京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤした後の生活を
大好きな旅行を中心に綴っていきます。

大雨の日、ちょっといい事を。

2008-07-29 00:40:13 | 日常日記
最近風邪の報告ばかりしていますが、
お陰様で私の風邪はなんとか落ち着いてきました。
完全に治りました~と大声で叫べないところが、
ちょっと悔しいのですが。。


ところが、ところがです。。
一番恐れていたことが。。おこってしまいました。
母にどうも風邪がうつってしまったようなのです。
うわ~大変と、お薬を買いに走ったり、おかゆを炊いたり。。

絶対に母に風邪を移さないようにと、すごくすごく注意していたのに。。

でも、母の場合は、食事は私が作るし、
好きなときに寝たり、起きたりできるので、
なんとかこじらせることなく、治ってきそうで
ようやくほっとというところです。


ところで、昨日の雨はすごかったですね。
京都でも、びっくりするような大雨でした。

ちょうど、私は近くの歯医者さんに行っていたのですが、
30分ほどたって、さぁ終りましたよ~と言われ
外を見たら、なんと歯医者さんの前の道が、川状態。。

ばけつをひっくり返したような大雨の中、
赤ちゃん連れの若いお母さんが、歯医者さんの軒下で
雨宿りをされています。

それに気づいた歯医者さんは、中に入って待つようにと
声をかけられ、赤ちゃんとお母さんは待合室に入ってこられました。

私もこの雨の中帰る事もできず、赤ちゃんのお相手をしながら
雨が上がるのを少し待っていました。

赤ちゃんは、7ヶ月の男の子で、本当によく笑うとっても可愛い子。
息子たちの赤ちゃんの頃に、どことなく似ていて。。
しばらくはお母さんと談笑。。でも、雨は全然上がる様子もなく。。

彼女たちの家はここから10分ほどらしいのですが、
迎えに来てと連絡をされても、無理のようで、
タクシーを頼まれても、タクシーもすぐにはとても無理で
30分以上はかかるとか。。

私が午前中最後の患者だったので、
歯医者さんの診療時間も、間もなく終わってしまい、
先生は、小降りになるまで待ってればいいよと言って下さいますが
先生たちも休憩時間だし。。

で、ほんの少し雨がましになったので、私が家まで車をとりに行って
赤ちゃん達を送ってあげることにしました。

「先生、私、車取ってきて送って行ってあげますね。」

と言うと、先生も

「いいんですか。。じゃぁ、お願いしますね。」

歯医者さんから私の家は、歩いて5分ほどなんですよ。
もっと早くに気づけばよかったな。。

大急ぎで家に帰って、すぐに歯医者さんまで戻ってきました。
そして、ベビーカーをトランクに積んで、二人を家まで送ってあげました。

車でだったら、ほんの5分ほどの距離ですが、
お母さんはとっても喜んで下さいました。

ベビーカーを降ろしていたら、後ろから車が来て、
プップ~とクラクションを鳴らされてしまい。。

赤ちゃんへのばいばいもそこそこに、
大急ぎでさよならをしてしまいましたが。。

でも、こんな大雨の日にちょっといい事ができて
私もいい気分。

でも、でも、あの赤ちゃん、本当に可愛いかったな~。

私と主人の夢は、主人がリタイアしてから
二人で、アパートを借りたり、安宿を探して、
世界、日本の色々なところに、時々週・月単位で滞在し、
色々なものを見たり、色んな人と出会ったりすることなのです。

つまり、ちょっと放浪の老夫婦になりたいなと。。


でも。。。

もしも、あんな可愛いお孫ちゃんができてしまったら。。
なんか、夢はどこかに吹っ飛んで、
お孫ちゃんの世話に一生懸命になりそうで。。

ちょっとやばいな~。。なんて思ってしまった私なのでした。










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1 イタリア ローマ コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉

2008-07-24 00:03:00 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

2004年 6月29日(火)

1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉 
2 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂     
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ 
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国
       
     

