遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 39 誰が正義などと言ったのか

2015-03-29 16:03:13 | 日記
          誰が正義などと言ったのか(2003.10.6日作)

                    イラク戦争に際して

                    ブッシュ大統領に



   今日も遠い異国の地で 何人の若者たちが死んでゆくのだろう

   青春のただ中で人生を謳歌し

   一日一日をはずむ心で迎え 過ごしていたに違いない

   若者たち あるいは

   幼い息子や娘たちの父親

   一人の人間の意志の下 多くの若者たちが今日もまた

   死んでゆく

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   なぜ彼ーー大統領は話し合う事をしなかったのか

   なぜ 彼自身が彼の地へ乗り込み

   話し合う事が出来なかったのか

   言葉を無にした人間は愚かだ

   愚かな人間は力に頼る事しか出来ない

   何千年 何万年 あるいは何十万年もかけて積み重ねて来た

   人間の叡智は何処へいってしまったのか

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   彼が自身の持つ牧場で安穏な時を生きている この瞬間

   砂漠のような国土を持つ異国の地では若者たちが

   危険の中に身をさらし 今日もまた 死んでゆく

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   緑広がるのどかな牧場で正義を口にするのは 容易い事だ

   厚い壁で守られた城の中で平和を口にするのは 簡単な事だ

   だが 命令一下 異国の地で同じ人間同士 

   銃を向け合い 攻撃し 殺傷し合わなければならない

   若者たちの苦悩 苦難 苦労を知る事は出来ない

   ーーーーー

   正義のため 平和のためには 命を犠牲にしなければならない 

   などと 誰が言ったのか

   一人の人間の命は全宇宙を包含する

   一人の父親は幼い息子 娘たちに取っては世界の中心だ

   一人の父親の命が消える時 幼い息子や娘たちの

   あるいは 彼らの母親・・・・若い父親の妻たちの世界もまた 崩壊する

   一人の若者の命が消える時 その父や母 恋人たちの世界もまた

   崩壊する

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   失われた父親 夫 息子 恋人 の命を取り戻す事は

   誰にも出来ない

   命に代え得るものは何もない

   失われた調和だけが永遠に残される

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   戦う事を正義だなどと 誰が言ったのか

   命を賭ける事が正義だなどと 誰が言ったのか

   一つの命は ただ一つもの

   失われた命を取り戻す事など

   誰にも出来ない 永遠に出来ない

   命に代え得るものは

   何もない

   -----

   戦う事が正義だなどと

   誰が言ったのか!

   



   



   

遺す言葉 38 沈丁花

2015-03-22 15:23:51 | 日記
          沈丁花(2011.3.21i日作)



   静かな町の 小さな道を辿る

   住宅街の中 ふと 漂い来る

   仄かな香り 沈丁花

   春一番の来訪者

   冬の殻を突き破り 春を

   告げる花

   春の気配の配達人 

   配達人は

   今年もまた やって来た

   心躍らす 

   甘い香りをたずさえて


   -----

   平成二十三年 2011年三月

   それでも人の心は暗い

   未曾有の大災害

   東日本大地震

   数え切れない死者の群れ


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   .....言葉もない

遺す言葉 37 資質・・・・頂点に立つ方々よ

2015-03-15 12:17:40 | 日記
          資質・・・・頂点に立つ方々よ(2015.2.6日作)



   その地位 その場所に身を置く者には

   資質が最大限重要要素

   財力学歴頭脳家柄無関係

   自身が力を発揮 自ら動く者

   自身 力は無くも 他者の力を引き出し

   巧みに活用する者

   自身も動き 他者をも

   巧みに動かし 引き立てる者

   人それぞれに持てる資質 能力は

   異なる その場 その局面

   最大限相応しい資質の持ち主 

   その者を選び出し 選択する

   最大限優先されるべき基本

   適性適格度外視 忘却は

   あらゆるもの あらゆる事 あらゆる面

   すべてに於いて 悲惨崩壊悲劇を生む

   因(もと)となる 

   -----

   この国日本 真に優れた資質の持ち主 

   適格者たちが今日現在 この国

   日本を治め 日本を動かし この国 国民

   人々の望む道への舵を取り

   航路を進んでいるか?

