遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(428) 小説 私は居ない(2) 他 価値

2022-12-25 12:22:45 | つぶやき
           価値(2022.12.2日作)
 

 人間社会は常に変わる しかし
 人間性 人間の本性 根本は変わらない
 万古不変のもの
 この不変 人間性に立脚した仕事のみが
 真に価値を持った 永遠の仕事として
 生き続ける 
 真の人間性に立脚しない仕事は
 一時期 もてはやされようとも 程なくして
  流され 消えてゆくだろう 流れゆく
 流れ藻にしか過ぎない
 人間 人は 常に この不変性の上に立ち
 行動する そこに 人間の生きる
 本筋 本務がある 真の人間としての価値は
 そこに帰する そこに還ってゆく





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           私は居ない(2)



 私は役所に行って私の出生届を調べてみた。
 生まれた年月、日にちに間違いはなかった。
 一つの矛盾も見られなかった。
 私は途方に暮れた。                          
 いったい、母の言葉は真実だったのだろうか ?
 あるいは、冗談好きだった母の最期の冗談だったのか ?
 それにしても何故、母は、死ぬ間際になって今更言い出さなくてもいいような事を口にしたのだろう ?
 何か、私に対する償いのような気持ちがあったのだろうか 。
 私に対するわだかまり、常に気に掛けていた事があったのだろうか。
 その為、日頃から何事に対しても、世間の母親には考えられないような緩やかな態度で私に接していたのか ?
 実の子ではない、私に対する負い目と遠慮。最後の最後になって母は、その気持ちを打ち明けたかったのか ?
 だが、私に取っては実は、そんな母の言葉など、どうでも良い事だった。私か一人生きて行くのに困る事は何もなかった。母の冗談とも本音とも付かない最後の言葉によって、何かの不都合の生じるわけでもなかったし、私が傷付くわけでもなかった。今まで通り私は、私の好きな道を好きなように歩いて行けばいいのだ。
 そんな私だったが、それでも母の最後の言葉が、実際に真実だったのかどうかを探ってみようかと考えたのは、なまじっか文学などを齧った者の好奇心からだった、と言えるかも知れなかった。
 私はその微かな好奇心と共にまず手始めに、深川、東陽町へ行って、昭和十五年頃に〆香と言う芸者が居たのかどうか、確かめてみようと考えた。そしてもし、その存在を確かめる事が出来たら、直接、会って話しを聞いてみようとも考えた。それで総てが明らかになるだろう。
 東陽町で三十数年に〆香という芸者の居た置屋を探すのに苦労はなかった。
 その置屋「川万」の女将だったという人は八十歳に近いと思われる白髪のきれいな人で、既に隠居の身分だった。
「ええ、〆香という芸者なら、うちに居ましたよ」
 いかにもはっきりした口調でその人は言った。
「〆香の事を聞いてどうするんです ?」
 元女将は私の質問を訝る様子もなく、穏やかな口調で聞いた。
「ちょっと、知りたい事がありまして」
 私は丁寧な口調で答えた。
「〆香のお身内の方ですか ?」
 元女将の口調は相変わらず穏やかだった。
「いいえ、そうじゃないんですが・・・」
「でも、あなた、〆香は亡くなりましたよ」
 元女将は遠い昔の事のように言った。
「亡くなった ?」
 私は別段、驚きもなく聞き返した。
「ええ」
 元女将は静かな口調で頷いた。
「いつ頃の事でしょう」
「ずっと昔ですよ。何しろ、わたしがまだ若かった時分ですから」
 元女将の口調に曖昧さはなかった。
「そうですか」
 私には格別な落胆の思いもなかった。冷静に事実を受け入れた。
 私が本当に知りたいのは、〆香その人の消息ではなく、その〆香に子供があったかどうかという事実だった。それで私は直に聞いてみた。
「その〆香という人には子供がいたんでしょうか」
「子供ですか・・・ええ。ですけど、あなた、生まれると十日もしないうちに亡くなってしまいましたよ」
 元女将の口調にはやはり曖昧さはなかった。
 私はその口調にも係わらず、〆香が居たという先程の言葉を思って、間違いではないかという思いを抱きながら、
「死んだ ! その子がですか ? 」
 と、聞き返した。
「ええ、生まれて間もなくでしたよ。なにしろ、月足らずで生まれたもんですから。それになんだか、大変な難産でしてね、〆香もその難産がもとで亡くなったようなわけなんです」
 私は言葉もなかった。
 元女将の口調にはやっぱり曖昧さはなかった。まるで昨日の事を語るかのようになめらかな口調だった。疑念を差し挟む余地さえなかった。
 私はそれで、改めて別の角度から聞いてみるより仕方がなかった。
「〆香という芸者さんは当時、この辺に何人も居たんですか ?」
「いいえ、あなた、〆香はこの辺では一人ですよ。ほかに誰も居やしませんよ」
 元女将の口調は相変わらずはきはきとしたものだった。
 私は頭の中がこんぐらかる思いだった。
「お宅ばかりではなく、他にも・・・?」
「ええ。当時、東陽町には〆香は一人だけでしたよ」
「でも、よその家の事は分からないんじゃないですか ?」
「いいえ、あなた。この狭い地域の事ですよ。そのぐらいの事はすぐ分かりますよ」
 わたしはそれでもなお、納得出来なかった。それで改めて聞いてみた。
「その〆香という人には何人の子供が居たんですか ?」
「〆香にですか ? 〆香にはほかに子供なんて居ませんよ」
 私は言葉に詰まるより仕方がなかった。
 しばらく続いた沈黙のあとで私は気を取り直して聞いてみた。
「その〆香と言う人が生んだ子供の相手の人は分かりますか ?」
 なんとなく、どうでもいいような気持ちになっていた。
「相手の方ですか ? 分かりますよ。当時、二人の噂はこの花街ではちよっとした話題になったぐらいですから。なにしろ〆香は当時、この辺では一番の器量よしで、それに芸も出来たものですから人気者だったんですよ。おまけに相手の方は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの横川産業の社長さんだったんですからね。噂になって当然ですよ」
「横川産業 ?」
 私は思わず聞き返していた。



