遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉304 小説 逃亡者(1) 他 ピンピンコロリ

2020-07-26 13:32:16 | つぶやき
          ピンピンコロリ(2020.7.23日作)

   ピンピンコロリ
   なんという 
   厭な 言葉だ
   なんという
   品性を欠いた
   下劣 下等な 言葉だ
   この言葉の 意味するもの
   この言葉の 響きからは
   人の命の 尊厳
   人の命への 畏敬の念
   人の命への 配慮が 全く
   見えて来ない
   犬猫の 死 でも取り扱うように
   人の命 人の心をもてあそぶ 
   そんな感覚の 人間精神 の
   粗雑 粗悪 醜悪さ だけが
   浮き上がり 透けて
   見えて来る
   ピンピンコロリ
   なんという
   厭な響きを持った言葉だ


          -------------------


          脱走兵(1)

          一

 少年も祖母も始めは風が板戸を鳴らす音かと思った。だが、二度目には、はっきりと誰かがその板戸を叩いているのだ、と分かった。
 少年は不安な面持ちで祖母を見た。
 祖母の顔にも緊張の色が浮かんでいた。
 二人は共に、もしや、という思いに捉われていた。
 辺りをはばかるような、それでいて性急さを帯びたその板戸を叩く音は、なおも続いていた。
 少年は恐怖のため、今にも泣き出しそうになった。
 祖母はその少年の顔を見て一瞬、強い決意を秘めた表情を見せたが、それでもなお、ためらうように座ったままでいて動かなかった。
 少年には、どうしたらいいのか分からなかった。このまま、何もしないでいたら、夜の事で、板戸を叩く者は、その板戸を蹴破って押し入って来るのではないか、という気がした。
 だが、もし、戸を開けてしまえば、家の中に "殺人犯 "を招き入れる事になるのだ。
 板戸を叩く音はその間もなお、小刻みに、忙しなく続いていた。
 とうとう祖母が、藁草履を作っていた膝の上のゴミを払うと、立ち上がって土間の方へ歩いて行った。
 七十歳を超えた祖母は少し曲がった腰で、土間に降りると草履を履きながら、
「こんな夜中に、どなたです」
 と、声を掛けた。
「すいません、この戸を開けて下さい。お願いします」
 男の弱弱しい、哀訴するような声が板戸の向かうから還って来た。
「昼間、監視所で隊長さんを撃ったっていう兵隊さんですかい ?」
 祖母は厳しい口調で言った。
 外の男は一瞬、息を呑んだ、と思われるように言葉がなかった。自身の正体が見破られた事を戸惑っているようにも思えた。
「行っておくんなさい。戸は開けられませんですだ」
 祖母は強い口調で言った。
「お願いします。怪我をしてるんです。助けて下さい」
 男の声はいかにも弱弱しく、哀願するような響きが込められていた。
 祖母は、それでも信じなかった。上手く取り入ろうとする男の芝居と受け取ったのだ。
「あっちへ行っておくんなさい。あんたなんかに係わると、わし等がえらえ迷惑ばしますだ」
 祖母を突き放すように、なおも厳しい口調で言った。
 祖母にしてみれば実際に、係わりたくはなかったのだ。
 今日、午後いっぱい、何人もの兵隊が自転車に乗ったり、馬に乗ったりして、村中の道という道を歩き廻っていた。
 " 本日、午後零時三十分に、監視所に於いて上官を射殺した犯人が逃走した。二十歳ぐらいの不審な兵隊を見たら、すぐ隊に連絡する事。もし、かくまったりした時には、共犯者として厳重な罰が科せられるので充分、心得ておくよう、以上、警告する " 
 自転車に乗った兵隊達がメガホンで叫びながら何度も往き来した。
 村中が瞬く間に恐怖のどん底に突き落された。拳銃で上官を射殺した犯人、という事で、誰もが凶悪犯を想像し、野良仕事に出ていた人達でさえが早々に、わが家へ引き返してしまっていた。
 少年と祖母は家にいてメガホンの声を聞いていた。
 少年は言っている事の意味がよく分からなくて祖母に聞いた。
「隊長さんを殺した悪い兵隊が逃げでっがら、めっけだら、教えろって言ってるだよ」
 祖母は不安に満ちた顔で言った。
 自転車に乗った兵隊たちの往来する姿は日の暮れるまで続いていた。
 祖母と少年はいつもより早く家中の雨戸を締め切った。
「お願いです。助けて下さい。怪我をしていて、よく歩けないんです」
 板戸を叩く男は執拗に言っていた。
 祖母はなおも、それには答えないで土間に立ったままでいた。
「どうかお願いします。お願いします」
 板戸の外から聞こえて来る声は今にも泣き出し兼ねないように、弱弱しく、細くなっていた。
 座敷にいる少年でさえが心を揺すられるような哀しさに満ちた声だった。
 祖母もさすがにその声には心を動かされたようだった。土間に立つ祖母の姿勢に僅かな変化が見られた。
 祖母は外の気配を探るようにしながら、ゆっくりと板戸に近付くと聞き耳を立てた。
「お願いします。お願いします」
 哀願の調子が一層、深くなっていた。
 祖母は板戸の閂に手を掛けた。
「いいですかい。この戸ば開げでも構わねえですが、この家には七十歳を超えた婆さんと、六歳の男の子しかいねえですよ。あんたには充分、それば承知しておいで貰えてえですだ。いいですかい」
 祖母はそう言うと閂に手を掛けて外した。続いて錠を開け、板戸を引いて開けた。
 途端に、男が転がり込むようにして土間になだれ込んで来た。
 男は木の枝を杖のようにして体を支えていた。左の足を引き摺り、その左足の草色のズボンが、太腿の辺りからびっしょりと血に染められ、濡れていた。
 男は祖母の顔を見た。
 陽に焼けた泥まみれの男の顔には汗が流れ、怯えの色が浮かんだ異様に光る眼が、微かに感謝の色を漂わせていた。
 祖母はただ、驚きの表情で男を見ていた。
 男が、傷の為か、疲労困憊している様子が座敷に居た少年の眼にもはっきりと見て取れた。
「御迷惑をかけてすいません。
 男は苦痛にゆがむ表情の中から苦し気に言った。
 祖母はふと気付いて、慌てたように開け放しになっていた板戸を閉めた。
「とにかく、そごさ行って、上がり框さ腰ば下ろしなせえ」
 まだ、すかっかり警戒心を解いたわけでもない祖母は、それでも、男を気遣うように言った。
 若い、傷付いた兵士は、取りあえず身を落ち着ける場所を得たせいか、糸の切れた操り人形のように力を失くしていた。上がり框に辿り着くと崩れるようにしてへたり込んだ。
「あじょうしたです、その傷は ?」
 祖母は心配して聞いた。
「すいません、水を少し貰えませんか ?」
 男は弱弱しい声で言った。
 祖母は黙ったまま台所に上がると、手桶に汲んであった水をひしゃくで掬って男の元へ運んだ。
「熱が有りなさるのがい」
 祖母がそう言いながら差し出したひしゃくを受け取ると、男は飢えた犬のように喉を鳴らしながら、ゴクゴクとひしゃく一杯の水を飲みほしてしまった。
 男は小さく頭を下げると祖母に空になったひしゃくを返した。いかにも疲れ切った様子でがっくりと頭を垂れた。
「とにかく、そのズボンば脱いで傷の手当ばしなせえ。それがら休むどいいだ。でえぶ、熱がおありのようだ」
 祖母は言った。
 兵士の陽に焼けた泥まみれの顔からも、その高熱が汲みとれる程に頬の紅潮が際立っていた。