   政治の場 社会 経済 科学 医学 司法の場

   今 この国日本に於ける

   その場 その場の頂点 頂きに立つ者たちは

   真実 その立ち位置 その場に相応しい

   資質能力品性品格品位を備えた人たちか?

   巷間漏れ来るあの齟齬 この齟齬

   それらの齟齬 不祥事はいったい 何を物語り 何を

   この国の人々 国民に語り掛けているものなのか?

   今日現在 この国の 種種 様様

   あの場所 この局面で

   最上位に身を置く方々よ

   あなた方は日頃常に 自身の心の内で

   問い掛けておられるか? 自身の姿勢 姿は

   真実 この立ち位置 この場に身を置く者に

   相応しい姿か? その責務を全うしているか?

   名声名誉私利私欲私情私心に曇る眼は

   何処にもないか? 外道迷妄 その道を

   歩んでいないだろうか?

   今日現在 その場その場で

   頂点 頂きに立つ方々よ

   明解明確明晰明瞭に理解しておられるか? 

   自身の立つ場所 その位置の持つ 本義

   その意味を?

   総べての場 総ての局面 総ての問題

   振りかかる困難 難題に冷静沈着

   理路整然感情抑制無私無欲 その姿勢の下

   的確迅速果敢に 対処しているか?

   総ての場 その場その場で今現在

   頂点に立つ方々よ 総ての場 総ての局面 総ての事が

   あなた方の判断一つ あなた方の指示一つで 

   より良き方向 最善への道へと 進む事もあり

   悪しき方向  悲劇悲惨 崩壊混沌へと

   突き進む事にもなり得る 現実 その前で

   あらゆる方面 あらゆる場所 あらゆる局面で

   頂上頂きに立つ方々よ 本義の理解は充分

   出来ておられるか? 心の準備

   覚悟の程は 如何? 今はただ

   外道迷妄 その道へと進む事のなきよう 凡俗は

   切に

      祈るのみ

   


     

   

遺す言葉 36 記憶 東京大空襲

2015-03-08 14:15:18 | 日記
          記憶 東京大空襲(2009.7.21日作)



