遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(415) 童話(2)大きい花 小さい花 他 感覚 ほか

2022-09-25 12:06:56 | つぶやき
          感覚(2022.9.15日作)


 理論は知らなくても
 感覚を磨けば 人は生きられる
 感覚のない人間は木石
 機械ーーマシーン
 感覚に裏付けられた知識
 それこそが真の知識
 木石 マシーンではない
 真の知識人
 

 頭で計算している芸は駄目
 自身を忘れた時に出てくる芸が本物
            六世 中村歌右衛門

 棟方志功の版画と
 六世 中村歌右衛門の芸には 
 共通するものがある
 共に 真実に迫る凄味

 頭で考えていては駄目だ
 直観力を磨け それには
 経験する事


 

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          大きい花 小さい花


   
 
 長い冬のきせつがおわって、ようやく春の日ざしがいっぱいになった、のはらには、いろいろな花がいちどに咲きだしました。
 ひろいのはらは、冬がれの、さびしいけしきとはちがってさまざまな色やかたちの、花のらくえん、花ぞのにかわりました。
 そんなある日、きょねん生まれたばかりの子どもをつれた、ミツバチの母子がとんできました。
「ウワッ、きれいな、ながめだなあ」
 子どもミツバチは、はじめてみる花のきせつに、おもわず声をあげました。
「さあ、これからはまいにち、いっしょうけんめいにミツをあつめて、巣にはこばなくちゃあね」
 おかあさんミツバチはいいました。
「あまいミツが、いっぱいすえるね」
 子どもミツバチはいいました。
「そうよ。だから、あなたもいっしょうけんめい、おてつだいをしてね」
 おかあさんミツバチがいいました。
「うん」
 子どもミツバチはうれしそうにへんじをすると、元気よく一つの花からとびたつて、さっそく、いちばん、せのたかい、大きな赤い花にむかってとんでゆきました。
 子どもミツバチは、その花にとまるとすぐに花のなかにかおをいれて、あまいミツをすいはじめました。
 おかあさんミツバチは、そんな子どもミツバチのすがたをみて安心すると、自分もとびたって、どこかへとんでゆきました。
 せのたかい、大きな赤い花のなかでいっしょうけんめい、ミツをすっていた子どもミツバチはやがて、おなかがいっぱいになって、もう、いいや、とおもうと、ミツをいっぱい口にいれたまま、もと、いた、花のほうにかえってゆきました。
 子どもミツバチが、もと、いた、花にかえってみると、そこには、おかあさんミツバチのすがたがありませんでした。
 あれっ、おかあさんは、どこへいってしまったんだろう。
 子どもミツバチはしんぱいになって、キョロキョロ、あたりをさがしてみました。
 それでも、おかあさんミツバチのすがたは、どこにもみえませんでした。
 子どもミツバチは、じぶんがひとりぼっちになってしまったのかとおもい、しんぱいになり、大きく羽をふっておとをたて、おかあさんをよびました。
 すると、おかあさんミツバチは、せのたかい、大きな花のいっぱいさいている、その花の、ねもとのほうからとびたってきました。
「ああ、よかった。ボク、おかあさんが、どっかへいっちゃったのかと思ってドキドキしたよ」
 子どもミツバチは、ようやくあんしんして、おかあさんミツバチにいいました。
「そう。おかあさんはね、あの白い花のミツをあつめていたのよ」
 と、おかあさんミツバチは、じめんにちかい、ひくいところでいっぱいに咲いている、小さな花を見ていいました。
「なあんだ、そうだったのか」
 子どもミツバチは、ようやく、あんしんしていいました。
「でも、どうして、あんなちっちゃな花のミツなんかあつめていたの。こっちの大きな花のほうが、いっぱいミツがあって、うんとあまいのに」
 子どもミツバチは、ふしぎにおもっておかあさんにいいました。
「そうね。そうかもしれないわね」
 おかあさんミツバチはいいました。
 でも、それいじょうのことはいいませんでした。
 つぎの日は、あめがふって、ミツバチの母子は、ミツをあつめにゆけませんでした。
 つぎの日もまた、あめがふって、それに、かぜもつよくふいてきて、ミツバチの母子は、じぶんたちがとばされないようにすることだけで、ほかには、なにもすることができませんでした。
 子どもミツバチは、おかあさんミツバチのそばでじっとしていて、あの、赤い大きな花のミツが、あまくておいしかったことや、のはらのけしきのきれいだったことなどをおもいだしながら、はやく、あめがやまないかなあ、とかんがえていました。そして、
「なかなか、あめがやまないねえ」
 と、おかあさんにいいました。
 すると、おかあさんは、
「そうね。でも、あしたはきっと、やんで、のはらへもゆけるとおもうわ」
 と、いいました。
 つぎの日は、おかあさんミツバチがいったように、あめがやんで、きれいなあおぞらの、きもちのいいお天気になりました。
 母子ミツバチは三日ぶりに、す、のそとへでて、ミツをあつめに、のはらへむかいました。
 でも、子どもミツバチはのはらへきて、びっくりしてしまいました。
 あんなにきれいに咲いていた、赤い大きな花がぜんぶ、じめんにたおされていて、どろだらけになっているので、とても、ミツをすうことなんかできませんでした。
 子どもミツバチはそれを見て、かなしくなり、いまにもなきそうになって、
「もう、ミツは、すえないの」
 と、おかあさんミツバチにききました。
 すると、おかあさんミツバチは、
「そうね、あの大きな花は、もう、むりかもしれないわねえ」
 と、力のない声でいいました。
「じゃぁ、ぼくたち、ミツあつめはもぅ、できないの ?」
 子どもミツバチはかなしくなって、おかあさんミツバチにききました。
「でも、だいじょうぶよ。ほら、地面のうえを見てごらんなさい。白い小さな花がいっぱい咲いているでしょう。このまえ、おかあさんがミツをあつめていた花よ。あの花なら、あつめられるわ。ほら、ないてなんかいないで、はやくいってミツをあつめましょう。大きな花のようにあまいミツではないかもしれないけど、だいじょうぶよ」
 おかあさんは、子どもミツバチのおしりをおすようにしていいました。
「うん。すこしぐらい、あまくなくてもいいよ。ボク、あつめてくる」
 子どもミツバチはそういうと、おかあさんミツバチのことばにはげまされたように、元気よくとびたってゆきました。
 おかあさんミツバチも、子どもミツバチのあとにつづいて、とんできました。
 子どもミツバチはおかあさんミツバチがついたときにはもう、じめんの近くで咲いている、白い小さな花のミツをいっしょうけんめいすってあつめていました。
 おかあさんミツバチは、そんな子どもミツバチのそばにゆくと、
「これからも、こんなことはよくあるから、しっかり、おぼえておくのよ。ふだんは、めだたないところにある小さなものでも、みんな、たいせつな、なにかしらの役目をもっているんだから、けっして、そまつにしてはいけないってね」
 と、いいました。
「うん、そうだね。このちっちゃな花でも、こまっているぼくらをたすけてくれるんだもんね」
「そうよ。どんな小さなものでも、小さいからだめ、めだたないからきらい、なんて言ってはいけないわね」
 おかあさんミツバチはいいました。
「そうだね。おっきなものでも、ちっちゃなものでも、みんなに、みんなのやくめがあるんだよね」
「そうよ。あなただって、おかあさんみたいに大きくはないけど、こうして、ちゃんとミツをあつめて、おかさんをてつだってくれているでしょう。だから、おかさんは、とても、たすかっているのよ」
 おかあさんミツバチはいいました。
「ボクはまだ、ちっちゃいけど、ちゃんと、おてつだいができるもんね」
 子どもミツバチはいいました。
「そうよ」
 おかさんはいいました。
 子どもミツバチは、おかあさんミツバチのその言葉をきいてうれしくなり、もっといっぱい、ミツをあつめようと思い、また、べつのちいさな白い花にむかってとんでゆきました。