         
            二


 若い兵士は一晩中、熱に浮かされていた。満足に口も利けない程に衰弱していながら、眠りに入るとすぐに大きな声で叫びながら飛び起き、怯えにギラギラした眼で辺りを見廻し、今にも逃げ出そうとした。
「大丈夫ですだ。安心なせえ。安心なせえ」
 祖母はその都度なだめた。
 兵士はようやく我に返ると、体中で息をつきながら安堵の表情を見せた。
 兵士は左脚の太腿に銃弾を受けていた。弾は背後から貫通していて、その弾の抜け出たあとの肉が捲り上がり、血に汚れていた。
 恐らく、その傷の手当ても出来ないままに兵士は、逃走していたに違いなかった。無理強いの結果か、脚は丸太のように膨れ上がり、焼け付くかと思われる程の熱を帯びていた。少年と祖母が見た時にも傷はまだ血の色を滲ませていて、白くめくれ上がった脂肪肉を汚していた。
 事情を聞けるような状態ではなかった。しっかりと何かの布で縛り押さえられていた傷は、直接的に生命を脅かす危険はなかったにしても、出血と痛みを堪えての逃亡は、兵士の体力を極度に消耗させていて、肉体は抜け殻のようになっていた。祖母が血を水で洗い、ヨードチンキを流し込む簡単な手当の間にも兵士は、眼を閉じたまま動かなかった。
「ばあちゃん、この人、大丈夫 ?」
 死んでしまわないか、という程の意味だった。
「うん、大丈夫だっぺえよ。きっと、熱と傷の痛みで疲れでいっだよ」
 祖母は心配気に若い兵士を見守りながら言った。
 少年と祖母はその夜、とうとう布団へ入る事もせずに、若い兵士の看病で夜を明かした。少年はさすがに襲い来る睡魔に勝てずにうとうとする事が何度かあったが、兵士の突然の叫び声てまた眼を覚まされた。
「宗坊は、布団さいって寝ろや。ばあちゃんが見でっがら、でえじょうぶだよ」
 少年は眼をこすりながら「うん」と返事をしても、好奇心から布団へゆく気にはなれなかった。
 祖母は何度も、若い兵士の額の手拭を取り換えてやった。十分もしないうちに手拭は湯気が立つ程に温まってしまった。高熱の為、兵士の意識は朦朧としていた。
 傷はなお、痛むのに違いなかった。兵士が眠りの中で無意識に動かす脚の具合でそれと知れた。
「きっと、脚が痛いんだね」
 少年は苦痛にゆがむ兵士の顔を見ながら言った。 
 一晩中、悪夢にうなされていた兵士は、それでも明け方になってようやく、深い眠りに入っていった。
「やっと、落ち着いたようだよ」
 祖母はそう言うと自分も安心した様子で、軽いまどろみの中に入っていった。


          三


 



          ----------------


          takeziisan様
 
          コメント有難う御座います
          何時も愚にも付かない文章に   
          御目をお通し戴きまして こちらこそ
          感謝申し上げます
          今回のブログもとても楽しく拝見させて
          戴きました
          尾瀬の写真 見ているうちに懐かしさと共に
          なんとなく、目元が熱くなって来ました
          いい写真ですねえ 全部 拝見させて戴きました
          実はわたくしは尾瀬は行った事がありません
          ですが「夏の思い出」 この曲は戦後間もなく
                                     NHK番組 ラジオ歌謡 で発表されたもので
          夏休みの夏の日の朝 裸足になって庭に出て  
          聞いていた事を鮮明に覚えています
          ですから江間章子 中田喜直 という名前は
          当時から親しく頭に入っていました 良い思い出です
          野菜の収穫 今年は専業農家の人達でさえ
          苦戦との事 それでもお写真を拝見して
          羨ましく 思いました
          わたくしの所では今年 屋上のプランタートマトは
          比較的 良好でした やっぱり獲れたての味は
          一味違います


          桂蓮様

          たびたびコメントして戴き感謝申し上げます
          有難う御座います
          先ずはお屋敷の広い敷地にびっくりです
          わたくしは洋画が好きで アメリカ映画なども
          良く観ますが その度に出て来る家の屋敷の     
          広々とした眺めを羨ましく思っていました
          桂蓮様が その当事者だとは 羨望これ
          一字です
          でもやはり 豪華であればあるなりに
          御苦労も多いのですねえ
          みどりはわたくしも好きな色です 特に五月の新緑
          この季節には生きている事の幸せ感に包まれる
          思いです
          華やかな道を歩まれた人生 素晴らしい人生
          ではないのでしょうか
          一生の宝物ですよ そのような人生を望んでも
          多くの人達はなかなかそこに到達出来ないで
          挫折してゆくのではないのでしょうか
          言ってみれば桂蓮様は"逆無いものねだり"ですよ
          贅沢というものですよ
          「報復」の結末の御感想
          なる程と思いました もう少し鋭い切込み
          という事ですね
          そうです じわじわと痛めつける
          お言葉通りです
          心理的 内面的に かって痛手を負わされた相手への
          仕返しをする その為には相手のプライド 自尊心に 
          踏み込んで痛手を負わせる
          そんな手法を採りました 内面的報復ですね
          そのため どうしても外観的には力不足に
          なるのかも知れません
          貴重なご意見 有難う御座いました
          これからもこのように貴重なご意見を戴けましたら
          嬉しく存じます 宜しくお願い申し上げます


