死刑はするな(2022.7.27日作)
2022年 令和四年 7月26日
2008年 6月8日に発生した
東京 秋葉原に於ける無差別殺傷事件
犯人の死刑が執行された
重犯罪者に対する重い刑
反対する理由はない しかし 死刑
果たして実行されて良いものか ?
死刑ーー人の命を奪う 人は
人を殺す行為を 平然と実行して良いものか ?
人の命は 如何なる事態が生じようとも
人の手で奪ってはならない 人が
この世を生きる上での鉄則 基本的条件 その条件下
死刑ーー人を殺す 人の命を奪う
この行為の許されるべきか ?
多くの人の命を奪う
なんの理由もなく実行される この蛮行 愚行
どのように断罪すべきか ?
死刑に代わる別の刑は ?
人の命を奪った行為に対する
死刑に代わり得る 償い 代償は ?
人はその死によって 自身の人生を奪われる
自由に生きる 人としての権利を失うーーならば
その権利を奪った人間 犯人 犯罪者に対して
それ相当の刑を科す その人間 犯罪者の命 自由を奪う
しかし 人が 人の命を奪う事は許されない
この条件下 人に出来る事は ?
命を奪う事は出来ない それをすれば
犯人と同じ行為をする事になる 命を奪う事は出来ないが しかし
自由を奪う事は出来る 可能だ
死刑に相当する重い刑罰
犯罪者の生きる権利を奪う
自由を奪う 絶対的終身刑
死刑に代わり得る刑ーー恩赦は無い
生涯 自由 人としての生きる権利を奪われる犯罪者
その身は 奪った人の命 被害者の身代わりとして
被害者の生を生きる 自身を生きる権利はない
生涯 加害者 犯罪を犯した者は働き その働きの報酬
働きの成果は被害者 その親族 家族に届ける 捧げる
犯罪者の得るもの その喜びはない 与えられない
与えられるものは何一つ無い 絶望の人生
喜び 明日の見えない人生 それが犯罪者に与えられ
残された人生 牢獄の狭い空間 明日の見えない狭い空間で
日々 生きる 孤独な生を生きる 生き続けなければならない
死刑は永遠に執行されない
人を殺して死刑になりたかったーー 犯罪者が しばしば
臆面もなく口にする言葉 この言葉を封じる為にも
死刑は執行すべきではない
実行されるべきでない
人の命を奪う その重さ その果てに来るものは
死ぬ事よりも重く 苦痛な 明日の見えない日々
希望 喜び その何一つない生活 重い枷(かせ)を嵌められた生涯
眼の前に広がるのは絶望の日々 絶望の海
犯罪者には生涯かけてその苦痛を与え
味わわせる べきだ 人の命の重さは
その苦痛に比しても なお
足りない
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人魚の唄(完)
かあちゃんは網の手入れに忙しいこんな時に、いったい、何が人魚だ、人魚だ、と腹を立てながら、それでも返事も返さない安さんの動静が気になって手にしていた網をかたわらに置くと、座を立って土間へ降りて行った。
半分、開けられたままになっている引き戸をさらに開けて外へ出てみると安さんの姿は何処にも見えなかった。松林越しに見る海の上にも格別に変わった様子はなくて、鮮やかな星空の下、海は入り江特有の穏やかな波のうねりを見せていた。
かあちゃんは、やはり、安さんが何か企んで自分をからかっていたのだと思いながら、安さんの姿が見えない事にも気を留めず、そのまま座敷へ戻るとまた網の手入れを始めた。
安さんの死体が波打ち際に浮かんでいたのは、翌日、朝の事だった。かあちゃんが浜辺に出てみて見付けた。その体には何かに食い千切られでもしたかのような無数の傷跡があった。この穏やかな入り江では今までにない事であった。
話しは一気に広まった。かあちゃんの口から詳細が事細かに伝えられていた。
部落の人達は誰もが不思議がった。
まさか、あの、突然、何処からともなく現われてこの部落に住み着くようになった、得体の知れない男の仕業ではないだろうな、と噂になったが、それにしても安さんの体に残されていた、何かに食い千切られたような傷跡が不可解だった。
いったい、なんの仕業なんだろう・・・・
部落の誰もが首を傾げた。
人々はいっ時、突然起こった不可解な出来事と共に海へ出るのも躊躇っていた。何が起こるか分からない。
しかし、部落にはそれ以降、格別に変わった出来事も起こらなかった。
部落はまた、以前の平穏さを取り戻していた。
例の得体の知れない男は、そんな事があっても何食わぬ顔で、依然として部落の中を気ままに歩き廻っていた。安さんの葬儀があった日にも、われ関せず、の態度で部落の中を通り抜けて行った。
季節は十月も半ばになっていた。
安さんが亡くなってから、早くも三カ月が過ぎていた。
今では部落の人達も安さんの身に起こった出来事も忘れたかのように、以前と同じように海へ出るようになっていた。獲れるものも以前と変わらなかった。
その日は穏やかに晴れた一日だった。夜になっての突然の雷雨など、誰も予想していなかった。十字路の角にある部落でただ一軒の飲み屋には三人の男の客がいた。普段と変わらない部落の中の風景だった。
雷雨は十時を過ぎた頃になって突然、訪れた。一瞬、眼のくらむような稲妻が夜の闇を引き裂いたかと思うと、次の瞬間には、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。それに重なるように金属を引き裂くかのようなけたたましい響きが起こってカウンターの上のお猪口やグラスを揺らした。
「おお~ヤダ !」
五十代半ばの女将が恐怖に怯えたように耳を塞ぎ、顔をしかめた。
篠の突く雨が地面を叩き付けるように一気に襲って来た。
雨は地上のあらゆる音を消し去るかのように激しい響きを立てて降り続けた。
その中を縦横無尽に稲妻が走って雷鳴が轟き渡った。
「ひでえ雨と雷だ。こっじゃあ、家(え)さもけえれねえ」
五十代の男が言った。
雨はなおも止む気配を見せなかった。
「それにしても長いねえ。いっ時の休みもなしによお」
女将が言った。とその時、ひときわ鮮やかに夜の闇を引き裂いて鋭い稲妻が走った、と思った瞬間、ほとんど同時に何かのひしゃぎ潰されるような大きな音が響いて地面が揺れたた。
「やだよお。気味が悪いよお」
女将は再び言って体をすくめた。
「どっか(何処)さおっこっ(落ち)たな」
四十代の男が言った。
「うん、近間だ」
別の四十代後半の男が言った。
「それにしても、えれえ音だったなあ」
三人が誰言うともなく言った。
その時だった。青光りのする鋭い稲妻が走るのと同時に、女将が、
「あっ」
と、息を呑むような気配を見せて声を張り上げた。
三人の男達はその声の様子と共に同時に女将を見た。
女将の視線は入口のガラス戸の方に向けられていた。
「あん(何)だ ?」
五十代の男が女将を見て言った。
「外に誰か居る」
女将が怯えたように言った。
三人の男達が揃って入口のガラス戸の方へ顔を向けた。
半透明のガラス戸の向こうには無論、夜の闇が見えるだけだった。
「こんな雨ん中に人なんか居るわげあんめえ」
五十代の男が言った。
「居ただよう。確かに人の影だった」
女将は言った。
四十代の男の一人が席を立って戸口へ行き、ガラス戸を開けてみた。
雨はなおも降り続いていたが、さっき程の勢いはなかった。
「誰もいねえ」
外を除いた男は言った。
「気のせいだよ」
別の四十代の男が言った。
「ううん、稲光りの中に確かに誰か居ただよ」
女将は言い張った。
雨はようやく小降りになった。男達は店の傘を借りて帰って行った。
部落の中に得体の知れない男の姿が見えなくなっていた。
「そう言えばこの頃、あの変な男の姿が見えねえね」
部落の人達は噂し合った。
海の上の奇妙な現象がまた、人々の間で囁かれるになっていた。
海の方から聞こえて来る奇妙な歌声を何人かの人達が耳にしていた。
安さんのかあちゃんも初めて聞いていた。
だが、その声を聞いた誰もが、恐怖に怯えて外へ出て確かめてみようとはしなかった。