旅のスケジュールは   こちらです。


新婚旅行以来、主人と二人だけで海外へ行くのは
10年ほど前に行ったグアム以来2回目です。

ツアーを申し込んで以来、すっごく楽しみにしていたヨーロッパ旅行。
関空について、ツアーデスクに行くと、
若い女性の添乗員の方が待っていて下さいました。

「あとのメンバーの方は?」と聞くと、

「あとは新婚さんが一組だけです。」と添乗員さん。

「え~。。4人だけのツアーなんですか?」とびっくり。

2名以上催行確定ツアーで申し込んではいたものの、
まさか4人だけとは。。個人旅行のようなもんやん。。と、

なんかラッキーなような、なんかちょっと寂しいような、
そんな気分でイタリア・フランス旅行が始まりました。

これは関空の免税店。
化粧品のお店から、甘~い香水の香りが漂っています。
この香りをかぐと、旅の始まりを感じてなんだかわくわくです。



ローマ

ほぼ、12時間のフライト後、ローマのダビンチ空港に着きました。


飛行機の窓から見えたイタリアの国土。


ローマ郊外のホテルに到着。ここで2泊することになります。



でも、飛行中ほとんど寝られなかった私達は、少々お疲れ気味。
こちらで夕方6時は、なんといっても、
日本時間の真夜中1時なのです。。


私達は、夕食を食べるのも忘れてそのまま
ベッドに倒れこむようにして熟睡。
明くる朝の5時過ぎまで、12時間近くも眠りました。

もったいないようですが、後から考えるとこれが
これから先の旅行を、楽しく、順調にしてくれたようなのです。
時差ぼけもなく、すっかり元気、元気~!


6月30日(水)