         (次回 一月一日 日曜日 休みます
          その後 また 宜しく願い致します)


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           桂蓮様

            有難う御座います
           新作 拝見しました
           面白かったです 物質になぞらえての考察
           新鮮でした
            石炭として消える事を断った 灰だけを残したくはない
           人間として何かを残したいという意志の表明だと思います
           この気持ちが無ければ人は生きている価値は無いですよね
           良い御文章でした
            コメント戴いた御文章の中での複雑な家庭環境
           でも しばしば拝見する御主人様とのお幸せそうな現在のお姿
           過去は過去 現在が良ければいちいち過去を思い悔やむ事はないと思います
           今を生きる より良く生きる 人に取って一番大切な事は
           この事ではないでしょうか
           どうぞ 現在の御自身を大切にするのと共に これからの
           人生の良きパートナーとしての御主人様を大切にしながら 
          今より一層の より良い人生 日々をお過ごし下さるよう           
           期待しております
            何時も有難う御座います
           また 御主人様との仲睦まじいお姿 ブログにお載せ下さい



            takeziisan様

             有難う御座います
            思い出の写真集 様々な旅の思い出 豊富で
            羨ましい限りです 一枚一枚 ページをめくってゆく時
            ページ毎に浮かび上がる数々の思い出 あのシーン
            このシーン 人生の最終盤を生きる身に取っては
            貴重な宝物です その意味でも御人生は豊かな人生だったのではないかと
            御推察致します
             歳を経た人間に襲い掛かる宿命 避けられない事とはいえ
            一人の人が亡くなるという事は寂しいものです
            わたくし共も十月に親戚の一人が亡くなり 銚子まで出向きました
            わたくし共の年齢に取ってはこれからは人生の冬の季節
            益々 厳しさが増します どうぞ 御自愛方々 より良い
            これからの人生を御歩み下さるよう 陰ながら願っております
             クラッシックをお好みの方とか・・・
            バッハが身に沁みます    
            好きな作曲家です
             過去を振り返るブログ
            この世に存在した一人の男の生きた証し
             この言葉 いいですね
            こういう思いがあればこそ 人は真摯に自分の人生に
            向き合う事が出来るのではないでしょうか
            平凡だが 充実した人生
            人に取ってはそれが何よりもの宝です
            虚名 名声に振り回されるだけの人生 人生の最後に当たっては
            なんの役にも立ちません 真に自分自身を生きた
            その思いこそが人が一生を終わる時の宝物ではないでしょうか
            今回もいろい 美しい写真の数々と共に楽しませて戴きました
             有難う御座いました


  

