田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『シルバラード』

2021-09-11 12:01:06 | 映画いろいろ

『シルバラード』(85)(1986.3.20.日比谷スカラ座)
思えば、ケビン・コスナーの西部劇はここから始まったのだ。

 ある事件で投獄の身だったエメット(スコット・グレン)は故郷であるシルバラードに帰る途中、下着姿で砂漠に横たわるペイドン(ケビン・クライン)、縛り首の刑寸前だったペイドンの弟ジェイク(ケビン・コスナー)、酒場でもめ事を起こしたマル(ダニー・グローバー)などを助けながらシルバラードにたどり着く。

 だが、町は土地の独占を企てる牧場主マッケンドリック(ブライアン・デネヒー)に牛耳られていた。彼らの余りにもひどいやり方に、そして町や愛する者たちを守るため、4人は闘うことを決意する。

 この映画の監督ローレンス・カスダンには、デビュー作の『白いドレスの女』(81)から注目していたのだが、今回も、出だしの撃ち合いのシーンから、快調なテンポで、西部劇の約束事(撃ち合い、友情、裏切り、酒場、スタンピード、決闘…)を次から次へと見せてくれた。あたかも、西部劇のおいしいところをごった煮にしたような印象が残った。

 そして、スピルバーグやルーカスらと同じように、自らが憧れたひと昔前の監督たち(ジョン・フォード、ハワード・ホークス、ジョン・スタージェス、アンソニー・マン…)にオマージュを捧げながら、自己流の映画に仕上げている。特にグローバー=黒人を、重要な役割で出しているところなどは現代流だ。

 ただ、トータルで見ると、多少不満が残らなくはない。それは、過去の西部劇のような、西部劇が似合う役者がいなくなってしまったことも大きな理由の一つだろう。この映画でも、若いコスナーあたりは随分頑張っているが、かつてのマックィーンのような圧倒的な存在感はない。

 また、カスダンの西部劇への思い入れの強さ故か、あまりにもいろいろな要素をぶち込み過ぎて、残念ながらストーリーが散漫になったところはある。

 だが、カスダンが「この映画が西部劇復活への一里塚になれば…」と語ったように、西部劇が下火になっている現状を思えば、この映画が果たした役割には大きなものがあるともいえるだろう。

By the Way.西部劇はあまり似合わないが、最近のダニー・グローバーとブライアン・デネヒーの活躍には、目を見張るものがある。ちなみに、グローバーは『アイスマン』(84)『プレイス・イン・ザ・ハート』(84)『刑事ジョン・ブック/目撃者』(85)『カラー・パープル』(85)と続き、デネヒーは『ランボー』(82)『ネバー・クライ・ウルフ 』(83)『ゴーリキー・パーク』(84)『コクーン』(85)と続く。

【今の一言】グローバーはこの映画の後、『リーサル・ウエポン』(87)で大ブレークを果たした。

「なんてったってカスダン」長部日出雄
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7a841e62e299e744d0cea8fc3f0dee9d

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビデオ通話で西部劇談議『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』

2021-09-11 07:53:33 | 駅馬車の会 西部劇Zoomミーティング

 今回のお題は『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(03)。 

 牧場を持たずに草原から草原へと自由気ままに移動しながら牛を育てる“オープン・レンジ(原題)”と呼ばれる男たち。リーダーのボス(ロバート・デュバル)、その右腕で銃の名手のチャーリー(ケビン・コスナー)、気の優しい太った料理人のモーズ(アブラハム・ベンルビ)、拾われたメキシコ人の少年バトン(ディエゴ・ルナ)。

 だが、彼らの前に、牛を囲い込もうとする大牧場主バクスター(マイケル・ガンボン)一味が立ちふさがる。ボスとチャーリーは、モーズを殺し、バトンに重傷を負わせたモーズ一味に戦いを挑む。

 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)に続いて、コスナーが監督・主演した本格西部劇。この映画ではボス役のデュバルに結構花を持たせているが、両作を隔てる13年の間にコスナーの身に起きた栄光と転落を思うと感慨深いものがある。

 そんなこの映画の見どころは、雄大な自然描写、カウボーイや町に住む人々の暮らしぶり(大雨で町が浸水するシーンは初めて見た)、西部に暮らすインテリ女性(アネット・ベニング)の存在(『荒野の決闘』(46)のクレメンタインもそうだ)。

 対決の前にボスとチャーリーが本名を明かし合うおかしさ、彼らに手を貸す粋な老人(マイケル・ジェッター)、ラスト20分にわたる至近距離でのガンファイト…。

 そして、『シェーン』(53)『荒野の七人』(60)などとは違い、決闘の後で町に残るガンマンというのは新しいパターンかもしれない。硬派(決闘)から軟派(恋愛)に切り替わる甘々のラスト、自分は嫌いではないが、西部劇のファンの中には、こういうのは駄目という人もいるのではないかと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする