ケンのブログ

日々の雑感や日記

秋桜 コスモス

2020年09月25日 | 音楽
スーパーマーケットの花売り場にコスモスがあった。

思い出すのが山口百恵さんの「秋桜 コスモス」という歌。

さだまさしさんが、山口百恵さんに提供した曲。

当時、百恵さんは宇崎竜童さんが作曲する突っ張り路線の曲で売っていたからなぜ、そのようなときにさだまさしの曲をという話もあったらしい。

その宇崎竜童さん。あるインタビューで山口百恵さんのことを野球のイチロー選手のような人と語っておられる。

なぜなら、宇崎竜童さんがどんな球を百恵さんに投げても、イチローがどんな球でも打ち返すように見事に打ち返してくれるからと。

本当にそのとおりだと思う。都倉俊一の創ったアイドル路線の曲も見事に歌っていたし、宇崎竜童さんの突っ張り路線の曲も、ロマンチック路線の曲もみんな百恵さん流に見事に歌っておられた。

そんな百恵さんに対する尊敬の気持ちを込めてか宇崎竜童さんは百恵さんのことを決して人前で呼び捨てにしない。自分が楽曲提供した年下のアイドルを呼びすてにする人が少なくない中で、必ず宇崎竜童さんは百恵さんと、さんづけで呼ばれる。「これから僕が歌うイミテーションゴールドという歌は山口百恵さんが18歳のときに僕が提供した曲です」という具合に、、、。そんな宇崎竜童さんが男らしくて僕は好き。

そして、もちろんさだまさしさんの、コスモスを歌う百恵さんも最高に素晴らしい。

さだまさしさんの投げる球も百恵さんは見事に打ち返しておられる。イチロー選手のように。

さだまさしさんの代表的なヒットソングといえば関白宣言。

ユーチューブに紅白歌合戦でさだまさしさんが関白宣言を歌う映像が出ている。

当時は会場のみんなが今以上に真剣に歌を聴いていたなとその映像を見て思う。

ゲストで会場にいらした広島カープの古葉監督もさだまさしさんの歌を真剣に聴いておられる。

ステージの上で一番熱心に手拍子を打っておられるのが菅原洋一さん。

そして、他の人とはもう違う次元の真剣なまなざしで、さだまさしさんの歌を聴いているのが山口百恵さん。

そのことが百恵さんの表情からありありと伝わってくる。

やはり、その時代のトップスターだった人は違うなと思う。



冬に向かってインフルエンザの季節

2020年09月23日 | 日記
僕が定期購読している全国紙の社説にこれから冬にかけてインフルエンザの流行に関する懸念が書かれている。

それによればインフルエンザは一般に冬に流行することが多い。

そしてコロナの感染が確認された人は全国で10万人に満たないのに対してインフルエンザの患者は例年1000万人規模になるという。

社説ではコロナに関しては感染、そしてインフルエンザに関しては患者という言葉が使われていて微妙に用語の使い方が曖昧になっている。

全国紙の社説が不注意で用語の使い方を曖昧にすることはちょっと考えにくいのでなんらかの理由があってコロナは感染が確認された人、インフルエンザは患者というように言葉を使い分けているものと思われる。

しかし、あえて、そこまで深く考えないで社説を読んでコロナの感染者数が10万人に満たないのに対して、インフルエンザの感染者は1000万人規模になると考えると、インフルエンザに感染する人はコロナに感染する人の100倍程度も多いと考えることができる。

逆に言えばインフルエンザの1%くらいしか患者が出ないコロナがこれほど大問題になり、インフルエンザはそんなに全社会的に自粛とかならないのも、人間の意識の不合理さを表しているように思えなくもない。

そのあたりをどなたか専門家の人がコロナもそんなに不合理に恐れる必要はないと、合理性を以て私達が理解できるように説明してくだされば社会不安もかなり減ると思うのだけれど、そういう合理的説明ができないところがいわゆる伝染病の怖いところなのだと思う。

社説を読んでいて僕が怖いなと思ったのは発熱などの症状や感染の仕方がコロナとインフルエンザでは類似点が多いということ。

今でもいろんなところで検温されたり、マスクの着用を求められたり、体調が悪ければ来ないほしいと言われたりしているのに、これにコロナと区別のつきにくいインフルエンザが流行し始めたら、みんなの意識はどうなるのだろうということ。