遺す言葉(427)  小説 私は居ない(1) 他 無神論

2022-12-18 11:57:06 | つぶやき
         
        無神論(2022.12.2日作)


 神は人の心を支える柱
 苦しみ多い
 この世界を生きるため 人が   
 想像し
 創造した存在 
                                    
  天地創造神
 絶対的有能神など
 存在しない
 人は 人の心を支えるために 
 想像し
 神を創造した

 この世は無
 無の上に人が世界を築いた
 この世の総ては 人の心
 人の心により 成り立っている

 人 無くして この世は無い
 人が至上 人間至上主義
 人の心が 何よりも 大切
 人の心を傷付けるな ! 
 人の心を超える神など
 存在しない





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            私は居ない

    
           Ⅰ

 私は父というものを知らない。
 父が死んだのは私が一歳か二歳の頃に違いない。
 母はその点に関して何も話してくれなかった。
「あなたが、ほんのまだ赤ちゃんの頃よ」
 と言うだけであった。
 私もまた物心付く頃から不在の父に関して、あえて深く知ろうとしなかった。
 私には縁のない遠い事のような気がした。
 それでいて私は、街の人込みの中ですれ違った人や、電車の中などで向かい合いの席に座っている人の上に、ふと、父の面影を見る事があった。
 父の顔は私には親しかった。
 父が鼻の下によく似合う髭をたくわえていた事、品良く禿げ上がった額をしていた事、どこか厳しさを感じさせる眼差しをしていた事などをよく知っていた。
 無論、私が実際に父の顔を見たからではなかった。
 私の記憶の中に父の顔を刻み込んでいたのは、取りも直さず、母の居間の、柱時計のわきの鴨居に掛かっているかなり大きく、鮮明な写真のせいだった。
 現在、私は既に三十歳を過ぎている。
 生活は物心付く頃からずっと母と二人だけであった。
 その生活を寂しいと思った事は一度もなかった。                                  
 また、見た事のない父を恋しいと思った事もなかった。
 家庭は裕福だった。私が物心付いた頃から既にずっと、変わらずに二人のお手伝いさんが居て、母や私の身の回りの世話などをしてくれていた。人は何度か変わっていたが。
 母と私は仲が良かった。親子というよりは小学生の頃から既に、友達のような感覚で物事が進められて来た。
 何処か、のほほんとしていて冗談好きな母で、少しも母親らしくなかった。
 無論、教育に関してもそうだった。うるさく言われた事は一度もなかった。
 お手伝いさんにもまた、そうだった。使用人と主人というよりは、親戚、姉妹でもあるかのようにざっくばらんで、お互いに少しも取り繕うところがなかった。
 要するに母は天真爛漫、快活で少しも気取りがなかった。私や若い二人のお手伝いさんに囲まれている事で、自身も常に若さを目差しているような所があって、身に付ける衣服などでも、ともすれば歳には似合わない派手なものを選びがちであった。
「これ、どう ?」
 衣装道楽の母は、季節ごとに必要もないようなものまで、何着も買い込んだ。
「なんだか、まるでチンドン屋だなあ」
 私が言うと、お手伝いの一人が、
「赤ちゃんの洋服みたいだわ」
 と評した。
「でも、奥様は若く見えるから、似合うと思うわ。ちょっとお祭り提灯のようなところもあるけど」
 と、別のお手伝いが慰めとも付かない言い訳をしたりした。
 母は、それですっかり意気消沈してしまって、暫くは見るのも嫌だと言って、何日も箪笥の中に掛けたままにして置くのだったが、何日かするとまた気を取り直して引っ張り出し、
「せっかく買ったものだから、着てみるわ」
 と言って、改めて身に着けたりした。
 総てがそんなふうだった。何事にもまとまりがなかった。それでいて一家が穏やかに過ごせていたのは、母の他人に対する優しさと思い遣りの心があったからに他ならなかった。当然、お手伝いさんに対してもそうだった。
 私の家は祖父の親という人が大分苦労をして、莫大な財産を造ったという事で、経済的には父が居なく、母が遊んで暮らしていても困るような事は何一つなかった。
 父も祖父の親という人が創った会社の社長だったという事だったが、その会社も父の死と共に人手に渡り、今では横川産業という名前もなくなっていた。
 それでもとにかく、膨大な資産が残されたお蔭で私と母は気ままに遊んで暮らしてゆけるという恵まれた境遇にあった。
 私自身、金銭的に何不自由なく暮らして来たせいで、随分、気ままに好き勝手な生き方をして来た。
 大学時代には文学に興味を持ち、仲間達と同人雑誌を出したりするようになっていた。
 その費用の半分以上を私が受け持った。
 女性にはそれほど興味はなかった。様々な事に浮気っぽく手を出してみたが、結局、落ち着いたところは文学とその同人雑誌だったのだ。そしてそれは、今も続いている。
 母は初めから私に何も期待していなかった。金銭的にも恵まれていた事だし、私が面白おかしく、人生を悔いのないように生きてくれればいいとだけ、望んでいた。母の口から直接、その言葉を聞いたわけではなかったが、日頃の母の口振りから、そう察する事が出来た。もともと、気楽な母だった。
 その母も一年程前に死んだ。
 風邪をこじらせての肺炎による死だった。一週間程、高熱が続き、その為、体力を消耗しての、ロウソクの火が尽きるような死だった。母はその中で私に、「あなたは、わたしの本当の子ではない。深川、東陽町に居た芸者の〆香という人の子供なのよ」と、今にも消えそうな息の中で途切れ途切れに言って静かに眼を閉じた。
 それが最期だった。
 当然の事ながら、私にしてみれば、思いも掛けない母の言葉だった。
 母は生前、何一つそのような言葉を匂わせる事もなく、それに関するような素振りを見せる事もなかった。何処か陽気で気楽な母ではあったが、紛れもなく、実の母と少しも変わらない母であった。
 私はまさかという思いの混乱はしたが、苦悩する事はなかった。
 何がどうあれ、私は私に違いない。
 ただ、私は思わぬ母の言葉に真実を知りたいと思った。
 あの冗談好きの母であったが、死の間際になって冗談を言う事などないのではないか。
 あの時、母はこれまで抱えて来た胸の中の苦悩を、その弱りはてた意識の中で抱えている事が出来なくなり、思わず真実を漏らしていたのではないか。
 私は一人になると、母が残していったあらゆる物に付いて丹念に調べ始めた。
 生前に父が使っていたという部屋の、手の付けられないままに残されていた数々の物品に付いても細かく調べていった。
 調べは数カ月続いた。
 それでも、母の最期の言葉を裏付けるような証拠のものは何一つ発見されなかった。





