遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉282 小説 サーカスの女(6) 他 重大な関心を持って

2020-02-23 13:14:02 | つぶやき
          重大な関心を持って(2010.11.3日作)         

   (この文章は2010年に書いたものですが、この国、日本に於ける政治の無能状態、無責任さは現在に於いてもほとんど変わっていないと思い、掲載します。
   当時の政権は安部政権ではありませんでしたが、敢えてどの政権だったかは書きません。現在日本に於ける政治状況は、結局、どの政権であっても同じだと思うからです)


   「重大な関心を持って見守ってゆく」
   「これからも 常に重大な関心を持って見守ってゆく」
   「重大な関心を持って見守り
   何か事があれば 必要な対策の手を打つ」
   「常に重大な関心を持って監視してゆく」
   「これからも 重大な関心を持って見守り
   必要な時には断固 処置を取る」
   「重大な監視の下 必要性があれば即座に対処する」
   「現在の状況は 実体とは掛け離れている
   必要な時には 断固対処する」

   有言実行 その実行の伴わないままに 
   国を治める者達が手も無く
   この言葉を連発している間にも
   この国は日毎に痩せ細ってゆく
   大小様々な企業は泥沼に引き摺り込まれ
   円高の深みに嵌まり込み 四苦八苦している
   
   平成二十二年 2010年 十月現在
   これがこの国の姿 実体なのだ



          -------------------


          サーカスの女(6)

