『護られなかった者たちへ』(2021.9.13.松竹試写室)
東日本大震災から9年後、宮城県内で全身を縛られたまま放置され餓死させられるという連続殺人事件が発生した。被害者の2人(永山瑛太、緒形直人)はいずれも、福祉保健事務所に勤める、善人で人格者と言われる男たちだった。
宮城県警捜査一課の笘篠誠一郎(阿部寛)は、2つの事件からある共通項を見つけ出す。そんな中、利根泰久(佐藤健)が容疑者として捜査線上に浮かび上がる。彼は放火犯として服役し、刑期を終えて出所したばかりの元模範囚だった。だが、利根の犯人としての決定的な確証がつかめない中、第3の事件が起こる。
中山七里の同名ミステリー小説を、瀬々敬久監督が映画化。震災にまつわる話で、確かにいろいろと考えさせられはするが、とにかく暗く重い。出てくる者たちが皆何かを背負っていて、見ながらやるせない気持ちになってくる。
生活保護を重要なテーマとして描いているが、それを強調するために全てを強引にそこに結び付けた感があるし、犯罪を犯す者も、それを捕らえる者も、キャラクター設定が皆中途半端で、それぞれの行動の理由が曖昧に映る。いずれにしても、こういう話を描くのは難しいと、改めて感じた。
また、瀬々監督の演出の欠点は、『64−ロクヨン−』(16)の新聞記者も、この映画の刑事も不必要にわめくところ。強調したい、メリハリをつけたいと思ってやっているのだろうが、見ていてあまりいい気持ちはしない。「そこで声を張り上げる必要はないだろう」と思うのだが、ひょっとして記者や刑事の嫌らしさを感じさせるためにわざとそうしているのか。
清原果耶が、相変わらず達者なところを見せるが、同じく東北を舞台に、震災を引きずったヒロインを演じている朝ドラ「おかえりモネ」のイメージが重なって見えてちょっと困った。当たり役を得れば得たでイメージ打破はなかなかに難しい。俳優も大変だ。
【ほぼ週刊映画コラム】『64-ロクヨン-前編』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/fa66a0c83ac42be54beeb5aefae3a01d