            わたくしがこの欄に
            お二方への御礼を書き綴るのは
            特別なメッセージなどではありません  
            何時も暖かく見守って下さるお二方への
            せめてもの御礼と思い書いている事でして
            どうぞ お気になさらないで 御気軽に
            お読み流し下さればと存じます
            御返信などにもお気遣いの無きよう
            お願い申し上げます

            


          
       
          
          
  
 
 

 



遺す言葉303 小説 赤いつつじと白いふじの花(完) 他 ピクニック

2020-07-19 12:34:40 | つぶやき
          ピクニック(2010.7.6日作)


   草原が広がっていた
   小高い丘の連なりがあった
   バッタが跳んでいた
   空いっぱいに晴れ渡った夏の日の1日
   草の上に座して弁当を広げた人たちの上を
   草原の風が吹きわたっていった
   すべてが穏やかに 幸福な時間が流れていた
   母に連れられたわたしは何歳だったのだろう
   帰り道 草深い川沿いの道を歩いていた
   途中 せまい川幅いっぱいに張りわたされた網が架かっていた
   流れは その辺りで急に速くなっていた
   「--この上流だったのでしょう ?」
   だれか 女の人が言った
   まわりにいた人たちがうなずいた
   一瞬 重い空気が流れた
   幼いわたしの心に なぜか その言葉が深く刻み込まれた
   人生に垂れ込める暗雲を
   初めて心が捉えた瞬間に違いなかった

   女の人の言った言葉の意味を わたしは知らない
   しかし なぜかその言葉の暗さを帯びた響きが強く
   幼いわたしの心に刻み込まれた記憶だけが 
   今でも鮮明に心に残っている


          -----------------


          赤いつつじと白いふじの花(完)

 
「ああ・・・」
 わたしは言った。
 久美子は微笑みながら頷いてみせた。
「おばさん、大変だったわね」
 と言って、母の労をねぎらった。
「うん」
 わたしは言って、それから
「分からなかった」
 と、曖昧な微笑みと共に続けた。
「そう。もう何年ぐらい会わなかったかしら」
 久美子は言った。
「さあ、小学生の時以来じゃないかなあ」
「わたしは、すぐに分かったわ。宗ちゃんとは親戚の中でも一番近い間柄だったから」
 と、久美子は言った。
「今朝、来たんだって ?」
「ええ」
 雨は止んでいた。
 砂の道がぬかるんでいた。
 柩の後に従う人々は水溜まりの足元に気を付けなければならなかった。
 野辺送りの老人達が鳴らす念仏の鐘の音と太鼓の音が、灰色の雨曇りの空の下で物憂く響いた。
「この辺りは土葬なのかしら ?」
 久美子は言った。
「うん」
 わたしには物珍しい眺めではなかった。
 わたしたちは並んで歩いていた。
「結婚するんだって ?」
 わたしは聞いた。
「どうしようかと思うの」
 久美子は呟くように、重い口調で言った。
「どうして ?」
 久美子は答えなかった。
 いかにも疲れた様子が垣間見えた。
 わたしたちは無言のまま歩いた。
 わたしは母から久美子に関する大雑把な事は聞いていた。
「久美ちゃん、まだ結婚してないの ?」
 わたしが聞いた時、母は、
「うん、そういう話しもあるらしいんだけど」
 と言って、言葉を濁した。それから、
「あれも、いろいろ大変だから、悩んでいるらしいよ」
 と付け加えた。
 わたしは、久美子が幼い頃から病身の母親を抱えて、苦労して来た事を知っていた。
 久美子の父親は、病身の妻と、当時、六年生の久美子と三歳下の久美子の弟を残して何処かへ行ってしまい、未だに消息が分からなかった。母の話しによると、今度の久美子の縁組の相手は、かなりの家柄の息子だという事らしかった。久美子を見初めた相手が、是非にと言って来たのだというが、久美子にしてみれば、病身の母親が気懸かりだった。母の面倒もみる、と相手は言っているという事だったが、男の両親は荷物を背負い込むという事で、いい顔をしなかった。となると、良家の坊ちゃん育ちの三人兄弟の長男が、何処まで頼りになるのか、久美子に取っては心もとない話しだった。少なくとも現在のままでいれば、五年前に苦労して取った美容師の資格を活かして始めた美容院で、病身の母親を抱えても日々の生活には困らないだけのものが得られるのだ。
 墓地への道は長かった。
「宗ちゃんは、まだ結婚しないの」
「うん」
 わたしは気乗りのしない返事をした。
「どうして ? 早く結婚して、おばさんを安心させてやらなくちゃあ」
 わたしは無言の微笑みでごまかした。
 わたしにも、それなりの理由があったのだ。
 わたしには夢があった。夢というよりも悲願と言えるかも知れなかった。わたしたち一家も、戦争で父を亡くしていて、恵まれていた訳ではなかった。わたしは義務教育が終わると、母や教師の反対を押し切って、飛び出すようにして東京へ出ていた。四人兄妹の長男のわたしは、一家の為にも早く働きたいと思ったのだ。その一方でわたしは学歴のない負い目から、自分が義務教育だけで終わるに相応しい人間だった訳ではないのだ、という証明の為にも、一つの学問で身の証を立てたいと思っていた。独学でそこに挑んだわたしは試行錯誤を繰り返しながら、なかなか目的地に到達出来ないでいた。
 わたしはだが、そんな胸の内は久美子には話さなかった。話したくなかった。自分の弱さをさらけ出すような気がして厭だった。
 雨曇りの空の下、黒い喪服の行列はゆっくりと進んでいた。

