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問題の在処(16)

2008年12月21日 | 問題の在処
問題の在処(16)

 幸太が靴ひもを結ぼうとしている。そのたどたどしい素振りは、まだまだ上達していないことの証しだった。代わりに妻がいつものように、幸太の小さな靴を引き寄せ、きれいな形に結び直した。その様子をみている自分は、誰かの援助がない世の中のことについて考えだす。

 A君は遠くの場所にいた。その頃を振り返ると、もう少し緊密に連絡をとっておいたら、といくらかの後悔をいだく。その後悔はもちろんあとになって分かるわけだが、多分、いま進行中のことに頭は占領されるように人間は、できているのだろう。

 人類の一部であろうとする自分も、そうした無責任であり盲目的な選択に日々、追われる。

 たまみの天真爛漫なところに影響されないように、ぼくは規律よく生活したいと望みはじめていた。勤勉に大学で授業を受け、家でシナリオの真似ごとのようなものを書き、夜は飲食店でバイトをした。

 そのようなバイト先で働いていると、自然と交友関係が広がることがあったが、それでメリットがあるようなことはなかった。そんなに夢中でなかったはずのたまみとの生活も勤勉さの一部として、壊さないようにしたかったのかもしれない。それでも、彼女は、ときにはどこかに飛び立っていたのだろう。そうした事実があろうとなかろうと、ぼくは運命的なものなどは、必ず手からこぼれおちるような印象を抱きだしていた。もし、道が2つ目の前にあるのなら、必ずメリットがない方向を選ぶだろうことぐらいは、自分の運命の予感を肌が知っていた。

 それで、なにがあっても、彼女の生活の部分を追求しつくすということがなかった。彼女は、絵を描き、たくさんのデザインを考えだした。生活も自分のデザインの現れであるということを象徴するように、楽しく過ごせればよいとでも考えているらしかった。そんな彼女なので、うまく自分の生活が回らないときは、当然のようにいらだった。たまみの家に住んでいた時分だが、彼女は時折帰ってこないこともあった。はじめは心配したが、ときにタイヤの空気をいれるかのように定期的に彼女は、いなくなった。

 最初のときに、彼女の家に電話をした。彼女の両親の行動様式として、しつけというものがないらしかった。それなので、心配しすぎるぼくのことを奇異な感じで見ているらしいことが分かった。それ以来、そうした経験もしたくなかったので、焦って彼女の家族に連絡することもなくなった。

 かわって彼女の大学のともだちに、こっそりと居場所ぐらいは知っているのかと質問した。彼女は、知ってはいるらしいが、教えてはくれなかった。そのうち、戻ってくるから心配しないでいいよ、といった。実際に、そうなることにはなったが、人生を共有しているという感覚は、次第に薄れていく。

 たまみの、その友達は大学でカメラを専攻していた。

 父親が有名なカメラマンで、母は、もともとそのモデルになっていた人ということで有名なひとでもあった。なので、彼女も、とてもきれいな容貌を有していた。ぼくのバイト先にもたまに寄り、バイト先の友人たちは、誰もが彼女を紹介してもらいたがった。だが、彼女は、そのことを告げても、なにも関心がないように2度と、その話は持ち出してくれるな、という顔をした。従順な番犬のように、ぼくはそのようにした。ぼくも、働きながら、そのようなきれいな人を見られる誘惑は、けっこうあったのだと思う。たまみからぼくがシナリオを書いていることを教えられ、それも読んだらしく、能力を伸ばすようにアドバイスもしてくれた。彼女の母は、仕事がらか出版社にも顔が利き、優秀な若い子を探すのが趣味ともいった。

「一度、会ってみるのも悪くないかもよ?」とある日、彼女は言った。

 誰かが、自分の生活に入り込み、力になってくれるということを幸運か、それとも過剰な関係か判断はしかねていた。しかし、段取りさえ上手くいけば、車輪は転がるようにも出来ている。

 幸太は、結ばれている靴でボールを蹴っている。

 ぼくもその相手をしている。芝生には、きのうの雨の水滴が残っていて、すこしぬかるんだ箇所もあった。妻は離れたベンチで、本を広げていた。独身時代から、祐子は、それが好きだった。