朝5時過ぎに目を覚まし、爽やかな朝を迎えた私達は
ホテル周りのお散歩に。



プールもあるんだ~。でも、まだ誰も泳いでいません。

朝食の時に、旅のパートナーの新婚さんに会ったら、
昨日、夕食に行かない私たちを心配して、
マクドを買ってきて下さっていたとか。。

「お部屋ノックしたけど返事がなくて。。」と。

ありがとう~。本当にごめんね。。。
多分、その頃はすでに爆睡中でした。。


ローマ市内観光

さて、いよいよローマの観光が始まります。

この大型バスに4人。席は使い放題です。
バスの横の女性が、添乗員さんです。

なんだか5人家族のような感じで始まった旅。
私たちが父母で、子供夫婦の新婚さん
それにしっかり者のお姉ちゃんという感じかな。



みんなとりあえず前のほうに、ばらばらと集まって
勝手気まま。

やっぱり、ラッキーでしたよね。


後ろは誰もいない。。。

コロッセオ

さて、初めにいったのはコロッセオ。
紀元80年に完成したといわれる競技場です。

かつてここでは、剣闘士達の闘いだけでなく、
人がライオンのような猛獣と戦う残酷なショーも行われていました。

そして、それを娯楽として見る皇室や貴族、市民の姿があったのです。



闘いは必ず死をもって幕を閉じたと言われ、
人々は命を懸けた闘いに、歓声を送り、熱狂していたのです。


でも、1900年もの時が流れ、
多くの人々の血を吸い取ったコロッセオも、
今は世界遺産として静かに佇んでいるだけでした。



コロッセオと、コンスタンティヌスの凱旋門。
高さ25メートルの凱旋門は、ローマ最大といわれています。


フォロロマーノ

コロッセオの隣には、古代ローマ時代の都市の遺跡
「フォロロマーノ」が。

砂に埋もれていた神殿、寺院、元老院、公共広場などの
遺跡が発掘され、たち並んでいます。




発掘は、19世紀から本格的に行われるようになり、
今も続いているのです。



ここでは、ジュリアス・シーザーが、
紀元前45年3月15日死亡した時に、
実際にここで火葬されたという場所にも連れて貰いました。


シーザーの為に、今でもお花が手向けてあります。

本の中だけで知っていた人物と、現実がちょっと重なって、
不思議な感じのする場所でした。

ローマ三越

バスはフォロロマーノを出て、テルミニ駅前を通り、


昔、白黒映画の「終着駅」で有名なテルミニ駅です。

ローマ三越へやって来ました。
買い物ツアーに組み込まれているお店です。

ここの入り口では、新婚さん限定で記念のお皿がもらえるのです。

「よかったね~。もらっておいでよ。」と、新婚さんに声をかけたら、

「いっしょに行って、もらっちゃったらどうですか? 
日本人は若く見えるから、わからないですよ。」
と、添乗員さん。

まさか。。それは、いくらなんでも無理がありすぎるでしょう。。。

でも。。。

「いっしょに行きましょうよ~」と、新婚の奥さんに誘われ、

「さぁ、さぁ、早く早く。。」と添乗員さんにせかされ、

「そ。。そう?。。まぁ、晩婚ということもあるしな。。」

と、無理やり自分を納得させ、

新婚さんの後ろを、他の人に見られないかと、
ちょっとびくびくしながらついて行くことに。



彫りの深い顔立ちの、素敵な紳士 がお皿を渡してられます。

やっぱり、辞めとけばよかった~。。。ばればれやし。。

でも、新婚さんに次いで私が行ったら、にこっと笑って
私にもお皿を渡して下さいました。

もう、ほっと、ほっと。。です。
どきどきしたな~。

ま、きっとわかってらしたに違いありませんが、
イタリアの男性は優しいからね。

ということで、貰ったお皿の写真が上です。
2004と、行った年が入っていたので、嬉しい~。


また、このローマ三越店内には、真実の口の複製品もあります。
本物を見に行くつもりではあるけれど、一応ここでも
記念写真だけは撮っておきました。

でも、本物っぽくうまく撮ったつもりが、
デパートの壁にかかっていた額の一部が、背景に入ってしまっていて、
やっぱりばればれでしたね。


トレビの泉

次は、ローマ観光の名所、トレビの泉です。
後ろ向きに、反対の肩越しにコインを投げると
再びローマに来ることができるとか。。

実は30年ほど前、学生時代の研修旅行の時、
トレビの泉に後ろ向きでコインを投げ入れた事のある私。

本当に再びローマに戻ってくる事ができました~。



2度あることは3度あるを狙って、また後ろ向きでコインを
投げ入れる私を主人がカシャ。

こちらは、私の隣でいっしょにカメラに収まって下さったご夫婦。
このご主人の横で、私がコインを投げています。


別にチーズ!と言ったわけではないのですが、
いっしょに笑って下さってます。グラーツェ


この近くのジェラート屋さんで、中田ジェラートを買いました。
当時、サッカーの中田英寿選手はイタリアのボローニャに所属。

ジェラートにも、中田の名前がついていたのです。
オレンジ味のおいしいジェラートでした。


IL Ciociaro イル・チョチャーロ

さぁ、ランチタイムです。
イタリアでの初めてのレストランは、 イル・チョチャーロ。
初めてのパスタはボンゴレでした。

本場でのパスタに期待は膨らみ、わくわく。

パスタのゆで方がちょうどよくて、味がよく絡んでいて
ほんと、おいしいパスタでした。



その後、メインのお肉料理サルティンボッカ、
(子牛の薄切り肉に生ハムを乗せ、バターでソティーしたもの。)
デザートと続きます。

イタリアでは、パスタが前菜なんだ~と知った
初めての食事でした。

でも、イタリアでのお食事の写真はこれ一枚限り。
あとは、どこでも一枚も撮っていません。。残念。。


さて、お昼からはバチカン市国へ行きます。

2 イタリア バチカン市国へ続きます。)


2004 イタリア・フランス目次


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2 イタリア バチカン市国・ローマスペイン階段・真実の口

2008-07-20 08:31:58 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

       旅の始まりはこちらから  1 イタリア ローマ
       旅のスケジュールは     こちら

1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉 
2 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂     
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ 
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国

2004年 6月30日(水)

