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ケンのブログ

日々の雑感や日記

クリスマス 十二月の雨

2021年12月25日 | 日記歌入り
街に出て駅を降りると、つい先日まで年末の宝くじを売っていた場所がフラワーショップにかわっている。

どうやって変えたのだろう。わからないけれど、とにかく、変わっている。

ショップの周りに冬なのにミニスカートの女の子がいっぱい立っている。

ミニスカートが流行りなのか、それはわからないけれど。

JRの駅のコンコース。

僕の傍らを歩いていた女の子が急に笑顔になる。

なんで、急に笑顔になるの?と僕が思った瞬間に女の子は小走りになった。
なんで、小走りになるの?と僕が思った瞬間に、女の子は背の高い男の子に軽く体当たりした。

男の子は「おぅ」と言った。

ああ、待ち合わせだったのね とやっと理解した僕。

そういえばクリスマスで土曜日かと思う。

もう、クリスマスに待ち合わせとか関係ない年齢になってしまうとクリスマスの曜日などろくに意識してない自分がいることに気づく。

それで 意識して歩くと確かにいつもの週末よりもカップルが多いように見える。

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カレーショップへ。

天かすを仲居さんがおいてくださる。

その天かすに「天かすガーリック」と張り紙がしてある。

「この天かすガーリックも入ってるんですか?」と仲居さんに問うと「そうです」とのお答え。 そうか、ただの天かすではないガーリック入りかとなんとなく満足。

隣に年配のご夫婦がいらっしゃった。

「ごはん大盛にしてほしいんやけど」とご主人。

「大盛は、無料大盛の食券を押してください」と仲居さん。
「押したけど出ないんや」とご主人。
「赤いランプがついているときに食券は出ます」と仲居さん。

そうなのです、このカレーショップの無料大盛の食券 赤いランプがついているときに押さないと出ない。

お金を入れて普通盛りの食券を買う。

そして無料大盛券が発券できる状態になるまでしばらく時間がかかる。しばらくって、たぶん10秒くらいだと思う。
(きっとその間に機械が紙とインクの準備をするのだと思う)

そして赤いランプが点灯したタイミングで無料大盛の食券のボタンを押す。

すると無料大盛券が出る。

後ろに人が立っていると10秒待てなくてすぐ無料大盛券を押してしまうから食券が出ない。

こんなしくみ、年配のご主人にはすぐに理解できないだろうなと僕は思う。

「赤いランプ?」とご主人。話が理解できていないことがイントネーションでなんとなくわかる。

「そう、赤いランプです」と仲居さんが繰り返す。

「いいです。私のごはん半分あげるから」と、ご主人の奥さん。

さすが、奥さん。ご主人と仲居さんが気まずい雰囲気になるのを未然に防いだ。

こういう機転の利かせ方は男にはまず無理だ。

仮に頭で思いついても、男はすっとそれが口に出てこない。

やっぱりこういう時は奥さんですね。

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松任谷由実さんの「十二月の雨」をカラオケDAMの音源で歌ったものをアップします。

“”今にもあなたが白い息を吐き
通りを渡ってこの部屋に来る気がして、、、。

今でも後ろをふと振り返れば
あなたが笑って立ってる気がして、、、。

時はいつの日にも親切な友達
過ぎていく昨日を物語にかえる“”

歌詞の流れを見るときっと失恋の歌だと思うのですが
曲調は明るくて楽しいです。

要するに、過ぎていった昨日が心の中で
よい物語になっているからだと思います。

あなたが通りを渡ってやってくる心象風景。
あなたが笑ってうしろに立っている心象風景。

いいですね。


ふと思ったこと

2021年12月24日 | 日記
ふと思ったこと

先日、何年かぶりにレンタルCDの会員になった。

その時、店の人が、万一不良品を貸し出したときは、在庫があれば同じものをお貸ししますし、在庫がない場合には支払われた金額をお返しすることでご了承ください というような感じの説明をされた。

その時は、はいはい、大丈夫です、そんな不良品に対してきついクレームつけませんから。と心の中で思いながら話を聞いていた。

そのときはそう思っていたけれど、今日、そのCDを聴いていてふと昔のことを思い出した。

学生の頃レンタルビデオを借りた。

家で再生すると、いきなりビデオが再生装置に巻き付いてしまった。

普通に考えると、ビデオのテープが経年劣化していて、ねじれたりしていたために機械にまきついたと思われる。

ところがレンタルビデオの店に行ってビデオが機械にからまったことを話したらレンタルビデオのおじさんは「それは弁償してもらわなあきまへんな」と言った。

僕は、「家に帰ってビデオを機械に入れたら巻き付いたので、別にビデオを水没させたとかの過失がないので弁償はちょっと」 と言った。

するとレンタルビデオのおじさんは「それなら過失がないことを考慮して、このビデオ定価9000円ですが5000円だけ弁償してもらえばでいいです」と言った。

僕、そのとき法律相談にいこうかと思ったけれど、学生だし、法律相談の相場も知らなかったので、もう、わけのわからない大人とけんかしてるより と思って5000円払った。