            完





          ーーーーーーーーーーーーーーーーー





          桂連様


           有難う御座います
          今回も童話です
          ヒガンバナ 
          前回 白い霧の夜 で現実の不気味さ 
          現実とは 一寸先も見通す事の出来ないものだ
          という主題の下 眼の前の見通せない霧に託して
          現実の不気味さ 怖さを書いてみたものですから 
          ヒガンバナではメルヘンをと思い書いてみました 
          二 三 童話を続けたいと思っています
           新作 拝見しました
          良い御文章です 実際に経験した者でなくては書けないと思います
          言葉を感じるーー面白いです
          過剰に意識しない
          教わった言葉は忘れる 本当の知識ではない
          本質だと思います
          ブロークンでもなんでも 使って覚える それが大事
          そう 聞いた事があります
           学生時代の知識 学習が日常化になる事はない その通りだと思います
          よく 職場で 就職した学生達は改めて教え込まなければ
          何も出来ない、という言葉を聞きます
          耳学問は なんの役にもたたない という事だと思います
          身に付く学習 感じ取ったものこそ 本物の知識だと
          常々 思っています
          このブログの中でも何度か 同じ趣旨の言葉を書いています
           冒頭の写真 良い写真です
          何故か お写真の中にホット 心のくつろぎを感じ取る瞬間を
          覚えるのです 何故だか分かりません    
          多分 日常の何気ない一コマの瞬間を写し取った
          飾りのない写真である という事に通じているのかも知れません
          いずれにしても これも感覚の問題で 理屈や知識の問題ではない
          と思うのです
           何時も素晴らしい御文章や お写真 有難う御座います
          御礼申し上げます