お昼ごはんを終えて、私達はバチカン市国へ向かいました。

ローマにあるバチカン市国は、一つの独立国です。
世界最小国家のバチカン市国は、なんと東京ディズニーランドと
同じくらいの広さしかないそうです。

ここは、キリスト教最大宗派カトリックの総本山で、
1377年以降ローマ教皇の居住地となっているのです。

バチカン美術館

バチカン美術館へ入るため、暑い暑い日差しの中
約30分くらい並びようやく中へ。
あとから聞くと、これでもすっごく早かったそうですが。。。
1~2時間は当たり前、ひどい時は4時間も並ぶそうです。


美術館入り口。ここまできたらほっとです。

ここには、歴代教皇達の収集美術品などを展示してあるらしく
まずは、ピオ・クレメンティーノ美術館
ベルヴェデーレの古代彫刻の名品が並んでいます。


ベルヴェデーレのアポロン
バチカン美術館を代表する作品の一つだそうです。

これは、地図のギャラリーで、幅6m、長さ120mの
大ギャラリーの壁面にイタリアや教皇領の地図が
フレスコ画で描かれています。



天井の息を呑む美しさに見とれて、なかなかみんな前に進めません。
至る所から、ため息や、感嘆の声が聞こえていました。


そして、ラファエロの絵画を集めた「ラファエロの間」へ。

ラファエロとその弟子らによるフレスコ画が
4つの部屋に飾られています。



その中でも、この「アテネの学堂」は、
バチカン美術館保有の代表作品です。


そして、いよいよ、ミケランジェロの天井画「創世記」や
祭壇壁画で知られる「システィーナ礼拝堂」です。

この礼拝堂の中は、写真撮影はもちろん、私語も禁止です。
何十人という人がいるのに、静かな、本当に静かな空間です。

色々な国の人々が、ミケランジェロの描いた祭壇壁画
「最後の審判」の絵の前で、じっと佇んでいるのです。
手を組み静かに祈り続けている人も。。

重厚で神聖な空気が張り詰めた、気高い場所でした。


ミケランジェロの「最後の審判」
(フリーの壁紙サイトで貰いました)

この絵は、中央のキリストが右手を振り上げ、
最後の審判を下す様子を描いているそうです。
善良な者は天国へ、悪に満ちた者は地獄へと。。


サン・ピエトロ大聖堂

そのあとサン・ピエトロ大聖堂を見学しました。


イタリアの青い空と、白いサン・ピエトロ大聖堂。
と、その前に広がるサン・ピエトロ広場。


この寺院の中に展示されている、
ミケランジェロのピエタです。



「ピエタ」とは聖母子像のうち、死んだキリストを抱く
母マリアの絵や彫刻のことで、
ミケランジェロは生涯4つのピエタを残していますが、

その第一番目がこのピエタで、最も有名な作品であり、
これによってミケランジェロの名声が確立されたとも言われています。


こちらは、バチカンを守るスイス衛兵。
このユニフォームも、ミケランジェロのデザインで、
メディチ家の色である青、黄、赤が使われているとか。。



笑う事もなく、じっと立ったままのスイス衛兵、
すっごい、イケメンのお兄さん達ばかりです。

「イケメンのオーディションがあるのかな~。と、新婚さん。

「そりゃ、これだけそろっている所を見ると、
 きっと、あるよ。。オーディション。。。

いや。。本当の所は、何も知らないのですよ。。


サン・ピエトロ大聖堂で結婚式を挙げられたのでしょうか。

新郎、新婦がサンピエトロ広場を颯爽と横切っていきました。
すっごく素敵なカップルですよね~。



サンピトロ広場のオベリスク。
オベリスクは、古代エジプトで多く製作された記念碑です。

オベリスクは、戦利品として略奪の対象とされていた為、
なんと、このオベリスクも、西暦37年にアレキサンドリア(エジプト)から
ローマへ持ちかえって来たものなんだそうです。

