『オール読物』に連載中の長部日出雄さんの新作映画時評「新・紙ヒコーキ通信」が、9月号の「幕引きの弁」で最終回を迎えた。病が重なり、もはや映画を見に行くことも大変になったとのこと。映画館で映画を見ることにこだわった長部さんだけにさぞや無念であろうと思われる。
残念ながら「新・紙ヒコーキ通信」はまだ単行本にはなっていないので、その前身である「紙ヒコーキ通信」をまとめた三部作(83~88)「映画は世界語」「映画監督になる法」「映画は夢の祭り」を読み返している。
長部さんの映画への熱い思い、映画に関する博識と鋭い分析によって支えられたこの三部作は、当時、映画について何か書きたいと思っていた自分にとって、楽しみながら学べる教科書のような存在だったことを思い出した。
例えば、「映画は夢の祭り」所収の「なんてったってカスダン」では『シルバラード』(85)を評して、西部劇において守られるべき原理は、はっきりしている。強者の悪は許さない。主人公は弱者の立場に立ち、なにより女性と子供を庇うことに全力を挙げる。弱きを助け、強きを挫く。すなわちリベラルの精神(スピリット)である。
なに(WHAT)を描くかは決まっているから、問題はいかに(HOW)描くかになる。もっと端的にいえば、どんなシチュエーションで、どのようなスタイルで拳銃を抜き、もっとも切れ味がよくて、しかも後味のいい方法で敵を倒すか、なのだ。と記している。
いまさらながら分かりやすい見事な筆致だと思う。こうしてあらためて読み返すと、なにやら初心を忘れるなと言われているような気もする。長部さん、どうぞお大事に。