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繁栄の外で(50)

2014年06月20日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(50)

 それで、外回りの仕事を見つけた。都内のオフィスがある場所を駆けずり回っている。いまでも、どこでも迷わずに歩き回れるのは、このときの記憶のおかげだ。見ず知らずの男性や女性と話すことを不安に感じもしたが、習うより慣れろという言葉がある通り、やってしまえば意外と簡単にできることを知る。

 東京都の地図を平面に並べると、仕事を抜きにしても、東京の真ん中より右側が好きだった。文京区や台東区あたりの気取らない感じにも、いつも好印象をもつ。

 同年代の男性が多かったので、仕事がはやく片付いたときには集まって時間をつぶしたりした。みんな個性的なひとが多く、それぞれが人間としての魅力があった。なかには女性もいて、いっしょの方面のときは仕事の前にお茶を飲んだりした。気さくで気取らないということに、いちばん重点をおいて考えていたのだと思う。そういう自分も作為的なことが嫌いだった。

 ひとりの女性は、ある日から目と目が合うこともなく、挨拶もままならない状況だったが、会社を離れるとメールが送られてきたりした。一体、どういう気持ちなんだろう、と考えてまた翌日を迎える。こちらから話しかけようとすると、また素っ気ない態度である。そして、また電車内などでメールを目にする。女性って不思議な生きものだなと、免疫が壊れ始めている自分は考えた。

 東京の中をローラー的に網羅すると、少し離れた大都市にも足を向けた。オフィスがたくさんあれば、どこにでも行く予定であった。幕張にも行ったり、みなとみらいや横浜にも行った。新横浜もすみずみまで歩き回った。自分の地元は、昔からの曲がりくねった道路があったが、このように整備された区画をあるくことの爽快感と、無機質さの両方を同時に感じる。迷うこともないが、都市としての魅力もいくらか減少してしまうのだろう。夕暮れ時に曲がりくねった路地をあるくことの楽しさとワクワク感というものが、自分の中にはきっちりとあった。

 営業を長年おこなってきたひとたちといっしょにオフィスを訪問した。そこで、実践的になにかのきっかけをつかむ。彼らの、会社内へ足を踏み込む様子を観察する。彼らは、部外者が来たという態度を見せなかった。いかにも、忘れ物を取りに戻ったかのようなそぶりでそこに入った。そして、あまりにもナチュラルな表情で応対するひとびとに接した。もっとプロから見たら、違うのかもしれないが、ぼく自体にはとても参考になった。ひとは、それぞれ初対面のひとに好印象をもってもらう必要があるのだ。次第にそのひとの良さが分かってくるということも、とても大事だが、そのような過程を省くことも大切であることは間違いないだろう。

 また、それらの営業のひと同士で、ロールプレイングもおこなった。目の前で、会話や挨拶を見せあい、採点し合ったし、チェックしあった。参考になるというより、恥ずかしさの気持ちを消滅させることが第一の主題であったかもしれない。しかし、ひとがひとであることの価値は、些細な「はにかみ」の分量の差異であるのかもしれない。

 スーツとネクタイのバランスも考え、無駄なしわが寄っていないか、との普通の外見へのこだわりも考え出す。段々と自分が薄っぺらな人間になっていくような思いもあるが、その経過も楽しんでいた。

 幕張にいたときだ。思ったより仕事がはかどり、電話をかけあって夕方に同僚たちと待ち合わせをした。会社には戻らないという電話をかけ、安い料理店にはいった。そこで、お得なサイズのワインのデキャンタを何回もおかわりし、みんなでさわいでかなりの具合で酔っ払った。

 それぞれの人間に過去があり、話せる楽しい経験の2、3を披露しあい、これからの夢を語り合った。そう考えると楽しい仲間たちだったな、と思い出すこと自体に魅力が芽生える。

 もうそこを辞めて、日にちが経っていたときだが、そのうちのひとりから電話がかかってきた。久し振りの電話というものが、いつの頃からか幸運を運んでこないものに変わる年齢がある。ぼくも、そのボーダーラインを越えてしまったのだろう。それぞれが知っているあるひとの名前を出し、「・・・さんが亡くなった」ということを告げられた。

 そのひとは、かなりぼくらより高齢であったが、独身で一人暮らしの部屋で亡くなっていることが発見されたとのことだった。ぼくに電話をくれた相手も参考までにということで警察から事情を訊かれたとのことだ。ぼくらは、ある土曜に久し振りに会った。数人の見慣れた顔もあった。いきさつを丁寧にもう一度きき、互いのいまの会話になり、それで話は尽きてしまうので、その後、みんなでたまに会ったので飲みにでも行こうかという行きがかり上、当然の帰結になった。ぼくは、そのころなかなか忙しく、その誘いをいとも簡単に断ってしまった。いまから考えると、それぞれにしんみりとした気持ちもあり、心細げな気持ちもただよっていた。自分の忙しさを理由に断ることなど、ルール違反のような気もしたが、それも仕方がないことだったのだろう。

 いつしか、互いに電話番号がかわったりして、連絡先をしらなくなるのが常である。こうして過去の一部が、ひび割れ、そこから剥がれて行き、その欠けらは風に飛ばされ、いつしか消えてなくなってしまう。

 しかし、同世代の仲間というものはかけがえのない存在であるのだが、気付いたときには連絡先すら知らないことになっている。

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