cd
泣こうと思う。その為に、短い話を収集する。
プロとアマチュア。いまのところ、いちばん有名なサッカーの監督は、プロのサッカー選手ではなかった。あなたにもチェルシーあげたい。監督という仕事がビジネスにも通じ、カード会社のコマーシャルにでる。飴はなめていない。もうひとり。日本の大学野球の監督。よく殴る。なぐられないのは、高田繁と星野仙一のふたりだけとのこと。青いグラブ。御大と称されるひとも野球未経験。応援団に所属していた。エピソード。野球部の補欠の選手から率先して就職先を探してあげる。ひとは応援される価値のあるものである。いずれ、各々の方法でプロになる。サラリーを受け取る。野球以外でも。
監督やコーチングの能力の有無にひとはいつ気付かされるのだろう。無論、外科医としての才能や手際も判断しようがないのだが、絶対不可という領分に監督はないので、思いめぐらすことができてしまう。
ひとには潜在能力がある。干潮時にあたまを出す岩と同じだった。普段も、あるいは一生、その姿を認められない場合もある。親の仕事をそのまま受け継ぐこともある。血では伝承できないが、熟練と日々の節制によって、手の技は次の世代に移行される。
試しにしてみるというのではリスクの大きな仕事だ。抜擢というのも無鉄砲に行使されるわけでもない。
すべてを掌握するタイプもいて、感情は無が最上級だと規定するひともいる。励ますのに長けるひともいて、叱咤もある。歴史によって許されなくなる行動もでてくる。相性もある。最後に胴上げをする。
宙に浮かんだ地点で、どんなことが去来するのだろう。方針も指導力もいまのチームと合致していたと安堵するのだろうか。勝ったはいいが、自分の価値の見積もりを低く判断されたと苦々しく思っているひとも下層にいるかもしれない。舞っている間、不安になる。男性など嫉妬でできている生物なのだ。
負けず嫌いという性分がある。普通の仕事で負けるも勝つも明確ではない感じもする。人事があって、あいつより役職が低ければ表向きは負けかもしれない。偉さというのを地位と給料だけで分類すれば、独裁者にでもなるしか方法がない。反面、注意されて育つということもどこかにある。その指摘を無意識に望むぼくは根っからの選手であり、部下であろうか。
ある時点までの日本という社会は、もっとも成功した社会主義国家であると主張するひともいる。一億総中流化。ほころびが生じる。マッカーサーという日本の監督。
一匹狼という丁度良い言い訳もある。そもそも、その願いを叶えるならひとりでできるスポーツを選ぶべきだ。テニスやゴルファーとして。
さらに上の立場もある。チームの選手の取得や放出、経営状況の考察等。学ぶことも多くなり、権力も強大になる。プロ選手か、親会社から出向しての選択。生き延びる。それだけが常に正しい。
胴上げも数回で終わり、その後は来年までチャンピオンの称号だけがのこっている。連覇もまた困難なチャレンジだった。V9には名参謀がいたそうだ。第二位としてなら活躍できるタイプもいる。責任はそれほど重くないのであろうか。
プロスポーツ選手になったからには、ヒーローになりたい。監督というのは戦術と客観視と裏をかくことと、あとは運のような気もする。だが、そこにただいて、このひとのために働こうと思わせる男気も必要でありそうだ。どれも架空のことを無駄に立証しようとしているだけだ。
自分は上に立つことなどない。二番手もない。評価は数字として明確化できることを提案したい。各自は個人事業主であるべきで、世界大会は見本市なのだと思ってほしい。
安く買ったものを高く売る。自分のあたまは最終的にそこに行き着いてしまう。リーダーの素質などないのだ。赤字にならないことだけを念頭に置いている。さらに期限を守ること。器は限りなく小さく浅い。
学生を評価して、評価の前に本質を見抜いて、就職先を斡旋する。このひとの見立てなら間違いないだろうと相手も安心する。
「外科医がオペで患部を開いて、疾患を探し当てるように、不利な状況や試合の展開を見事にいい当てていました」と著名な選手が讃嘆している。予測する能力もある。将棋さしのように。
ある程度、負けを含んでの人生だし、負けや失敗が醍醐味という境地にいる自分は勝負師ですらない。勝って得たものなど、ここでまったく書いていない。自分という醜悪な生き物の振る舞いを披露しているだけだ。にきびがあっての顔であり、縫い傷があっての身体だった。
面倒見が良いという評判も得ることができなかった。ひとを何かに紹介する力も有していなかった。コントロールされずに、自分もしないということも重要であった。そして、寝そべりながらひとの小説を読んでいる。「こいつ、一人っ子の小説だよな」とあきれながら中間の子どもであった自分はどう世界を眺めているのか考えている。お節介も迷惑もこだわりも愛撫も慰藉もない世界に生まれたかったなとひとりそのまま横たわる。
泣こうと思う。その為に、短い話を収集する。