          takeziisan様


           何時もながらに お眼をお通し戴き 有難う御座います
           御礼申し上げます
            なんと 移り変わる季節の速いことか !
           暑い 暑い と言ってる間に もう彼岸花の季節
           道端にこの花の見られる環境 羨ましく思います
            それにしも 畑の雑草 何時もながらに驚きです
           畑仕事の大変さが偲ばれます 年齢と共に増す 身体への負担
           想像出来ます
            尾瀬は何時見てもいいですね あの景色 心が洗われます 
           ショウジョウバッタ 多分 これだと思うのですが
           わが家でも何処から来るのか 似たような小さなバッタが 
           植木の葉や月下美人の葉などにしばしば見られます
           葉を食い荒らされてはと思い 駆除するのですが まるで湧き出るがごとく
           次から次へと生まれて来ます 本当に 何処から来るのかと思います
            わが家でも月下美人 三度目の開花が終わりました
            それにしても当地では 蝉の声が聞かれなくなりました  
            二 三年前までは アブラゼミ ヒグラシなど 数は多くはなかったのですが
            死骸も見つかったりしました でも 今年はゼロです
            大きな道路を隔てて ほんの百メートル程先には
            それなりに大きな公園もあり 樹木も生繁っているのですが
            不純な天候のせいか 温暖化のせいなのでしょうか ?
             今回も美しい写真の数々 楽しませて戴きました
            束の間の心地良い 息抜きの時間です
            有難う御座います
           
              
           
          
          
   
           
          
          
          

 
 

 
 
 
 
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 



遺す言葉(414) 童話 ヒガンバナ(完) 他 名探偵ポアロとユーモア

2022-09-18 11:38:16 | つぶやき
          名探偵ポアロとユーモア(2022.9.14日作)


 2022年9月現在 
 NHK BS 3チャンネル 午後九時放送
「名探偵 ポアロ」 
 有名な アガサ クリスティー原作ドラマ
 このドラマに込められた
 そこはかとないユーモア
 見ていて心地良い
 本物のユーモア
 ポアロ 助手 女性秘書
 三人それぞれが それぞれに
 相手を尊重していながら 表面的には
 軽くあしらう風に見せる
 その言動に 巧まぬユーモアがある
 込められている
 日本のお笑い芸人達の大袈裟な動作 身振り
 道化ぶりは何処にもない
 笑わせようともしない 
 それでいて その言動に滲み出る
 そこはかとない可笑しみ
 自然な可笑しさ
 お笑いではない 本物のユーモア が
 ここには ある ユーモアの本質
 それが ここに垣間見える
 ユーモアとはこういうもの
 確信させる





          ーーーーーーーーーーーーーー





          ヒガンバナ(完)