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           桂蓮様

           
            お身体の調子の悪い中 コメント
           有難う御座います どうぞ 御無理をなさいませんように
            お二方共々の災難 悪い事は重なりますね
           もっとも、一人が罹患すればどうしても移してしまう可能性は強くなりますよね
            寒さの厳しくなる中 体調の不良は一層応えますものね
            どうぞ お大事にして下さい
            旧作 逍遙していて 本場のハロウィーン体験
            に出合いました 初めて眼にする記事です
            今の季節の行事 楽しく読ませて戴きました 
            なんだか 読んでいるだけで情景が浮んで来て 浮き浮きして来ます
            アメリカでの楽しい年に一度の行事でしょうが
            過去には日本人の少年の悲劇的な出来事がありました
            楽しい行事が楽しいままに何時も 何処でも
            みんながハッピーに終わって欲しいものです
             楽しい季節の行事 その喜びに素直に身を委ねる
            自然に逆らわない それも禅の教えの一つ
            坐禅ばかりが禅ではないので それもまた良いのではないでしょうか
             有難う御座いました
            どうぞ御無理をなさいませんよう
            お願い致します



              takeziisan様

            有難う御座います
           寒さの増して来たこの頃 ちょっと散歩も厳しく 億     
           劫になりなりますね そんな中 9000歩 敬服です  
           まだまだお元気な証拠
            過ぎ行く時の速さ・・・この間 暑い暑いと思っていたら
           もう冬鳥の季節 去年も眼にした馴染の光景 正に
           光陰矢の如し です
            金時宿り石 支えているように見えるのは木の根 ?
           林の中の小道 いいですね
            思い出の旅 甦る旅の記憶は気持ちを暖かく包み込んでくれます
           わたくしもテレビの画面などで過去に見た光景を眼にすると
           ああ そうだったなあ などと旅の記憶を懐かしんだりしています
           何にしても 人生の時を積み重ねて来た人間に取っては
           思い出は心の宝物ですね
            川柳 相変わらず そうだ そうだ と納得
           みなさんお上手です
            ハバヤマボクチ 初めて知りました
           方言は相変わらず暖かい 何故 南より北の方言に暖かさを感じるのでしょうか
           きっと 寒さを耐える人々の心の暖かさが含まれているのかも知れません
            ドリカム わたくしは全く興味がありませんが
           良いお話しを拝見出来ました 気持ちが温もります
            今回も美しい写真の数々 楽しませて戴きました
           毎回 わたくしの退屈な文章にお眼をお通し戴く事への感謝と共に
           御礼申し上げます