インフルエンザにかかったのにコロナと間違えられて差別とまではいかなくても肩身の狭い思いをすることを強いられたり、そんなふうにならないことを僕としてはひたすら願いたい。

経済の方にもこのコロナは当然、多大な影響を及ぼしていて、今日の新聞には新型コロナにより全国の希望退職の募集は1万人超えになるという。

しかも、これはまだ序章の段階で本当に雇用が悪化するのはむしろこれからだというエコノミストの指摘もあるという。

僕もなんとなくそんな気がする。

こんな年に就職を決めなければならない学生の方などは本当に大変だと思う。

どうか、なんとか無事に乗り切っていけるようにと祈っている



秋の便り

2020年09月22日 | 日記
新聞を見ると21日に富士山で初冠雪があったと出ている。昨年より約一ヶ月早い冠雪という。
それぞれの場所に応じて刻々秋が深まって行くなと思う。

関西でも確かに日中蒸し暑いと思うこともあるけれど、もうこれからはだんだん服を重ねてきていく季節になっていくんだなというのはそれこそ肌で感じる。

街を歩いているともうことさらソーシャルディスタンスを気にして歩いている人は少ないように思う。

お店のレジの前にはソーシャルディスタンスを示すシールが貼ってある場合が多いからみんな意識するけれど。

先日京都市交響楽団の定期演奏会に行ったとき、客席の方は相変わらずソーシャルディスタンスをキープする座席配置になっていたけれど、ステージの方はもうフルオーケストラになっていた。

最初にスメタナの売られた花嫁序曲が演奏され、冒頭付近の譜割りの細かい音を弦楽器がきれいに演奏していくさまを聴いて、なんかちょっと夢心地というか久しぶりにフルオーケストラの音を聴く感慨に浸れた。

ヤナーチェクのシンフォニエッタを生演奏で初めて聴いた。ステージ後方の席に管楽器を配してファンファーレが奏でられ初めてこの曲を聴く感慨に浸った。

この曲は村上春樹さんの小説にちなんでジョージセルが指揮したバージョンがいっとき有名になって、僕もそれを買ったらなんか僕にとってはその演奏がしっくり来なくて、もいうち度CDショップに行ったら村上春樹さんの小説とは特に関係なくラファエルクーベリックの演奏が1000円前後の廉価で売っていてこれを買ってきて聴いたらしっくりきた記憶がある。

やはりクーベリックさんって僕にとってはすごい指揮者だなと思う。

もちろん京都市交響楽団の演奏も良かった。

20分の休憩を挟んで最後はドボルザークの交響曲、新世界からが演奏された。

演奏の前にクラリネットの奏者の方がステージに出てきて練習という感じでこの曲のクラリネットの主だった旋律を一通りさらってくださった。

ご本人はきっと演奏前のさいごの確認かなんかのつもりでやっておられるのだろうけれど、聞き手の側にとっては、そうかあの旋律はクラリネットのパートなんやという発見があってわりとありがたい。

演奏はなんというかスタンダードな感じの演奏だったように思う。
テンポがそれほど速いわけでなく、それゆえ、もう少し弦の音が重厚であればを思うこともあったけれど、まあいい演奏だった。

指揮はすべて広上淳一さんがされた。

本当に久しぶりにフルオーケストラを聞けて良かった。

これからは、クラシックのコンサートのように観客が声を出さないものに関しては客席のソーシャルディスタンスのキープも緩和されていくと言うことが新聞に出ていた。

それはありがたいことだと思うけれど、やはりまだマスク着用とか今までに比べるとちょっとコンサートに行くのに気分的に神経質になってしまうことは僕の場合否めないように思う。

だんだん気持ち的になれていきたいと思う。

いつまでもソーシャルティスタンスをキープするために座席の振り分け直しということをしていたら、オーケストラの事務員の方も大変だし、人件費がかさんでオーケストラの運営も苦しくなるだろうし、それは規制が緩和されればそれに越したことはないと思うのだけれど。