 二人のおそうしきは次の次の日におこなわれて、おハカも二つならべてつくられたんだけど、二人より年うえだったお姉ちゃんは、二人が死んでしまったのは、自分が助けてやらなかったからだ、と言って毎日毎日、自分をせめて泣いてばかりいたんだ。お父さんやお母さんがいくら、お姉ちゃんのせいじゃないよ、と言ってなぐさめても、聞こうとはしなかったんだ。それでお姉ちゃんはとうとう、心の病気になってしまって、大きな家の中のいちばん奥の部屋にとじこもってしまって、出てこなくなっちゃったんだ。外へでるのがこわいと言ってね。
 お母さんやお父さんはそれでしかたなく、その部屋へごはんなんかを運んでいってやったりしていたんだ。
 そんなことがあって、ふたりの男の子が死んでから早くも一年がたってしまって、その年の秋にも、ヒガンバナはいつもの年のように沼のまわりいっぱいに咲いたんだけど、その年にはなぜか、いっもの年には見られなかった白い花がポツンと二つ、赤い花の中にまじって咲いていたんだ。
 村の人たちはそれに気がついて、
「あれ、めずらしいね。白いヒガンバナだよ」
 と言って、話しあっていたんだけど、べつに深くは気にしなかったんだ。
 やがて秋もおわってその年の冬は寒さのきびしい冬になったんだ。雪もいっばいふったりして、農家の人たちは外へも出られなくて、家の中でいろいろ仕事をしていたんだけど、そんなある夜のこと、心の病気になっていたお姉ちゃんが、自分の病気の苦しさにたえられなくなって、沼へ入って死んでしまったんだ。
 朝になってお母さんがご飯を運んでいったとき、お姉ちゃんの姿が見えなくて、みんながあわててさがしてみると、元気なころにお姉ちゃんがはいていた、赤いはなおの下駄がないことに気がついたんだ。
 それでみんなが家の外に出てみると、雪の中にお姉ちゃんが歩いたのにちがいない下駄のあとが見つかって、それをたどってゆくと、沼につづいていたんだ。そして、沼のそばには二つの下駄がきれいにならべられてあって、水の中をさがしてみると、お姉ちゃんの死体が見つかったんだ。
 お姉ちゃんは着ていた着物のたもとにいっぱい土を入れて、自分の体が浮き上がらないようにして死んでいたんだ。
 家の人たちは、男の子たちが死んだことを自分の責任だとばかり思いつづけていて、いくらほかの人たちがお姉ちゃんのせいではない、と言ってなぐさめても聞きいれようとはしなかったお姉ちゃんの心のやさしさを思い、男の子たちが死んだ時いじょうに悲しんで、お姉ちゃんのおハカも男の子たちのおハカとならべてつくってあげたんだ。
 それから、ひと月ほどして冬もようやく終わって春になり、農家の人たちも仕事が出来るようになって、いつもの年と同じように田植えをしたり、草とりをしたりして、いそがしい毎日がはじまって日がすぎていったんだ。
 そうして、その夏もおわって今年もまた、ヒガンバナの咲く季節がきて、沼のまわりにはいっぱいに赤いヒガンバナがそろって咲きはじめたんだ。それに気がついた人たちは、
「ああ、またヒガンバナの季節がきたよ、早いもんだねえ」
 と、話し合ったりしていたんだけど、ふと、だれかが、
「あら、きょねんは二つだった白い花が今年は三つそろって咲いてるよ」
 と、言っておどろいた顔をしたんだ。
 その言葉でほかの人たちも白い花にちゅういを向けて見ると、たしかに白い花のヒガンバナが三つそろって咲いていたんだ。
「あれ、ふしぎだねえ。きょねんは二つだったのに、今年は三つだよ」
 ほかの人たちも口ぐちに言ってふしぎがったんだ。
 そんな話しがひろがってうわさになると、そのうち、だれともなく、あの白い花はきっと、あの沼で死んだ三人の子供たちの、いのちの花にちがいないよ、って言うようになっていたんだ。
 男の子たちがなくなってから、さいしょの秋には二つの白い花が咲いて、つぎの年のお姉がなくなった年の秋には三つの花が咲いたんだから、だれもがそう思ってもふしぎはないよね。それで、それからはずっとあの三つがそろって咲いていて、それいじょうにふえることがないんだから、ますますそうおもえるよね。ボクはどう思う ?」
「うん、そう思う」
「思うよね」
 おじいちゃんは言いました。
「水にしずみそうになった年下の子をいっしょうけんめい助けようとした男の子と、二人を助けられなかったのは、自分のせいだといって心の病気になってしまったお姉ちゃんと、みんなのやさしい、まっ白な心がやっぱりあの白い花になって、ああして咲いているんだよね。きっと」
 おじいちゃんは、しずかな声で言いました。
 ぼくは、おじいちゃんのそんな話しをきいて、もっとよく白い花を見てみると、まっ赤に咲いている何百本もの花の中でたつた三本だけ、ポツンと咲いている白い花がなんだかさびしそうに見えてきて、思わずなみだがこぼれそうになりました。そのなみだをかくすためにぼくは、おじいちゃんより少しおくれて歩きながら、心の中で白い花にむかって手をあわせ、おいのりをしました。すると、あの沼で死んだ三人のすがたがしぜんに眼に浮かんできて、また、なみだがこぼれそうになりました。




          完


         ーーーーーーーーーーーーーーーーー




          takeziisan様

           毎回 お眼を通し戴き 有難う御座います
          御礼 申し上げます
           故郷の廃家 わが家の跡は現在 太陽光発電設備が   
          設置されています
          業者が土地を貸してくれと言って来たものです
           変わりゆく人 世の中 そして取り残されて佇む自然
          ブログの中の自然 いい風景です 柿の木のある風景
          日本を代表する風景です 懐かしく拝見させて戴きました
          キバナコスモス 見てみたいです
          以前 田舎のわが家の傍にも ピンクのコスモスの群生が見られた事もありましたが
          何年かするとなくなっていました
           サクララン 三度目 わが家では月下美人が三度目の
          花を咲かせようとしています
          二回目の花の一つが赤い実となって残っているのですが
          ニ、三日のうちに三度目の花が咲きそうです
          昨年は二回 今年は三度目 以前にはなかった事で
          やはり 気候の変化でしょうか 地球はどうなるのか
          四 五十年前には想像も出来なかった事です
          「日曜はダメよ」評判になりましたね
          でも なぜだか この映画は見逃してしまいました
          観てみたい映画の一つです
           美しい自然の風景 今回も堪能致しました
           有難う御座います
          
         