「だけど心配御無用、結果を篤(とく)と御覧(ごろう)じろだ、ねえ。いいかい。お立合い ! この指先に付けたこの薬。よく見ていなよ。これをこうして、ちょいと付ける。ほら ! これでマムシの毒も平気の平左。後は野となれ、山となれ、だ。あたしの知った事っちゃあないよ。お母さん、嘘じゃないよ。嘘だと思ったらお天道様に聞いてみな。あたしゃあね、今日一日だけ、ここでこうして商売している訳じゃないよ。三百六十五日、今日はあっちの祭り、明日はこっちの祭りって、毎日こうして薬を売って歩いているんだ、ねえ。その度に命を落としていたんじゃ、幾つあっても足りないよ。いいかい。この薬があってこそだ。この薬があってこそ、あたしゃあこうして毎日、マムシの毒にも平気の平左、生きている。ねえ。いいかい、みなさん。お立合い ! 切り傷、腫れもの、吹き出物、恋の病に疳の虫、病や怪我に数々あれど、治らぬものは一つもない ! 治らぬものがあったなら、いいかい。お代はいらないよ。そっくり頭を揃えて返してやるよ。あたしゃねえ、いいかい。金儲けのためにこんな事をしいるんじゃあないよ。人助けのためなんだ。分かるかい。さあさあ、ねみなさん、買ってきな。早い者勝ちだよ。このハマグリに一杯入って一つが十円。今時、アンパン一つ買ったって幾ら取られる ? 考えてみりぁ、安いもんだよ。そうだろう、え ? はい、そっちのおばちゃん、幾つ ? 一つでいいの ? 遠慮しなくたっていいんだよ。ものは幾らでもあるんだからね。はい、はい、はい、そっちのおじさん」
「買ってみようか ?」
 良二がいかにも欲しそうに言った。
「おらあ、いんねえ」
 高志が言った。
 信吉は懐具合がさびしくなるのを恐れてその場を離れた。
「だけっど、凄(す)げえもんだなあ。マムシにれ食っががれで(食いつかれ)もあんともねえんだがんなあ」
 春男が感に堪えたように言った。
「去年は確か、日本刀で腕ば切ってやってだど思おけっどなあ」
 忠助が言った。
「あらあ、ガマの油売りだっぺえよ」
 高志が言った。
「あの親父だったど思おけどなあ」
 忠助はなおも疑い深く言った。
 彼等はそれからいろいろな店を見て廻った。ある店では戸板の上に放したモルモットを売っていた。色の浅黒い、眼つきのきつい女が煙草を吸いながら店番をしていた。時折り、群れを離れたモルモットを素手で掴んでは元に戻していた。
 縁台将棋をやっていた。羽織袴を付け、肩の辺りまで髪を伸ばした六十歳ぐらいの男が店の者だった。この男を負かせば将棋代はタダになった。負ければ幾らかの代金を取られた。顔に縦じわの深い、鼻の高い老人はいかにも物に動じない風情で悠然と構えていた。
 高志と忠助が将棋を好んだ。二人はなかなか対戦中のその場を離れようとはしなかった。信吉も嫌いではなかったが、途中で飽きてしまうとその場を離れた。
 初めから興味のなかった春男と良二、義雄は人群れを離れた場所にしゃがみ込んでいた。疲れたのか、三人ともが黙りこくっていた。
 信吉は彼等の傍へ行った。サーカス小屋の方からジンタの音が聞こえて来た。「天然の美」を演奏していた。
「あっ、サーカスの音が聞こえる」
 信吉は立ったまま言った。
「うん」 
 と、春男が退屈そうに言った。
「行ってみねえが ?」
 信吉は言った。
「うん、そうだなあ。行ってんべえが」
 春男がたいして気乗りもしないふうに言った。
「おらあ、アンパンば買って来(く)べえ」
 義雄が言った。
 他の三人も真似をした。
 四人はそれぞれアンパンを頬張りながらジンタの聞こえて来る方へ足を向けた。
 サーカス小屋は境内を裏口から出た広場に小屋を張っていた。
 材木を組み合わせて骨組みを造り、テントを絡ませただけの粗末な小屋だった。風が来るとテントの合わせ目から中が覗けた。
 ちょうど入れ替え時だった。ピエロの格好をした男達が、入り口の横の櫓(やぐら)の上でジンタを演奏していた。
 曲は「サーカスの唄」に変わった。
 小屋を出る人、入る人で入り口は混雑していた。
 入り口から中を覗いた時、中には相当数の客が入っていた。かなり広い空間だった。
 天井が高かった。
 舞台の上に網が張られていた。向こう側に空中ブランコが二台、揺れることもなくぶら下がっていた。
 綱渡り用らしい網も張り巡らされていた。
 淡い照明に舞台が浮き出ていた。その深い奥にライオンか馬かの火潜り用らしい輪も置かれていた。
 時折り、半裸体のような衣装の女達や、タイツに身を包んだ男達が舞台を行き交った。
 舞台に近い椅子席の六、七割が観客で埋まっていた。
 入り口の切符売り場の前では、頭の禿げあがった中年男が声を嗄らして呼び込みをしていた。
 信吉は思わず気持ちが引き込まれてゆくような感覚を覚えて、
「へえって(入って)んべえが」
 と言っていた。
 良二は信吉と頭を揃えて中を覗いていたが、聞こえなかったのか答えなかった。 
 振り返ると、春男と義雄が半分口を開け、「サーカスの唄」を演奏するピエロ達を見ていた。
 信吉は二人のそばへ行った。同じように櫓の上のピエロ達を見上げた。
 黙って聞いていると、「サーカスの唄」の哀調を帯びたメロディーが華やかさの中にも、何か、遠く果てしないものを感じさせて信吉を夢の世界へ誘った。
 ピエロ達のお道化た造りは陽気で楽しかったが、信吉は彼等が見知らぬ街々を旅しながら、こんな風にして一生懸命生きているのだと思うと、なぜか胸が熱くなるものを覚えて、喉元に込み上げて来るものを意識した。
 櫓の上ではピエロ達の演奏が終わり、入れ替わりに黒いタキシードに蝶ネクタイの男が出て来た。
 男はすぐに眼の前のマイクに手を掛け、見上げる人々に語り掛けた。
「さて、皆様。次は当一座の誇りますスター、春風京子さんをご紹介致しましょう。開幕までの短い時間ですが、春風京子の歌でどうぞお楽しみ下さい。
 場内はそろそろ満員で御座います。当一座の大サーカスを御見物の方々はお早く御入場下さいますよう、お願い致します。
 では、春風京子さんどうぞ。
 唄は、果てしない大陸をさ迷う男の哀感を唄った、岡晴夫のヒット曲「男一匹の唄、男一匹の唄」で御座います」
 タキシード姿の男はそう言うとスマートな身のこなしでテントの中に消えた。
 赤いドレスに身を包んだ眼の醒めるようにきれいな女性が代わって登場した。
  


          ----------------

          takeziisan様

          有難う御座います
          連休御感想、全く御同感です
          お写真、相変わらず美しく
          お見事です。最近は外出も少なく
          自然に触れる機会もあまりありませんので
          このようなお写真を拝見しますと、少なからず
          自然に触れ得たような気がして気分が和みます
          今後も宜しくお願い致します
          デジブック、さぞ、残念であり、心残りな事と
          お察し致します。他人事ではない気がします
 
 
 
