仏心(2022.4.2日作)
仏心は 誰の心の中にも ある
それを信じる 信じない は
その人次第 個人の問題
仏は 人が信じようが 信じまいが
誰の心の中にも居て 人の
喜び 悲しみ 善行 愚行
怒りも 憎しみも 無言のうちに受け止め
見守り 形に表す事は ない
誰の心の中にも存在する仏 仏心
それに気付くか 気付かないか
仏心 仏を心に抱いての善幸
仏心 仏に背を向けての悪業 愚行
総ては各自 その人 次第 個人の問題 心の問題
誰の心の中にも 常に変わりなく存在する仏
仏心
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引き金(2)
多美代と寝室を別にするようになったのは、いつの頃からであったのか、確かな記憶はなかった。
酒気を帯びて帰る事も稀ではなくなった多美代が望んでの事であったのか ?
あるいは、心を閉ざした三杉自身が望んでの結果だったのか ?
三杉は健康であった頃から帰宅が遅くなる事も考慮して、自分の部屋にベッドを置いていた。夫婦がそれぞれに自分の部屋で過ごす夜もありふれた、日常の習慣になっていた。
それでもまだ、その頃には夫婦間の接点があった。夫婦共通の寝室は健全さを保っていた。
三杉は今、多美代が空洞と化した夫婦の寝室でひとり、夜を過ごす事があるのかどうか、それさえも知らなかった。知ろうともしなかった。夫婦と名の付く総ての事柄がただ、虚しい抜け殻に思えていて、そこに係わろうとする気力さえも湧いて来なかった。
朝、七時に三杉は家を出た。
何時の頃からか、多美代が三杉を見送る事もなくなっていた。
三杉は二十五キロ程の道程をゆっくりと車を走らせながら、銀座にある本社へ向かった。今でも三杉を診ている担当医は、出来る事ならハンドルを握らないように、と言っが、思いもしなかった病の為に日常を奪われてしまった三杉にしてみれば、車の中に一人居るこの孤独な時間こそが、誰の時間とも隔絶された自分自身の貴重な時間であった。何処へ行こうと、どのように走ろうと、思いのままだった。ただ、孤独だけが感じられる時間の中で、会社経営者という立場も、家庭での夫、父親、という立場も忘れる事が出来た。出来ればこの時間が永遠に続いてくれればいい、としばしば思った。このまま、果てし無く続く道を何処までも、何処までも、走って行きたいーー。
それにしても、と三杉は思った。
光枝がお手伝いとしていてくれる事が救いだった。
光枝は多美代の遠縁の娘で秋田育ちだった。三杉の入院中に来た。
光枝の両親は世間並みに高校へ進む事を勧めたが、当の光枝自身にその気がなかった。中学での義務教育が終わると、そのまま地元のスーパーマーケットに就職した。
三杉の家へ来る事になったのは、ふとした、人の口利きだった。
学業を嫌うほどだけに、格別に利発とは言えなかったが、性格的には素直で気持ちの優しい娘だった。家事に於ける細かい事にもよく気が付いた。
「まだ、来たばかりだけど、あの子なら安心して任さられるわ」
三杉の入院中、病院にいる事の多かった多美代は言った。
娘の奈緒子とも光枝は気が合うらしかった。色白で大柄な光枝が奈緒子と姉妹のようにさえ見えた。奇妙に大人びた口利きをする奈緒子にやり込められても光枝は大らかだった。自分達夫婦の生活を詮索する様子をまったく見せない事にも三杉は気に入っていた。
そんな光枝の唯一の関心事と言えば、アイドルタレント達の消息だった。だが、それさえも自分の仕事を忘れてまでという程ではなかった。時折り、その時もっとも関心を寄せているタレントの公演がある時などには、多美代の許可を得て会場に足を運んだりした。
三杉は多美代の帰宅が今までになく遅くなり始めた頃に光枝に聞いた。
「奥様は最近、帰りが遅いけど、何か聞いてないかい ?」
それを聞くと光枝は意外だという顔をして、
「あら、旦那様は聞いてらっしゃらないなですか。奥様はカルチャーセンターへ行って、ジャズダンスを勉強してるんですよ。知らなかったんですかあ」
と、夫婦でいながら如何にも迂闊だと、三杉を責めるかのように明るく言った。
三杉は今ではもう、店舗の営業時間が終わる夜九時まで事務所に居る事はなくなった。現役の頃には、閉店時間後に各店舗から送られて来る一日の売上高に眼を通し、それぞれの商品の販売実績などに細かく注意を払って明日の営業に備えたものだったが、今では、自分の体への配慮が先に立った。事実、肉体は少しの無理にも耐えられなくなっていた。六時の就業時間が来ると、残業で残る事務職員達や、まだ何かと忙しい役員達に声を掛けて事務所を後にした。
