『タッカー』(88)(1988.11.5.日本劇場)
1945年、革新的な自動車を開発し旧来的な業界を変えたプレストン・タッカーの実話を、フランシス・フォード・コッポラ監督&ジョージ・ルーカス製作総指揮で映画化。
この映画は、監督のコッポラが言うようにプレストン・タッカーという忘れられた男の生涯を掘り起こすことによって、全てのクリエーターや職人たちの夢に捧げられたような映画に仕上がった。
タッカーの生きざまを見ながら、ピーター・ボグダノビッチがジョン・フォードの映画に送った「敗北の中の栄光」という言葉が浮かんできた。
だがそこに、物を作り出す際に生じる苦悩や、個人の才能を押しつぶそうとする権力や体制を同時に描き込むことによって、コッポラのアメリカン・ゾートロープ、ルーカス・スタジオ、そしてスピルバーグのアンブリンといった個人の映画製作会社の存在とイメージが重なるところがあった。
そして、この映画の最も愛すべきところは、描かれた時代が40年代ということもあるが、久々にアメリカの古き良き家族像やデモクラシーの美しさをストレートに描き、昔の心温まるアメリカ映画をほうふつとさせた点だろう。
このあたりは、コッポラとルーカスのタッカーに対する思い入れの強さもあろうが、この映画を亡き息子に捧げているコッポラの、家族に対する思いも大きく反映されているのだろうと思う。
加えて、相変わらずの見事なカメラワークを示したビットリオ・ストラーロの撮影、好漢タッカーを見事に演じたジェフ・ブリッジス、大人の女の色香を感じさせた妻役のジョアン・アレン、驚くべき老け役のマーティン・ランド―、ジェフとの親子共演となった上院議員役のロイド・ブリッジス、タッカーの息子役でクリスチャン・スレーター、技師役にはコッポラお気に入りのフレデリック・フォレスト、おまけにマコ岩松まで出てくる。こうしたいいキャスティングにも魅せられた。
このところ不振が続いたコッポラだが、久々に本領を発揮した映画といってもいいだろう。それだけに、うわさされている引退など、まだしてほしくないと強く感じた。
タッカーの法廷での最後の演説に全く脚色がなかったとしたら、まさしく彼は自動車産業の未来を予見していたことになる。あまりにも今の状況と類似しているのだ。これには驚かされた。
【今の一言】珍しくフォレストが主演したビム・ベンダースの『ハメット』(82)もなかなかよかったが、彼はやはりコッポラの秘蔵っ子という印象が強い。故に、コッポラの凋落と重なって活躍の場が失われていった気がするのが残念だ。
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