プロとアマチュア。いまのところ、いちばん有名なサッカーの監督は、プロのサッカー選手ではなかった。あなたにもチェルシーあげたい。監督という仕事がビジネスにも通じ、カード会社のコマーシャルにでる。飴はなめていない。もうひとり。日本の大学野球の監督。よく殴る。なぐられないのは、高田繁と星野仙一のふたりだけとのこと。青いグラブ。御大と称されるひとも野球未経験。応援団に所属していた。エピソード。野球部の補欠の選手から率先して就職先を探してあげる。ひとは応援される価値のあるものである。いずれ、各々の方法でプロになる。サラリーを受け取る。野球以外でも。
監督やコーチングの能力の有無にひとはいつ気付かされるのだろう。無論、外科医としての才能や手際も判断しようがないのだが、絶対不可という領分に監督はないので、思いめぐらすことができてしまう。
ひとには潜在能力がある。干潮時にあたまを出す岩と同じだった。普段も、あるいは一生、その姿を認められない場合もある。親の仕事をそのまま受け継ぐこともある。血では伝承できないが、熟練と日々の節制によって、手の技は次の世代に移行される。
試しにしてみるというのではリスクの大きな仕事だ。抜擢というのも無鉄砲に行使されるわけでもない。
すべてを掌握するタイプもいて、感情は無が最上級だと規定するひともいる。励ますのに長けるひともいて、叱咤もある。歴史によって許されなくなる行動もでてくる。相性もある。最後に胴上げをする。
宙に浮かんだ地点で、どんなことが去来するのだろう。方針も指導力もいまのチームと合致していたと安堵するのだろうか。勝ったはいいが、自分の価値の見積もりを低く判断されたと苦々しく思っているひとも下層にいるかもしれない。舞っている間、不安になる。男性など嫉妬でできている生物なのだ。
負けず嫌いという性分がある。普通の仕事で負けるも勝つも明確ではない感じもする。人事があって、あいつより役職が低ければ表向きは負けかもしれない。偉さというのを地位と給料だけで分類すれば、独裁者にでもなるしか方法がない。反面、注意されて育つということもどこかにある。その指摘を無意識に望むぼくは根っからの選手であり、部下であろうか。
ある時点までの日本という社会は、もっとも成功した社会主義国家であると主張するひともいる。一億総中流化。ほころびが生じる。マッカーサーという日本の監督。
一匹狼という丁度良い言い訳もある。そもそも、その願いを叶えるならひとりでできるスポーツを選ぶべきだ。テニスやゴルファーとして。
さらに上の立場もある。チームの選手の取得や放出、経営状況の考察等。学ぶことも多くなり、権力も強大になる。プロ選手か、親会社から出向しての選択。生き延びる。それだけが常に正しい。
胴上げも数回で終わり、その後は来年までチャンピオンの称号だけがのこっている。連覇もまた困難なチャレンジだった。V9には名参謀がいたそうだ。第二位としてなら活躍できるタイプもいる。責任はそれほど重くないのであろうか。
プロスポーツ選手になったからには、ヒーローになりたい。監督というのは戦術と客観視と裏をかくことと、あとは運のような気もする。だが、そこにただいて、このひとのために働こうと思わせる男気も必要でありそうだ。どれも架空のことを無駄に立証しようとしているだけだ。
自分は上に立つことなどない。二番手もない。評価は数字として明確化できることを提案したい。各自は個人事業主であるべきで、世界大会は見本市なのだと思ってほしい。
安く買ったものを高く売る。自分のあたまは最終的にそこに行き着いてしまう。リーダーの素質などないのだ。赤字にならないことだけを念頭に置いている。さらに期限を守ること。器は限りなく小さく浅い。
学生を評価して、評価の前に本質を見抜いて、就職先を斡旋する。このひとの見立てなら間違いないだろうと相手も安心する。
「外科医がオペで患部を開いて、疾患を探し当てるように、不利な状況や試合の展開を見事にいい当てていました」と著名な選手が讃嘆している。予測する能力もある。将棋さしのように。
ある程度、負けを含んでの人生だし、負けや失敗が醍醐味という境地にいる自分は勝負師ですらない。勝って得たものなど、ここでまったく書いていない。自分という醜悪な生き物の振る舞いを披露しているだけだ。にきびがあっての顔であり、縫い傷があっての身体だった。
面倒見が良いという評判も得ることができなかった。ひとを何かに紹介する力も有していなかった。コントロールされずに、自分もしないということも重要であった。そして、寝そべりながらひとの小説を読んでいる。「こいつ、一人っ子の小説だよな」とあきれながら中間の子どもであった自分はどう世界を眺めているのか考えている。お節介も迷惑もこだわりも愛撫も慰藉もない世界に生まれたかったなとひとりそのまま横たわる。
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