忘れてならないもの(2024.12.6日作)
(今年は今回を持って終わりにします
スタッフの皆様には大変お世話になりました
有難う御座いました
また 駄文にお眼をお通しした抱いた方々には改めて御礼申し上げます
有難う御座いました
なお 来年は一月十二日より掲載の予定です
宜しくお願い致します)
命の終わり 死は
常に身近 傍にある
其処にも 此処にも
一寸 一歩先は誰にも分からない
今この時は 永遠ではない
常に変わりゆく今この時
人に出来る事は 只今現在
今を生きる 生きる事
それでも人の命は日々 時々刻々
失われて逝く
失われ逝く人の命
朝に生まれて 夕には沈む太陽
沈む太陽 夕陽が今日も
遠く彼方 山の端 海の向こう ビルの谷間へ
消えて逝く
沈む太陽 夕陽を見詰める
日々の幸せ
人が人としての命を全うする
この貴重さ 尊さ 人が決して
忘れてはならないもの
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<青い館>の女(18)
わたしは近付いて来たタクシーのドアが開くと座席に身体を埋めて眼を閉じた。
タクシーがゆっくりと動き出した。
瞬間、まるで奈落の底へでも突き落とされて行く様な奇妙な感覚に捉われた。
底知れず沈んでゆく重い気分の中でわたしはホテルへ帰ったらゆっくりと眠りたいとだけ考えていた。
3
東京へ帰った翌日、わたしは早速、本社の会長室で息子に会い、北の街に於ける新店舗の営業状況を報告した。
日々、忙しい中でも各地の支店から送られて来る営業報告書に眼を通している息子は、当然の事ながら北の街での営業状態も把握していて、予想以上の数字が送られて来る事に満足していた。
「あの店長は、あの辺では遣り手で通ってるらしいけど、それにしても良く遣ってると思うよ」
息子は言った。
「お前、聞いてなかったか ? 中古の車で好い商売が出来るんじゃないかって、店長は言ってた」
わたしの気持ちの中ではまだ、手を染めた事のない分野への進出に決断出来ない気持ちもあって息子に聞いてみた。
「うん、聞いてる。ロシアの船員相手に好い商売が出来るんじゃないかって。だけど、この方面は全くの素人だし、すぐにどうこうっていう訳にはゆかないと思うんだ」
息子も流石に今の時点でおいそれとは決断出来ない様子だった。
「まあ、遣るとなれば何処か、これまでの実績のある所と組んだ方が無難じゃないのかなあ」
わたしは言った。
「店長も、今すぐにって言ってる訳ではないんでしょう」
「うん、考えて置いてくれとは言ってたが」
「俺もこの前会った時言われて、考えてみるとは言って置いたんだ」
「部品から入ってみるっていう手もあるんじゃないのか ? 電気製品は良く売れる様だし、車でも商売になればこれに越した事はないからなあ」
「一応、関係者には当たってみようとは考えてるんだ」
「それはそうと松田農産販売は切ったんだって ?」
妻の口から聞いた事を息子に聞いてみた。
「うん、どうしてもひと月決済にしろって言うんで、代わりにその分の値引きが出来るかって聞いたら、それも無理だって言うんで、じゃあ、止めようって言ったんだ」
「それで品揃えは大丈夫か ?」
「うん、大田市場でなんとか揃えられるよ」
「産地直送の看板は外さなければならないだろう」
「それは大丈夫だよ。他にも産直の仕入れ先が無い訳ではないし、地方は地方でそれなりに遣っているので心配ないよ」
「仕入れ部長はなんて言ってる ?」
「中園は大丈夫だって言ってる」
結局、わたしは中古車販売の事も松田農産販売の事も息子の決断に委ねた。
息子は何れ、適切な判断を下すだろう。
商才に掛けては息子は祖父に似て、わたしより上だというのが専らの評判だった。
祖父似という点に不快感を抱いてもわたしは、その評判に悪い気はしなかった。
彼の能力が築く世界が明るいものであろうと想像出来る事は、父親としてのわたしに取って悪かろうはずがない。
幸い、彼の家庭も旨くいっている。
結婚と同時にわたしと妻の居る谷中の家を出て、築地にマンションを購入した息子夫婦は現在、七歳の男の子と三歳の女の子の四人で暮らしている。
息子の細君は聡明で性格も明るく、素直な女性だった。
何かと矜持の高いわたしの妻とも旨く折り合っていて、わたしが今、心を煩わせなければならない事は何も無かった。
わたしの肉体がもたらす死の不安と恐怖、それに絡んで来る心の中の空虚な感覚。
わたしの心を覆う暗鬱は総てわたしの心自体が生み出す問題だった。
今のわたしはただ、そんな世界を生きてゆくより他に出来ない。
