大谷翔平のドジャース入りを見ながら、野茂英雄のことを思い出した。
ドジャース野茂英雄、メジャー初勝利(1995.6.2.)
1995年6月2日。ロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・メッツの一戦。最後のセカンドゴロをデライノ・デシールズがさばき、野茂英雄が8回をボビー・ボニーヤの本塁打による1失点に抑え、7度目の登板で遂にメジャー初勝利を挙げた。
その瞬間、監督のトミー・ラソーダが、ピッチングコーチのデーブ・ウォレスが、満面の笑みを浮かべながら、マウンドから降りてきた彼を迎えた。
この、マッシーこと村上雅則(サンフランシスコ・ジャイアンツ)以来、実に30年ぶりとなる日本人投手の勝利を支えたのは、アメリカ人はもとより、プエルトリコやメキシコ出身者らによる人種混合のチームメートたちであり、力のあるものは認めるというアメリカの懐の深さによるものだ。
残念ながら、日本のプロ野球チームが、来日した外国人選手たちにこうした姿勢を示したことはなく、腰掛け的な“助っ人”という言葉はいつになっても死語にならない。また、相撲のハワイ勢に至っては、国籍を捨てなければ相撲界には残れない。
そうした日本のプロスポーツ界の閉鎖性が、野茂の快挙の裏側で反面教師のように見え隠れするのは悲しいことだ。もちろん、アメリカが全て正しいとは思わない。今回のストライキなどは、アメリカのスポーツ界が抱える、金銭にまつわる問題の大きさを改めて感じさせるものだったし、人種差別が日本の比ではないことも分かっている。
ただ、たとえこれが希少な例であったとしても、全くないよりはいいに決まっているし、そうした瞬間をわれわれ観客はもっと見たいのだ。そして、腐ってもメジャーリーグにはまだその可能性があることが今日証明された。
1995.10.13.
「驚きももの木20世紀」「遥かなるメジャーリーグ」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/92419c1175fc0fda1fe8831e7f80b1b5
2001.6.20.
ドジャースタジアム
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4294ae6790d08c6e5bacac932c98fca9
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます