問題の在処(29)
長いこと触れていないアルバムだったが、自分の母校のものであることは直ぐに分かった。隣の同僚は定時ギリギリにならないと出社しないので、その前に様子をうかがいながら開いてみた。
A君は、その年代特有の初々しさをもって写真にうつっていた。数ページめくるとぼくの顔写真もあった。自分の以前の顔は、どこか完成されていてまた逆にこれからたくさんのことを経験しなければならない未熟さももちろんあった。
定時になって、やっと隣にも同僚があらわれ、忙しげに働き出した気配があった。彼は、情報をどこまで入手しているのだろう。その時、ふと彼の喉からおかしな音がした。
「これ、何々さんですよね?」と、ぼくの方にむかって訊いた。「なんだ教えてくれたら簡単だったのに」
「いや、人違いだと思っていたので」
「彼のこと、覚えてます?」
「まあね」
「どんな感じの子だったんですか。連絡をするような間柄ですか」
そこから、今までのぼくらの関係を説明した。誰にきくと、一番、彼の人柄が分かるか尋ねられたが、それは多分自分だろうと思った。B君の存在があったが、彼に迷惑をかけてしまうようなことは拒みたかった。しかし、どこかで友人が誰であったのかは、その後の同僚の取材で分かってしまったらしい。
仕事柄、自分が話さない訳にはいかなかった。その後、自分の雑誌社以外にも何件か、同じように質問された。当然のことだったが、彼がそんなことをする人間には思えなかった、と答える以外にぼくに出来ることはなかった。
その後、A君の20数年の人生がかいつまんで報道された。それは、成功者にはほど遠いイメージだった。学歴もなく、職を転々として、それからこういう事件を起こすに至る、という内容だ。彼を知る自分にとっては、そんなレッテルを貼り付けてほしくはなかったが、世間はそうしたものを求めていた。また、簡単にジャンル分けして、どこかに納めたかっただけなのかもしれない。
A君の裁判が始まる頃になって、ぼくは自分の仕事にも嫌気がさし、辞めてしまった。決して、満たされないなにかがこころの中にあった。この現状を続けていれば、それは膨らんでいく一方だろう。また、彼に対する間違った報道に、自分もなんらかの形で加担してしまった責任も感じていた。ぼくに、方向を変えることは出来なかったかもしれないが、多少は誠実な記事がどこかに残っても良かったのかもしれない。
いくらかかるのかも知らないが、A君の両親は彼を見捨ててしまったので、ぼくが裁判の費用を肩代わりした。それが続いて最終的には、ぼくの貯金がすべて消えてしまった。別に後悔しているわけではない。ただ、ぼくが若い時に書いた、あるひとりの女性のための伝記で手にした金額がすべてなくなった。ひとりの人生の栄華の代価が、ひとりの人生を救う金額に化けたのだ。最後には、救うことにはならなかった。罰を定める金額になっただけだ。
A君の正当性も悪意も、もうなにも書き残したくはない。ただ、子供のころから知っている人間と、気軽に会ったり話したりすることは不可能になってしまった。自分の息子にも親友というものが、いずれ出来るのだろう。なによりも大切なものがなくなってしまったぼくのようにはなって欲しくなかったが、未来は誰にも分からないのだ。
貯金も底をつき、ぼくはまた仕事を探すことになる。いままでとまったく違うことがしたかった。あまりにも大きな夢や希望なんていうものは、もうぼくには残っていなかった。ちいさな欠けらすらなかったという方が正しいかもしれない。ぼくは、本気で人と接することもできなくなってしまったのかもしれない。
それらから、立ち直ることは出来るのだろうか。やってみる価値はあるのだろうが、成功も失敗も、その当時のぼくには、関係のないことになっていた。
長いこと触れていないアルバムだったが、自分の母校のものであることは直ぐに分かった。隣の同僚は定時ギリギリにならないと出社しないので、その前に様子をうかがいながら開いてみた。
A君は、その年代特有の初々しさをもって写真にうつっていた。数ページめくるとぼくの顔写真もあった。自分の以前の顔は、どこか完成されていてまた逆にこれからたくさんのことを経験しなければならない未熟さももちろんあった。
定時になって、やっと隣にも同僚があらわれ、忙しげに働き出した気配があった。彼は、情報をどこまで入手しているのだろう。その時、ふと彼の喉からおかしな音がした。
「これ、何々さんですよね?」と、ぼくの方にむかって訊いた。「なんだ教えてくれたら簡単だったのに」
「いや、人違いだと思っていたので」
「彼のこと、覚えてます?」
「まあね」
「どんな感じの子だったんですか。連絡をするような間柄ですか」
そこから、今までのぼくらの関係を説明した。誰にきくと、一番、彼の人柄が分かるか尋ねられたが、それは多分自分だろうと思った。B君の存在があったが、彼に迷惑をかけてしまうようなことは拒みたかった。しかし、どこかで友人が誰であったのかは、その後の同僚の取材で分かってしまったらしい。
仕事柄、自分が話さない訳にはいかなかった。その後、自分の雑誌社以外にも何件か、同じように質問された。当然のことだったが、彼がそんなことをする人間には思えなかった、と答える以外にぼくに出来ることはなかった。
その後、A君の20数年の人生がかいつまんで報道された。それは、成功者にはほど遠いイメージだった。学歴もなく、職を転々として、それからこういう事件を起こすに至る、という内容だ。彼を知る自分にとっては、そんなレッテルを貼り付けてほしくはなかったが、世間はそうしたものを求めていた。また、簡単にジャンル分けして、どこかに納めたかっただけなのかもしれない。
A君の裁判が始まる頃になって、ぼくは自分の仕事にも嫌気がさし、辞めてしまった。決して、満たされないなにかがこころの中にあった。この現状を続けていれば、それは膨らんでいく一方だろう。また、彼に対する間違った報道に、自分もなんらかの形で加担してしまった責任も感じていた。ぼくに、方向を変えることは出来なかったかもしれないが、多少は誠実な記事がどこかに残っても良かったのかもしれない。
いくらかかるのかも知らないが、A君の両親は彼を見捨ててしまったので、ぼくが裁判の費用を肩代わりした。それが続いて最終的には、ぼくの貯金がすべて消えてしまった。別に後悔しているわけではない。ただ、ぼくが若い時に書いた、あるひとりの女性のための伝記で手にした金額がすべてなくなった。ひとりの人生の栄華の代価が、ひとりの人生を救う金額に化けたのだ。最後には、救うことにはならなかった。罰を定める金額になっただけだ。
A君の正当性も悪意も、もうなにも書き残したくはない。ただ、子供のころから知っている人間と、気軽に会ったり話したりすることは不可能になってしまった。自分の息子にも親友というものが、いずれ出来るのだろう。なによりも大切なものがなくなってしまったぼくのようにはなって欲しくなかったが、未来は誰にも分からないのだ。
貯金も底をつき、ぼくはまた仕事を探すことになる。いままでとまったく違うことがしたかった。あまりにも大きな夢や希望なんていうものは、もうぼくには残っていなかった。ちいさな欠けらすらなかったという方が正しいかもしれない。ぼくは、本気で人と接することもできなくなってしまったのかもしれない。
それらから、立ち直ることは出来るのだろうか。やってみる価値はあるのだろうが、成功も失敗も、その当時のぼくには、関係のないことになっていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます