『太陽を盗んだ男』(79)(1982.11.16.大井武蔵野館.併映は『魔界転生』)
いかにも好評を得た作品らしい面白さがあったのだが、核という問題を考えた場合には少々疑問が残った。プルトニウムさえ手に入れば、ああも簡単に核爆弾が作れてしまうものなのか。だとすれば、それは至極恐ろしいことではあるのだが…。
この核爆弾を製造した中学校の理科教師・城戸誠(沢田研二好演)が、それを盾に国家権力を向こうに回して大活躍する。それは見ていて痛快な面もあるが、単に爆弾をもて遊んでいるだけにも見える。
ここで唯一の被爆国日本云々を言うつもりはないが、この映画から核の恐ろしさを感じることはできない。むしろ核爆弾を巡るアクション映画としての魅力の方が強い。菅原文太の不死身の警部役との対決も面白い。
監督の長谷川和彦と脚本のレナード・シュレイダーは、国家に対する個人の力を示すために、あえて一個人に核を保有させるという突拍子もないことを考えたのだろうが、この主人公に核を持たせてみても、どうしていいのか分からない。せいぜいナイターの完全中継やローリング・ストーンズの日本公演を実現させることや、国家権力を困惑させる程度なのだ。
それは、結局のところ、個人が持つ力の限界や、現代社会における居場所のない者の孤独を映し出す方向に向いてしまったようだ。
冒頭に、伊藤雄之助演じる国家に対して倒錯した思いを持つバスジャック犯を登場させたものだから、もっとアナーキーな話が展開していくのかと期待したのだが、どうやらその点ではいささか裏切られたような気がする。
ただ、こうした核や思想の問題を差し引いてみれば、映画の作り方のうまさは認めざるを得ない。ドキドキワクワクしながら見ていた自分がいたのだから。何だかんだと理屈を言っていないで素直に面白かったと認めてしまえばいいものを…。
【今の一言】この映画の奥には、胎内被曝者でもある長谷川和彦監督の思いがあることを後年になって知った。その長谷川和彦は、この映画以降、映画を撮っていない。
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