小さな幸せ

小さな幸せの見つけ方感じ方の達人をめざして!

春浅し

2009-02-18 20:37:08 | 小さな気付き


はなにら

 

 

今日は、「雨水」。

雪は雨に変わり、また雪や氷が解けて水となる。

春が忍んできた様子を感じて草木が蘇る候。

 

春浅し

金田一春彦

 

「春は、名のみの風の寒さや」

ではじまる『早春賦』は、きょうこのごろの微妙な季節感をうまくとらえている。

この季節を表すことばに

「春浅し」

というのがある。

季節が浅いとか深いとかいういいかたには別に

「秋深し」

があるくらいで

「冬浅し」

はない。

「浅し」は春の専用語だ。

「深し」「浅し」

は元来表面から底までの距離の長短をいうことばであるが、色彩の濃淡にもいう。

「浅緑色」「深紅色」

の類だ。

「春浅し」

も春の色が浅いという感じである。

・・・・

冬は一番色彩のない季節で、春・夏と進むにつれて色彩がゆたかになることを思うと、春に限って

「浅し」

といった日本人の季節感覚はすばらしい。

ことばの歳時記より

 

今頃の、季節の微妙な変化が好きですね。

夏から秋へ、秋から冬への変化は、

「寒くなる」

というマイナスのイメージがあります。

でも、今の時期は、いくら寒くても、後は暖かくなるだけというプラスのイメージです。

もうすぐ、花があたり一面に咲き乱れると、期待で、胸がふくらみます。

 

渡辺淳一が

十一月の憂うつ

というエッセイにこういうことを書いています。

 

十一月の空は、めまぐるしく動き、いっときといえども安心できない。

暗く確実に冬に向かう空を見ながら、

「いっそ早く冬になって欲しい」

と願った。

冬になるなら、きっかりと冬になるといい。

野も山も街も、思いっきり白い雪でおおわれるといい。

中途半端な生殺しはいやだ。

北国の十一月は、まさしく生殺しの季節である。

暖かくなる当てもないのに、ときにふと晴れて見せ、もしや、という期待を抱かせて、また冷雨を浴びせる、

折角、夏への愛着を絶ちきろうと心を決めたのに、ときに気紛れのように陽光を届ける。

それが訪れるたびに、ようやく固まった冬を迎える決心が鈍る。

この苛々した気持は、あきらめかけた人から、時に電話がかけられるのに似ている。

もう別れようと決心がついたのに、その心を弄ぶように声をかけてくる。

まさしく十一月は「悪女」に違いない。

あるいは「憎い男」というべきか。

 

 

さすが渡辺淳一さんですね。

すべてを男と女にむすびつけるなんて。

 

では、この時期の二月を渡辺淳一さんは、どんな「男」や「女」と表現されるんでしょうかね。

聞いてみたい気がします。

 

今日の私の小さな幸せ

 

車をぶっつけた話をしたら、私も、私もという声をあちこちで聞きました。

二月は、女性が車をぶっつけやすい月なのでしょうか?

これが今日の幸せ?

 

♪ひとりじゃないって、すてきなことね~

 

コメント (6)
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