試される(2023.3.11日作)
ゴマの一粒一粒は 小さくても
数が多く集まれば
豊富な 栄養素 となる
一円は 一円の価値しかなくても
十枚集まれば 十円の価値を持つ
千枚詰まれば 千円
大きな木は 太く高くても
中が空洞 中身が無ければ
なんの役にも立たない
小さなものを侮るな
大きなものにひれ伏すな
物みな 総て それぞれには
各自の持った個性がある
各々 持ったその個性 どう活かす ?
人の叡智が試される
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私は居ない(完)
私は返す言葉もなく、ただ、
「そうですか」
と言うより仕方がなかった。
それにしても、この老人の言葉といい、〆香と名乗る女の言葉、川万の元女将の言葉、そして伯父の言葉、それぞれが口にする言葉がどうしてこうも違うのだ。
それぞれが口にする言葉にはそれぞれ類似があったが、それでいて何処かが微妙に違っていた。
老人の語る芸者は元女将の言った芸者とよく似ていたが、それでも幾つかの点で違っていた。むしろ、〆香と名乗る女の言葉と相通じるものがあったが、その違いもまた明白だった。現に〆香と名乗る女は私の眼の前に存在する。死んではいない。
更に私が不思議に思ったのは、〆香と名乗る女の言った住所がこの場所と一致したという事だった。一致していながら、此処には〆香と名乗る女の言った高木という家は、昔から存在しなかったという。そして老人は物心付いた子供の頃から此処に居る、と言った。
老人と〆香と名乗った女の間には、それ程の年齢差はなかった。兄妹とも言える程の差でしかない。高木姓の一家が越した後に老人一家が此処に越して来たとは、とても考えられなかった。
とすると・・・・、女は住所を間違えていたという事か ?
思い当たる事はそれ以外には考えられなかった。
私はようやく自分の気持ちを納得させると、
「お忙しいところ、お仕事のお邪魔をして申し訳ありませんでした」
と、片時も仕事の手を休めない老人に丁寧に礼を言ってその家を後にした。
私の頭の中は空っぽだった。先程来た道を後戻りしながら私は、いったい、これはどうなっているんだ、と改めて思い直さざるを得なかった。
おそらく、初めから何かが狂っていたのに違いない。
歯車が嚙み合わないままに奇妙な事実だけが存在する。そして、真実は何処にもない。
否、真実は存在する。総てが真実なのかも知れない。ただ、何処かで何かが違っているのだ。何かが ?
私という存在は確かに今、此処にこうして居る。
それは紛れもない事実であり、真実だ。訪ねた四人の口にする言葉はそれぞれ違っていても、私が現に此処にこうして居る、この事実、真実だけは何処の誰にも覆しようがない。覆す事は出来ない。
とすると、生前、冗談好きだった母は、亡くなる直前に於いてまでもなお、私を担いで、からかっていたのだろうか。
実際には母は、真実の母だったのか ?
