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とっくりとチョッキ(5)

2017年04月22日 | とっくりとチョッキ
とっくりとチョッキ(5)

 ぼくはマリアに、「大きくなったら何になりたかった?」と質問する。それは大人になっているということをお互いの認識以上に前提にして、きちんと認めているから成り立つような問いかけだった。

「大人かどうかは分からないけど、ルーズ・ソックスを履いて、お尻がぎりぎり見えそうなミニスカートを履きたかった」となつかしそうに答える。ぎりぎり見える? ぎりぎり見えないが妥当か。大人は意に反して訂正が好きだった。なるべくなら、正そうとする。癖ひとつ直せないのに。

「ソック・タッチをつけて?」
「なに、それ?」

 ぼくにとってそれらの恰好をしている子たちは恋愛対象の範疇の外にいた。ファールのエリア。余りにも年下過ぎた。しかし、その子らに憧れをいだいていたひとりの子を愛と呼べる状況に無条件に置いていた。愛に条件など、なかろうが。

 ぼくは彼女にとって未知なものを説明する。年長者の覚悟をもって。靴下がずり落ちないように微量な接着剤で足にくっつける。それにしても、もう売っていないのだろうか? 戦後、女性とストッキングは強くなりましてね、と架空の独り言をもごもごと言う。落語家のような口調を想像して。

「顔の黒い子たちもいたよね」

 流行というのを誰かが、どこかで作り出しているのだろう。そのうちのいくつかがベーシックなものとして格上げされる。画期的な新製品が定番と化す。ぼくは仕組みなど知らない茫洋とした時期に無限の郷愁を感じている。裏取引のない世界。剥がれ落ちる世界。白い脛がまる見えとなる幻想。

「かぶれないの?」
「かぶれたかもね。でも、なんで、ずり下がっちゃいけなかったのだろう」
「美しいからじゃない」

 美の観念もひとそれぞれだった。

「じゃあ、我慢を強いられている?」ぼくは、若い、より経験に乏しいものに質問を重ねている。寒い夜に毛布を身体に優しく載せるようにして。
「我慢ってことでもないんじゃない。ただ、そうあった方がきれいだから」
「きれいの反対って?」
「汚い。不作法」
「無粋」
「ブス?」

「違うよ、粋ではないってこと」蕎麦の先を、こうちょっとだけ汁につけてね、とぼくは落語家の口調をまねる。ぼくはひとりだけの試行錯誤で完全となる世界に住みたかったのだろうか? 「それで、なったの、ソックスとミニスカートに?」
「なるわけないじゃん。時代が変わったから」

「美意識も変わると」カレーうどんに哲学もない。オスカー・ピーターソンにも哲学がない。大衆食堂といっしょだ。刺身やさんま定食もあれば、焼きそばもある。グレン・グールドには哲学が一音ごとにある。ドにもレにも。優劣をつけるつもりもない。間口は広い方が良いのだ。ウナギの寝床にしても。

 マリアはその食堂の店主が奏でるピアノに合わせて鼻歌を歌っている。毎日、ウニでもキャビアでも困るだろう。マイ・フェア・レディー。ぼくはついうとうとする。長い靴下のマリアが次第に貴婦人となる。ぼくは執事となって彼女の無理な要求に応じている。幸せって、理屈っぽく考えなければ、そういうものなのかも。