 

遺す言葉281 小説 サーカスの女(5) 他 至上の人生

2020-02-16 12:59:04 | つぶやき
          至上の人生(2019.12.19日作)


   人生には 生きなければならない理由など ない
   人は 不条理に生まれて来た
   自ら望んで生まれて来た訳ではない だが
   生まれて来た以上 人は 生きる理由などなくても
   せめて より良い人生を生きたいものだ
   より良い人生 自身も苦しまず 他者も苦しめない
   苦境にある人 不遇の人には 手を差し伸べ
   人が人として お互い 心豊かに 楽しくこの世を生きて
   生涯 一生を 終わる 人がこの世を生きる時
   これに勝る至福はない
   あれも人生 これも人生 せめて 貧しく 苦難の道でも
   心豊かに 楽しく この世を生きて 心静かに
   この世を去って逝く
   それが出来れば それでいい
   それが最高 至上の人生


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          サーカスの女(5)

 彼等は来た道を戻った。
 高志は立ち止まるとみんなの方へ顔を寄せ、神妙な様子で人差し指を曲げてみせた。
「やってんべえよお」
 即座に春男が同意した。
「うん、うん」
「捕まんねえように気ば付けろよ」
 高志は注意を促した。
 信吉は緊張感で胸の動悸を覚えた。いい気はしなかった。その上、人の眼をかすめて素早い動きが出来るかどうか自信がなかった。             
 それでも信吉はみんなの後に付いていった。
 彼等は再び参道の中程の、人込みの多い中に来ていた。マンガ本屋や駄菓子屋、風船売りの店、芋飴売りに、鍋や釜を売る店、隣りにはセーター、ネッカチーフなどの洋品を売る店。雑多な店店が戸板を並べただけの店構えで、豊富な品物を無造作に置いていた。人々は年に一度とも言えるよえな混雑の中で、偶(たま)の買い物を楽しんでいる風だった。威勢のいい商人たちとの駆け引きの声や笑い声があちこちから聞こえた。
 その時だった。信吉は店の前に並んだ人込みの間からすっと伸びる高志の手を見た。その手は素早く何本かの金太郎飴の白い包みを掴んだ、と思った瞬間には、もう引き戻されていた。二人のねじり鉢巻きをした中年の男達は、客との間で金銭と商品の遣り取りをしていて気付かなかった。信吉が呆気に取られて高志の手が伸びた方を振り向いた時には、すでに高志の姿はなかった。
 信吉は消えた高志の姿を探す思いで、すぐにその場を離れた。
 高志は参道の反対側の店先に立っていた。金太郎飴を握った手はズボンのポットに押し込まれていた。
 信吉が傍へ行くと高志はいかにも得意気な様子で少し肩をすぼめ、頷いて見せた。
 みんなが高志の傍に集まって来た。
 彼等が高志の行動を見ていたのかどうかは分からなかった。高志はその彼等に収穫物をちらっと見せてほくそ笑んだ。みんなが、おうッ、凄えな、と言う顔で眼を輝かせた。
 彼等はその興奮と共にひとかたまりになって人込みの中を歩き始めた。
 別の店の前に来ると今度は春男が行動を起こした。
 春男はニッキ(肉桂)の木を盗った。夫婦らしい店の者は二人とも足元の何かに気を取られていて無論、気付かなかった。春男は店の前を歩き過ぎるような何気ない素振りで目当ての物を手にすると、何食わぬ顔のまま店先から離れていた。
 高志は信吉の知らない間に、メンチ(面子)も盗んでいた。
 高志と春男の他には、義男も忠助も良二も手は出さなかった。信吉は無論だった。手が凍り付いたようになって動かなかったし、初めからその行為には気が進まなかった。
 彼等はその後、収穫物を手にしてして意気揚々とした高志と春男と共に参道を外れると、玉砂利を踏んで境内の隅へ行った。
 そこには幾つかの灯篭が並んでいた。人の姿もなかった。彼等は身を隠すように灯篭の陰へ廻った。
 その陰で初めて安心したように身を寄せ合って一息入れた。