 墓地は薄暗い杉木立の中に開け、雨に濡れた雑草に覆われていた。
 柩を収める墓は既に掘られていた。
 野辺送りの老人たちの鳴らす鐘と太鼓の音が、杉木立の静寂の中に物憂く響き、念仏を唱える声がそれに和した。
 行列は墓の前に到着した。
 手引き車は柩を納めるのに格好な場所を探した。
「よし、よし。そこでいいだろう。その辺りでいいよ」
 埋葬を宰領する若い衆達は事務的な乾いた声で言った。
「もう少し、後ろさ下げなくて大丈夫が ?」
「うん、大丈夫だ。丁度いい」
 車は止められた。
 続いて柩が車から降ろされた。
 降ろされた柩には、若い衆達の手によって二本の太い麻縄が二か所に掛けられた。
「おい、新宅、天神前。その棺ば穴の方さ押してくれ。俺達がこうして縄ば支えてっがらよう」
 四人の男達がそれぞれ二人ずつ縄を握り、別の二人の男達が祖母の死体の入った柩を穴の近くへ押しやった。
 穴の縁が柩の重みで崩れた。
「いいが。しつかり押せえでろよ」
 柩を押しやる男達が言った。
 柩は少しずつ縁の土を崩しながら穴の中に沈んでいった。
 縄を支えている男達が足を踏ん張って沈んでゆく柩の重みを支えていた。
 柩を押していた男達が自分達の役目を済ますとすぐに、縄を握った男達を手伝った。
 柩は二本の太い麻縄に支えられてなおも、ゆっくりと沈んでいった。
 やがて柩は穴の底に納まった。
 柩を支えていた二本の太い麻縄が引き上げられた。真新しく、真っ白だった麻縄は泥で一面に汚れていた。
「よし。これでよし」
 柩か穴の底に納まった事を確認した男が言った。
「御親族の皆さん、どうぞ、土を掛けてやって下さい。その後で、わたし等が埋葬します」 
 わたしたちはそれぞれ、雨に濡れた土を一握りずつ手にして柩の上に投げ掛けた。
 その度に柩に掛かる土の音がした。
 それが済むと今度は男達が手にしたシャベルで、掘られて山盛りになっていた土を穴の中に戻し始めた。
 白木の柩はたちまち、投げ入れられた土に埋まり、見えなくなった。
 祖母は完全に穴の中に埋められた。
 土を掛ける男達は穴が塞がると次には、周辺の土を削り取って土盛りを始めた。
 小高い山が出来るとその上に芝生を載せて、卒塔婆が建てられた。
 それが済むと母が言った。
「さあ、みんな。線香を立ててやっておくれよ」
 真新しい祖母の墓はたちまち線香で埋め尽くされた。
 そうして葬儀は終わった。
 野辺送りの老人達の唱える念仏の声がまだ続いていた。 
 親族の者達はそれぞれに、真新しい墓を後にした。
 滅多に足を踏み入れる事のない墓地の雨に濡れた雑草が、喪服の裾や履物を濡らした。幼い頃の姿しか知らなかった久美子も喪服の似合う年頃になっていた。
 墓地に入って来た時とは違う反対側の出口に向かっている時、杉木立と雑木が密生する林の中に、真っ白な藤が幾つもの大きな房を垂らしているのが眼に飛び込んで来た。
「ああ、あんな所に藤の花が」
 わたしは言った。
「ふじ ?」
 久美子が顔を上げた。
「本当、白い藤の花ね。白い藤の花なんて珍しいわ」
 久美子は眼を向けたままで言った。
 白い藤の花は薄暗い木立の中で雨に濡れ、夢のように浮かんでいた。

           三

 家に戻ると葬儀の後始末が近所の人達の手によって行われていた。
 野辺送りの人達が雨の中で待機する為に張られたテントが取り払われ、花輪が片づけられていた。
 わたしたちは働く人達の邪魔をしないように、ひと先ず隣家に行った。
「久美ちゃんはすぐ帰るの ?」
 病身の母を抱えて泊まってゆく事など出来ない相談だと分かっていても、わたしは、久し振りに久美子に会った懐かしさから言っていた。
「ええ」
 久美子は言った。
「宗ちゃんは ?」
「僕も今日、帰らなければならない。明日はもう、仕事だから」
「今、何やってるの ?」
「レストランで働いている」
「コックさんになるって言ってたわね。おばさんに聞いたわ」
「うん」
「夜なんか、やっぱり遅くなるんでしょう」
「うん、何時もアパートへ帰ると十二時を過ぎている」
「大変なのね」
 久美子は言ったが、大変なのは久美子も同じ事だった。美容院をやりながら病床に伏す母も看なければならなかった。結婚する為には、その美容院も止めなければならないという事だった。久美子にしてみれば、せっかくここまでにして来たのに、という思いもあったが、一方で、年頃の娘としての結婚に揺れる気持ちもまた、あった。
 わたしは、その事に関しては何も言わなかった。なんと言ったら良いのか分からなかった。ただ、幸せになって欲しいという気持だけが、切ない程に強くわたしの胸の内にはあった。
 隣家に行くと先に帰った人達がおばさんの出してくれたお茶を飲みながら話し込んでいた。久し振りに顔を合わせた親類たちも、年相応に老け込んでいて、祖母の葬儀の後だというのに笑い声が絶えなかった。
「今年の夏は、家にお出でよ。三、四日、泊りがけで来て、ゆっくり海で遊んでいくといいよ」
 母の兄妹たちも安定の時期を過ごしていたのだ。
 母が来た。
「久美ちゃん、あんた、何時のバスで帰る ?」
 母は言った。
「何時のバスがあるのかしら」
「この次のバスは、二時三十四分があるんだけど」
「じゃあ、それで帰ろうかしら」
「そうかい。それなら、早いとこ御飯を食べておしまいよ」
「わたし、いいわ。なんだか、何も入りそうにないから」
「でも、少しぐらい食べないと毒だよ。・・・・本当に今日は忙しい思いをさせちゃって済まなかったねえ」
 母は言った。
「ううん。ゆうべ、お通夜に来ようと思ったんだけど」
「母さんの具合はどうかね」
「なんだか、このところ、すっかり元気がなくなっちっゃて。おばあちゃんが亡くなったって言ったら、がっかりしていたわ」
「本当にあんたも大変だよ。それから結婚の事は、あんた自身が一番いいと思う道を選ぶんだよ。母さんの事を心配しすぎて、あんた自身の幸福を逃がしてしまってもいけないからね」
「ええ」
「かと言って、焦って取り返しの付かない事になってもいけないしねえ」
 久美子は黙っていた。
 大勢の人達のざわめきの中で、そこだけが妙に淋しかった。 
「宗ちゃんは、どの汽車で帰るんだい ?」
 母はわたしに言った。
「そうだなあ。みんなが居るのに、一人だけ帰っちゃあ悪いからなあ」
「休みは取れないのかい」
「うん」
 休みの取れない事もなかったが、なんとなく、わたしの胸の内では空虚な想いだけが強かった。
 母に関しては、祖母の死に対してもそれほど気落ちのした様子もなくて、安心していた。それに母の兄姉達も泊まってくという事だったし、わたしの弟も妹もいた。
 東京でのわたしの生活は決して、気楽なものではなかった。午前七時半にアパートの部屋を出て、夜半過ぎに帰る毎日の生活は、わたしには一種の苦行とも言えるものだった。
 だが、わたしはこの時何故か、早くその自分の部屋へ帰りたいという気持だけを強く感じ取っていた。
 
