スケッチ 冬三題 (2014.12 10日作)
雨
煙りのような 雨が降る
街灯の 白い明かりが 濡れている
街路樹が 葉を落とし
枯れ木の姿で 濡れている
スクランブルの交差点
行き交う人の背中に
師走の街が 暮れてゆく
雪
もの みな すべてが眠りに就いた
夜の静寂(しじま)に 雪が降る
街並みが 雪の中に
溶けてゆく
冬里
冬里は 小さき谷に 家五軒
スケッチ 冬三題 (2014.12 10日作)
雨
煙りのような 雨が降る
街灯の 白い明かりが 濡れている
街路樹が 葉を落とし
枯れ木の姿で 濡れている
スクランブルの交差点
行き交う人の背中に
師走の街が 暮れてゆく
雪
もの みな すべてが眠りに就いた
夜の静寂(しじま)に 雪が降る
街並みが 雪の中に
溶けてゆく
冬里
冬里は 小さき谷に 家五軒
(演歌) 未練 恋唄 夜の街(2015.12.15日作)
燃えて火となる この恋が
しょせん叶わぬ 恋ならば
命までせもの 夢さえ捨てた
月もわびしい 夜の街
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一人呑む酒 火の酒が
恋の未練を また責める
思い切れない 心の中を
誰が知るやら 知らぬやら
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遠い灯りに 背を向けて
影もわびしい 路地裏辺り
風よ吹くなよ 辛いじゃないか
恋に身をやく この俺にゃ
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流れ果てない このさだめ
明日はいずこの 恋ねぐら
胸の思いが ただ燃えて
音泣きする 夜ばかり
演歌(2015.10.15日作)
テレビの画面では 和服姿の
女性歌手が 演歌を唄っている
愛と別れの切ない歌
好きで別れた二人 なのか
男か女 心変わりが あったのか ?
体の芯から絞り出すように唄う歌には
歌い手自身の 人生が
塗り込められてでもいるのだろうか ?
大きく映し出される 顔の
その眼の中には
涙の色がある
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男と女の恋模様
はたまた 望郷の 思いなど
切々と唄う 演歌
その歌の心は
この国の風土が経て来た
長い歳月の中で 育み
育てて来たものなのか
アフリカ系アメリカ人達が生み出した あの
ブルースのように・・・・・・
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かつては貧しく
人が生きるのにも困難を極めた この国が
経て来た 幾つもの時代
その中から生まれて来た 演歌
その歌はこれからも なお
幾つもの時代を越え 移り行く時の中で
あのブルースのように
和製ブルースとして
歌い継がれてゆくものなのか あるいは
古い殻が常に 脱ぎ捨てられ
忘れ去られてゆくように やがては
人の記憶の中からも 消えて行く ものなのか
変わり逝くもの 変わらぬもの
人の心の奥底 深淵に眠る
本質は ?
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それに付けても演歌には
人の世を生きた人の 歳月 その重みが
それを唄う 歌い手にも必要だ
若者の 輝く若さに演歌は
似合わない
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テレビの画面が映し出す 和服姿の
女性歌手の 涙
それも歌の終わりと共に 消えて
歌い手は 笑顔で
舞台の袖に消えてゆく
画面では 新たな世界
若者の輝く若さに溢れた
歌の世界が展開されてゆく
漁師の言葉(2015.8.21日作)
(朝日新聞紙面による)
シェフ三国清三さんの父の言葉
「波に直覚にぶつかっていけ」
小さな船で漁に出る時 海が時化 高波が押し寄せて来る
そんな時 清三少年の父は 恐怖に怯える少年に指示をしたという
船を横に向けたら 波に呑み込まれしはまう
三国シェフは この言葉を
人生のあらゆる場面に通じる言葉だ と書いている
極楽(2015.8.6日作)
極楽とは
あの世にあるものではない
この世にあるもの
煩悩を捨て去れば 即ち
この世は極楽
人間を地獄に陥れるものは 煩悩
煩悩がすべての災いの因となる
禅家の言葉
「生きながら 死人となりて なり果てて
思いのままにする業ぞよき」