 高志が早速、自分の収穫物を誇示するように盗んだ物をポケットから取り出した。
「へへッ、あじょうだい、うめえもんだっぺえ」
 と、自慢げに言って顎をしゃくった。
「おらあも、やったよう」
 春男も負けじとばかりに、赤い紙で小さく束ねられたニッキの木を三つ、ポケットから取り出して言った。
「メンチもやったのがい ?」
 義雄が高志がポケットから引き出した右手を見て言った。
 高志の手には面子が握られていた。
「ああ。ほら、見でみせ ! 川上だ。そっがら、ほら、大下、青田、藤村、小鶴」 
 高志はプロ野球選手の姿が描かれた面子を次々と繰ってみせた。全部で十二枚あった。
「すげえなあ !」
 良二が大判の野球選手の面子を褒めるのか、高志の手腕を褒めるのか分からなかったが、、思わずといった調子で言った。
「あッ、別所だ」
 義雄が高志の面子をめくる手元を見て言った。
「おらあ、いづ(何時)やったのか、気が付かながっよ」
 忠助が言った。
「しめ、しめ、だ」
 高志はいかにも嬉し気に言って相好を崩すと、面子をひとまとめにしてポケットにしまった。
 今度は金太郎飴を取り出し、一本の包み紙をはぐと口に咥えた。
 手には三本の飴が握られていた。
「や(遣る)っがんな」 
 高志は金太郎飴を半分に折ってみんなに配った。
 みんなは黙って受け取ると口に入れた。
 それから彼等はその場に腰を下ろし、車座になって高志が盗んだ瞬間の話しに興じた。
 飴が終わると春男がニッキを配った。
 彼等はなおも話しに興じていた。高志と春男の他の者たちはそれでも自分たちが何もしなかった事を悔んだりしてはいなかった。何もしなかった事が彼等自身の気持ちだったのだ。
 飴もしゃぶり終え、ニッキも齧ったあと、ようやく彼等は腰を上げた。
「あんが(何か)見べえが ?」
 高志が言った。
 これからが本当の見物だ、と言う感じだった。
「おらあ、腹へったよ。あにが食うべえよ」
 義雄が言った。
「そうだなあ。まず腹ごしれえだなあ」
 すぐに高志が同意した。
 他の者達にも異論はなかった。
 みんなは経木に盛った一つ十円の焼きそばをそれぞれに買うと、人込みの中を歩きながら口にした。
 広場の人だかりの中では、猿回しの猿の芸や、マムシに指を噛ませる薬売りの実演販売を見た。
 猿は一つの芸が終わると、帽子を持って観客の間をちょこまかと動き廻った。パラパラと幾らかの金が帽子の中に投げ込まれた。その度に猿回しが猿に代わって口上を述べた。猿の動きと口上に観客が笑った。
 薬売りはマムシに指を噛ませ、血が出ると、薬の由来の口上と共に薬を傷口に塗り付けた。
「さあ、立合い !」
 薬売りは声を張り上げた。
 赤ら顔の一癖ありそうな骨太の男だった。
 口の端に白い唾の泡を溜め、額や咽喉の辺りに青筋を立て、嗄れ声で喋った。
「みなさん、マムシの毒を御存知でしょう。マムシに噛まれりゃあ、大の大人もいちころだ、ねえ。そうでしょう、一晩たちゃあ、冷たくなって、はい、おさらば ! あの世逝き。ねえ、みなさん。だけど、お立合い。いいかい、この薬をほんのちょっと、こうしてこう、ほんのちょっと、お立合い。指先にほんのちょっと、こうしてこう、指先に付けるんだよ。いいかい、ほんのちょっとだよ。見てみなよ。いいかい、百万べんの口上より、まずは実際にやってお眼に掛けましょう。ねえ、お立合い ! このマムシにこの指を噛ませる。いいかい、このマムシに牙がないなんて思っちゃいけないよ。はい、この通り。ちゃんと立派な牙がある。ねえ、お立合い ! いいかい、こいつにこう、この人差し指を噛ませる。いいかい、見ていなよ。はい、この通り ! 痛てててえ ! ほら ! 血が出て来た。マムシはちゃんと噛んでるよ。痛いよおーー。痛くなんかないと思っちゃあいけないよ。痛くないなんて思っちゃあバチが当たるよ。ねえ、これも商売商売。オマンマのためなんだ。オマンマのためなら我慢もしなくちゃあならないね。いいかい。お立合い」
「凄げえなあ」
 春男が高志に囁いた。
 高志も他の者達も黙ったまま、固唾をのんで見守っていた。


