
毎日新聞のきむ・ふなさんの連載によると、キム・ヨンスは<疎通>の作家だそう。
韓国語の소통は日本語の「意思疎通」以上に、相手に対する理解や理解しようとする態度を含めて表している感じがします。現代文学で扱われることの多いキーワードです。
付け足すとしたら<疎通>が、できないゆえに<疎通>を求めるのがキム・ヨンスの小説です。
心を通わせていたあの人はもういない、とか、
でも本当に分かり合っていたんだろうか、とか
一番わかりあいたい人とは分かり合えない、とか
あの人と分かり合えなかった気持ちをもしかしてあなたならわかってくれますか、とか。
<疎通>にくじけた話から、一層登場人物たちが<疎通>したがっていることを感じます。
そういうところに惹かれるのかもしれません。私も<疎通>に飢えているのでしょう。
キム・ヨンスの両親は大阪生まれで、その後韓国に帰っていますが、日本にも親戚がいるそうです。ちょっと離れて外から韓国を見ているような独特な視点が魅力です。
<疎通>がうまく行かない、という設定のため、非韓国人が登場するのもキム・ヨンスの特徴です。
この短編集では語り手である 나=私が、朝鮮戦争に出兵した人民支援軍(=中国軍)の中国人だったり、ロンドンで韓国女性と同棲する日本人留学生だったり、人探しのために太平洋を渡って韓国に来たアメリカ人だったりします。中国人は漢詩をたしなみ、アメリカ人はソネットを歌い、日本人は俳句を思い出す場面があり、それを全部知っているキム・ヨンスの頭の良さというか、センスの良さに関心します。
私は日本語を教えて韓国語を勉強して、それはとても楽しいことだけど、外国語を話して生きていくのは寂しいことじゃないかな、というのがあってキム・ヨンスのちょっと寂しい心細い感じがツボなのです。
[나는 유령작가입니다] は本だけのタイトルで、同じ名前の短編はないんです。「一人称の「私」の目で眺める世界」が短編集を通じてのコンセプト。作家の言葉には「一人称の「私」は全く嘘つきなので、天国にいけないだろう。」と書いてあります。
「若手で登壇し、多くの作品を書き、メディアに顔出しも結構好き」というあたりが私の中では島田雅彦に似ているな~と思って。
ので、短編集のタイトル、[나는 유령작가입니다]は「僕は模造人間」にちなんで
「僕は幽霊作家」という訳でいかがでしょう?
ボキャブラリーも豊かで、ぐるぐるとひねくれた重文・複文を多用するので慣れてもすごく時間がかかります。短編でも1段落ずつ読み返さないと先に進めません。
正直、途中で止まった長編もあるのよね~。
でも、今私が一番好きな作家なので、ぜひいつか読んでみてください。
かく言う私もまだ読みかけ。
図書館に延長の電話をしないと。