 久美子は昼食も取らないで帰って行った  
 わたしはバスの停留所まで母と一緒に行って見送った。
「じゃあ、気を付けてね。よく考えてさ」
 母は久美子に言った。
「ええ」
 久美子は言った。
「じゃあ」
 わたしは言った。
「どうも有難う。さよなら」 
 そう言うと久美子はバスに乗った。
「すっかり変わってしまって分からなかった」
 わたしは走り出したバスを見送りながら母に言った。
「あれも大変なんだよ」
 母は言った。

            完



          ------------------


          takeziisan様

          いつも有難う御座います
          スイミング 拝見しながら全く同じだなと
          思わず笑い出してしまいました
          一年は速いですねえ わたくしも八十二歳になった今年
          急に体力の衰えを感じるようになっています
          筋肉の衰えが顕著です
          老齢者に取っては若い者の二年三年が一年ですね
          検査結果 良好との事 他人事ながら
          何故かホットしました ブログを親しく
          拝見させて戴いているせいか 他人事とは 
          思えない気がするのです 先ずはビールで
          乾杯といきましょうか !


          桂蓮様

          いつも有難う御座います
          「自分 他分への認識」
          とても面白く 興味深く
          拝見させて戴きました
          リスが私になり 私がリスになった
          この瞬間 そこには私自身の「無」「が
          介在して来ているのではないでしょうか
          無の私ーー禅で言う「在るけど無い 無いけど在る」
          そんな私がそこに居たのではないでしょうか
          禅では「無」を大切にしますね
          リスが私になり 私がリスになった瞬間
          桂蓮様はその極地に到達し得た瞬間では
          なかったのでしょか エゴとは無関係で 
          そんな「私」に出会えた事は桂蓮様に取っても
          大きな収穫だったのではないでしょうか
          その経験を手放さない私ーそれはエゴではなく
          桂蓮様の心身奥深く刻み込まれた一つの経験として
          桂蓮様御自身の深化 心の豊かさに繋がり 寄与   
          して来るものではないのでしょうか
          桂蓮様が得た経験は他者の誰に迷惑を掛ける
          訳でもなく 御自身の心の宝 宝玉として
          桂蓮様御自身の中に蓄積されてゆくものでは
          ないのでしょうか  ちょっとわたくしの感想まで
          と思い余計な事をお書き致しました

          「理想の背面 現実の後ろ側」もいいですね
          なにしろ 余り数をこなせませんので
          少しずつ 拝読させて戴いております
          有難う御座います
         
         
           

          


          


 
 
 
 

 

 
 

 
 


   
 
 

 


   
 


遺す言葉302 小説 赤いつつじと白いふじの花(1) 他 童詩 みどりの色はなんの色

2020-07-12 11:46:46 | つぶやき
          童詩 みどりの色はなんの色(2020.5.25日作)

   みどりの色は なんの色
   みどりは木の色 草の色
   みどりは大きな森の色
   大きな森には小鳥がいます
   夕やけ 小やけ まっ赤に染まったお空から
   カアカア カラスが帰ります

   みどりの色は なんの色
   みどりは木の色 草の色
   みどりはひろーいひろい野原の色
   ひろーいひろい野原では
   ウシさんヤギさんお食事中
   バッタがはねて トンボがとんで
   きれいなお花がさいてます

   みどりの色は なんの色
   みどりは木の色 草の色
   みどりはお庭の芝生の色
   芝生の上ではころんでも
   はだしでいても痛くない
   芝生はふんわり ふわふわの
   やわらかじゅうたん 魔法のじゅうたん

   みどりの色は なんの色
   みどりは木の色 草の色
   みどりはみんなが好きな色
   みどりの中では 小鳥やカラス
   ウシさん ヤギさんきれいなお花
   バッタにトンボ ぼく わたし
   みんなみんな元気です

   みどりの色は なんの色
   みどりはみんなみんなが好きな色
   いっぱいいっぱい好きな色
   みどりは生き物みんな 
   みんなみんなとお友だち
   みんなみんなのお友だち
   みんなみんなのお友だち
   みんなみんな大事にしよう
   みんなみんなで大事にしよう