帰宅への車の中での時間は何故か、朝の本社へ向かう時間とは異なって心が晴れなかった。病気をする以前の帰宅時間は何時も午前零時を過ぎていた。肉体は一日の休む間もないような労働に疲れ切っていたが、それでも心は弾んでいた。総ての時間が明日へと繫がる時間だった。心は希望と野心に燃えていた。全身を包む疲労感さえが心地良く感じられた。
三杉が多美代の背後に男の影を感じ取るようになったのは、確たる証拠を得た後、という事ではなかった。
その頃、三杉は多美代を包む雰囲気の中になんとはない、華やぎの色を感じ取るようになっいた。初め、三杉はそれを多美代がカルチャーセンターへ通うようになった事の結果だと理解していた。そして、その事に対して三杉はむしろ、好ましい感慨をさえ抱いていた。自分の人生への喪失感に悩みながら苛立ち、剣呑さを募らせ、他者に対して心を閉ざしてゆくような赴きのある自分自身を顧みながら、心の底の何処かでは、多美代が明るい昔のような雰囲気を取り戻してくれている事に救われるような思いをさえ抱いていた。
三杉はその頃、自分自身に絶望しながらも、まだ、多美代への愛情や思い遣りを無くしてしまっていた訳ではなかった。むしろ、多美代への愛情を素直に表現する事の出来なくなっている自分を嫌悪していた。多美代自身もそんな三杉に感化されたかのように、次第に何処となく、晴れない気分の暗い雰囲気を漂わすようになっていて三杉はまた、なお一層の、自己嫌悪と暗さの中にのめり込んでいった。
三杉には、多美代が自分に何も言わずにカルチャーセンターへ行くようになった事にも、拘りを抱く気持ちはなかった。むしろ、陰険な自分に相談して、楽しみを奪われる事を恐れる多美代の気持ちをおもんばかる心の方が強かった。それだけに、華やぎを取り戻したかのように見える多美代を眼にして三杉は、むしろ、自分自身の救われるような思いさえ抱いていた。自分の責任の軽減されるような喜びと安堵感だった。
しかし、そんな思いも結局は長くは続かなかった。三杉は日毎、月毎に華やかな雰囲気を身に纏うようになって来る多美代の変化に、なんとはない不安を感じ取るようになっていた。肌の輝きにさえ、若い昔の多美代が蘇ったかのような潤いが感じられるようになっていた。その輝きに三杉は嫉妬した。
事実、多美代は生き返ったかのようだった。爪の先や、髪の細部までに細かい気を配るようになっていた。世帯臭を払拭した女の輝きのようなものさえが感じ取れた。三杉は恋人時代の多美代を見る思いがした。そして、そんな多美代は今では、三杉の遠い所にいた。三杉の知らない存在のようでさえあった。
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takeziisan様
有難う御座います
今回もブログ 堪能させて戴きました
一年前 一カ月前 変化の実感 全く同感です
それに寒暖差に合わせる事の難しさ 何事にも
柔軟に対応する事の出来なくなっている身を日毎
認識しています これが歳を取る という事でしょうか
以前 三歳年上の方に 三歳違ったら大変ですよ と
言われた事があり 当時は何を三歳ばかりの差を大げさに
と思ったものですが 最近はその違いの大きさを如実に
実感しています
足腰痛む 御同様 わたくしは毎朝 ほぼ一時間四十分
の自己流体操をしています ラジオのコマーシャルで
筋を伸ばせば痛みはきえる とその方面の専門医が言っていた事を思い出し
脚を伸ばし 腰の筋肉を伸ばし 他にもいろいろしていますが
確かに 筋を伸ばす事は効果があるようです 一度 試してみてはいかがですか
結局 老齢と共に血管が衰え 血行が悪くなる
この事が関連しているのではないかと思い 一生懸命に
毎朝 励んでいます 暖かくなって来たせいか 最近は
冬場より 腰の痛くなる感覚も楽になったように思います
それにしても キュウリ ナス トマト 作業の大変な事が窺えますが
何処となく楽しそうな雰囲気 羨ましいです
千曲川 風景 堪能させて戴きました 姪が長野県に
嫁いでいますので その結婚式の時に訪れて見た山々の光景や
宿を取った諏訪湖畔の情景などを懐かしく思い出しました
それにしても 何故か このような景色には
以前にも書きましたが 郷愁を誘われます
その他 数々の美しい花々の写真 楽しませて戴きました
アケビが 「山女」 とは 眼から鱗 びっくり仰天
面白いですね
アケビは何故か わたくしの地方にはなくて 名前だけ親しかった
憧れの植物でした 木から直にその実を採って食べてみたい
木の実の一つです
何時も 拙文にお眼をお通し戴き 有難う御座います