九十九里浜
( この文章は2015年8月16日 NO59 に
掲載したものですが 今回
「海辺の宿」掲載にあたり
その前景として 改めて掲載します )
八月 真夏の太陽は白昼の空気の炎
陽炎を立ち昇らせ
砂浜の砂は その揺らめきの中で
白く輝いた
防砂林の松林の中の道を抜け
渚へ降りてゆく子供らは
広大な砂浜の砂 熱砂で
足裏を焼かれ 跳びはね歩いた
一月 真冬の寒風に吹き寄せられ
白い砂は蛇のように動いて
その居場所を変えた
砂浜には 砂上に這いつくばる雑草の間に
幾つもの風紋が表れ
無数の小さな砂丘が形造られた
九十九里浜 果てしなく広がる海
白く砕けては また生まれる波の繰り返し
その響き
渚を辿る足元には
寄せては引いてゆく潮の小さな動き
見渡す限り さえぎるものの
なに一つない視界の中に 砂浜は
千鳥の群れを遊ばせ やがて 遠く
陽炎の中に かすんで見えなくなり
時おり 姿を見せる小さな川は
川とも言えない 浅い流れをつくって
透明な水に
無数の小魚たちを泳がせながら
海に溶け込んでいた
昭和二十年代 千葉県匝瑳郡白浜村
過ぎ去った日々の記憶に蘇る風景
帰り来ぬ時への郷愁
村は幾度かの町村合併政策で
その名が消えた
白い広大な砂浜は 波に侵食されて
小さくやせ細り 芥を散乱させ
かつては訪れる人の姿もまれだった砂浜に
昔日の面影はない
過ぎ行く時が
永遠の何一つない事を認識させながら
わたし自身も老いた
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海辺の宿(1)
これはすでに失われた時となった昔日の
まだ、九十九里浜の砂浜が限りなく美しかった頃に
背景をかりた物語です
「なぜ いらっしゃったの ?」
「迎えに来たんだ」
「よく、ここが分かったのね」
女は窓辺のソファーに掛け、編み物の針を動かし続けていた。顔も上げなかった。
「聞いたんだ」
男は二階の窓に向き合い、丈の低い松の防砂林越しに見える海を見詰めたままで言った。
「そう、誰に聞いたの ?」
「八木厚子に聞いた」
「・・・あの人には電話をしたから」
編み物を眼の高さまで上げて見詰めながら、女は面倒臭そうに言った。
「あちこち、ずいぶん電話をして聞いてみた。最後に八木厚子に聞いて分かった」
「八木さん、なんて言って ?」
編み物を膝の上に戻しながら女は言った。
「わたしが教えたって言わないでくれって言った」
「そう、八木さん、そんな事を言ったの ?」
女は面白そうに含み笑いをした。
「わたしの所にも、二、三日前に電話があったばかりです、って言ってた。もう、十日になるんです、って言ったら、びっくりしてた」
男は明らかに不満気な様子だった。
男の眼の前、宿の二階から見下ろす松林の向こうには、すでに夕闇の気配を感じさせ始めた秋の海と、白い砂浜が見えていた。小さな波が寄せては引いてゆく渚には、人影一つなかった。
「そうでしょう。それまでわたし、まったく誰にも知らせなかったから」
女はまた編み物に視線を戻して針を動かしながら言った。
「ずっと、ここに居たのか ?」
男の口調は軽い怒りを帯びていた。
「ええ、ずっとここに。何処へもゆかなかったわ。この宿の二階のこの部屋と、人気(ひとけ)のない秋の海辺と、それだけだわ、わたしの居たところは」
女は幾分、投げ遣りに言った。
「なんで、こんな所へ来たんだ ?」
「死ぬためよ」
「ばかを言え !」
男は苦々しさを吐き出すように言った。
「嘘じゃないわ」
女は抗議する口調で言った。
男はその口調に、さらに苦々し気な表情を浮かべると黙ったまま、窓の外の景色に視線を向けていた。
夕闇が濃くなる中で、海の砕ける波だけが白く見えていた。
「でも、わたし、死ななかった。なぜなのかは分からないわ。死ぬ機会はいっぱいあったのに」
「当たり前だ。そう、易々と死なれてたまるか」
「あら、死ねるわよ。今だって、死のうと思えば死ねるわ。だけど、わたし、死ななかった。死ぬのが怖かったからじゃないわ。ーーわたし、ここに来た。そして、この部屋に腰を落ち着けた。すると、ホットしたの。これで一人になれた。もう、誰に邪魔される事もなく、わたしは一人なんだわ、と思うと、急に気持ちが楽になって安心してしまったの」
女は玉になった毛糸をほどきながら、歌うように軽やかな口調で言った。
男は女の言葉になお、不機嫌な表情を浮かべて黙っていた。窓の外に視線を向けたままだった。
「安心してしまうとわたし、もう少し、この自由な気分を味わっていたい、と思うようになったの。ーーわたし、一日中、こうやって編み物をしたり、人気のない秋の海辺を散歩したりして、毎日を過ごしていたの。とても楽しかった。幸福だった。あなたには分かりそうにもないわ」
「それで、どうするんだ ?」
男が女を振り返って聞いた。
「どうするって ?」
女は意味が分からないように顔を上げて男を見た。
「帰るんだろう ?」
「何処へ ?」
「家へさ」
男は苛立ちを見せて投げ遣りに言った。
「帰らないわ。なぜ、帰らなければならないの ?」
今度は女が不満を滲ませて、はっきりと言った。
「じゃあ、どうするんだ ?」
「どうにもしないわ。ここに、こうして居るだけよ」
男は苦々し気な表情で口をつぐんだ。
「あなた、仕事が忙しいんでしょう。先に帰ったらいいわ。わたしはそのうち、なんとかするわ」
女は皮肉のこもった口調で言った。