          -----------------



          小説 赤いツツジと白いふじの花

          一

 祖母が死んだ。
 九十一歳だった。
 老衰だった。
 古木が枯れ尽きるように、苦しみもなく自然な死だったという。
 週半ばの水曜日、夜半過ぎに違いない、と母は言った。 
 午後十一時過ぎに祖母が水を呑みたいと言ったので、母は湯飲み茶わんに半分程の水を祖母に飲ませた。
 母はそれから二十分程してから眠りに就いた 
 翌朝、母は、眼を覚まして冷たくなっている祖母を発見して驚いた。
  祖母の寿命の長くはない事は、その衰弱度から分かっていた。今日、明日にも祖母に死が訪れても不思議はないと、母にもその覚悟は出来ていた。
 それにしても、すぐ隣りに寝ていた母にも気付かれず、ひっそりと死んでいった祖母には生と死が、なんの不自然もない一つの連なりであるとしか思えなかった、と母は言った。
 母は物言わぬ祖母に涙を流したが、その死を見届ける事の出来なかった事への悔いはなかった、という。充分に老後の世話を尽くし得た満足感と共に、人の命の自然な姿を見る思いがした、とも言った。
 葬儀は、それぞれに勤めを持つ肉親、親類縁者への配慮もあって、土曜日の夜に通夜を行い、日曜日に埋葬する事になった。
 わたしは土曜日にも埋まっていた仕事の予定を半日にして貰い、午後三時に帰省の為の列車に乗った。
 田舎の家に着いた時には、午後六時を過ぎていた。
 通夜は既に行われていた。門を入った時から線香の匂いが鼻を衝き、読経の声が聞こえて来た。
 庭には幾つかの花輪が据えられ、近所の手伝いのかみさん達が働いていた。
 八畳と六畳の部屋の襖を取った座敷には、早々に駆け付けた肉親や親類縁者が並び、焼香が行われていた。
 わたしは顔見知りの人達それぞれに挨拶をしてから、祖母の遺影に向かって焼香した。不思議に涙はなかった。
 わたしの中学時代の級友や幼馴染も来てくれていた。滅多に郷里へ帰る事のなかったわたしは、その級友や幼馴染たちと挨拶を交わし、よもやまの話しをした。
 通夜は午後九時に終わった。次々に焼香客や手伝いの人達が帰って行った。身内の者や親類の者たちだけが残った。
 二間だけの家の中は、六畳の間に遺影が飾られ、遺体が置かれてしまうと、そこはほぼ一杯になってしまって、泊りの者たちの全部がその家に寝る事は出来なかった。その為、母が親しくしていた隣りの家の一間を借りて、半分程がそちらへ行く事になった。
 五月の事であった。空気は穏やかに心地よく、庭の隅には祖母が植えた、わたしが子供の頃から親しんで来た馴染みのツツジが満開の花を付けていた。大きくこんもりと山のように繁った木で、葉の存在も隠すような見事さと共に、その花の赤い色が庭の薄暗がりの中で燃えているように見えた。
 通夜の行事の一段落したあとのみんなは、なんとなく、ほっと安堵したような気分の中で、生前の祖母の事や、お互いの近況などの話題でにぎやかだった。笑いの声さえが漏れる程だった。祖母の死への悲しみは、みんなの心の中ではそれ程深くはないようだった。
 一つの死が、これ程までに人々の心の中に哀しみをもたらさないというのも、珍しい事に違いなかった。誰もが祖母の死を願っていた訳ではなかった。祖母を憎んでいた訳でもなかった。酒の上で近在に鳴り響いた豪農の身上を祖父が潰したあと、近所の農家の手伝いをしながら、懸命に没落した家を支えて来た祖母には、誰もが敬愛の念を抱いていた。それでも、誰もが祖母の死に満足感にも近い思いを覚えていたのは、晩年の祖母が、わたしの母のもとで充分に手を尽くされ、何不自由のない余生を過ごし得た事の為だった。その点でみんなは、母の労を多としてねぎらう事も忘れなかった。
「いい死に顔だったよ。まるで眠っているとしか思えないよ」
 母は言った。
「きっと、満足して安らかな気持ちで死んでいったんだよ」
 伯父が言った。
「それにしても、叔母さんの苦労も大変なものじゃなかったよね。お祖母さんが眼を悪くして床に就いてから三年 ?」
 母の長姉の長女が言った。
「そうだよ。三年前の二月に風邪をひいて、それがもとで眼を悪くしたんだよ。若い頃、苦労して寝ずに働いた無理がやっぱり、歳を取って出て来たんだね」
「眼さえしっかりしていたら、もっと長生きしたかもしれないね」
「うん。でも、九十一歳まで生きたんだから年に不足はないよ」
「まあ、そういう事だね」
 みんなが納得した。
「ちょっと、見てみっがい。きれいな死顔だよ」
 思い付いたように母は言った。
 みんなは母の言葉に従って次の間へ行った。 
 母はドライアイスで保護された遺体の入った柩の蓋を取った。
 みんなは柩の中を覗いた。
「本当だ。きれいな顔だねえ。死人の顔とは思えないよ」
 口々に言った。
 わたしはそんな人達から離れると一人、席を立った。
 音のしないように玄関の引き戸を開けると庭に出た。
 開け放された座敷から漏れる明かりが庭先に流れていたが、その明かりを避けて暗い中を門の方へ向かった。
 井戸の傍を通る時、先ほど眼にしたツツジがひっそりと静かに咲いている感じがして一層に眼に滲みた。
 わたしは門を出ると、家の前の僅かばかり残された畑の中に立っている柿の木の方へ行った。わたしたち兄妹が子供の頃によく登って食べた柿の木だった。
 わたしはその柿の木を見るとなぜか、自然に涙の出て来るのを抑える事が出来なくなった。哀しい訳ではなかった。みんなが祖母の死をいかにも平静に受け止めている様子にわたしは、せめて、自分だけでも涙を流してやらなければ祖母に済まないような気がしていたのだった。
 わたしはひとしきり柿の木の根方にうずくまって小さく嗚咽すると、ようやく心の平静を取り戻す事が出来た。
 門の方へ戻ると、座敷の明かりの中ではなお、みんなの話しに興じている姿が見えて、わたしは再び、その人達の輪の中へ入ってゆく気にはなれないままに、暗い畑の中の道を隣家へ急いだ。


          二


 翌日は朝から雨が降っていた。細かい霧のような雨で、辺り一面をびっしょり濡らしていた。
 葬儀は午前十一時からだった。
 追い追い、近所の野辺送りの人達や、手伝いの人達が集まって来てくれた。
 わたしは顔見知りの人達と言葉を交わし、昨夜、顔を合せなかった人達とは改めての挨拶をした。
「宗一郎さんは、一番のおばあちゃん子だったからねえ」
 わたしの幼い頃を知る人達は、口々に同情の言葉を掛けてくれた。
 四歳から七歳ぐらいまでの約三年間、わたしは父の仕事の関係で祖母に預けられ、祖母と二人だけの生活をこの家で過ごした。祖母もその為、わたし達兄妹四人のうちでは、わたしを一番、可愛がってくれた。わたし自身もまた、祖母への愛着は兄妹の中では一番強かった。
 後年、わたし達一家は戦争で家を焼かれると、この祖母の家に厄介になった。そんな事の為に、六人兄妹の末っ子の母が祖母の晩年を見るようになったのだった。
 庭先でひとしきり近所の人達と話しをした後、家の中へ入ってゆくと、上がり框の所で母が若い喪服の女性と話しをしていた。いかにも親し気な様子だったが、わたしにはそれが誰だったか分からなかった。小柄なはきはきした様子が気持ち良かった。
 その女性が母のもとを離れて行くと、わたちしは母の所へ行った。
「今の人、誰 ?」
 と聞いた。
「あら、やだ。久美ちゃんじゃないかね」
 母は、呆れたように言った。
「久美ちゃん ?」
「そうだよ。忙しくて、今、来たところなんだよ」
 母は言った。
 わたしはその人の面影をまったく忘れていた事に気付いた。子供の頃に会ったきりだった。
 葬儀は時間通りに行われた。読経があり、焼香があって、その後で祖母との最後の対面があった。その死以来、初めて見る祖母の顔は柩の中で仰向いたまま、固くなっていて、全く動かなかった。一滴の血の色もなく、歯の抜くてへこんだ口を堅く閉じたその表情は蒼白で無気味でさえあった。わたしはその感覚に耐えられなくなって思わず顔をそむけた。
「おばあさんは、ずいぶん大きかったんだねえ」
 近所の人達の囁く声が聞こえた。
 最後の別れが一通り済むと、柩に蓋がされて釘が打たれた。
 野辺送りだった。
 僧侶が先に立ち、その後に柩を載せた手引きの車が続いた。
「宗ちゃん」
 背後から声を掛けられて振り返ると久美子がいた。
 