         
          桂桂蓮様

           有難う御座います
          ブログ ポワント写真 期待してお待ちしております
          実態は何時も醜いもの 自分の想像の中では総てが美化
          されてしまいます その御言葉 御謙遜ーー それは差し置いて
          お気持ち 理解出来ます
           旧作 幸せの裏面
          再読 拝見しました
          改めて様々 考えさせられました
          風の匂い 涼しさの中に感じる幸せ 理解出来ます
          この小さな幸せ これこそが本当の幸せそのものですね 
          欲望を満たす幸せは長続きはしない その通りだと思います
          欲望は次から次へと果てしのないもので、ますます大きくなるばかりです
          その点 身体で感じ取る幸せ ここには純粋な感情があります
          本物の幸せだと思います
          冒頭の写真の森の中の水の流れ この流れの中にも人の心を潤すものがあります
          ここに感じる幸せ感こそが純粋な幸せだと思います
           前回のコメントでおばあちゃんバレーと御謙遜でしたが  
          こちらの新聞には松山バー団には二十人の講習性がいて
          そのうち五人が五十歳以上の人だと書いてありました
          おばあちゃんバレー 御謙遜には及びません
           今夜(18日) こちらではNKK放送で午後九時より日本の代表的バレー団の共演放送があります
          楽しみにしているところです
           お忙しい中 何時も有難う御座います
           
          
   
 
 

 
 
 

 
  
 
 
 
 

遺す言葉(413) 童話 ヒガン花(1) 他 あれから三十数年

2022-09-11 12:59:10 | つぶやき
         
          あれから三十数年(2022.9.7日作)


 千九百八十年半ばから
 千九百九十年 この国 日本は
 バブルと呼ばれる 好景気下にあった
 学生達は この好景気下 
 連日連夜 日毎夜毎
 レジャーだ コンパだ
 浮かれ騒ぎ 学業も忘れ
 はしゃぎ廻っていた
 あれから三十数年 当時の学生達は今
 この国 日本を支えるべく
 政治 経済 その他 諸々
 中心的存在 中核を占める立場にいる そして
 この国 日本 只今現在 総ての面に於いて
 意気消沈 停滞基調 低迷の道を
 彷徨っている あらゆるもの
 あらゆる事が 世界の後追い 後塵を
 拝している 先見 明日を見通す眼力
 その 力は 失われ 緩みっ放し
 弛緩の極み 能力不足
 政治 経済 一つの国 国家が依って立つ基本条件
 その面に於いての 世界を導き 先導し 
 誇りとするものは 何もない
 二十一世紀 日本の世紀
 かつて言われた その面影 見る影もなし
 そして今 明瞭 明白に見えて来るもの
 その歳月 三十数年
 経済絶頂 バブル崩壊 あれから三十数年 
 浮かれ騒ぎ はしゃぎ廻っていた学生達の
 あれから三十数年
 重なり合う歳月
 当時の学生達
 浮かれ騒ぎ はしゃぎ廻っていた
 学生達 彼等は今 この国
 日本を支える 中心的存在 中枢を占める存在
 そして この国にっぽん 衰退国にっぽん
 重なり合って見えて来るものは ?
 三十数年 その歳月
 映し出されるものは ?
 衰退国にっぽん その姿
 この国 日本
 この衰退 この状況から 脱け出す道は ?
 それには 一体 何が必要なのか ?
 早急の 思考が求められる





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            ヒガンバナ(1)