安さんの例が頭から離れなかった。
安さんのかあちゃんはその声が聞こえた時、少しだけ雨戸を開けて外を見た事があった。
だが、松林を超えた向こう側の浜辺には何一つ変わった様子はなくて、月の光りの下で穏やかな波が小さく砕けているのが見えるだった。
部落の中に見えなくなった、あの見知らぬ男の白骨死体が川口の辺りで見つかったのは、秋も終わる頃だった。海水と川の水が入り混じった、小石でいっぱいの浅瀬に半分、水に浸かった状態で横たわっていた。何かに食い荒らされたのか、それとも、腐敗してしまったのか、ほとんど肉は着いていなかった。下帯も破けてぼろぼろになり、浅瀬の流れに漂っていた。
川原にある男の小屋はいたみが激しかったが、まだ形だけは残していた。
部落の人達は男の死骸をそのままにして置く事も出来ずに、砂浜の近くの松林に自分達で穴を掘って葬った。
その冬は寒さの厳しい年になった。普段は静かな入り江にも係わらず、海は荒れる日が多かった。小魚の数もめっきり少なくなっていた。部落の人達は海から聞こえて来た奇妙な歌声や、見知らぬ男が何処かから現れて、謎を残して死んでいった事などと合わせて、この海辺に何か不吉な事が起こっているのではないかと、噂し合った。そして、海での漁は春になっても回復することはなく、不漁は何年も続いた。
部落の人はやむなくその地を離れるより仕方がなかった。
今でも語り継がれる落人ヶ浦の伝説である。
完
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桂連様
有難う御座います
今回 新作が見られませんでしたので過去の作品を拝読致しました
前に読んだ記憶がありますが 改めて英文との併読
新鮮に思えました
心の洗剤 本当に有ったらどんなに助かる事でしょう
良い記憶だけを残して総て消し去る
でも 人間それだけになったら また詰まらないものかも
知れません 良い 悪い 混在するところに生きる事の奥深さ
真実が隠されているのかも知れません
人の進歩もそこから生まれて来るのでしょう
その意味で禅の心は総て受け入れ 自分のものとし
しかも それでいて拘らない この禅の心を会得出来た時には
人は真実 救われると思います
日々 この心を持って生きる事に励んで行きたい
常々 思っている事です
お忙しい中 面白くもないブログにお眼をお通し戴き
御礼申し上げます
有難う御座います
takeziisan様
何時も 有難う御座います
それにしてもこの猛暑の中 よく 動き廻っていらっしゃる
くれぐれも熱中症には気を付けて下さい
当地は冷房の外へ出ればいずこも蒸し風呂状態
冷房が無ければとても過ごせません
一昨年まではそれでもクーラー無しで過ごしていました
去年 今年 とてもクーラー無しでは無理です
年齢のせいか 気候のせいか ?
実際 年々暑くなっているのは事実の様ですが
今回もいろいろな写真 楽しませて戴きました
それにしてもいろいろな山々を巡っていらっしゃる
本当に良い想い出だと思います 今朝もNHK 小さな旅で
朝日岳を放送していました 山小屋やそれにまつわるエピソード
心温まる話しが盛り込まれていました
わたくしは山の経験はないのですが 人々の楽しそうな雰囲気は
実感出来ます
山小屋の灯 近江俊郎のNHKラジオ歌謡ですね
毎日 ラジオから流れて来るのを聞きながら覚えました
後年 銀座で本人と出会って ああ 近江俊郎だ
と思った事があります 品の良い人でした
トレスギチャッテ コマルノー
ウラヤマシイノー が実感ですかね
ハワイアン 昔 エセル中田で聴いたような記憶があります 曖昧な記憶です
当時 夏になるとハワイアン 夏の気分が醸し出された気がします
今はまるで聞こえて来ないようですが ハワイアンは何時聴いてもいいなと思います
様々なお写真 今回も楽しませて戴きました
山百合など懐かしい思いで拝見しました
有難う御座います