他方でカナダのケベックではコロナのためにまた、様々な催しの人数制限が復活すると新聞に出ていた。

本当に今度のコロナは世界的流行なので日本だけ規制が緩和したと喜んでいても外国からまたどんな影響が出てくるかわからないので先が見通しにくいなと思う。

だんだん良くなっていくことを祈りながら気をつけて辛抱していきたいと思う。

敬老の日

2020年09月22日 | 日記
今日は敬老の日ということだけれど、どんな催しが行われたのだろう。
新聞によれば65歳以上の人が日本の総人口に占める割合は過去最高の28.7%と出ている。女性に限れば31.6%が65歳以上、70歳以上の25.1%にのぼると出ている。

それは年金などで若い人にかかる負担が大きくなると言われるはずだと思う。

また、これほど人口にしめる高齢者の割合が大きくなると高齢者は敬老と言っていかに若者に敬ってもらうかよりも、自分自身が例えば仕事を退職したあとにいかに生きるかということも本当に真剣に考えなければならない時代になっているのだと思う。

何日か前に新聞を読んでいたら大学入試センター試験が今年からなくなるけれど、新しいテストも結局記述式はいろんな問題点があって実施が困難で、新テストも結局は従来のセンター試験とそんなに変わらないというような記事が出ていた。

まあ、そうなることはなんとなく予想がついたことのような気がするけれど。

教育改革というと新聞で決まって出てくる言葉は詰め込み教育からの脱却という言葉だ。

本当にこの言葉がよく出てくる。

それを見るたびに僕は詰め込み教育と言うけれど、逆に頭に何も詰まってない人が案外おおすぎるのではないかとおもってしまうことがある。

まあ、僕の頭もかなり空っぽではあるけれど、、、。

しかし、頭にある程度体系的な知識があればそれほどあたふたしたりしなくてすむところをそれがないばかりに、あたふたしたり、どうしたらいいかわからずに不安になってしまう場合も多いように感じる。

個々の知識で個々の場合に対応するという方法よりも、体系的な知識をもって個々の場合に対応したほうが、判断がよりゆるぎないものであったり、効率がよかったりする場合が多いように感じる。

一般的に年齢が上がると感性なども鈍くなるように思う。その他、鈍くなることがいろいろあるような気がする。

老後になったときのためにも学ぶべきことは学んでおいて損はないように思う。


彼岸の入

2020年09月19日 | 日記
今日は連休の初日でもあり彼岸の入でもあり、やはり人通りが多いように思う。

もう外を歩いていて密に注意してというような気配でいる人はそれほどいないように思える。

もちろんマスクをしている人の比率は相変わらずとても高いけれど。

新聞に青森県の弘前城がライトアップされた写真が出ている。弘前城を中心とした公園の中の桜は新聞写真で見ると紅葉になっている。

東北の秋は早いなと思う。

新聞の記事には今、桜の葉は緑から紅へのグラデーションになっていると書いてある。

関西でそのような感じになるのは立冬も近くなった時期だと思う。

やはり東北の秋は早いなと思う。

オフコースの小田和正さんの名曲に「さよなら」という歌がある。

その歌詞にこんな一節がある。

“”さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬“”

この歌の作曲年代を僕は詳しく調べたことがないけれど

もうすぐ外は白い冬って、小田和正さんが東北大学に通っておられたことを念頭に聴くと僕の場合よりいっそう感情移入して聴けるような気がする。

いい歌だなと思う。

小田和正さんの歌で僕が知っている範囲ではこの歌が一番好き。

新聞の国際欄を見ると英国でコロナで病院にかかる人の数が倍々ゲームのようにこのところどんどん増えていっていると出ている。

来月に入って二度目のロックダウンはあるのかと日本で言う厚生労働大臣にあたるような英国の政府高官が質問を受けて、それは最後の手段と答え明言を避けている。

もうコロナが増えても容易にロックダウンはできない。

ロックダウンをすればコロナで倒れる人の数よりも経済が立ち行かなくなって倒れる人の数のほうが多くなるという読みなのだろうと思う。

英国に限らずどこの国でも、国が主導してロックダウン、自粛という政策をとると経済がボロボロになってしまう。

それは世界の共通の認識と言ってもいいのだと思う。

であるならば、なおさら国から言われなくてもせめて手洗いとか咳エチケットとか、そういうことくらいは自分で気をつけていきたいなと思う。

なんとなく国民が自粛に我慢できなくなって、平気で飲み歩いたり、そういうことをするようになった国からコロナにやられていくような気がする。

なるようになると気を持ちつつも、やはり各自で気をつけるべきとことは気をつける。

そのようにしていきたいと思う。