 その沼は黄色く稲のホがみのった田んぼの中に、まっ赤に咲きみだれるヒガンバナにかこまれるようにしてありました。
 おじいちゃんは広くひろがった田んぼの中の道を歩いている時、
「ほら、あの沼の向こうの松林のそばにいっぱい咲いている、赤いヒガンバナを見てみな」
 と、ぼくに言った。
「なに ? なにがあるの ? わかんないよ」
 ぼくは言いました。
 沼のそばにある松林の松の木の下にはいっぱい、赤いヒガンバナが咲いていて、とてもきれいでした。
 でも、ぼくにはそれ以上に変わったものは見えませんでした。
「ほら、あの松の根もとをよく見てみな」
 おじいちゃんは言いました。
 ぼくはおじいちゃんが指をさす方を見ました。
「あっ、ほんとだ。まっ赤に咲いている花の中に、白い花が一、二、三、三つ
咲いてるね」
 ぼくは言いました。
「うん、そうだよ。白い花のヒガンバナだよ」
 おじいちゃんは言いました。
「えーっ、白いヒガンバナ ? ヒガンバナって赤い花が咲くんじゃないの ?」
 ぼくは信じられない思いで言いました。
「そうだね。ふつうはヒガンバナの花は赤いよね。だけどなぜだか、あの三本だけは毎年、毎年、ああやって白い花をつけて咲くんだ。ふしぎだよね」
 おじいちゃんは言いました。
「うん、ふしぎ」
 ぼくは言いました。
「ふしぎだよね。赤い花の中でたった三本だけが白く咲くなんてね。だけど、あの白い花が咲くのにはわけがあるんだ」
 おじいちゃんは言いました。
「えっ、どんなわけ ?」
 ぼくは聞きました。
 するとおじいちゃんは話してくれました。
「それはね、むかし、あの沼で三人の子どもが死んでね、あの三つの白い花は、その死んだ子どもたちの命の花だっていうんだよ」
「いのちの花 ? あの沼で人が死んだの ?」
 ぼくはなんだか気味が悪くなって言いました。
「そうだよ。もう、ずっとむかしの、おじいちゃんが子どものころから聞いている話しなんだけどね」
「えー、そんなむかしの話しなの ?」
「うん、そうだよ。むかし、あの沼でね、二人の男の子が釣りをしていたんだ。十歳と九歳の子でね、二人はとても仲がよかったんだけど、その釣りをしている時に、九歳の子の釣り糸が水の中にある、かれ木かなにか引っかかってしまったんだ。それで、その釣り糸をはずそうとした時に、男の子は足をすべらせて沼の中に落ちてしまったんだ。なにしろ、男の子はまだ九歳だったものだから泳ぎもよく出来なくて、水の中でひっしに手足をバタバタさせていたんだけど、だんだん体がしずんでしまい、水もいっばいのんでいて、はんぶん気をうしなってしまったんだ。
 十歳の子がそれに気がついたのは少したってからで、九歳の子は、だんだんしずみかけていたんだけど、泳ぎができた十歳の子はそれでもおぼれている子を助けようとして水の中に入っていったんだ。いそいで手をのばしてその子のうでをつかみ、泳ぎながら岸にもどろうとしたんだけど、ほら、二人とも服を着たままだったろう、それで、その服が水にぬれておもたくなっていたものだから、助けた男の子もなかなか泳げなかったんだ。
 そうしているうちに、助けようとした男の子もつかれてきてしまって、少しずつしずみはじめていたんだ。
 最初にそれに気づいたのが、二人といっしょに遊びに来ていた十歳の子の三歳ちがいのお姉ちゃんだったんだ。お姉ちゃんは二人が釣りをしているあいだ、自分は松林の中で野ぎくの花をつんだりしていて、両手にいっぱいになっものだから二人のところへもどって来たんだ。それで、二人がおぼれていることにはじめて気づいて、手にしていた野ぎくの花もほうりだして二人に近づき、「正太、のぼる」って名前を呼んで元気づけようとしたんだけど、お姉ちゃんは泳げなかったものだから、どうすることも出来なかったんだ。しかたなくお姉ちゃんは、お父さんに知らせようと思ってそのまま、いそいで家へ走ってかえり、二人がおぼれていることを話したんだ。
 お姉ちゃんの知らせをうけてお父さんは、していた仕事も放り出してすぐにかけつけたんだけど、その時にはもう二人は水の中にしずんでしまっていたんだ。





          ーーーーーーーーーーーーーーー





          桂蓮様

           有難う御座います
          ジャンプ姿想像 思わず笑い出しました
          でも その意気や良し
          おばあちゃんバレー やる気なくしたら人間は終わり
          八十歳を超えても太平洋横断をする人もあれば
          世界の最高峰を目差す人もある 人間 する事に限界なし
          自力でエンジンを動かす事 スピード関係なし
          今回の新作と関連します
          先を行きたい人は行けばよい どうぞ 御勝手に
          わたしはわたしのスピード 運転方法で走って行きます
          坐禅の力 禅の極意 他人(ひと)は他人 我は我
          良い境地です 他人の眼ばかりを気にすると人間 卑しくなります
          ブログ順位 なんとなんと御立派 卑下する事はありません
          まして 毎回の新作ある訳ではないのに
           それにしてもバレー 猛特訓 無理をなさらぬように
          気持ちは若くても体が付いてゆかない 年齢を重ねるという事は 
          そういう事で こればかりは誰にも抗う事は出来ません
          どうぞ お気を付けて下さい
           お忙しい中 何時も お眼をお通し戴き有難う御座います   


           

            takeziisan様

           有難う御座います
          五竜岳から唐松岳 その他 山岳の写真
          楽しませて戴きました
          雰囲気が見事に伝わって来ます 山の経験のないわたくしにも
          山小屋でのひと時 爽快だろうな という思いが伝わって来ます
          テレビなどでも こういう番組はよく見ています
          何よりも 作ったところのない点が自然に感じられて好きです 
           ムラサキシキブ わが家でも咲いています
          以前 書きましたが 
           むけつけき青年 一枝の
           ムラサキシキブ 持ちて来る
          コスモスの身近な風景 羨ましいです
          コスモス カスミソウ ヒガンバナ
          好きな三大花です
          あと サルビアの赤も好きです
           カエル 初めてです
           中秋の名月 鮮明でした
           今朝は当地 曇り空
          川柳 入選作 割りと平凡な感じを受けました
           おべっかのように受け取られるかも知れませんが
          takezii川柳の方が面白い そうだ そうだと
         納得しきりです
           なになに賞 なになに賞 あまり捉われない方がいいようです
          人の眼に付かない所で良い仕事をしている人はいっばい居ます
          今回も楽しませて戴きました
         何時もお眼を通し戴き 有難う御座います
          
