京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤした後の生活を
大好きな旅行を中心に綴っていきます。

塩田温泉1 赤穂 大石神社

2021-06-03 11:39:00 |  国内旅行

今年も6月に入ってしまいました。
そろそろ2019年6月クロアチアへの旅を
始めようと思うのですが、

その前に3月31日から4月1日にかけて
1泊だけ兵庫県塩田温泉に行ってきましたので
そのお話を先に。

塩田温泉1 赤穂 大石神社 塩田温泉2 赤穂美鶴花岳寺赤穂城址
塩田温泉3 赤穂御﨑の桜 塩田温泉4 夢乃井旅館夕やけ小やけ1
塩田温泉5 夢乃井旅館夕やけ小やけ2 塩田温泉6 竹田城址へ
塩田温泉7 竹田城址 塩田温泉8 竹田城址~そばの店右衛門五郎
塩田温泉9 立雲峡

3月31日(水)リタイア記念旅行

主人最後の勤務が終わった明くる日から1泊、
お疲れさん会で兵庫県の塩田温泉を予約していました。

この頃は緊急事態宣言も出ていないし、
わりと感染者数も落ち着いていた頃。
でも、どうしよう。。と正直悩みました。

塩田温泉夕焼け小焼けは、
昨年の3月結婚記念日に予約していた旅館。
コロナ感染の始まりでキャンセルしていました。

なので、リベンジで申し込んだ旅館をまたキャンセル
というのも残念だし、旅館の方にも申し訳ないし。。

平日だし、車で行き、密な所に行かない様に気を付けて
思いきって行こうということになりました。

京都から

京都の川端通り。
この辺りだけ、まだ、桜が満開のように残っています。

平日の水曜日。高速も空いていますよ。
久しぶりのドライブ、お天気も良くていい気持ちです。

宝塚北サービスエリア

途中、宝塚北サービスエリアで休憩。
サービスエリアも空いていてよかった。

平日に行けるのは、やっぱりリタイア組の特権ですね。
現役だったら、土日とか祝日がらみでないと行けないですから。

サービスエリアで、アールグレーの紅茶を買いました。
宝塚歌劇団の箱に入ったお洒落な紅茶でした。

赤穂市

今回の旅は塩田温泉泊なのですが、
初めの予定は、赤穂浪士の町赤穂に行って、
それから姫路城、そして塩田温泉を考えていました。

でも、姫路城は蜜になりそうなので今回はパス。

ゆっくりと赤穂市を見て、そのまま塩田温泉に向かう事にしました。

赤穂に到着。 赤穂市の道路もがらがらですね~。

JR播磨駅前に大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の像が
ありました。やっぱり、忠臣蔵の町です。

私。。忠臣蔵は小学生の頃からなぜか大好きで、
幾度となくテレビや映画でも見た事があります。

いつか赤穂の町に行ってみたいと思ってましたが
ようやくその念願が叶いました。

大石神社 忠臣蔵47士

まずは、大石神社です。

1701年(元禄14年)3月14日、
主君浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が
江戸城中松の廊下で吉良上野介(きらこうずのすけ)に刃傷事件を起こし、
その責任を問われ、長矩に即日切腹、
その上お家断絶の沙汰が下ってしまいます。

大石内蔵助は、筆頭家老としてお家再興を目指しますが果たせず、
その後苦難の末に、1702年12月14日、
主君の仇である吉良上野介の屋敷に討ち入り、
本懐を果たしたという有名な忠臣蔵のお話。

大石神社の参道の左右に、その47士の石像が立っています。

赤穂の水で悩み解消・運命を占う水みくじもあるようですね。

門の横には、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)
大石主税(おおいしちから)親子の像が
両サイドに立っていました。


この時、大石主税は16歳だったんですよ。。

境内

47士や浅野家武将たちを合祀している神社が大石神社です。

赤穂47士が不慣れな江戸で、一年十ヶ月に及ぶ窮乏生活に耐え
数々の困難を乗り越え主君の仇を討ったことから、


大石神社は、大願成就で有名な神社と言われています。

宝物殿

こちらは、義士の書状や武具などの遺品が展示されている宝物殿です。

お詣りとおみくじ

まずは、本殿にお詣りして、

赤穂の水で字を浮かび上がらせる水みくじをやってみました。

水に浸けると白紙だったおみくじに字が浮かび上がってきます。
結果は、吉と中吉。

まぁまぁいいですよね~。

花々が美しく咲き、緑が鮮やかな境内。
3月とは思えないぽかぽか陽気です。

こんな可愛い内蔵助(くらのすけ)みくじもあったので
やってみました。記念のお土産にちょうどいいかなって思って。

こちらは大吉でしたよ。

桜が満開

大石神社横の公園は桜が満開。本当に綺麗です。

1701年(元禄14年)から320年後の2021年。

320年前、赤穂の人々は一晩で天地がひっくり返る運命に遭遇し
そこから今も語り継がれるドラマが生まれたんですよね。

320年経った今、桜が咲き誇り静かで穏やかな赤穂。


今は赤穂を含め、世界中が目に見えないウィルスと戦かっていますが、
この先また300年後、何がおこっているんだろう。。なんて。

ちょっと想像がつかないですけどね。

 

辞世の句

さて、大石内蔵助、大石主税親子の辞世の句を
最後に紹介しますね。

本懐を果たした後、1703年3月、幕府の命で47氏は切腹。

 

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)

享年44歳前後だと言われている大石内蔵助の辞世の句は、

あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし

本懐が遂げられて、何の悔いもなく、あの世の主君の元に行ける
晴れ晴れとした気持ちが表れていますよね。

大石主税(おおいしちから)

大石内蔵助の長男で、浅野長矩(ながのり)切腹後に元服。
赤穂浪士の四十七士の一人となり、当時16歳でありながら
吉良邸討ち入りの際は裏門攻め入りの隊長をつとめました。

その大石主税の辞世の句は、
最後に豊岡の地に、母を訪ねた時の句と言われていて、

あふ時はかたりつくすとおもへども別れとなればのこる言の葉

立派に隊長を務めた主税も、まだ16歳の少年。
決心と覚悟を持ちみごと本懐を遂げても、
その心中に母を残して先に行く辛さがあったのだと思うと
胸が厚くなってきました。

16歳の息子を失う事を覚悟でかたき討ちに送り出す
母の気持ちを思うと、ますます苦しくなってきますよね。



次は、塩田温泉2 赤穂 美鶴 花岳寺 赤穂城址
へ続きます。

 

最後までお付き合い頂き
ありがとうございました。

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2020年9月18日で、
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