遺す言葉(426) 小説 華やかな嘘(完) 他 歌謡詞 孤独の夜

2022-12-11 12:51:28 | つぶやき
           孤独の夜(2022.12.6日作)


 涙に濡れて 夢に目覚める
 暗い真夜中 心が寒い
 灯りも点けず 煙草を探す
  ベッドは冷たい 氷のようね

 乾いてあせた 唇かんで
 割れた鏡に 心を映す
 女の幸せ 夢見る夜の
 静寂(しじま)が痛い 寒さが沁みる

 どこにも居ない 誰もいないわ
 遠く遥かな 思い出ばかり
 涙の谷間に 浮かんで消える
 果てない夜更け 孤独が辛い




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            華やかな噓(完)


 

 川野の前に惨めな自分の姿をさらしたくなかった。
" あなたはプロデューサーとして芸能界で生きる事に成功したようですけど、わたしもまた、お陰さまで今では恵まれた生活を営んでいます "
 そんな、川野に対抗する思いがあった。
 幸い、姉に借りた華やかな衣装がその嘘を見事に補ってくれていた。自信満々で明子は嘘に身をゆだねる事が出来ていた。
 現在、麻布に住む姉は明子とは二歳違いだった。姉の夫は建築家で夫婦共々、アメリカに長く暮らしていた。その顔の広さゆえに交際も多彩で、パーティーなどにも頻繁に顔を出していたらしく、姉は数多くの衣装を持っていた。
 明子と姉は顔も体型もそっくりな姉妹で、よく双子に間違えられた。姉に借りた衣装はそのままで明子の体に合った。
 明子は鏡に向かうと日頃の生活のやつれを打ち消す為に、念入りに化粧をした。アイシャドーも口紅も濃いめに施した。
 そうして化粧が終わるとしばし、鏡の中の自分に酔っていた。まだ、昔の感覚もセンスも失われていない、自分で自分に言い聞かせ、満足していた。
 そして、あのホテルのロビーで・・・・。
 見事に自分を隠しおおせた演技を終えたあとで明子はふと、明子の言葉を聞いた川野の表情の中に何故か、微妙に走る翳りのようなものを意識して、いわれのない優越感に捉われていた。
 多分、川野は明子に平凡な家庭の主婦を想像していたのだ。
 その明子が今、豪華な衣装を纏って眼の前にいて、自分よりは恵まれた生活環境を生きている・・・・。
 多分、川野はそう思ったに違いないのだ。
 明子はその時、そんなふうに川野の心のうちを捉えていた。そして今、我が家へ向かう走る電車の中で、自分にはまだ一人の男を狼狽させるだけの力が残っているのだろうか、と微かな自惚れにも似た心地良い心の動きを意識していた。その川野は、
「でも、あなたが幸せでいてくれて、本当に良かった」
 と幾分、疲れたような元気のない声で言った。
 ホテルのロビーから見える街の景色は夕闇が一段と濃くなっていた。                   
 夕闇が明子の心を急かせた。
「これから帰って夕飯の支度では、もう遅いですね」
 外の暗さと共に見せる、明子の何処とない落ち着きのなさを見て家庭の主婦を連想したらしく川野は言った。
 だが、その時、明子が気にしていたのは、夕食の支度などではなかった。明子はただ、次第に増して来る川野と向き合っている事への居心地の悪さを意識するようになっていただけだった。
 ふと、話題が途切れるのと共にその居心地の悪さは増した。
 二人の間がまだ濃密だった頃は、話題の途切れた後の沈黙もまた、なんとはない心地良さをもたらしてくれるものだった。
 しかし、歳月を経た今、最早、沈黙の中で二人の間に通い合うものは何もなかった。重苦しさと居心地の悪さだけだった。
 明子は川野が家庭の話題を持ち出したのを機に席を立って、クロークルームへ向かった時には、苦痛から解放されたような安堵感を抱いていた。
 タクシーの座席に腰を降ろし、ドアが閉められた時にはやっと自分を取り繕う嘘から逃れられた、という感覚の中で深い安堵の溜息をついていた。
 川野は意識してなのか、それとも初めからその気はなかったのか、明子の電話番号を聞いて来る事もなかった。
 明子はその事を認識するのと共に、もう再び、川野に会う事もないだろう、と自分の胸の中で言っていた。
 偶然が思わぬ出会いを二人にもたらしたが、総ては遠く過ぎ去った昔の事のような気がした。
 今の明子には平凡な家庭と、平凡な日常があるだけだった。この平凡な日常をこれから先も、日々、生きてゆくだろう。それ以上を今の明子は望もうとも思わなかった。平凡でも波風のない生活、それさえあれば良いと思った。
 川野も今は昔、夢見た作詞家への道を捨てて、世間の眼には触れる事の少ないプロデューサーとして生きている、という事だった。そして、明子に取っては、それもどうでもいい事だった。遠い世界の事のような気がした。
 電車は何時の間にか、浦和駅に近付いていた。車内放送がしきりに告げていた。
" ああ、もう浦和だわ "
  明子は夢から覚めたような思いで呟いた。
 こんなに遅くなってしまった言い訳をどう言ってしようか・・・
 夕飯は夫が作ってくれているだろうから、子供達を心配する事はない。
 今度の結婚式も、夫の友人の娘さんだという事で、夫自身が出席するはずだったものが、思わぬ脚の骨折でそれが出来なくなり、日時も迫っていた事もあって、急遽、明子が出席するはめになっていた。これも急遽借りた衣装は、明日か明後日にでも、姉の所へ返しに行く心算でいた。
 それにしても、と明子は思った。
 思わぬ川野との再会であったが、偶然にも、この豪華な衣装を身に纏った華やかな自分の姿を見せる事の出来た幸運に感謝しなければ・・・・
 かつて自分を捨てた男に蔑みの眼で見られるような事は、明子にしてみれば耐えられない事であった。




              完






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         桂蓮様
 

         お忙しい中 お眼をお通し戴き 有難う御座います                                     
        和文と後書きなど    
        この文の中のバレー体験面白いですね
        こうして身体で覚えてゆく事で本物になるのでしょうね 
        そして人の苦労も理解出来るようになるのでしょうね
        生半可な人間に限って ああだこうだ 文句を言いたがるものです
        本物を知る人間は概して寡黙です
         後書き 面白く拝見しました 幾つもの言語を駆使する人にしか
        分からない境地です
         それにしても 禅の言葉を訳す 並大抵の事ではないと思います
        それこそ禅の言葉の中には一つ一つ 隠れた深い意味が込められていますから
        何時の日にか禅語録を拝見してみたいものです
         お忙しい中 お眼をお通し戴き 御礼申し上げます




         takeziisam様

   
          有難う御座います
         今回もブログ 楽しませて戴きました
         茶色の小瓶 懐かしいですね
         むかし見た映画のワンシーンを思い出しました
         楽器を左右に振るあの動き 映画のシーンそのままです
         繰り返し 二回見ました
          シャコバサボテン ほったらかしのままのせいか 今年
         わが家では駄目です
          川柳 バラは枯れてもバラなんですね
             あとについてーー平凡の中に人生の宝がある
             まだまだこれからだーーこれから峠の登り路
             大根と侮るなかれ 大根無くしておでんはない
         小かぶ 今の季節 かぶは美味いですね かぶの味噌汁大好物です
         それにしても数々のジャム 食卓の豊かさがしのばれます
         羨ましい限りです 
          入選川柳 皮肉ボヤキたっぷり 川柳は面白い 
         ビートルズがお分かり お若い わたくしは以前にも書きましたが
         プレスリーまで 
          青い山脈 原節子で観ました 当時 新人の杉葉子が話題になった映画でした 
          その杉葉子も原節子も亡くなりましたが もう一度観たい映画です
         「へんしい へんしい ○○子さん」 恋を変 と書いたラブレターが
          話題にもなった映画です
          青い山脈は東北を舞台にした映画ですが それにしても東北 北陸の雪は凄いですね 
          金曜の夜もNHK「新日本紀行」で北陸の冬を放送していましたが 
          屋根の雪下ろし 冬の一仕事ですね
          ブログにお書きのように太平洋側 特に温暖な千葉県などにいる人間には想像も出来ません
          五センチ 十センチ積もるともう フウフウです
           山茱萸の名前を最近になってお知りとはちょっと意外
           民謡にも 庭のサンシュユの木に鈴かけて・・・・という歌があります
           物知りじい にしては と意外に思いました
            その他 今回もいろいろ美しい写真 花々 楽しませて戴きました
           何時もいろいろ 有難う御座います
           