わたしが三度目に北の街を訪れたのは、ほぼ二カ月が過ぎてからだった。
北の街の新店舗では総てが順調で、何も変わりはなかった。
中古車販売の件での目立った進展はなかったが、それはそれで仕方が無かった。
新規に事業を始めるとなるとおいそれという訳にはゆかない。
店長もそれは承知の上の事で、殊更、何か言って来る事も無かった。
無論、わたしの訪問は通常の日程に沿っての行動だった。
それでも今回は特別な行事も無くて、東北地区から足を延ばしてその日のうちに東京へ帰る事も可能だったが、無論、そんな日程は組まなかった。
東北地区の視察を済ませた後、午後遅くに北の街に入って海岸ホテルに部屋を取り、店には翌日顔を出す。
当然の事ながら、わたしの頭の中には加奈子への思いがあった。
ホテルに入ると午前一時過ぎに加奈子の携帯へ電話を入れた。
或いは、この時間でも加奈子に「通し」の仕事があった場合は電話に出られないであろう事は分かっていた。
それでもこんな時間以外には電話の出来る時間が無かったのだ。
加奈子は、店での仕事中は出られないので、午後二時頃から五時頃の間に電話して貰えますかぁ、と言った。
夜遅く仕事から帰った後、「午前中はほとんど寝ているので電話があっても分からないからぁ」
わたしはその時には「うん、分かった」と言ったが、実はこの時間帯はわたしに取っては最も忙しい時間帯だった。
店内視察を済ませた後、店長や川本部長との話し合いを持たなければならならなかった。
その話し合いにどれだけの時間を取られるのかも、その場になってみないと分からない事だった。
それに気付いてわたしは危惧しながらも真夜中の電話をしたのだったが、加奈子は長い呼び出しの後、電話に出た。
「はい、佐々木です」
加奈子は言った。
こんな深夜の電話に対する明らかな不機嫌さの感じ取れる口調だった。
「御免、三城だよ」
わたしは加奈子の不機嫌さをなだめる様に穏やかな声で素直に謝った。
無論、三城は加奈子に伝えた偽名だった。
「ああ、三城さん・・・」
加奈子は途端に声を和ませて言った。
「なんですかぁ、こんな時間にぃ」
加奈子は言った。
「今、何処 ? 家に帰ってるの ?」
わたしは言った。
「ええ、帰ってますよぉ」
加奈子は言った。
「通しの仕事じゃないかと思って心配した」
安堵感を滲ませた声でわたしは言った。
「今夜は暇だったんですはよぉ、それでぇ早く帰って来てぇ」
加奈子は言った。
「さっきはなんだか、機嫌が悪そうな声だったので心配した」
言わずもがなの冗談をわたしは口にしていた。
「こんな真夜中に誰かと思ってぇ」
加奈子は言った。
何故かくぐもった様な声の、何処かに歯切れの悪さを感じさせる言い方だった。
そんな加奈子の普段とは異なる一面に思い掛けなく触れた気がしてわたしは戸惑った。
それでもすぐに気分を立て直して、
「明日、約束出来るかなあ」
と聞いた。
「明日ですかぁ、いいですよぉ。お店を休みますからぁ」
加奈子は躊躇う様子も見せずに何時もの明るさを見せて言った。
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takeziisan様
今年一年 有難う御座いました
楽しい記事 何時も駄文にお眼をお通し戴く事
改めて御礼申し上げます
今年は今回で一応終了になります
有難う御座いました
「雪の降る町」の季節ですね
速いものです
年々 月日は加速度を増し足早に過ぎて行きます
あっという間の一年でした
「小さな日記」
実はこの曲 知りませんでした
それを何時も聞いている唯一の歌番組「BS ニッポン 心のうた」
で聞いて初めて知りました
良い歌だなと思い パソコンで調べてもみました
あの時代の歌は余り知らないのですが フォレスタが歌ういろいろな曲の中で
時々 良さに気付かされる事があります
何よりも 混声合唱団のフォレスタの皆さんがしっかりと基礎を身に付けていて
正確に曲を表現してくれますので 歌の良さが直に伝わって来ます
記事で「小さな日記」の文字を拝見して何故か嬉しくなりました
今年 納めの川柳の数々 読む方々の心意気が伝わって来て
何時 拝見しても楽しいものです
ジャム 総て手造り この贅沢さ 羨ましい限りです
でも 食べ過ぎて糖分過剰になりません様に
いろいろ 有難う御座いました
来年は二週目から始める心算で居ます
どうぞ 良いお年をお迎え下さいませ
気まぐれ、ごちゃまぜな弊ブログの励みになるようなコメントをいただき、
有難うございました。
来年もよろしくお願いします。