今なら、間違いなく 法テラスというか その前に消費者ホットラインに電話すると思う。

でも、当時のことを知る人ならこんなこと昭和の時代には珍しくなかったとわかっていただけると思う。

最初から傷がついているLPだったのに弁償しろと言われたりとか。

今はレンタルの会社も、不良品を貸し出した場合の保険にも手厚く入っているのかもしれない。

しかし、それにしても、昭和の時代と今では、売る人や貸す人と消費者の力関係が完全に逆転したなと思う。

昔は、どちらかというと消費者のほうが売ったり貸したりする人を怖がっていたけれど、今は売ったり貸したりする方が、消費者からクレームにならないかとびくびくしているような感じだ。

消費者にへたな対応するとネットの口コミにボロカス書かれるし、、、。

本当に 時代は変わったなと思う。





クリスマスイブ

2021年12月24日 | 日記歌入り
お店に並んでいる商品を見るともうお正月を待つモードかなと思います。

クリスマスイブと言いますが、やはり雰囲気はどちらかというとお正月かとおもいました、、、。

だいたい、毎年、こんな感じだと思います。

立冬が過ぎたころからクリスマスソングが流れ始め、お店もクリスマスの装飾、一番盛り上がるのは大体12月10日くらいなのではと個人的には思っています。

クリスマスイブになるともうクリスマスの飾りは片づけてお正月モードにしなければ、というかすでに半分以上そうなっているという感じです。

それは、そうですかね、クリスマスと言えばキリスト教の祭典なのに日本ではキリスト教徒ってあまりいないし。

基本は神道と仏教の国だから、、、。

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神田沙也加さんが亡くなって、松田聖子さんのことも案外気になっています。

めっちゃファンというわけではないですが、聖子さんの歌にはいくつか好きなものがあるし、、、。

僕の祖母が、長男を早くに亡くして、いつも口癖のように「親子で順番が逆になるほど悲しいことはない」と親子の順が逆になる例に遭遇するたびに言ってました。

ましてや、転落による不慮の逝去ということならばなおさらと思います。

それで、昨日と今日、ネットの動画サイトに、神田正輝さんと松田聖子さんが簡単に会見する模様が出ていたので思わず見てしまいました。

昨日見た映像はピンボケで表情が見えなかったけれど、今日の映像はピントがはっきりしていて見えました。

松田聖子さんもさることながら、神田正輝さんの顔がなんだか途方もなく悲しそうで、「今はそっとしておいてほしい」と語る姿も誠実そうで、聖子さん、この人とずっと一緒だったらよかったのに と不必要なことを考えてしまいます。

でも、こういうときに二人そろって出られるのは立派と思います。

一度、別れてしまうと、なかなかできることではないような気がします。

こういう目にあうのも、その人、その人が人生に与えられた課題なのかなとぼんやり考えたりします。

こういう目にあうことは不幸かもしれないけれど、こういう目を機会に、またどう生きていくかで、人生が変わってくるような気がします。

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クリスマスイブと言ってももうお正月を迎えるモードだなと思いつつも、山下達郎さんの「クリスマスイブ」をカラオケDAMの音源で歌ってICレコーダーで録音したものをアップします。

この歌は、よく聴きました。

僕、クリスマスイブを誰かと過ごしたという記憶がありません。

平日なので仕事だったし、、、。

ある、クリスマスイブの日に会社のある人が、終業時刻とほぼ同時に部屋を出ていきました。

机の上の書類もちょっと散らかった感じだったので、みんな、ああ、誰かに会いに行ったんだなと思っていました。

そういうこと、あまり隠し立てしない人だったので、逆に、妙に意外な人気のある人でした。

今までのクリスマスイブで一番記憶に残っているのは、数年前に京都の割と小さなホールで広瀬香美さんのコンサートを聴いたことです。

香美さんの歌って、冬を背景にした歌詞のものが多いので、妙にそのシーズンにマッチしていたように思います。
ただ、クリスマスの季節に、自動車の中とかそのほかいろんな場所で、この曲「クリスマスイブ」が流れていたことは心象風景に残っています。