 

 
 
 
 
 
   
 






遺す言葉301 小説 報復(完) 他 ある予言

2020-07-05 12:49:57 | つぶやき
          ある予言(2020.7.2日作)


 「世界は全体に於いて 何か知らん 大変動の時期を眼の前に控えているのではないか 人間の大部分が地上から払拭されるのではないだろうか それから新規蒔きなおしという事にならぬとも限らない ーー近代の機械化 工業化の大波は世界の隅々に氾濫して来て 今までのような物の見方 考え方は全く違って来るのではなかろうか それが昔の手工業時代 家庭工業時代と違って 百年 二百年と持たないで 急遽三十年 四十年 という事になるのではなかろうか 人間心理がそう急に順応してゆけぬので精神病患者が頻出するかも知れぬ またそれとは別にいわゆる近代化なるものは一般化 概念化の傾向を持っているので 各自の創造性が一大圧迫を受け その結果 どこかに何かの形で爆発するような事はなかろうか --とにかく これから来たらんとする時代は 人間文化史の上に一大変化を現出するものと推定してよかろう」 

 この文章が何時 書かれたと思いますか ある一部の細かい描写を除いては昨日書かれたと言われても違和感はないのではないでしょうか
 この文章は1959年 禅学者の鈴木大拙氏によって書かれたものです
 このような文章に触れてみると 人間の生きる世界は いつの時代に於いても大して変わりのないものだ と コロナ災害に右往左往する現代社会を生きる世界の人々を見てつくづく思います
 ひるがえって このコロナ災害は人間社会に於ける災厄として決して珍しいものではなく いつの時代にも起こり得る災厄の一つにしか過ぎないのではないか そして 過去の人々が幾多の災厄を乗り越えて現代の世界へバトンを繋いだように 決して乗り越えられない物ではないのではないか という気がします また 乗り越えなければならないものなのではないのでしょうか 人 それぞれ各自が慌てる事なく 冷静沈着 謙虚誠実に 
 現代を生きる世界の人々にも それだけの叡智と力のないはずがありません



          -----------------


          報復(完) 