遺す言葉(425) 小説 華やかな噓(6) 他 歌謡詞 最後の手紙

2022-12-04 12:58:12 | つぶやき


           最後の手紙(2022.11.29日作)
   

 「さよなら」の四つの文字を口紅で
  あなたのお部屋の白い扉に   
  書いて来ました 
  この手紙 あなたの元に届く頃                  
  わたしは一人 遠く離れた海辺の町の
  ちっちゃなホテルにいるでしょう

  愛されて幸せでした昨日まで
  あなたの癖さえ真似て身に付け
  生きて来たのに
  今はもう 望みも失せたこの心
  明日は一人 消えてゆきます哀しみ抱いて
  青い真昼の海の底




       
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            華やかな嘘(6)



 車内は日曜日のせいか、比較的、空いていた。
 明子の隣りにはプログラムを手にした、映画の帰りと思われる十七、八歳の男女の連れがいた。
 二人は時々、思い出したように、いま観て来たばかりらしい映画の話題を口にしては小さな声で笑い合っていた。
 空席を一つ置いた左隣りにはスーツ姿の中年の男性が、両手でしっかりと押さえた黒革の鞄を膝の上に置いて、眼を閉じたまま静かに座っていた。
 そんな車内の雰囲気を意識すると同時に明子は次第に、自分が現実の世界へ引き戻されてゆくような感覚に捉われていた。
 豪華なホテルでの川野との思わぬ形での再会は、明子の正装と共にひと時の夢見心地を明子に与えていた。
 その夢見心地がありふれた電車内での日常風景と共に遠い彼方へと飛び去っていった。
 明子は途端に、蔦模様の織り込まれた黒いベルベットの優雅なスーツにも、滑るように軽やかなシルクのブラウスにも、その他、身に付けた物の総てに借り物のぎごちなさを意識せずにはいられなかった。
 純銀の鎖のイヤリング、同じネックレス、三個のダイヤを嵌め込んだ大型の指輪、みな姉からの借り物だった。
 明子がホテルのロビーで川野に話した事など、みんな嘘だった。
 これから明子が帰る公団の集合住宅四階には確かに、十一歳の息子と九歳の娘がいた。だが、夫は建築家などではなかった。浦和市内の町工場で働く平凡な事務員だった。
 現在四十二歳の夫は明子と知り合った十二年前から同じように、変わらぬ暮らしを続けて来た。唯一の趣味が競馬で休日の前夜には、食事の時間も惜しむかのように幾種類もの予想新聞に眼を通していた。 
「御飯を食べる時ぐらい、それを見るのをやめたら」
 明子が何度注意をしても、五分後にはまた視線は新聞の上に戻っていた。
 そんな夫だったが、性格は穏やかで、子供達の面倒見もよかった。
 生活費を競馬に注ぎこむ事もなかった。
 それが現在まで、二人の結婚生活が続いて来た理由に違いなかった。
 明子がそんな夫と知り合ったのは、高校生時代の男友達を通してだった。
 その頃の明子はまだ、心身の痛手も払拭されないままに、誰か、身を寄せる事の出来る存在を無意識の裡に求めていた。
 初対面の夫は、一見、凡庸な感じではあったが、何処となく人の好さのようなものが感じられて、明子はただ、ひたすらに自分の道を追い求める川野とは正反対の人物像を見ていた。
 現在、明子は自分を不幸だとは思わなかった。世間一般の家庭生活とはこんなものに違いないと思った。ごく平凡な夫と二人の子供。そして、慎ましやかな生活、日常、日々。
 以前、日本国中を走り廻っていた明子からすれば考えられない現在の境地であったが、明子の裡には既に諦念の思いがあった。
 これでいいのだ。
 これがわたしの日常、生活、そして人生。
 これ以上、望むものはない。
 若さに任せていたあの頃は、ただ、華やぎだけを求めていた。
 それにしても、と明子は改めて思った。
 川野は今、かつて自身が望んでいたような日々を満足感と共に生きているのだろうか。
 十何年かぶりで会った川野は中年肥りと共に、頬のたるみも、額の広がりも顕著になっていたが、自信に満ちた口振りで、
「期待をかけている女の子が一人いるので今、躍起になっているところなんです」
 と言った。
 明子は結婚した当初、何時まで経っても川野幸二の作詞家としての名前が歌番組のテレビ画面に見えない事で、もう、作詞家は辞めてしっまたのだろうか、と思ったりした事もあったが、そのうちに、最初の子供を身籠ったり、出産したりで、何時か、川野への関心もなくしていた。そして今日会った川野は新人発掘のプロデューサーをしているという事で、川野の名前を見る事のなかったのも、その為だったのか、と改めて納得する思いだった。
 だが、明子の心の裡ではその言葉を聞くのと同時に、微妙な感情もまた蠢いていた。
 明子自身が意識しない、川野への報復の思いだった。
 プロデューサーをしている・・・・。
 明子は無意識の裡に川野の凋落を望んでいた自分がいる事に気付いた。と同時に、川野の現在の境遇に対抗するように、より高い場所に自分を置きたい思いに捉われていた。
 夫は建築家です、と言った言葉は無意識のうちに咄嗟に出た言葉だった。