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          takeziisan様

          有難う御座います
          佐藤紅緑の本、懐かしいですね
          よく、お調べ下さいました。
          エルミタージュ美術館
          羨ましい限りです
          わたくしなどはNHK日曜美術館で見る     
          エルミタージュしか知りません。以前は
          国内の美術展などには繁く足を運んだりしましたが
          最近はもっぱらです。
          足腰の痛み、全く御同様です。
          七十代はそれ程でもないと思っていましたが 
          八十代になった途端に体力の衰えを
          実感するようになりました。
          くれぐれもご自愛下さいますよう。
          これからも御豊富なブログ楽しませていただきます。
 

 
 

 
 
 


 


 



   
   

遺す言葉280 小説 サーカスの女(4) 他 この世を生きる

2020-02-09 13:54:19 | つぶやき
         この世を生きる(2020.1.29日作)


   人がこの世を生きる行為は
   無へ向かって歩き続ける行為
   どのような豪奢な城を築き
   どのような高価な宝玉を
   手にしようとも それが
   やがて消滅して逝く自身の身を
   救済する事は出来ない
   人がこの世を生きる行為はすべて
   砂上の楼閣 一瞬の幻 唯一
   確かな現実 真実は 
   自身の身が消え去る
   死の事実のみ
   人がこの世を生きる行為は
   やがて消え去る身の記念碑
   記憶の塔をこの世に
   打ち建てる行為
   それもやがては多くが
   忘れ去られてゆくだろう


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          サーカスの女(4)

 開かれた水門の上部は水面から十メートル程の高さにあった。水中に没した上部と噛み合う部分が水を堰き止めていた。余った水が流れ落ちていた。左程の水量ではなかった。それでも流れ落ちる水はザアザアと耳に喧しい音を立てていた。小さな渦も出来ていた。幼いなりに水泳に達者な連中ではあったが、その高さと水流は彼等を怯えさせた。
「大丈夫だよ。あの横のコンクリートさ掴まって行げばあんともねえよ」
 高志が言った。
「よし、おれが一番乗りに行ってみっが」
 義雄が言った。
 小柄な義雄は何事においても身が軽かった。走らせても忙しなく素早く走った。
 義雄は下駄を脱ぐと上着の両方のポケットに片方ずつ入れた。枠を形作るコンクリートに足を乗せ、水門の柱をよじ登った。
 水門を支えるコンクリートの横枠は二段になって川に架かっていた。もう一段は義雄の頭よりかなり高い場所にあった。
 義雄は自分が立った一段目のコンクリートの横枠の左手に、胸の辺りまで高くせり上がっている部分に掴まりながら下を見た。
「おうッ、おっかねえ ! 眼が眩みそうでクラクラするよお !」
 思わずと言ったように叫んだ。
「下ば見っでねえよ。下ば見っがらクラクラすっだ。真っ直ぐ向ごうば見で行ぐだよお」
 高志が励ますように言った。
「よしッ、行ぐど。みんなあど(後)がら来(こ)うよ」
 義雄は意を決したように力を込めて言った。
 義雄はおっかなびっくり、慎重な足取りで脇のせり立った部分の縁(へり)に掴まりながら渡り始めた。その様子が見ている者達の気持ちを緊張させた。
 地上での二十五メートルなら、なんの苦もないはずだった。だが、僅か三十センチ幅程の上を渡る水門上での二十五メートルは長かった。中間地点と思われる辺りに達した時の義雄の姿には、もはや、行くも引き返すも選択肢のない孤独感に似た気配が漂っていた。それがまた見ている者達の気持ちを緊張させた。
 義雄はそんな、息の詰まるような気配の中でなおも、そろりそろりと慎重な足取りで進んで行った。そして、ようやく三分の二程の距離を渡ったと思われる辺りへ来ると、見ている者達みんなが、思わずといったような安堵の息を吐いた。
 義雄自身もまた、気持ちが楽になったのか、残りの距離を今までにない足取りで渡りきると最後は跳ぶようにして、一気に堤防の草の上に跳ね降りた。と同時に義雄は振り返って、
「おうッ、渡っだどお」
 得意満面の笑顔で両手を挙げ、叫んだ。
 高志がそれを見て応えるように、
「よしッ、こんだぁ(今度)、おれが行ぐど」
 と叫んだ。
「おっかねえなあ」
 春男が興奮にぞくぞくするように体を揺すって言った。
 高志は早速、履いていた藁草履をぬぐと二つに重ね、服のポケットに入れた。両手に唾を吐くとこすり合わせ、意気込んで水門の柱に手を掛け、よじ登り始めた。
 やがて高志は義雄にも増してゆっくりゆっくりと渡り始めた。
 良二、信吉、忠助、春男、続いてみんなが同じようにして渡った。
 信吉は中程まで来た時、胸の苦しくなるような緊張感に捉われた。脂汗が体中を伝わって流れ落ちた。チラリと足元に眼を向けた時には、流れ落ち、渦巻く水面に体が吸い込まれてゆきそうな感覚を覚えて、思わず脇の縁を握った指先に力が入った。
 全員が無事、渡り終わった時には、みんなが一斉に歓声を上げ、拍手をしていた。
「案外、おっかねえもんだなあ」
 高志がまだ興奮の冷めやらぬ面持ちで言った。
「おらあ、下ば見だ時、眼がクラクラして今にも吸いごまれ(込まれ)そうな気がしたよ」
 信吉は心底からの安堵感と共に言った。
「あんなとぎ(時)は下ば見だら駄目だだよ」
 春男が解ったように言った。
「だけっど、あんとなく見だぐなっちゃうがら不思議だよなあ」
 良二が言った。
 良二は戦災で焼け出され、この村へ来ていた。義雄と同じクラスの四年生だった。
 町場に入るまでの道のりは、もっぱらその話題でガヤガヤ費やした。

