母の死(Ⅱ) (2009.9.7日作)
母の死は安らかだった
文字通り 眠るように逝った
母の体に付けられた医療器具の
モニターに映し出された脈拍の数値が
五十 四十五 三十七 と
次第に小さくなり 最後に
その時まで 穏やかだった母の顔が
小さく苦痛にゆがんだ瞬間
突然に数字が消え
モニター画面が黒一色に塗り潰された
母の最期だった
女性看護師が慌ただしく
病室に駆け込んで来た
続いて男性医師が姿を見せた
医師は眼を閉じた母の瞼を開き
瞳に小さな懐中電灯の光りを当てた
「残念ですが」
と 医師は言った
わたしたち兄妹は 母の危篤と共に
病床に寄り添っていた
誰もが納得して母の死を受け入れた
涙は誰にもなかった
母の安らかな死に むしろ
安堵の思いを深くしていた
母は苦しむ事なく逝った・・・・・
九十六歳 老衰だった
何度か入退院を繰り返した後の
最後だった
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母の頭脳は最後まではっきりしていた
訪れるものが避けられないと
確定された最後の二 三日だけ
意識の混濁が見られた
母を慕っていた親戚の者たちが見舞いに来て
「おばさん 民謡でも唄ってよ」
と 催促すると
母は薄れた意識の中で
「エンヤラヤーノーヤー エンヤラヤーノーヤー」
と 眼を閉じたまま
「大島アンコ節」の 囃子言葉を
何度も繰り返した
民謡好きの母は全国大会などで
幾度も優勝 入賞した経験を持っていた ・・・・
わたしたち兄妹の母を送る作業は
深夜一時過ぎに始まった
入院をするたびに 今度は 今度は と
危ぶまれながらも 無事に帰還を果たしていた母にも
避け得られない結果だった
わたしたちは 母が
大学病院の病室で亡くなった事にも
納得していた
母の肉体には点滴などの器具が
幾つか付けられていたが
命の限界まで 生への努力を為し得た事は
設備の整った病院の病室であったればこそであった
自宅に居ては為し得なかった
わが家での死を迎える事の出来ない母ではあったが
わたしたち兄妹が見守る中で 母は
静かに逝った
わたしたち兄妹 それぞれの胸に
なんの悔いを残す事もなかった
最後の入院をする日 母は
食事ものどを通らない程に衰えた体力の中で
「入院をさせてくれよ」
と 言った
再び 三度の帰還を夢見ての事であったのか
母の胸のうちは知る術もなかったが
母の希望に添い得た事は
わたしたちの心の負担を軽くしていた
「死ぬ時は自宅でって言うけど 自宅に居ては
これだけの治療は出来ないものなあ」
わたしたちは 医師や看護師たちの
手厚い対応を評価して語り合った
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葬儀社の車が来ると 母の遺体は
医師や看護師達に見送られ
病院の霊安室を出て
帰途に着いた 深夜二時を過ぎていた
わが家に戻った母の遺体は
葬儀社の作法に従い 作業が進められて
真新しい敷布の敷かれた布団に横たえられ
始めて 畳の上に安置された
葬儀の日取りも決められて
「今夜は枕辺に線香を絶やさないで下さい」
と 言い残し
葬儀社の職員は帰って行った
わたしたちはようやく落ち着いて
母の遺体と向き合った
「それにしても いい死に顔だね まったく苦しんだ様子がなくて
ほら 笑っているようだよ」
みんなが何度となく
母の顔に掛けられた白い布を取っては
穏やかな死に顔を見つめて言った
安らかな母の死に 誰もが
無事に母を送り得た事の満足感の中にいた
命を全うした一人の人間を
心を尽くして送り得た時には
人の死も 決して哀しみばかりではない事を
わたしたちは知った
わたしたちの母の最期を偲ぶ会話は いつまでも
途切れる事がなかった
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「ああ もう朝になっちゃうよ」
気付いて みんなが声を上げた時には すでに
窓の外は白み始めていた
アジサイの 雨に濡れいて 母の逝く