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            takeziisan様

             有難う御座います
            何だかんだとこぼしながら お元気な御様子
            ちょこっと歩いて八千歩 恐れ入りました        
            日頃 歩きなれていないと こういう訳にはゆきません
            感服です
             美しい写真 堪能です わが家でも今 ナナカマドがきれいに色付いています
            ひと時 安らぎの気持ちに誘われます
             わが家では今年 ボケの花が結実しました
            焼酎漬けなどにすると良いと聞きましたがが なんだか怖くて食する気にはなれません
            バレル―おぶさる
            ショウシイソイー恥ずかしい
            初めてですが関東の言葉とは違った優しい心持が偲ばれる言葉です            
            何処の方言でも 方言には独特の響きと良さがあります
            荒い言葉には荒いなりに良さがあります
            方言は大事にして貰いたいものですね
             里芋 大豊作 その新鮮な美しさ 白菜の瑞々しさ 豊富なゆず
            いいですね 豊かな自然の恵み
            それにしてもネギの雑草 一仕事の苦労がしのばれます
            この苦労があってこその自然の恵みなんですね
             マイウエイ ミラボー橋
            何時聴いても良い曲です
            ミラボー橋は芦野宏が得意としていた曲ですね
            事実 良かったです
            堀口大学の訳が有名ですが わたくしの手元にあるフランス名詩選には
            安藤元雄の訳があります
            訳す人によってそれぞれ異なりますので何時かも書きましたが
            原文で読んでみたいものです
             今回もいろいろ楽しませて戴きました
            毎回 駄文にお眼をお通し戴く事への感謝と共に
            御礼申し上げます




           桂連鎖

            有難う御座います
           神経痛 ? あまり無理をなさいません様に
           わたくしは神経痛は何年もかけ 自分で治しました
           筋を伸ばす事だと思います 激しい運動ではなく
           静かに筋を 筋肉を伸ばす 血行の悪くなる事が原因の場合が多いようですので
           無理をしてはかえって良くないと思います
            バレー公演 羨ましい限りです 何と言っても
           映像で見るのとは迫力が違いますから
           御主人様との仲御睦まじい御様子 良い写真です
            意識を超える 新作 拝見しました
           意識を超えるーー自分を無くす事 何事でも他人の眼を気にしている限り
           良い仕事は出来ません
           自分が無くなれば他人もない 禅の境地です
           総ては無 無の中に自分を置く
           キリスト教の神の信仰なども そこに辿り着くのではないでしょうか
           総てを神の御心のままに・・・・ 結局赤裸々の自分を堅持出来れば
           怖いものはなくなります 言いたい人はどうぞ御勝手に好きな事を言いなさい
           わたしは何時でもここに居ます あなたが何を言おうとわたしはわたし
           変わる事はありません わたしはわたしを生きてゆく
           自身 気持ちさえしっかりしていれば 何も怖れる事はない
           わたしはわたしの道を行く  
            昔から言われている事ですが それがまた難しいーー
           人間は煩悩を背負った塔ですから
            どうぞ 余り御無理をなさらずにバレーも根を詰めずに楽しみながらして下さい
            有難う御座いました お身体お大事に
             あまりここへ来る時間がないものですから
            新作がない時でも来た時には 旧作の英文との合わせ読み楽しませて戴いております