         4

 町に入ると急に家並みが開けた。
 地方の小さな田舎町に人通りは多くはなかった。
 アスファルトの道だけが秋の陽射しの中で白く続いていた。
 道端には、咲き遅れたコスモスが影を落としていた。
 信吉達のいる村では信じられないぐらいに様々な店が軒を並べていた。どの店もがひっそりとした佇まいで、ウインドーに秋の陽射しを宿らせていた。
 駅舎の見える小さな十字路に来た時、ちょうどバスが来て、疎らな乗客を乗せ、信吉達の村の方角へ曲がって行った。
 簡素な駅舎の向こうに見えるホームに汽車の影はなかった。
 信吉達はその十字路を過ぎ、更に歩いた。あと一キロに近い道のりだった。

 金毘羅神社の境内は、横芝町の最西端に位置を占めていた。社の森がまず信吉達の眼に入って来た。さすがに、人の往来も少しずつ増えて来た。やがて、境内のざわめきが少しずつ耳を打つようになって来た。信吉達の足は自然に早くなっていた。
 境内の入り口が見えて来た。
「おう、人がいっぺえだなあ」
 境内の入り口に続く人波を見て忠助が言った。
「あれッ、サーカスがなんがやってんのがなあ」
 聞こえて来る音楽に良二が眼を輝かせて言った。
「毎年、木下サーカスが来てだっよ」 
 高志が物知り顔で言った。
 信吉達の足は自然と小走りになっていた。
 境内の入り口を入ると、たちまち人込みに巻き込まれた。
 玉砂利が足の下できしった。
 御影石の敷かれた参道の両側には、露店がぎっしりと軒を並べていた。
 どの店にも、夜店の為に、二三個の裸電球がぶら下げられていた。
 店の者たちが声を嗄らして客を呼び込む声があちこちから聞こえた。
 信吉達は左右の店に眼を奪われ通しだった。
 食べ物のいろいろな匂いが入り混じった。
 おもちゃの風車のカラカラと風を切る音が鳴った。
「春男のえ(家)の親類ではどごさ(何処へ)店ば出してっだ ?」 
 高志が人込みの中で聞いた。
「わがんねえ」
 春男は言った。
 立ち止まっている事も出来なかった。人波に押された。 
 みんながひとかたまりでいる事さえ難しかった。
 いつの間にか参道の外れに来ていた。
 左右に分かれた参道の向こう正面に神殿があった。
 鬱蒼とした杉の木立に囲まれていた。やや暗い感じがあった。
 露店の数はずっと少なく、淋しくなっていた。
 神殿にお賽銭を投げ、参拝する人の姿が絶えなかった。
 高志は玉砂利を踏んで神殿の前へ行った。
 お賽銭は投げなかったが、手を合わせて型通りの参拝をした。
 みんなも真似をした。
 神殿右手の奥の方に、サーカス小屋のテントの一部が見えていた。
 信吉は心誘われるものを覚えた。
 音楽が鳴っていた。軽いざわめきが聞こえた。
「行ってんべえが ?」
 信吉は誰にともなく言った。
 誰も興味を示さなかった。
「いいよ、あどでいいいよ」
 高志が素っ気なく言った。
「もうちっと、店ば冷がしてんべえよ」
 みんなには様々な店先のざわめいた混雑の方が面白いらしかった。