   わたしと弟 妹と母は ラジオの空襲警報発令と共に

   四畳半の部屋の床下に掘られた防空壕に入った

   東京 深川区福住町での事だ

   隣り組の班長をしていた父は 町内の様子を見るために外に出ていた

   昭和二十年 一九四五年三月十日未明

   わたしが国民学校へ入学するその年 東京 本所 深川方面は

   アメリカ軍 B29による空襲で 火の海と化した

   母は父が戻るまでの間 わたしたち三人を抱え

   防空壕を出る事も出来ずにいた

   ようやく父が戻って来た

   じりじりと焦る心が焼き尽くされるような長い時間だった

  「近所の人たちはどうしたの?」

   母は急き込んで父に聞いた

  「みんな避難した」

   近所の人たちを誘導していた父は言った

  「それじゃあ わたしたちもこんな所にいないで 早く逃げようよ」

   母に促されて わたしたち三人は防空壕を出た

   急いで寝巻きの上に服を着て 外へ出た

   その時すでに 火の勢いは三 四軒先の隣りまで来ていたーー

  「あのまま 防空壕を出ないでいたら わたしたちは今頃

   丸焦げになっていたよ」

   母は あの時を思い出すたびに言った

   わたしたち一家は 火の手が迫って来るのとは反対側の大通りへ逃げた

   母が妹を背負い 父がわたしと弟の手を引いていた

   すでに 家を焼かれた大勢の人たちが まだ燃えていない

   倉庫群の建ち並ぶ川岸の方へ走っていた

   無数の焼夷弾がその間にも わたしたちの背後で

   暗黒の夜空を明るく照らし出しながら

   火の海と化した街の上に落下していた

   川に架かった橋を渡ると 暗い大きな倉庫の中に逃げ込んだ

   大勢の人たちで中はいっぱいだった 後にして来た街の燃える様子が

   暗い水面に赤く映って揺れていた

   程なくして誰かが

  「ここも危ない」

   と言い出した

  「学校へ逃げたらどうかしら」

   他の誰かが言った

  「あっちへは大勢の人が逃げていて 学校へは入れない」

   その方面から来た人が言った

   火の手は対岸の街を焼き尽くそうとしていた

   みんなが新たな避難所を求めて倉庫を出た

   直後に 倉庫は火の海に包まれた

  「もう燃えてしまった跡へ逃げれば狙われない」

   誰かが言った

   みんなが追いかけて来る火の中を逃げ惑いながら

   安全な場所を求めて右往左往していた


   -----


   ようやく空襲警報解除の知らせを聞いた時には 何処かの街の

   焼け跡に残った映画館の中の暗闇に 大勢の人たちと一緒にいた

   外へ出た時には まだ太陽の昇らない朝になっていた

   街は一面の焼け野原に変わっていた

   黒焦げになった家々の残骸が まだ 煙りを立ち上らせながら散乱していた

   わたしたち一家は 大勢の人たちに混じって

   コンクリートの建物の破片だけが残る一隅に身を寄せた

   隣り組の親しくしていた三軒の家の人たちとも そこで顔を合わせた

   父や母は その人たちと一緒にわが家の様子を見に行った

   家は跡形もなく焼き尽くされていた

   日頃 弟が乗っていた赤い三輪車だけがポツンと一台

   共同水道のそばの焼け跡に残っていた

  「まったく不思議だね なにもかもが灰になってしまった中で

   あの三輪車だけが 焦げ跡一つなく無事に残っていたんだからね」

   後年 母はそんな驚きの言葉を何度も口にした

   わが家の焼け跡から戻った母たちは 何かの容器に入れた

   幾つものオニギリを手にしていた

  「ゆうべ お米をといで釜に入れておいたら

   こんなにふっくらと炊けていたのよ」

   そのオニギリを口にした母たちはだが すぐに吐き出してしまった

  「焦げ臭くて食べられないわ」

   残った幾つものオニギリを捨てようとした時

  「それ戴けませんか」

   と そばにいた知らない人たちが 疲れ切った顔で言って来た

   母たちは全部を何人もの人たちにあげてしまった

   焼け跡に朝日が昇った

  「すぐそこの道路に 黒焦げになった人の死骸がある」

   そんな話が広がった

   母たちは見に行った

   子供たちは行くのを止められた

   次第次第に昨夜の情報が入って来た

  「学校へ逃げた人たちは全員が焼け死んだ

   屋上には 大勢の人たちが折り重なって死んでいる」

  「わたしたちは 学校へ入れなくてよかったんだね」

   母たちは安堵の思いを滲ませながら話し合った

   その日のうちに わたしたち一家は 三軒の家の人たちと一緒に

   焼け跡に奇跡のように残っていた 一軒の二階家を見つけて移り住んだ

   父たちは 当面の生活道具を揃えるために 焼け跡の倉庫街へ足を運んだ

   食器類(今でもわたしは その食器の一つを使っている)炊事道具 布団

   大きな袋に入った米などを

   焼け跡を掘り返して探し出して来た

   それでも そのまま焼け跡での生活が続けられるはずはなかった

   街の機能は消滅していた 

   それぞれの家族が故郷や親戚を頼って

   その家を出て行った

   わたしたち一家が最後に残された

   母の実家へ帰るための 汽車が不通のためだった

   一週間が過ぎて ようやくわたしたちも 

   九十九里の海に近い 祖母が一人で住んでいる

   母の実家へ帰る事が出来た


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   戦争は その年の八月十五日に終わった

   わたしは四月に千葉県匝瑳(そうさ)郡白浜村国民学校に入学した

   空襲がなければ 東京の深川で入学式を迎えていたはずだった

   三月九日 わたしはその日まで祖母と二人で 白浜村に暮らしていた

