ケンのブログ

日々の雑感や日記

関西からそごうの看板消える

2020年09月01日 | 日記
今日の僕が読んでいる新聞に百貨店そごう西神店が閉店しこれで関西からそごうと名のつく百貨店はすべて姿を消したと出ている。

いやあ、寂しいなと思う。

僕は父が船員だったから神戸に船が停泊すると母につれられて、神戸の本山にある船員寮に行っていた。

神戸三ノ宮のそごうは、三宮の駅を降りて神戸の港に真っ直ぐに南下していくフラワーロードという道路の起点にあった。

最近、神戸はあまり行っていないので気づかなかったけれどその三宮そごうも昨年姿を消したと新聞には出ている。

子供の頃、神戸に行って三宮に出るとそごうに行ってデパ地下で有馬名物、炭酸せんべいを母に買ってもらうのがいつもとても楽しみだった。

神戸なのでゴーフルも買ってもらったけれど、なぜか炭酸せんべいのほうが神戸そごうとの記憶と深く結びついている。

人間の記憶って不思議なものだなと思う。

多分、三宮のそごうで炭酸せんべいを買ってもらって、本山の寮でそれを缶からつまんでぽりぽり食べるのが楽しみだったのだと思う。

ゴーフルはその炭酸せんべいに比べるともうちょっとハイカラなお菓子というイメージだったから。

父が会社の神戸の事務所に勤めていた時期があって(船乗りはこういう陸上勤務のことを丘勤めという=船乗りは陸上のことを丘と呼ぶから陸上勤務は丘勤めということになる)父と同じ事務所でその当時働いていた父の会社の後輩の方にそごうのおもちゃ売り場に連れて行ってもらって、プラカラーというプラモデルに塗るための塗料を買ってもらったことがある。

あのときはプラモデルに色を塗るほど凝って作っている友達が僕にいて、その友達の話をその父の会社の後輩の方にしたら、それならおじさんがケンちゃんにプラカラーを買ってやるからケンちゃんも頑張って色を塗ってプラモデルを作れという話の流れで買ってもらったと記憶している。


あのときもなんか嬉しかったなと思う。

ただ、僕は子供の頃から、手先が不器用なのでプラカラーを買ってもらったのはいいけれどなかなかうまく使えなかったなと思う。

僕がプラカラーで色を塗るといつも枠から色がはみ出してしまって、なんだかムラのあるみっともない仕上がりになっていた。

プラモデル作りが得意な友達との差は歴然としていたなと思う。

阪神大震災のときまだ鉄道が完全に復旧する前に大阪港から神戸港の第三突堤まで運行していた船に乗って神戸に行ったことがある。

第三突堤をまっすぐに北上するとそこが神戸そごうだから、もちろん神戸そごうがどうなっているかは確かめた。

ボロボロに傾いて見るも無残な姿になっていた。

あのときのなんとも言えない気持ちも忘れられないなと思う。

三宮一帯の建物でまともに残っているものはほとんどないなというような有様だった。

神戸から大阪への帰りも、神戸港の第三突堤から、大阪港まで船で戻ってきた。

そのとき僕はCDウォークマンでビル・エヴァンストリオのワルツフォーデビーというアルバムを聴きながら大阪港まで帰ってきたのだけれど、なぜかワルツフォーデビーを聴きながら途中で眠ってしまった。

その話を会社の当時ジャスにハマっていた人にしたら「ワルツフォーデビーはそういう音楽なんですよ」とその人は言っていた。

そういえばそんな音楽かなと僕も思ったりした。

でも、そういうときに聴いていた音楽って妙に覚えているもんだなと思う。

映画のシーンと映画音楽が記憶の中で結びつくように、、、。

新聞には大型商業施設との競争が激化して採算が取れなくなったと書いてある。

まあ、確かに僕も今は百貨店なんてトイレに行って水を流すだけで、ほとんど買い物しないなと思う。

大学生のころは冬は下宿のトイレでケツをまくると寒いので百貨店のトイレをわざわざ使っていた時期もあったことを思い出す。

そごうではないけれど西武百貨店のトイレは暖かかったなと思い出す。

その西武沿線のテーマパークとしまえんも100年近い歴史に幕を下ろすと出ていた。

これも娯楽の多様化により入場者が激減し採算が取れなくなったと出ていた。

時代が変わっていくなと思う。