間奏のところでパッヘルベルのカノンの旋律を口三味線で歌ってみました。

聴いていただければ嬉しいです。


年の瀬に思うこと サンタが街にやってくる

2021年12月23日 | 日記歌入り
お店に並んでいる商品を見るとお正月に関連したものも多くてもう年末だなと思います。

この12月は、いつもの12月よりもロシアの音楽を聴くことが多かったです。

特にチャイコフスキーの交響曲第4番と 第6番、そして くるみ割り人形組曲。

それに、ショスタコーヴィチの交響曲第5番と9番。

僕、CDを聴きながら曲の解説を読むことあまりないです。

でも、たまたま、チャイコフスキーの交響曲第4番の解説を読んでいたら、チャイコフスキーが支援を受けた女性と1200通余りの書簡をかわしたけれど、一度も会うことがなかったということが書いてありました。

チャイコフスキーの音楽は子供のころから聴いていますが、彼の伝記など読んだこともなく、その生涯についてはほとんど何も知らなかったのです。

1200通以上も書簡を交わしても一度もあうことがない って ちょっとというかとても変わったことと思います。

普通はそんなに文通が続かないし、続いていたら会いたくなるし。

不思議なご縁だなと思いました。

芸術家なのでそういうこともあるのだろうと感じています。

それで、チャイコフスキーの結婚とか、そういうことをちょっとネットでパチパチ調べていたら、チャイコフスキーは離婚後の人生のいわば晩年に、名作が集中しているという指摘がありました。

あまり、意識したことないですが、そういわればそうかもと思い当たる節があります。

僕、チャイコフスキーの交響曲で4番から6番までは比較的若い頃から、かなりコンスタントに聴いています。

しかし、1番から3番までは、ほとんど聴いたことがありませんでした。

10年位前に、食わず嫌いではいけないと 交響曲の1番から3番を収めたCDを買いましたが、聴いていると4番から6番に比べてなんとなく物足りない気がして、結局、長年CDの棚に飾ったままになってしまいました。

そんなことを思いめぐらせながら、チャイコフスキーの名作がキャリアの後期に集中しているというのはなるほどそうではないかと思ったのです。

また、そのキャリアの後期は、離婚して、煩わしい交際などもなかったので、集中して作曲できたことが名作を生んだ一因ではないかと僕が見たサイトでは指摘してありました。

そういわれれば、そうかもしれないとそれを読んで思いました。

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今日の新聞に、大阪の中心地のビルに放火して多数の死者を出した容疑者の方が、孤独で仕事もしていなかったということが書かれていました。

孤独で仕事をしていないことが放火の原因とは書かれていませんが、なんとなくその文章を読んでいると、孤独や仕事をしていないことが、あまり、よくなかったような印象を筆者が持っていると思われる節があります。

新聞のコラムを書く人は、バリバリに仕事をしている人なので、そういう印象の文章になってしまうのかなと思いました。

僕も、この数年は割と孤独に生きていて、孤独に対して、いい印象を与えない文章を読むと、あまり気分のいいものではありません。

それで、いい文章を読んで気分直しをしたいとおもいました。

書棚にある「ブッダ真理の言葉 感興の言葉 岩波文庫 中村元訳」を参照するとこのようなことが書かれています。

“”もしも 思慮深く聡明で真面目な生活をしている人を伴侶としてともに歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、心喜び、念(おも)いをおちつけてともに歩め。

しかし、もしも思慮深く聡明で真面目な生活をしている人を伴侶としてともに歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また森の中の象のように、ひとり歩め“”と。

ようするに、思慮深く真面目に生きれば、孤独でもそうでなくてもどちらでもいいとブッダは言っていると思います。

どちらでもいい、というのは ブッダの考えは、執着が苦しみや迷いのもとというのが根底にあるからだと思います。

ブッダの本にそう書いてあるのを確認するとなんだかほっとした気持ちになります。

また、この本の姉妹編である「ブッダの言葉 岩波文庫 中村元訳」には次のように書かれています。

“”仲間の中におれば、休むにも立つにも、行くにも、旅するにも、常に人に呼び掛けられる。他人に従属しない独立自由を目指して、サイの角のようにただ一人歩め。

われらは 実に朋友を得る幸せをほめたたえる。自分よりも勝れ、あるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような、朋友を得ることができなければ、罪とがのない生活を楽しんで、サイの角のようにただ一人歩め“”と。

ここを読むと、ブッダはよき友を得ることを奨励しつつも、無理に友をつくらなくてもいいと言っていることがわかります。

こういう箇所を読むと、心がほっとする気持ちになります。

孤独を過度に恐れず、同時に、人の恩を受けていけるようにと今の僕は願っています。

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この季節にちなんでカラオケDAMで“サンタが街にやってくる”を歌ってICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