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          takeziisan様

          いつも有難う御座います
          ブログ拝見致しました
          驚く程、わたくしの境遇と似通っています
          自分の事が書かれているのかと思う程です
          わたくしも「ああ玉杯に花受けてけて」読みました
          御同様、すっかり忘れております
          わたくしが母の故郷で過ごしたのは終戦直後から   
          九年間でしたが、この九年間がわたくしを造ったように
          思います
          今では総てが夢のように思えます
          花々のお写真、消されてしまう事はさぞ
          残念な事と御推測致します
          わたくしもせめて、自分の考えた事など何処かに残して
          置きたいと思い書いていますが
          結局はそれも失われてしまう運命かもしれません
          最終的望みはこれが消されない前に
          文集としてでも出版出来たらいいなとは考えて
          おりますが、どうなる事か・・・・・・


          
 
 
 
 
 
 

 

 
   

遺す言葉279 小説 サーカスの女(3) 他 現在の世界に於ける権力者の定義

2020-02-02 16:03:22 | つぶやき
          現在の世界に於ける権力者の定義(2020.1,30日作)

   狡知に長けた 狡猾人格
   自己顕示欲 そのエネルギー並外れ
   厚顔無恥 
   自己以外 他者なし
   感情皆無
   左右の視界を閉ざされた
   馬車馬


          ----------------


          サーカスの女(3)

 座敷の掃除も雨戸を閉めるのも祖母がやった。電燈だけは背が足りないので、他の誰かが点けなければならなかった。
「まだ、仕事が終わんねえってよお」
 道代が祖母に聞こえるように大きな声で言った。
「まだ終わんねえ ? そうが、そうが」
 祖母が風呂に入る時には母か姉が手を貸さねばならなかった。
 信吉達の柿盗みの企ては結局、不首尾に終わった。柿はきれいに収穫されていて、一つもなかった。少年達は悪たれ口をたたきながら空手で戻った。
 途中、松林に入ると金タケ(茸)を探した。金タケも時期が遅いのか、見つからなかった。
 少年達の午後はそれで終わった。皆がそれぞれ家路に着いた。
 父は稲の積み下ろしが終わると牛車から牛を外し、小屋に連れていった。
「鶏(とり)小屋ば閉めだが。隙間が空いてっど、まだ、イダチ(鼬)にやられっど」
 父が信吉に言った。
 信吉は鶏小屋に行った。
 白いレグホンたちは止まり木に体を丸くして蹲っていた。信吉が近付いても動かなかった。「コウコウコウ」と、餌をやる時の呼び掛けをしても白い綿帽子のように蹲ったまま鶏たちは動かなかった。
 信吉はぴっちりと網戸を閉めて鍵を掛けた。


