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リマインドと想起の不一致(35)

2016年06月12日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(35)

 ある日を後悔すること。その日を境に運命が変わってしまう時。

 ぼくとひじりは道ばたでおしゃべりをしていた。ひじりを笑わせ、ひじりのことばや仕草で笑う。無邪気さ。快適さ。そこに分断だけを求めているいたずらの女神が通りかかる。本当はゆかりという名前をもつ実体がある女性だった。ぼくがある日、つい揺れ動いてしまった女性。

「紹介して、彼女なの?」

 ぼくは取り調べを受ける後ろめたい犯罪者のような気持ちになっている。だが、ある程度は、平静さを装い、正直という観点で受け答えしようと思っている。

「ひじりです」ぼくは彼女の胸のあたりを指差す。ひじりは戸惑っているような表情でかすかに頷く。

「最近、付き合ったの?」
「いいえ、もう一年以上になります」

「最近じゃないの」といってしばらくゆかりは無言という断罪を貫き通す。その時の経過の音をぼくは医者の聴診器のようなもので拡大して聞かされているような気がした。「最近じゃないと、時間が合わなくない?」

 ネコがねずみをいたぶって転がすように、飛行機が煙をあげて滑走路をすべるように、逆転ホームランを打たれた好投のピッチャーの愕然さのように言い訳も考えられずに、秘密のほころびを小刻みに破かれていくのだ。

 ひじりはこちらを凝視する。その間に生殺与奪など微塵も有していないようなフリをしたゆかりは「じゃあね、仲良く」と言って歩き去ってしまう。

「どういうこと?」

 ぼくは過去の選択や犯した失敗が唐突に出した答えの打撃を追求という形で身に受けている。

「彼女を紹介してとか、ちょっと前に言ったのかな?」
「どうして?」
「つい、なんとなく」
「それだけ?」
「うん、それだけ」

 ぼくは賄賂の甘い蜜を吸う政治家でもあり、陰で公表できない約束を交わしたドラフト候補でもある。今後、ぼくは彼らを非難できなくなった。良識がぼくにはない。だが、ここでは取り繕うことによって恩恵があるのだから嘘でもなんでもこの場をしのぐことだけに集中する。弁護人は若い過ちの種を内在させるぼくのみだ。

 ぼくらは気まずいまま別れた。最後にキスをする。いつもより情熱的ではない。ぼくに情熱などという高尚なものを希求する資格などない。ぼくは、ゆかりを恨むという態度で帰り道を歩き、不本意な敵を捏造させたことで平衡が保たれた。しかし、その敵にもぼくは魅かれており、決定的に蔑み、憎むこともできなかった。

 何日か時間が立ち、元のさやに納まることだけを望んでいた。亀裂は修復され、関係性もきちんと舗装される。通り過ぎる車はアスファルトのなだらかさによって、あの日の段差に気付かない。ぼくは生まれて初めて、自分がそう大した人物ではなかったことに自分自身で承認のハンコをこころのなかで押させられた。借金の連帯保証人のように。つらいのはぼくであり、そして、ぼくでなく、ひじりだけがつらいという本当の意味合いをつかまされたのだろう。過去は過去だよ、とあっけらかんさを演じたぼくはシャワーを浴びながら、まったく逆の声音でうめくように独り言をつぶやいた。


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