歌詞はこんな内容です。

気をつけてね
泣かないようにね
ふくれっ面をしないようにね
どうしてかというとね
サンタが街にやってくるからなんだ

サンタはねリストを作って
それを2回チェックしているんだ
それでだれがいたずらでだれがよい子か
見つけようとしている
サンタが街にやってくる

サンタは君がいつ寝るか見ているよ
サンタは君がいつ起きるか見ているよ
サンタは君がいい子かどうか見ているよ
だからお願いいい子でね

気をつけてね
泣かないようにね
ふくれっ面をしないようにね
どうしてかというとね
サンタが街にやってくるからなんだ

歌詞の内容を短く要約すると、「サンタが街にやってくる
サンタは何もかも見ているからよい子でね」
とそれだけのことです。
でも、それが大切なんですね。

「男はつらいよ」の寅さん得意のセリフ
お天道様は見ているぜ と似ていますね。
遠山の金さんも
「桜吹雪はお見通しだぜ」と言ってましたっけ。
寅さんは司法試験のために法律の勉強をしている青年に
「そうか、お前、法律の勉強してるのか?
遠山の金さんみたいに『これにて一件落着(いっけんらくちゃく)』ってかっこいいな」と言います。
青年は「遠山の金さんって何ですか?」と言います。
寅さんは困惑と驚きの表情を浮かべて
「ええ?お前、法律の勉強してるのに遠山の金さん知らないのか?」と言います。
寅さんはきっと法律の勉強をしているのなら正義 公正を大切にしてほしいと
言いたかったのでないかと想像します。

まあ、それはともかくとして、何かに見守られていると想像したり感じたりすることは大切なことだと思います。
メロディはところどころデフォルメして歌ってますがそこそこ正確なつもりです。
英語の発音はダメなので外人が聴いたら何を歌っているかわからないと思います。
聴いていただければ嬉しいです。






レンタルCDの会員に 赤鼻のトナカイ

2021年12月23日 | 日記歌入り
今日は冬至ですね。

レンタルCDの店に行ったら、中島みゆきさんの「みんな去ってしまった」というCDがありました。

ここ数日、近所にCDショップがないか探していましたがなかなかないようです。

ネットで見てここ感じいいなと思った店は今年の5月に店じまいしていました。

これだけみんながネットで音楽を聴いて、コンビニにもネットで注文したCD受け取り可能と書いてある時代ですからやむを得ないかもしれません。

それで「みんな去ってしまった」を聴きたくてそのレンタルCDの会員になりました。

レンタルCDの会員になるのは何年振りか思い出せないくらい久しぶりです。

このCDというかレコードは僕が中学生の頃によく聴いていたものです。
クラシックのレコードで中学生のころ気に入っていたものは大概CDでも買い換えていますが、みゆきさんのレコードはCDを買っていなかったのです。

僕、ごくたまに、ラジオなどでクラシックの演奏を聴いて、だれの演奏かわかる場合がありますがほとんどの場合それは中学生以前のころから聴いていた演奏です。・

若いころに聴いた音というのはそれだけ心にしみているということだと思います。

みゆきさんのレコードを改めてCDで聴くとあの頃聴いていた音の記憶がよみがえるようですが、何かちょっと違うと思こともあります。

それはCDなのでレコードと違ってノイズがなくてレコード特有のじわっとした音の感覚がないということです。

そういうじわっとした感覚も懐かしくなるくらいよく聴いていたということだと思います。

ああ、懐かしいな。

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この季節にちなんでカラオケDAMの音源で歌ってICレコーダーで簡易に録音した「赤鼻のトナカイ」をアップします。

よく歌われている日本語の「赤鼻のトナカイ」の歌詞はこれです。

真っ赤なお鼻の
トナカイさんは
いつもみんなの
わらいもの

でもその年の
クリスマスの日
サンタのおじさんは
いいました

暗い夜道は
ぴかぴかの
おまえの鼻が
役に立つのさ

いつも泣いてた
トナカイさんは
今宵こそはと
よろこびました

もとの歌詞もこの日本語の歌詞と物語そのものはほぼ同じなのですが、ちょっと自分で訳すのが面倒なので割愛します。

いつも泣いてたトナカイさんは今宵こそとは喜びました

という最後のエンディングは元の歌詞では

これでルドルフも歴史に残るよね 

という感じになります。

ルドルフは赤鼻のトナカイの固有名詞です。

犬にもポンとかポチとか固有名詞があるように赤鼻のトナカイの名前は
ルドルフなのです。

ルドルフ ゼルキン という大ピアニストがいますがトナカイのルドルフさんとはたぶん無関係だと思います。

赤鼻のトナカイ ルドルフはサンタクロースのそりを引っ張ったから歴史に残るよね というのが元の歌詞のエンディングです。

まあ、確かに、歴史に残っていますよね。

架空のトナカイでも歴史に残るぜと歌うところに夢があると思います。

メロディはデフォルメして歌っていますがそこそこ正確なつもりです。

発音はダメなので外人が聴いたら、何を歌っているかわからないと思います。

聴いていただければ嬉しいです。