「会社へはちゃんと、休暇届けを出してある」
「でも、そんなに長く、ここに居るわけにはゆかないんでしょう」
「それは、どういう意味だ ?」
男は色濃い苛立ちを滲ませた。
「どういう意味でもないわ。言葉通りよ」
女は男の苛立ちを楽しむかのように言った。
「あの女とは、もう、別れた」
男は吐き捨てるように言った。
「あら ! どうして ?」
女はわざとらしい驚きを表した。
男は苦い表情を浮かべたまま、一段と暗さを増して来た窓の外に向かって立っていた。
部屋の中の明かりを背に、男の顔が窓ガラスに映っていた。
闇に溶け込んだ海の砕ける波だけが仄かに白く、男の顔の中に見えていた。
「別れる事なんかなかったのに。あなたが好きだったら、それでよかったのに」
「いい加減な事を言うな !」
「あら、いい加減な事じゃないわ」
「じゃあ、なぜ、大騒ぎをしたんだ」
「あれはもう、以前の事、今のわたしは違うわ。--わたし、独りで生きてみようと思うの。ここへ来て、そう、思ったの。あなたがいなくても生きてゆけるって、そんな気がしているの。わたし今、とても新しい気持ちに燃えているの」
女の表情には堅い決意が表れていた。
男は女の表情で心の内を察したかのように不機嫌に黙ったまま、窓の外に顔を向けて立っていた。
「もし、あなたが今でもあの人が好きなのなら、あの人と一緒になってくれて結構よ。わたしの方は大丈夫だから」
「心にもない事を言うな !」
男はどこかに皮肉を滲ませた口調で投げ遣りに言った。
「あら、本当よ。なぜ、今になってわたしが心にもない事を言わなければならないの。わたし、東京へ帰ったら離婚して貰おうと思っていたの。わたしもう、あなたを憎んでもいないし、あの人を恨んでもいないわ。わたし今、とっても冷静な心でいるつもりよ」
男の顔が怒りを表すように小さくふるえていた。それでも男は黙ったまま、窓に向かって外を見詰めていた。波の砕ける様子も、もう、闇に溶け込んで見えなくなっていた。
「わたし、とにかく近いうちに東京へ帰ります。なるべく早く、決まりを付けてしまいたいと思うの」
「賛成出来ないね」
男は冷ややかに言った。
「あら、どうして ? あなたがわたしを縛る権利なんてないわ」
「僕は離婚しないよ」
「なぜ ?」
「なぜでも離婚はしない」
「じゃあ、あの人はどうするの ?」
「だから、別れた」
「--あなたって、勝手な人ね」
女はた溜め息混じりに、軽い蔑みの色合いを滲ませて言った。
「勝手じゃない。君にすまないと思っただけだ」
「それじゃあ、あの人が可哀想よ。あの人、とっても好い人のようだし」
「とにかく、あっちはもう、話しが付いている」
「でも、わたしには納得なんて出来ないわ」
「まだ、疑っているのか ?」
男は苛立っていた。
「疑ってなんていないわ。ただわたし、独りになってもう一度、新しい眼で人生を見詰めてみたいと思うだけよ」
女は編み物の手を止めて正面から男を見詰めて言った。
男は女の熱のこもった強い視線を避けるように顔をそむけて黙っていた。
二人はその事でこの二、三年、何度もいさかいを繰り返して来た。夫の気持ちの中で、銀座のクラブに働く年若いホステスへの未練が断ち切れないせいだった。妻はそのために、一度は東京にある実家に戻ってしまった事もあった。夫は頭を下げて迎えにいった。また、ある時は、妻がストーカーまがいの事をして、ホステスに気付かれ、夫に非難された事もあった。
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takeziisan様
コメント 有難う御座います
数々の小説 物語をお読みと思われます
takeziisan様にそう仰って戴くのは誠に
嬉しい限りですが 以前も書きました通り
わたくしは作家ではありません 単なる
人生を生き急ぐ人間の一人にしか過ぎません
有難う御座います
今回もブログ 拝見させて戴きました
サクララン 花の色合い 蕾の様子
いいですね これから迎える冬の季節
どのようなお写真が登場するか
楽しみにしております
川柳 頑張って下さい
わたくしは特別 川柳 俳句 短歌など
しておりませんが ふと 心に浮かんだ言葉など
気軽にメモしております
八重むぐら わたくしにはカルタをした記憶が
ありません ただ 慌しく子供時代が
過ぎてしまったような気がします
いつもお眼をお通し戴き有難う御座います
桂蓮様
コメント有難う御座います
わたくしの書いたものに句読点的終わりがない
とのご指摘 まさしくそうです
「心の中の・・・・・」の場合も
最終的に主人公が自分の部屋へ帰り
一人になった孤独感の余り 死を選ぶ
という結末 あるいは その孤独に耐えて
独り 気強く生きてゆく道を選ぶ という
選択肢も考えられますが あえて そこまで
踏み込まないのは物語に
(ものがたりと呼べる体のものであるかどう別として)
余韻を残したいという思いからです
物語の結末を閉じますとそこで物語りは完結
してしまいます
物語を閉じない事によって その後の結末は
お読み下さる方のご想像に委ねたいと思うのです
そうする事によって 作品が閉じられる事なく
お読み下さる方の心の中で広がりを
(死を選ぶか 独り生きる道を選ぶか)
獲得しうるとの考え方からです
それが良いかどうかはまた別の問題ですが
いつも いろいろ愚作に付いての
お考え方を戴きまして有難う御座います
これからもいろいろ 参考にさせて戴きます