「そうでしょう。わたしが入院している時にも、一度も顔を見せない。自分に都合が悪ければ逃げてしまう。自分さえ良ければ他人(ひと)なんてどうなったって、あなたには構わない事なのよ。お蔭であなたは今は売れっ子で、テレビなどにも引っ張りだこだし、プレイボーイとして三流週刊誌の読者も退屈させない。大したものだわ」
「それが言いたくて川辺を騙して俺に会ったのか ?」
「そうよ。ミーハーじゃあるまいし、あなたのサインなんか貰ったってなんの役にも立たないわ。三流週刊誌のグラビヤを毎号、下品な女性ヌードで飾る写真家、水野益臣のサインです、なんて言ったら、それこそ、わたしの知り合いの方々に知性を疑われるわ。でも、どうかしら ? この機会に、東京で名うてのプレイボーイと浮気をしてみるのも悪くないかしら。どう ? 人妻になったわたしは以前のわたしとは違うかも知れなくてよ。あなたにその気があるなら、わたしは一向に構わないわよ。昔の女との情事も悪くないんじゃない ? それに人妻を盗むのは、情事のうちでも最高だって言うじゃない。まして川辺はあなたの古い友達だし、北海道の名士よ。それとも、わたしみたいなお婆ちゃんではもう、その気にもなれない ?」
「ふざけるのもいい加減にしろよ」
「あら、ふざけてなんかいないわよ」
「どうやって川辺に取り入ったか知らないが、大した食わせ物さ」
「わたしね、体を悪くしてから、函館の実家へ帰ったの。一年ぐらいは何もしないでぶらぶらしていたわ。だけど、体が元通りになって来ると、何時までもそうしている訳にもゆかなくて、働く事になったの。ちょうど良い具合に業界紙の記者の仕事があって、それが縁で川辺の事務所に出入りするようになったのよ。川辺が函館の支店長をしている時で、事務所の壁に北海道の高校スキー大会で一位から三位までをあなた達が独占した時の写真が飾ってあったわ。その写真を見た時、中の一人があなただっていう事がすぐに分かったの。その時の驚きと言ったらなかったわ。ようやく忘れ掛けていた厭な事を無理矢理、思い出させられた様でショックだったわ。しばらくは川辺の事務所へ足を運ぶ事も出来なかったぐらいよ。でも、仕事なら行かない訳にもゆかないし、悩んでいるうちに、ふと、川辺と結婚する事を思い付いたの。あなたも知っての通り、その当時から川辺と言えば北海道中に名前が知れた存在だったわ。そこの御曹司と結婚して、わたしを苦しめた男を見返してやるのだ、と考えたの」
「色仕掛けで近付いたという訳か」
 水野は煙草の煙りを吐き出しながら、皮肉るようにうそぶいて言った。
「色仕掛けとまでは言わないけど、意識的に近付いていった事は確かよ。それで、結婚式の時に、あなたへの仕返しが出来るかと楽しみにしていたのに、あなたは仕事でアフリカへ行っているとかで出席しなかった。でも、わたしは、あなたが川辺と友達である以上、何時かはその時が来ると思っていたわ。そして今日、それが実現したという訳なの。本当はね、わたし、あなたに仕返しをする事さえも忘れていたわ。わたしは今では川辺のお蔭で、いろいろな団体の役を押し付けられて結構、毎日が忙しいのよ。そんな幸福な日々の中で、あなたの事なんか思い出す暇もなかったわ。それが、今度、Aデパートの創業七十五周年記念行事に出席するという事になって、どうしても東京へ来なければならなくなった時、ふと思い付いて、川辺には内緒で今度の事を計画したっていうわけなの。さっきの電話も、川辺に席を外して貰うためにわたしが仕組んだ事なの。川辺は何も知らないわ。川辺を騙した事は悪いけど、その償いは他の事でするつもりよ」
「あんたは、俺に仕返しをするつもりだとかなんとか変な事を言うけど、別に、あんたが川辺と結婚したからと言って、俺にはどうって事はないよ。今のあんたが幸福ならそれでいいじゃないか。おめでとうって言うだけだよ」
「そうね。どうっていう事もないわね。お互いに今は全く係わりのない人生を生きているんですものね。でも、わたしとしては、あなたと結婚しなかった事が結果的には、幸運に繋がった、そのお蔭で今がとても幸せだという事をお伝えしたかったのよ。わたしは今では北海道に安住したきり、全く東京へは出て来ないわ。だからもう、二度とあなたにお会いする事もないでしょうし、その積りもないので、これですっかり気持ちの整理も出来たっていう思いよ。ただ、最後に一つだけお聞きしたいんだけど、いい写真を撮る為には家庭も子供も邪魔だって言ってた昔のあなたは何処へ行ってしまったのかしら ? テレビの娯楽番組で時間を潰し、三流週刊誌のグラビヤを下卑たヌードで飾るあなたを見ているのは、なぜかとても悲しいわ」
「人にはそれぞれの生き方がある。余計な心配などしないでくれよ」
 水野は思わぬ弱点を衝かれたように色を成して不機嫌に言った。
「心配などしていないわ。せいぜい、今の人生をお楽しみなさいな。人生のいい時なんて、そんなに長くは続かないものよ」
 その時、義人がいかにも嬉し気な表情を浮かべて戻って来る姿が見えた。
「ああ、あの人が来たわ。どうぞ、あの人の前で、あなたのおっしゃりたい事を存分におっしゃって下さいな。わたしは横から口を挟んだりしないから」
 律子はそう言ってから、義人を迎えるように席を立った。
「やっぱり子供達だった。ママがパパに相談してみろって言ったからって、電話を掛けて来たんだ」
 義人は、律子に柔和な笑顔を向けて言った。
 それからすぐに水野の方を向いて、
「いや、どうも失礼」
 と言いながらテーブルに着こうとした。
「水野さん、テレビのリハーサルがあるので、もう、行かなくちゃならないんですって。お引止めしちゃあ悪いわ」
 律子は微塵も乱れを見せない笑顔で義人に言った。
「えっ、もう行くのか ?」
 義人はそれを聞いて、心残りがあるように、名残惜し気な口ぶりで聞いた。
「うん、そろそろ」
 水野は思い掛けない律子の言葉に、行くも引くも決め兼ねるような曖昧な口ぶりで言った。
「売れっ子は忙しくて大変だなあ」
 何も知らない義人は素直に二人の言葉を受け止めていた。
「それ程でもないけど」
 水野は締りのない苦笑と共に言い訳がましく言った。
 律子はそんな二人のちぐはぐな遣り取りの間に、煮え切らない水野を促すかのように、椅子に置いたハンドバッグを手に取った。
 水野もそれで席を立たざるを得なくなった。
 義人は依然として笑顔を見せたまま、律子と水野との間に生じた、微妙な行動のずれなどには気を止める風もなかった。愛する妻と幼馴染の旧友とに挟まれた幸福を、そのままに素直に信じ切っていた。
 律子は二人の間になり、先に立って歩き出した。
 水野も義人もそれに従った。
「また、機会があったら会おうよ。今日は無理に時間を取らせて悪かったなあ」
 義人が律子の背後で言っていた。
「いや、いいんだ。久し振りで会えて、俺も楽しかったよ」
 ようやく気持ちの整理が出来たらしい水野がそれに明るい口調で答えた。
 ロビーを抜け、正面玄関のドアから外へ出るとタクシーが待っていた。
 水野はタクシーに乗り込む前に普段の水野にかえっていて、
「じゃあ」
 と言って、義人と握手を交わした。
「お忙しい所を、わざわざお出で下さいまして有難う御座いました」
 律子はわざと水野との間には距離を置いて、丁寧に頭を下げて言った。
 水野は微かに頷いたかとも思えたが、律子にはよく分からなかった。
 水野が早々に座席に腰を下ろすとドアが閉まった。
 タクシーが走り出すと義人は軽く右手を挙げて見送った。
 律子はその場に立ったまま微かに頭を下げた。 
 タクシーが通りへ出て街中へ消えて行くと律子は義人を振り返った。
「子供達は何が欲しいって言ってました ?」
 とにこやかに聞いた。

               完



          ------------------


          桂蓮様
         
          御丁寧なコメント有難う御座います
          わたしは小説を書くというより 人間を 
          描いてみたいと思っています ですから
          派手な暴力場面 性的描写などには
          余り関心がありません 何が人間の心の真実か
          それを探ってみたいだけです その為 日常を生きる
          人々を主題にして描く事が多くなり 血肉湧き
          胸躍るような痛快場面はなくて 地味で暗い描写の多い
          退屈極まりない作品(作品と呼べればの事ですが)に
          なってしまいます

          人間に雑草のような人間などありません
          人間一人一人はどんな境遇に居ようとも立派に
          一個の人格を持った存在です どんなに惨めな環境に
          居ようとも決して自分を卑下する必要はないのでは
          ないでしょうか そこから抜け出る人間としての努力
          それが大切なのではないでしょうか
          昭和天皇は「雑草」という名の草はない と言いました

          そうですね 人間の品格は心の持ちようで決まりますね
          言葉は余り 信用できません
          わたくしは人を見る時 顔と共にその人の眼を見ます
          眼の暗い人 落ち着きのない眼の人には概して 
          信用出来ない人が多いように思います
          能天気な人の眼はその奥に何も見えて来ません
          思慮深い人の眼は落ち着きと共にその底に
          しっかりとした輝きがあります
          八十年以上も生き 人に接して来たそのせいか 
          最近では自分の見た眼に 余り狂いはないように
          思います

          兄弟姉妹は他人の始まりと言いますね
          どうぞ今を 禅に於ける 「即今」 を大切に
          生きて下さい
          「通訳者への道のり」 の お写真
          ご自宅のものでしょうか
          見事な緑 心が洗われます
          こんな環境が欲しいものです


          takeziisan様

          有難う御座います
          何時も楽しく拝見させて戴いております
          「亥旦停止」 傑作です
          子供の頃 わたくしが住んでいた地方では
          野生動物が余りいなかったものですから
          このようなお話を聞くと 何か心躍るような    
          気持になって 嬉しくなってしまいます 
          御苦労も省みず 失礼 !
          野菜収穫 羨ましいですね
          収穫を思うと 毎日が楽しみなのではないでしょうか
          コロナには困ったものです
          健康診断の結果は満点でしたが 大腸ポリープ検査
          行っていいものやら 悪いものやら 迷っています