問題の在処(27)
平穏無事な日々が続いた。ぼくを悩ませるものは、その時には何もなかった。それが、幸福かといえば分からないが、思い出としてこころに刻むような出来事が少なかったのかもしれない。なので、こころに波風の立ちようもなかった。
毎日が淡々と過ぎていった。あまり熱心になれない仕事ながら忙殺され、疲れた頭を癒すように同僚や友人たちと酒を飲む日々が週に数回あった。
自分には未来を切り開くようなエネルギーが欠けているようにも感じた。大きな流れに身を任せたが、辿り着きたかったのは、そのような場所ではないという居心地の悪さもあった。しかし、大方の人間はそんなものだよ、という先輩の酔った目をみながら聞かされると、それも間違っていないということも理解できた。だが、間違っていないことは、即刻正しいという判断にはならない。
ふとした時に、自分のなれそうな最大限の人格をイメージした。イメージはするが、それがこの世の中に生きていて、暮らしていけるだけの金銭を得られるかはまったくの別問題だった。そう考えると、過去の選択自体を陽の下に照らして点検する必要がありそうに思えた。
成り行き任せの将来の具体像がなかった女性との関係。もう少し、人に自信をもって言えるだけの職業とかなどもその一部だ。
そのような時に、悪魔は(こんな表現を使うしかない自分の限界)他の人と自分の生活を比較させて、より自分は劣っていて、不幸せであると納得させるよう躍起になるのかもしれないのだ。そして精神が空中分解するまで追い込んでしまう人もいるのだろう。
その頃だろうか、日本には災難が続いた。その後、地震があったりテロがあったりして痛ましい事件も続いた。速報性を求められている雑誌社は絶えず忙しさに足元をさらわれていく。しかし、忙しさは考えることを中断させてしまう。
B君は、女の人を取り換えることを辞め、早々と結婚することになった。その子は、この前にあった子だが、今までとはまったくタイプが違い、地味な感じの人だった。なぜ急に方向を転換して選んだのかは分からないが、それでも、こちら側にもまた正しい選択であるということを納得させる何かがあった。いつまでも、輝きだけを求めて生活することも出来ないのだろう。なにか堅実なものを土台として、それを地道に膨らます努力にシフトする時期が、ぼくらにも来ていたのかもしれなかった。
ぼくには、そういう相手がまだいなかった。女遊びを続ける友人もいたし、それを横目に見ながら、ぼくも少なくない過去の女性のことを脳裏に浮かべた。自分の幸せだけでもなく、彼女たちの今後のことも考えた。幸せになってほしいとも思おうが、その思いも人間である自分としては思い上がった考えでもあるかもしれないと理性的に判断した。
多くの事柄が自分にとって対岸の火事だった。仕事上でも、そうだった。自分に影響を与えることも少なくなってしまった。
そのような時に、ある事件が起こる。ぼくが、ここで勤めているのもこうした運命のやりくりの一部であることを違う何かが確かめようとしていたのかもしれない。
しかし、将来のことなど知りえない自分は、いともたやすく騙されてしまう。未来は、順調なのだと。
朝、いつものように眠たかった。新聞もテレビのニュースも見なかった。
職場につき、定位置に座る。コーヒーを飲みながら、今日のざっとした計画を頭に浮かべる。そうなることも少なかったが、こうした頭の訓練を日常的にするようになっていた。自分の一日の指揮官は自分自身であるということを確かめるため。その時、こんな事件があったよ、と隣の席に座っている同僚が声をかけた。
「ひどい世の中だよな」
彼のいつもの口癖がはじまったと思いながら、メモを見た。
平穏無事な日々が続いた。ぼくを悩ませるものは、その時には何もなかった。それが、幸福かといえば分からないが、思い出としてこころに刻むような出来事が少なかったのかもしれない。なので、こころに波風の立ちようもなかった。
毎日が淡々と過ぎていった。あまり熱心になれない仕事ながら忙殺され、疲れた頭を癒すように同僚や友人たちと酒を飲む日々が週に数回あった。
自分には未来を切り開くようなエネルギーが欠けているようにも感じた。大きな流れに身を任せたが、辿り着きたかったのは、そのような場所ではないという居心地の悪さもあった。しかし、大方の人間はそんなものだよ、という先輩の酔った目をみながら聞かされると、それも間違っていないということも理解できた。だが、間違っていないことは、即刻正しいという判断にはならない。
ふとした時に、自分のなれそうな最大限の人格をイメージした。イメージはするが、それがこの世の中に生きていて、暮らしていけるだけの金銭を得られるかはまったくの別問題だった。そう考えると、過去の選択自体を陽の下に照らして点検する必要がありそうに思えた。
成り行き任せの将来の具体像がなかった女性との関係。もう少し、人に自信をもって言えるだけの職業とかなどもその一部だ。
そのような時に、悪魔は(こんな表現を使うしかない自分の限界)他の人と自分の生活を比較させて、より自分は劣っていて、不幸せであると納得させるよう躍起になるのかもしれないのだ。そして精神が空中分解するまで追い込んでしまう人もいるのだろう。
その頃だろうか、日本には災難が続いた。その後、地震があったりテロがあったりして痛ましい事件も続いた。速報性を求められている雑誌社は絶えず忙しさに足元をさらわれていく。しかし、忙しさは考えることを中断させてしまう。
B君は、女の人を取り換えることを辞め、早々と結婚することになった。その子は、この前にあった子だが、今までとはまったくタイプが違い、地味な感じの人だった。なぜ急に方向を転換して選んだのかは分からないが、それでも、こちら側にもまた正しい選択であるということを納得させる何かがあった。いつまでも、輝きだけを求めて生活することも出来ないのだろう。なにか堅実なものを土台として、それを地道に膨らます努力にシフトする時期が、ぼくらにも来ていたのかもしれなかった。
ぼくには、そういう相手がまだいなかった。女遊びを続ける友人もいたし、それを横目に見ながら、ぼくも少なくない過去の女性のことを脳裏に浮かべた。自分の幸せだけでもなく、彼女たちの今後のことも考えた。幸せになってほしいとも思おうが、その思いも人間である自分としては思い上がった考えでもあるかもしれないと理性的に判断した。
多くの事柄が自分にとって対岸の火事だった。仕事上でも、そうだった。自分に影響を与えることも少なくなってしまった。
そのような時に、ある事件が起こる。ぼくが、ここで勤めているのもこうした運命のやりくりの一部であることを違う何かが確かめようとしていたのかもしれない。
しかし、将来のことなど知りえない自分は、いともたやすく騙されてしまう。未来は、順調なのだと。
朝、いつものように眠たかった。新聞もテレビのニュースも見なかった。
職場につき、定位置に座る。コーヒーを飲みながら、今日のざっとした計画を頭に浮かべる。そうなることも少なかったが、こうした頭の訓練を日常的にするようになっていた。自分の一日の指揮官は自分自身であるということを確かめるため。その時、こんな事件があったよ、と隣の席に座っている同僚が声をかけた。
「ひどい世の中だよな」
彼のいつもの口癖がはじまったと思いながら、メモを見た。
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