        








          
 
 
 

 
 
 
 

遺す言葉(412) 小説 白い霧の夜(完) 他 日常

2022-09-04 12:23:05 | つぶやき
          日常(2022.8.10日作)


 日日 是 好日
 (にちにち これ こうにち)
 日常を欠いた時
 人生は失われる
 今日もまた 何事もなく 
 何時もの時間 一日が過ぎた
 これに勝る 幸せ
 幸福はない
 日常 日々の生活習慣の失われる時
 自身の人生もまた
 失われる
 日日 是 好日
 今日という一日を
 精一杯 生きる





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          白い霧の夜(完)



 青華は両腕を篠田の首に廻し唇を寄せて来た。
 篠田はその唇に口づけしたまま、大切な宝物のように青華をベッドに運んだ。
 その上から自分の体を重ねた。
 篠田には、青華の柔らかい肉体に触れている感覚だけで心が満たされる思いがあった。
 青華はそんな篠田の局部へふたたび手を伸ばして来た。
「もう、大丈夫かしら ?」
 篠田の眼を見つめて言った。
「いや、ちよっと無理だよ。少し休まなければ」
 篠田は弱々しく言った。
 かつて、この街で暮らしていた頃には、連日、篠田の下宿で敬子と会っては愛を交わしていた。
 たった三月の愛であったが、今の篠田には、あの頃の活力も激しさも失われてしまっていた。体力の衰えと、それに伴う歳月の経過が偲ばれた。
「じゃあ、もう少し休みましょうか。どうせ、今夜は泊まって下さるのでしょう ?」
 青華は言った。
「きみは何時でも、誰にでもこんなに優しいの ?」
 篠田は青華の細い頬を両手で挟んで聞いた。
「お仕事ですから」
 青華は悪びれる様子もなく答えた。
「毎日、こうして夜を過ごしているの ?」
「いいえ、お客様の御希望がある時だけです。たいがいのお客さんは<青い館 >の方で遊んだだけで帰って行きます」
「きみの、この若さと美貌がここでこうして失われてゆくのかと思うと惜しい気がするね」
 篠田は言った。
「でも、仕方がないですよ。誰でも歳を取ってゆくんですから」
「僕の体の中へこの若さと美貌を閉じ込めてしまいたい」
 篠田は青華の肉体を強く抱きしめ、狂おしさを交えて言った。
「そうして下さったら、わたしはずっと若いままでいられるかしら ?」
 青華は微笑みを浮かべて言った。
「いられるよ。あの写真の中のきみの様にね」
 篠田は先程から気になっていた、鏡の傍に立て掛けらている写真に視線を向けて言った。
「ああ、あれですか。あれは、わたしじゃないんです」
 青華もかなり大きめの、上半身だけを映した女性の写真に眼を向けて言った。
「だって、きみそっくりじゃない」
「ええ、でも、違うんです。あれは母が二十五歳の時の写真なんです。わたしも今、ちょうど二十五歳なんですけど。それで同じように見えるのかも知れません」
「ああ、そう。きみにそっくりだね」
 薄い明かりの中で写真の詳細を確かめる事は出来なかったが、雰囲気だけは感じ取る事が出来た。
「そうですか ?」
 青華は別段、興味もなさそう軽く言った。
「お母さんは、今も元気なの ?」
 篠田は世間話しのように聞いた。
「いいえ。母はあの写真を撮って三年程して亡くなってしまったんです。わたしが六歳の時でした」
「じゃあ、きみは今はお父さんと二人だけ ?」
「いいえ、父はいません」
「お父さんも亡くなったの ?」
「いいえ、もともと、父はいないんです。母は父なし子としてわたしを産んだんです。だから、わたしは父の顔も知らないんです」
「じゃあ、一人なんだ ?」
「はい」
「お祖父ちゃんや、お祖母ちゃんはいるんでしょう」
「お祖父ちゃんやお祖母ちゃんはいたんですけど、もう、亡くなりました。わたしには今たった一人、母の兄がいるだけなんです。でも、その人は港の方で料亭をやっていて、わたしが<香月>の娘の子供だと世間に知られたくないんです。母が父なし子としてわたしを産んだものですから」
 篠田は息を呑むのと同時に自分の耳を疑った。
 確か、青華は「香月」と言った。
 聞き間違えたのだろうか ?
 いや、聞き間違えるはずがない !
 篠田は口の中が渇いて舌がもつれ、言葉を口にする事も出来なくなっていた。
 ようやくの思いで篠田は聞いた。
「きみのお母さんの名前は・・・?」
 声がかすれていた。
「敬子って言いました。御存知ですか ?」
 脳髄が飛散するような衝撃を受けた。
 部屋中が真っ赤に染まり、ぐるぐる廻った。
 体中が騒めき立ち、自分という存在が飛散してしまいそうな感覚の中にいた。
 篠田はじりじりと青華の裸体から自分の体を遠ざけた。
「きみのお母さんは結婚は・・・・?」
 息がつまる思いの中で聞いた。
「しました。でも、うまくゆかなかったんです。一年も経たないうちに別れてしまったんです」
「なぜ・・・お母さんは別れてしまったの ?」
「母の結婚相手はこの街でも有名な資産家の長男だっんですけど、その時、母には好きな人がいたんです。でも、母の父はその人が貧しい学生だったものですから、結婚を許さなかったんです。無理矢理引き裂いてしまったんです。それでも、その時にはもう、母のお腹の中にはわたしがいたんです。それで祖父や祖母が気付いた時には、七カ月が過ぎていて堕す事が出来なかったんです。母は結局、わたしを産んだんですけど、祖父や祖母はその事を世間に知られる事を怖れて親戚の子供の無い人の所にわたしを預けてしまっんです。母はそれから一年もしないうちに結婚をさせられたんですけど、愛し合った人との間に出来た子供のわたしを諦める事が出来なくて、婚家を飛び出したんです。それで、わたしを引き取り、「香月」と縁を切ったんです。母はそれからいろいろ苦労をしました。その無理が祟って二十八歳の若さで亡くなってしまったんです」
 篠田の全身は硬直していた。
「どうなさったんですか ? 顔の色が真っ青ですよ。具合でも悪いんですか。ほら、汗がこんなに」
 青華は篠田の異様な様子に驚き、体を寄せて来た。
「駄目だ ! 傍へ来るな ! あっちへ行け ! あっちへ行け !」
 篠田は狂乱状態で叫んでいた。



