ケンのブログ

日々の雑感や日記

幸せは心から

2020年09月29日 | 日記
新聞に、社外オフィスを整備した会社には減税を政府が検討しているという記事が出ている。

コロナ対策で拡大しているテレワークを推進するための施策であると書いてある。

経済を立て直すためにいろんな政策が求められているのだと思う。


これらの記事を見ていると、それはいいことだと思う気持ちよりも、コロナということでなんとかしなければという意識で政策を決めて、例えば社外オフィスが増えたのはいいけれど、いざ、コロナが収束したときにそういうオフィスが、いわば不良債権のように会社や社会の重みになったりしないだろうかというなんとも言えない不安も心の中にある。

コロナでネットを使った映像授業の配信、などの仕事もやり方によっては例えば10分間の授業の映像を作るのに、その何倍もの時間がかかり、教師の仕事が過度に重いものになり悲鳴を上げる人もいるというようなことが新聞に書いてあった。

ネットを見ると、凝った映像を作らなくても生の授業をそのまま配信するようにすれば、教師の負担を少なくできるという意見もあった。

しかし、ただ、授業をそのまま撮影するだけの映像は、見ていてわかりにくい間に合わせの映像になってしまう可能性も高いように思う。

僕が予備校に勤めていたろ、最後の方は予備校の経営がだんだん悪くなってきて、もうこうなったら映像授業もありだ、ということになって、長年蓄積したノウハウもないのに、ハンディカメラなどで撮影した授業を校舎で生徒に見てもらったりする案が出て、実際に、そういうのが得意な社員が、ハンディカメラなどで講師の授業を撮影していたけれど、もう見ていると何がなんだかわからないようなアナーキーな状態に会社がなっていた感じだった。

今回のコロナによる映像授業の推進もそんなことにならないように願いたいのだけれど。

映像授業を中心とした勉強は、集中力があまり出ないと、僕自身の長年の経験から思うことがある。

うまく作成された映像は見ていると、その場ではわかったような気になるけれど、実際にそれを自分のものとして定着させるには、結局、昔ながらの、紙の上でものを読んで、そして書くという作業がとても大切だと思う。

話は変わって、自殺で命を絶たれたと見られる女優の竹内結子さんのことに関連して、一般論として専門家の意見がタブロイド紙に載っていた。

それによれば
芸能界で売れればファンや関係者が増えるけれど、同時によく知らない人が身の回りに増えて、プライベートな間柄の人物とは距離が生まれてしまう。物理的に人に囲まれていても内心は孤独を抱えている可能性がある。

とのことだった。

言われてみればそういうことは大いにあり得ると思った。

竹内さんも再婚して、高級な住宅で新しい夫とラブラブで幸せの絶頂とか、何ヶ月前かの週刊誌に書いてあったけれど、そう書いている記者自身が、本当に幸せの絶頂と思って書いているかどうかは疑わしいような気がする。

そんなふうに書いたほうが、雑誌が売れるからそう書いていると思われるような側面もあるように感じる。

ちやほやしてくれる人が、心の隙間を埋めてくれるということはないように僕には感じられる。

逆に、そのちやほやに応えるようとする気持ちが心の重みになってしまうこともあるし、、、。

考えてみれば中学生の子供を連れて年下の男と結婚して、新しい子供が生まれたばかりというのは、それだけでもいろんな気遣いがありハードな人生と思えなくもない。

高級な住宅に住んでいたら、家賃の心配も心にのしかかることがあるかもしれないし。

有名人は最近のSNSの普及などで誹謗、中傷を受ける可能性も一般人に比べればはるかに高いという指摘もタブロイド紙の中でなされていた。

言われてみればそれも、そうだなと思う。

僕もこの歳になっても、社会的な知名度を得ている人のことをうらやんでしまうような気持ちが出てくることもあるけれど、結局、幸せというのは自分の心の内面にあるものだということを意識して過ごしていきたいと改めて思う。

チャップリンが映画独裁者の最後の演説の中で、神は、心の中にあるものだという聖書の一節を引用していたことを僕は時々思い出すけれど、幸せも、結局は心の中にあるものだとうことを意識するように心がけたいと思う。