以後、このオベリスクは、2000年近くもの間、
ローマやバチカンの歴史を、見守ってきたことになりますよね。



オベリスクを中心に広がる、広場周囲の回廊には
ドーリア式の円柱284本が配置されています。

明日はミサがあるとかで、椅子がずらっと並べられていました。

スペイン階段

さて、バチカン市国の観光も終って、この後はフリータイムです。
映画「ローマの休日」で有名なスペイン階段前で解散です。



「ローマの休日」で王女オードリヘップバーンが
新聞記者グレゴリーペックから、ジェラートを手渡された
その場所で(映画でチェック済みです。)、



ここです。

二人でちゃんと記念写真も撮りました。
二人とも気分だけは、オードリーとグレゴリーペックです。


そのあと、本物の真実の口を見に行きたかったので、
新婚さんも誘って、いっしょにタクシーで出かけました。

途中、かわいいバスが走っていました。



真実の口

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁にある
真実の口は、海神トリトーネの顔が刻まれていて、

手を口に入れると、偽りの心がある者はその手首が切り落とされる
という伝説があります。

映画「ローマの休日」では、
真実の口に手を突っ込んだグレゴリー・ペックが

「わぉ~~」と、手首が切り落とされた振りをして、
オードリヘップバーンを驚かす場面が、あまりにも有名ですよね。

主人も、真実の口に手を突っ込んで、ご多分に漏れず

「わぉ~と手首が切り落とされた振りを。

結構大きなアクションで、周りの外人さんも大笑い。
でも、その外人さんもやっぱり、

「わぉ~」っと大声でアクションをやっていましたよ。


こちらが有名な「真実の口」です。

待ってもらっていたタクシーに乗り込んで、
スペイン広場に戻った私たちは、夕食までそれぞれ買い物です。


カンツォーネ

バチカン市国観光後は、フリータイムになっていた為、
今日の夕食は自分で探さないといけなかったのですが、

「カンツォーネが聞きたいんですけど。。」と添乗員さんに聞いたら、

「今日、これから友達とちょうど行くんですよ。 
いっしょに行かれますか」


「もちろん~、お願いしますということで、

新婚さんもいっしょに4人、
添乗員さん行きつけのカンツォーネが聞けるお店
連れて行ってもらえることになりました。ラッキ~。




お店に着いたのが早かった為、お店は貸し切り状態。
私達4人の席で、10曲以上のカンツォーネを
声量たっぷりに歌って下さいました。

夕食は、きのこの生クリームパスタに、
サーモンソティー、ポテトにビーンズとパン、
それにデザートのアイスクリームです。 

ワインも進み、サンタ~~~ルチア
と、もうみんな乗り乗りで、大合唱です。
楽しかったな~。

ツアー料金ではなかったので、いっぱい飲んで食べて、
歌を歌ってもらっても、一人4000円程というのも
嬉しかったですね。



ひっそりと静まりかえるホテルロビー。

思いっきり楽しいローマの夜を過ごして、
タクシーでホテルに戻ってきました。
さぁ、今から明日の出発の用意を。

楽しかったローマに、アリベデルチ(さようなら)

明日は、シエナ、ピサと周って、フィレンツェ泊となります。

       3 イタリア シエナへと続きます)

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3 イタリア シエナ

2008-07-16 08:35:18 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

     旅の始まりはこちらから  1 イタリア ローマ
     
     旅のスケジュールは     こちら

1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉 
2 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂     
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ 
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国


2004年 7月1日(木)

トスカーナ地方をバスはシエナ目指して走ります。
窓の外には、オリーブ、ぶどう、糸杉の木々。
そして、ひまわり畑も広がっています。



左へ行けばフィレンツェ、右へ行けばシエナ。
バスは、ここで右へ曲がり、一路シエナへ。


      ここがフィレンツェとシエナの別れ道。

シエナ

今回の旅行は、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノと
イタリアの有名な都市を周りますが、その中で唯一、
あまり聞いた事がない都市が「シエナ」でした。


