エジソンはひどい人
電流戦争でトーマス・エジソン(カイル・マクラクラン)に勝利しながらも、天才であるが故に孤独な人生を歩んだニコラ・テスラ(イーサン・ホーク)の半生を描く。監督・脚本はマイケル・アルメレイダ。
この映画は、テスラと交流があったモルガン財閥の娘アン(イブ・ヒューソン)が、時折、実際のスライド写真を見せたりしながら、案内役を務める。加えて、スマホを手に持つエジソンや、テスラが自らの心境を、ティアーズ・フォー・フィアーズの「ルール・ザ・ワールド」に託して歌うシーンなどで、現在との接点を示そうとしているだが、違和感を抱かせるだけで、成功しているとは言い難い。
エジソンとの対立や葛藤の描き方も中途半端だし、サラ・ベルナールの登場も唐突。アンとの関係も良く分からない。全体的に描写が観念的なので、実際のテスラの業績も浮かんでこないし、ホークの暗くて癖のある演技を見ていると気が滅入ってくる。伝記映画の悪例といった感じがした。
それにしても、「おどるポンポコリン」では、「いつだって忘れない エジソンは偉い人 そんなの常識」と歌われていたが、ある側面から見れば「エジソンはひどい人」だな。
ところで、テスラがエジソンのキネトスコープで、エドウィン・S・ポーターの『大列車強盗』(1903)を見るシーンがあったが、それであるドキュメンタリーを思い出した。
『ペーパープリントが語る100年前のアメリカ』(2011.1.2.NHK BS)
「映画の発明」「大国の誕生」「カメラは世界へ」の3部作でなかなか見応えがあった。ちなみに、ペーパープリントとは、エジソンが著作権を得るためにフィルムを紙に貼り付けて写真として保存したものだそうだ。
こうして改めて黎明期のフィルム=映画を見ると、もともと映画とは高尚なものではなく、人々の好奇心を満たすのぞき趣味の産物であり、戦争や事件を都合よく見せるためには、特撮を駆使したやらせもいとわない、という下世話なものだったことがよく分かる。中でも、エドウィン・S・ポーターの『あるアメリカ消防夫の生活』(1903)は、劇映画の元祖と言われるだけあって、今見ても結構面白い。
ところで、映画発明者はエジソンにあらずという説がある。候補者は、有名なリュミエール兄弟をはじめ、ウィリアム・ディクソン、オーギュスタン・ル・プランスなど。
中でも、特許争いの渦中で突然失踪したル・プランスは、『エジソンに消された男』(クリストファー・ローレンス)で大きく扱われ、日本でも北原尚彦が、ル・プランスの霊が霊媒師に降りて真実を語るという短編小説「映画発明者」を著している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます