にでさえ文句を言わないのだ。退屈さもそれほど認識していないのだ。たまの散歩とたまに噛む硬い骨があれば満足なのだ。

 希美の背中が見える。服が並んでいるレールの上でハンガーにかかっている服を左右にすべらせている。そして、一着をとって自分の目の前にひろげた。数秒して、どういう気分なのか分からないが気に入らなかったのかまた元にもどした。それから、もう一巡して同じ服を取った。そこで、にこやかな店員に声をかけ、試着室に消えた。手持無沙汰な店員はぼくを発見する。試着室にいる女性とこの適度な距離を保っているぼくの関係を思案するような表情になった。彼女もさっきの映画を見たら、あのにこやかさも簡単に消えるだろうなと想像する。そして、ぼくは段々とそちらに足を向けた。試着室から希美が顔を出す。店員のずっと後方にいるぼくに気付く。カーテンをもっと開き、ぼくにも新しい衣装を見せようとした。

 カーテンはもう一度、閉まった。ぼくは彼女が選んだ服のそばの値段を見るともなく見た。これではなく、あれだったのだろう。希美は不特定多数のものからひとつを選ぶ。それが、不思議とぼくでもあった。退屈な映画に耐えられる彼女の選びそうなものでもあった。
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11年目の縦軸 16歳-30

2014年05月17日 | 11年目の縦軸
16歳-30

 ぼくは渋谷にいた。冬の一日。横には彼女がいる。ほぼ一時間前には地元の駅にいた。数分、ぼくは彼女を待った。寒さもイライラもまったくない。期待のあらわれである。この後、女性を待つということを何度も行ったが、このときのような新鮮さを保っていたかと問われれば、その気持ちは段々と薄まっていくというのが本当の気持ちだった。そして、約束の不履行は切腹でお詫びするということを冗談でもなく、考えている自分もいる。大体は待たされる。反対の性質のひとは、大体が悪びれずに待たす。ただの待ち合わせについての話題なのに、大げさになった。まだこの頃は契約のための印鑑も自分個人のものはもっていなかっただろう。さらに、待ち合わせは契約でもなんでもない。喜びと悲しみの数分間である。では、大人の定義ははんこを持っているか否かということで分類されるのだろうか。それも、一理ある。

 ぼくらは映画を見ることになっていた。その見る場所というのも重要な選択である。

 映画の開映時刻というものを確認するにはそれ専用の雑誌を見るか、チケット売り場で表をながめるしかなかった。便利というものは、どこまでが到達点として設定されるべきものなのだろう。あのぐらいでちょうど良かったのかもしれない。不便さもこの程度なら目くじらを立てることもない。また、あの雑誌は当時にしては画期的に便利なものだった。

 八十年代の半ば。若者は背伸びをするということでまだ若者だった。そして、大人になりきるには上限を勝手に設けて、そこを突き抜けるのは自身で戒めていたであろう。それは自分でお金を稼いでから楽しむべきこととか、もちろん、援助なんていうまやかしの言葉でやましさを正当化させることなど表面的にはなかった時代だ。こうして、いま、ぼくは単純にむかしをなつかしんでいる。かまどで炊いたご飯がいちばんおいしかったとでもいうように。

 映画館に入った。ぼくは監督の作風とか、芸術的な価値を知る前の話だ。

 ただの娯楽。デートのための娯楽映画。

 このときの主題歌が印象的だった。ものごとを覚えさせる痕跡が散りばめられている。だから、こうして記憶を振り戻して書くこともできるのだろう。

 八十年代ではなくても若者はお腹が減る。ぼくはどこで食べるか迷う。一先ず、喫茶店のところのような場所でお茶を飲む。窓のそとにはいつもながらのひとに溢れた通りがある。彼女の飽きた顔とか不服な顔をぼくはいつの日か見ることがあるのだろうか。それさえも彼女の一部なのだろうか。ぼくは、きょうは片側しか見ていない。同時に、ぼくも片側しか見せていない。愉快な自分。希望にあふれている自分。

 結局、食事は、彼女が入ったことのある公園通り付近の家族向けのような店に入った。

 ぼくは給仕をしてくれた男性のことを思いだす。ぼくらがどこかの外国から来た大切なお客様のようにもてなしてくれた。ぼくはもっとぞんざいに扱われることになれていた。女性の前でこのように丁寧に接してもらうことは自尊心をくすぐられることだった。ただ、彼女が誰にとっても可愛いから、ということが唯一の対応の理由かもしれない。

 もっと大人になれば時間の引き延ばし方や、反対に、時間があまりにも短く夜が迫ってくるとかの感慨を抱くのだろうが、ぼくにとっては等身大の時間軸だった。夜はゆるやかに迎えてくれ、ぼくらはすることもなくなる。友人たちは自分の愛したものの身体を求めた。ぼくはなぜかそうすることをためらっていた。楽しみはもっとあとにとっておくのか、それとも、彼女のそうした一面に無意識下で目を背けたかったのだろうか。

 山手線の線路をくぐり、明治通りを歩いている。ぼくの好きな道のひとつだ。彼女は歩いたことがないと言う。線路を抜けずに、代々木競技場を横目に代々木公園の方に向かって原宿に出る。ぼくは、なぜだか彼女が友だちと歩いているその姿を思い浮かべる。そのイノセントさを奪う権利が自分にはないような気がした。では、誰のものなら無下にしてよいのだろうか。答えはない。夜は、この日の夜はぼくらのものだった。この通りもぼくらが歩行するために舗装されたものだった。

 ぼくは明治神宮のそばの駅にいた。

 半時間後には乗換駅にいる。そこで彼女はある女性と思いがけなく会話をする。知り合いのようでもあるし、他人のような距離感でもある。

「あのひと、誰?」当然の疑問だ。
「お姉ちゃん」

 ぼくはただ驚いた。彼女に妹がいることは知っていたが、姉がいるということはこの瞬間まで知らなかった。狐につままれるという例えを身に染みて感じる。彼女は三姉妹の真ん中であり、ぼくは三人のむさ苦しい男の兄弟の真ん中であった。ぼくは、彼女について何も知らないことをこうして覚らされる。そして、大事なことだが愛にとって、対象の情報などそれほど必要ではないのだろう。

 ぼくらは帰るところはいっしょ(彼女と姉)だが別の車両に乗り込む。ぼくは家まで彼女を送る。その家に彼女の姉もいる。渋谷のデパートで働いていると言っていた。彼女はいずれ、どういう仕事に就くのだろう。ぼくは会ったままの姿で女性をいつまで帰しつづけるのだろう。
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