小さな幸せ

小さな幸せの見つけ方感じ方の達人をめざして!

横浜

2009-02-26 22:08:13 | 小さな気付き

♪街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ

ブルーライトヨコハマ

 

何とかと煙は高いところが好き!

地上273メートル

日本一空に近い展望フロアからの横浜の景観です。

(この日は、黄砂が飛んできていたとかで、少々かすんでいました)←いいわけ

 

ここのエレベータ

最高分速750m。

でも、その速さを全く感じさせません。

(10円玉も倒れないというので有名)

しかし、やはり耳がおかしくなり、二回ほど、つばをごっくんしました。

 

 

横浜港の原型は、陸地から細長いくちばしのように海に突き出て、入り江を抱いたようなかっこうになっています。

それを

砂嘴(さし)

っていうんだそうです。

 

 

横浜の開港は1859年。

それまでは、この砂嘴の上は、わずかな戸数の漁村だったそうです。

砂が堆積してできた土地だから、米もできないし、井戸水もでない・・・。

そんな横浜が、

日米修好通商条約で開港。

 

戦後は、ほとんど、米軍に接収されたとか。

そんな歴史を持っている横浜です。

 

今では、こんな大都会になっています。

 

ところで、パンフレットに高さ比べが載っていました。

 

東京タワーが333m

このランドマークタワーが296m

東京都庁舎が243m

サンシャイン60が240m

六本木ヒルズが238m

 

 

ここから大パノラマを見ていたら、何か、どこからともなく

ゴジラがのっしのっしって歩いてきそうな気がしてきました。

 

今夜、ケンミンショーをたまたま観ていたら横浜が取り上げられていました。

横浜市歌を浜っ子はだれもが歌えるとか。

それって凄いことですよね。

大分市歌ってあるのかしら?

 

あ、それから、忘れてはいけない

「氷川丸」

永久に動くことなく繋留されている貨客船

 

この船のプロフィール。

昭和5年、三菱造船所で竣工。

73次の航海をかさね、太平洋戦争のとき、海軍に徴用され、病院船に。

戦争中、南方海上を走り回ったけれど、その間、無傷。

敗戦は運よく、舞鶴でドック入りしているときにむかえた。

以後、復員船として働き続けます。

その役目を終えると、またもとの貨客船で活躍。

昭和35年、船齢30年で引退。

横浜市がこの船の不屈の働きと縁起のよさと姿の優美さを気に入って、引退の翌年、横浜港に永久繋留となったそうです。

 

司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のなかに

下船して、遠ざかってからもう一度氷川丸を見た。

さまざまな意味をこめて、この記念碑的な船は横浜の象徴だとおもった。

と書かれていました。

 

 

今シーズン、↑この球場で、カープは勝ち星がいくつあげられるかな?

ベイスターズと最下位争いなんて、それだけはいやだな~。

 

 

続く

 

今日の私の小さな幸せ

 

今日は、曇り。

菜の花梅雨が少し早めにきたようです。

明日は、また雨とか・・・。

 

コメント (6)
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