           完


   


          ーーーーーーーーーーーーーーーー





          takeziisan様


           有難う御座います
          古い写真から
           お子様の姿でしょうか いい写真です
          他人事ながら その姿の幼さにふと 郷愁を誘われ
          思わず涙ぐみました
          われわれにも こういう時代があった・・・・・
          過ぎ去った時はことごとく あっとう間の出来事だったような気がします
          それにしても人生 歳を取る という事は寂しいものです
          獲たものの総てが失われてゆく
           三角乗り 当時は何処も似たような状況でした
          まるでわが家の事を書かれているかのような思いです
          それも懐かしい記憶です
           わたくし共の方では自転車通学というのはなかったですね
          ほぼ一キロぐらいの道で途中に大きな田圃の広がる場所があり
          冬などをそこを通り過ぎるのにみんな肩をすくめて歩いていました
           十年前の記事 待ちに待ってました ! 雨
          こちらの今年の心境でした
          似たような状況があったんだなあ というのが感想です
           リシマキア ボジョレー
          ワインかと思いました
           おやつはサツマイモ いい絵ですね 懐かしい風景です
          畑の写真 趣味農業の雰囲気がよく出ていました
          収穫物の写真 宝石 宝ものような輝きを放って見えます
          どうぞ これからもお体に気を付けて せいぜい農作業に励んで下さいませ
          次の宝もの写真 楽しみにしております
           方言は相変わらずいいですね
          「ごす」「よごす」とは言ってました
          ゴシナイヤ オッチャ 優しい響きです
           今回も楽しませて戴きました
          有難う御座いました
          
           
     
           
          桂蓮様

           有難う御座います
          今回 新作がなく 過去の作品を拝見しました
          英語 合わせ読みですので 常に新鮮です
          使い切る 記憶の片付け   
           いずれにしても人生には無駄が多いようです
          でも その無駄が反面 人生を豊かなものにしている面も
          ないとは言えないのではないでしょうか
          キチキチ カチカチの人生もまた つまらないと思います
          禅はその点 無駄を排除して本質だけを取り入れる
          その禅にしても 何ものにも捉われない自由さを本質としますので
          キチキチ カチカチの世界とはまた 違った世界だと思います
          人生の無駄も遠く生き 過去を振り返る時 懐かしいものに 
          なるのではないでしょうか
           拾っては捨て 捨てては拾う それが人生だと思いますが
          時には 整理の時間も必要ですよね 自分を見つめる
          生きて来た人生を見つめる
          今 わたくしがこのブログを利用させて戴いているのも
          自身の人生の整理の為です ですから それこそ禅の世界ではないですが
          何ものにも捉われないわたくし自身の真実をここに書き記して置きたい
          と思っています
          多分 お読も戴く方々には詰まらない 独り善がりの文章にしか
          思えないと思いますが 自身の心の裡はぶれないようにと心掛けています
           桂蓮様のブログへの記述も拝見したわたくしの感想にしかすぎませんので
          余りお気になさらずに 気軽にお読み戴ければと思っています
           冒頭の二つの写真 心が洗われます
          有難う御座いました