そう考えると私は、なんとなく、気持ちが明るくなって来て、或いは、それもあり得ない事ではない、と思えて来た。
最早、自身の出自の探求は諦めて東京へ帰ろうという思いと共に私は、銚子駅に向かい歩き始めていた。
どの方角が駅へ向かう道なのか、分からないままに闇雲にそれらしいと思われる方角へ歩きながら、流しのタクシーを探したがその姿は皆目見当たらなかった。
眼の前にバスの停留所の立て札が見えて来た。
市役所方面と書かれた文字が眼に入った。
市役所という言葉が無意識の裡に私の意識の中で反芻されていた。
そうだ、市役所へ行って聞いてみようか ? 何か分かるかも知れない。
一度は収めた好奇心が再び頭をもたげていた。
一度は収めた好奇心が再び頭をもたげていた。
十五分程待ってバスは来た。
市役所では、六十歳に近いと思われる白髪の薄くなった係りの男性が相手をしてくれた。
「高木 ? ✕✕町二丁目十四番地の高木 ? うーん、現在は村山家になってんなあ。昔しからずっと村山家だなあ」
老眼鏡の係員は独り言を言ってから、
「高木なんつうのはね(無)えですねえ」
と私を見詰めて言った。
「三十年ぐれえめえ(前)に東京深川で芸者をしていた〆香・・・ねえ。ちょっと、それだけじゃあ、分かんねえですねえ。あに(何)かはっきりした手掛かりになるような物があるどいいんだけどなあ」
「三十年ぐれえめえ(前)に東京深川で芸者をしていた〆香・・・ねえ。ちょっと、それだけじゃあ、分かんねえですねえ。あに(何)かはっきりした手掛かりになるような物があるどいいんだけどなあ」
「番地だけじゃ、駄目ですか ?」
「うん、その番地には昔から高木っつう家はなかったですよ」
老係員は私を諭すかのように言った。
私はまた、此処でも疲労感を覚えていた。
またしても堂々巡りが始まっている。
「そうですか。いろいろ有難う御座いました。お手数を掛けて申し訳御座いませんでした」
私は礼を言って市役所を出た。
市役所の前には二、三台のタクシーが停車していた。
そのうちの一台に乗って私は駅に向かった。
上り犬吠号に乗り込んた時には、既に黄昏れの気配が漂い始めていた。
列車が動き出すと私は座席に身体を持たせ掛けて眼をつぶった。
疲れた、と思わず溜め息が出た。
総てが徒労だったという気がした。
それでも私には失望感はなかった。
あの、〆香と名乗った女は番地を間違えて覚えていたのだ、と改めて思った。
しかし、それももう、どうでもいいように思えた。私は現に此処にこうしている。それだけで何故か満足感に満たされた。
ふと、私は無心のまま、列車の軽い振動に身を任せている中で思い浮かべていた。
かつて観た黒沢明監督の「羅生門」という映画だった。
芥川龍之介の短編小説「藪の中」を原作とするこの映画が描いていたのが、自分が今度、経験したのと全く同じような出来事だった。
ある一つの出来事を巡って語る四人の証言がそれぞれに異なっているのを映像化した作品で、日本最初のヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作品だった。
その中で黒沢明監督が描いていたものは・・・・ ?
真実とは ? 真実とは一体 何か ?
真実は何処にあるのか・・・・?
人とは、人間とは ? ・・・・・
この世界を見る人間の眼は、一人一人の眼には同じように見えている事柄、物も、それぞれが心の中、胸の中で受け止めるその物への印象、思いはそれぞれに、異なって見えているに違いないのだ。異なった印象、異なった思い出、この世界は人間一人一人の数だけ存在するに違いない。
この世界は一つだ。
だが、一つであって一つではない。
人間の数だけ存在する。
そして私は今、此処に居る
完
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takeziisan様
有難う御座います
ブログ 今回もへーえ なる程 そうか そうだった
拝見しながら心の裡で呟いていました
ジャガイモ植え付け 拝見する限り カチンコチンの土
なる程と納得する思いです それに小石も多いように見えますが ?
それに雑草 なる程 これでは大変だ
納得です
わたくしの居る地方の土は良いですよ 黒々としていて如何にも柔らかそう
車で畑道を通る時などしみじみ良い土だなあ と見惚れています
方言 微妙に違いますが それでも共通点は多いです
狭いニッポン そんなに急いで何処へ行く でしょうか
仰げば尊し こちらでは送る側が 蛍の光り 送られる側が 仰げば尊し でした
オルガンの音 懐かしく思い出します
ある愛の詩 人の命のはかなさ もろさ
最後 主人公が思い出の場所で亡くなった人を偲ぶ
切ない場面ですね
愛とは決して後悔しないこと
有名なセリフですね
セキレイ 以前にはわが家の近くでも眼にしましたが
今は見られなくなりました それだけ都市化が進み
自然が失われているという事でしょうか
色とりどりの花々 楽しませて貰いました
昨日 公園の側の道を自転車で通った時 雨に濡れた桜の花びらが
顔に散り掛かって来ました
花の命は短くて あっという間に時は過ぎて逝きます
今回もブログ記事共々 有難う御座いました