         3


 日曜日の朝はよく晴れた。
 冬を間近に控えた穏やかな陽射しだった。
 晩菊の上に秋の色があった。
 虻(あぶ)が黄色い金属的な羽音を立てて菊の上に群がっていた。
「母ちゃん、おらあ、今日、金毘羅さ行ぐど」
 朝日の差す井戸端で顔を洗いながら信吉は言った。
「金毘羅さ ? だ(誰)っど ?」
 母は釣瓶で水を汲んでいた。
「高ちゃんや、春男なんかどよお」
「仕事ば手伝わねえで、まだ、父ちゃんにおご(怒)られっがんね」
 母は知らん振りの体で言った。
「銭くろ」
「銭なんか母ちゃん、持ってねえべよお。父ちゃんに貰いな」
「いいがらくろよお」
 信吉は有無を言わせぬように言った。
 母はなお取り合わなかったが、信吉はしつこく絡みついて五十円を貰った。
 朝食が済むと父の眼を盗むようにして、縁側から下に降りた。
 寺の庭には既にみんなが集まっていた。藁草履や下駄履きの足はみんな素足だった。それに継ぎの当たった長ズボン。信吉は半袖の開襟シャツだった。母はみっとも無いからセーターを着て行けと言った。信吉は窮屈になるのが厭だった。その上、なんとなく母の言葉に逆らうように我を通してもみたかった。母の言葉を聞こうともしなかった。
「まったく、意地っ張りなんだがんねえ」
 母は持て余したように言って諦めた。
 金毘羅神社までは五キロか六キロの道のりを歩かなければならなかった。彼等は途中、近道をするために川の堤防を行く事にした。
 金毘羅神社は駅のある横芝町の一番向こう外れにあた。
 信吉達のいるは、九十九里浜に一番近い白浜村の中にあって、横芝駅からは四キロ程下だった辺りに位置していた。ほとんどが農家だったが、海に面したの中には何軒かの網を持つ家もあった。
 だが、遠浅の砂浜だけが広い浜には漁港はなかった。地引網が主な漁法で、この頃ではそれも寂れて来ていた。
「板木が鳴ってない、こごら辺りまでも聞ごえて来たもんだよ。そっで、ああ、今日は漁があっだなって分がってな、行って網ば引くのば手伝うどよお、バケツさいっぺえ(一杯)ぐれえの鰯ばくれだもんだよお」
 祖母が話す昔日の面影はもはやなかった。
 金毘羅神社がその海になんらかの関係があるのかどうかは、むろん、信吉達の知るところではなかった。祭礼は毎年、旧暦十月十日を中に三日間開かれた。催事の乏しい地方では毎年、近在の人々を集めていつも大賑わいだった。
 信吉達は栗山川への道を辿った。
 やがて堤防へ出ると、晩秋の事とはいえ陽射しは厳しかった。遮るものの何一つない直射日光が、ひんやりとした辺りの空気を射抜くようにして肌を刺した。
「お日さまがやげに暑いなあ」
 高志が眩しそうに顔をしかめて言った。
 堤防も周辺の松林も芒の光る秋の色だった。
 稲の切り株だけが眼に付く田圃では時折り、黄色い秋の陽射しの中で本ヤンマが静かな水面を乱した。
 田の畦道のあちこちにはまだ、おだ(稲架)が掛けられたままになっていた。
" 父ちゃんや母ちゃんは今日も、稲の取り外しに行ったのがなあ "
 信吉、ふと思った。
 取り外しが終わればすぐに脱穀だ。
「あれ ! あんだい ? 今、でっけえ魚が川ん中で跳ねだど」
 良治が突然、大きな声で言った。
 幅二十五メートル程の川は静かな水の流れを見せていた。夏にはこの川では小学校の水泳大会が開かれたりなどもしていた。
「イナ(ボラの小さい時)だよ」
 高志が言った。
 こういう事に関する高志の知識は概ね正しかった。
「イナって、夏の魚だっぺえ」
 忠助が言った。
「秋になったって、魚は水の中にいべえ(いる)よ。山さぬだぐって(這って)行くわけであんめえ」
 高志は言った。
「鯉でねえのがなあ」
 忠助がまだ信じられないように言った。
「この川には鯉はあんまりいねえだ」
 高志は投網を打ったり、釣りをしたり、川での経験は豊富だった。
「カモチン(雷魚)かも知んねえど」
 春男が言った。
「カモチンは跳ねめえよお」
 高志は言った。
 道のりの中程を過ぎると、水門が陽射しの中に白いコンクリートの姿を見せて来た。川に架かる橋はこの他、横芝の町へ出るまでなかった。
「あの水門ば渡って、向こう岸さ行くべえが」
 高志が言った。
「渡れんのがあ」 
 小柄な義男が不安げに言った。
「あのコンクリートの上は、こんな細い幅しきかねえど」
 忠助が三十センチ程の幅を手で示した。
「危ねえな」
 信吉は思わず言った。
「はあ、ずっとめえ(前)だけっどよお、あの水門に死んだ人間が引っ掛がっていだ事があっただどお」
 春男が言った。
「あらあ、自殺した人間だっぺよお」
 高志が不満げに言った。
「水ば飲んで、パンパンに腹が膨れぢゃってだだってなあ」
 春男は恐怖の色を浮かべて言った。
「五十ぐれえの男だっぺえ」
 高志が言った。
 水門の傍まで来ると彼等は立ち止まった。
 暫くは水門を見上げていたが、急に義男が元気づいたように、
「面白えでねえが。渡ってんべえよ」
 と言って、ためらい佇む仲間達を促した。
「だけっど、ちよっと、おっかねえなあ」
 忠助はなお、ためらう風だった。

 
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          takeziisan様

          有難う御座います
          雛人形の御写真
          山の御写真
          拝見しました
          すぐにもカレンダーに使えるような
          数々の写真が消えてしまうなんて
          本当に残念に思います。 
          御当人といたしましては尚の事だろうと思います
          それにしても花の名前の詳しい事には感服致します
          あれっ、なんだったっけ、わたくしの日常です
          共感致します