   学校へ入学する準備のために母は 親しくしていた三軒の家の人たちを伴って

   わざわざ わたしを迎えに来たのだった

   空襲はそうして わたしが東京へ戻ったその日の夜 

   明け方に起こった

   わたしは母が入学式のために買い揃えて置いた 真新しい靴も履かずに

   父の手造りの粗末な下駄を履いて逃げた

  「入学式のためにと思って買い揃えて置いた 新しい靴を履かないで

   選りに選って 手造りの粗末な下駄を履いて逃げたんだからねえ」

   母は後年 その夜の自分たちの慌てふためきぶりを自嘲して よく言った

  「わざわざ迎えに行って その夜のうちに空襲にあうなんて

   運が悪いっていうか なんていうか」

   母たちはその日 東京では物資も乏しいだろうから と言って

   祖母が持たしてくれた 祖母が蓄えて置いた食料品の粗方を

   持って来てしまっていた

  「焼くために おばあさんが大事に取って置いた物を

   わざわざ持って来たようななものだよ」

   母の嘆きは後年 長く続いた

   そんな祖母は 一週間になると言うのになんの連絡もない

   わたしたち一家の無事を諦めかけていた

  「こんなに日にちが経っても あんの連絡もねえところをみると

   はあ 焼け死んでしまったんでしょうよ」

   近所の人たちから 本所 深川方面の空襲の様子を聞かされていた祖母は

   そう言っていた という


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   わたしたち一家が帰った日 祖母は

   門を出た横の 槙の木の塀に沿った小道で

   近所の人と話しをしていた

   わたしが父や母より先に 走って

  「ばあちゃん」

   と叫びながら近付いて行くと 祖母は

   驚きの表情でわたしを見て 息を呑んだ 

   それからようやく

  「おお けえって来たか」

   と言って 走り寄るわたしを抱きしめた

   それはわたしの脳裡に深く刻まれて

   消える事のない光景となった


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   昭和二十年 一九四五年 三月十日未明 東京大空襲

   死者おおよそ十万人

   そんな状況下 誰一人怪我をする事もなく無事

   生き延びる事の出来たわたしたち一家には いったい

   何があったのか?

   一夜のうちに人の生死を分け 隔てたものはなんであったのか

   人の力では計り知れないもの もし それが神の力によるものだとしたら

   神は何処で 人間の幸不幸 運不運を選別するのだろう?


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   神など存在しない 全知全能の神など 何処にもいない

   人それぞれが持つ運命 それだけが人の命を左右するもの

   それのみが真実 それのみが真理 多分 人はそう信じて

   人それぞれが持つ運命 その運命を精一杯生きる事より外に

   出来る事はないのではないか 

   人それぞれが持つ運命 命こそが この世では

   最も貴重なものであり 至上のものであるのに違いないのだから

    

   
   

   

  

  


 

    

   

   

   

   

   

   

遺す言葉 35 愚者の船ー神は沈黙

2015-03-01 14:36:57 | 日記
          愚者の船ー神は沈黙(2015.2.12日作)



   夜が明ける 陽が昇る

   今日もまた数知れぬ

   愚者を乗せた船が あの港 この港 と

   出て行く いったい

   どれだけ人の命を絶てばいいのか

   いったい どれだけ人の心を踏みにじり

   悲嘆と苦悩の淵に突き落とせば

   気が済むのか 彼等はいったい

   何を望んで 何を手に入れたいのか?

   お互いに譲り合う心 謙譲の心がなぜ

   持てないのか?

   今 争い 人の命を奪い合う

   愚かな戦いの 真っ只中にいる この

   地球という船に乗り合わせた人々よ

   命と命 心と心 人

   それぞれが持つ命と心 互いの命と心を

   なぜ繋ぎ合わせて 互いに手を取り合い

   夜明けの時 夜のあとには必ず訪れる

   朝の光り その輝きを微笑みで迎える事が

   出来ないのか?

   互いの手と手を置く場所 武器ではなく 人の

   命と心 その上に置く手が なぜ持てないのか?

   この宇宙 果てしのない宇宙の中に只一つ

   ポツンと存在 ポツンと在る 命を宿す場所

   地球という船に乗り合わせた人々 人間

   孤独な世界の住人 人間には

   頼り得るものは何もない 人がすべて

   人 人だけが唯一 人を救い 人を慰め

   人を奮い立たせ 人を励ます事の出来る存在

   人が生きる 空虚な神

   姿も見せない 声さえも届けない

   この地球の上の何処にもその存在

   気配も見せない神は 虚しい存在 神は只

   人間 人が 自身の胸の中に収めて

   自身を律する心の糧 命の糧 と思いを定め

   この世の悲惨 この世の不条理 

   この世の苦難 理不尽を人間が

   自身の力で乗り越え進んで行くより外に この船

   地球という船の進む道 航路はない

   命を奪うな 心を奪うな

   悲惨と苦悩 哀しみを

   人の心に植え付けるな

   今日もまた 夜明けと共にあの港 この港

   船が出る 愚者の船? 賢者の船?

   船を繰り 舵を取るのは人

   人以外の何ものでもない 神は常に沈黙

   この世の悲惨 この世の悲劇に眼をつぶり

   声を殺して