だから、初めはあんまり期待していなかったのです。
「シエナ」ってどこ??ってかんじで。。

ところが、トスカーナの丘の上の街シエナは、
中世の街並みが今もそのまま残る、とっても素敵な街でした。

旅が終ってみれば、イタリアで1,2を争うお気に入りの
街となっていたのでした。



まるで映画の中に足を踏み入れたような、
           そんな雰囲気の街、シエナ。


シエナは、12世紀頃から金融業を基盤にして発展した街で、
フィレンツェが常にシエナの最大のライバルでした。

両都市は長年に渡って武力衝突し続けてきましたが、 
最終的に軍配はフィレンツェに上がり、そのせいで
シエナは中世以降発達する事がなかったのです。

でも、そのことが逆に、シエナを中世の佇まいを色濃く残したまま、
芸術の街として現存させたと言われています。


石畳、煉瓦畳の街、シエナ。。

一瞬、石畳の路地から長いスカートの裾を翻して、今にも
ジュリエットが飛び出してきそうな、そんな気がしました。



「なんか、その辺の路地からジュリエットが飛び出しそうな 
気がせえへん?」
  。。と、主人に言うと、

「え。。ロミオとジュリエットって、ここが舞台やった?」

「ちがうけど。。そんな感じがするやん。。するやろ?」

「。。うん。。するする」

ロミオとジュリエットの舞台は、ヴェローナなのですが、
ヴェローナよりも、このシエナのほうが中世の街並みを
今も、より色濃く残しているということらしいですよ。




お土産やさんも、街の雰囲気に溶け込んでいます。
ただ、ジャージに赤いTシャツのおじさんだけが今風ですが。。



シエナには、年に2回行われるパーリオと呼ばれる
裸馬のレースがあります。
ヨーロッパ各地でテレビ放送されるほど有名なお祭りなのですが、

そのちょうど前日に、シエナに行った私達。
街には、パーリオでの自分達の優勝を願った色々な旗が
掲げられていました。



シエナドゥオーモ(大聖堂)

ゴシック様式とロマネスク様式の大聖堂です。




緑と白の大理石が交互に積み上げられています。
その色合いがしっくで、とても素敵です。



ドゥオモの内部も、象嵌細工や濃淡の大理石で飾られ
目を見張るほどです。


天井の美しさも、言葉には表せないくらい。。

カンポ広場

大聖堂を出て、カンポ広場に向かいました。

細く暗い路地を抜けると、なんとそこには世界一美しい広場
といわれる、貝殻の形をしたカンポ広場が広がっています。

「わぁ~、すご~い
突然現れた、明るく大きな広場に人々の歓声が上ります。





パーリオの前日ということで、広場では
明日の裸馬のレースの用意が進んでいました。

広場の石畳の上に土を敷きつめて馬場も作られていましたが、

「本当に、ここで何頭もの馬が走るの。。?」と、

信じられない思いです。


椅子もいっぱい運ばれ、観客席の用意が。。
 

さて、シエナはワインでも有名な街だそうで、
私たちも、カンポ広場前のお店で赤ワインを買いました。

3000円位の赤ワインでしたが、ローマで買ったら8000円
日本で買ったら12000円ほどもするそうです。

(あの当時は1ユーロ100円くらいでした。
 今だったら1ユーロ165円。。1、6倍するということで、
 20000円のワインということになりますね。

日本に帰ってから飲んだのですが、
12000円のワインと思って飲んだせいか、
すっごくおいしかった~。

それまで、私も主人も赤ワインは余り好きじゃなかったのに、
こんなにおいしい赤ワインもあるんだ。。と、
赤のワインも好きになった瞬間でした。

ワインの名前を覚えていないのが、すっごく残念です。
ま、覚えていても、ちょっと買えないですけれど。。


カンポ広場前に並ぶお店です。


こちらは、カンポ広場にあるプッブリコ宮殿です。
シエナが繁栄した中世に、政庁として建てられました。

今はシエナの市庁舎で、当時鐘付き堂であった、
マンジャの塔もそびえ立っています。



中世の街並み、ドゥモの荘厳さ、世界一美しいカンポ広場と、
私たちの心をしっかり掴んだシエナですが、

最後の極めつけは、お食事をしたレストランの窓から見た
額縁の景色。


この景色を目の前に見ながらのランチでした。

シエナの街が見渡せるこのレストランでいただいた、
シエナ名物パスタ・ピーチ(手打ち太麺)のトマトソースや
チキンソティー、ポテトのサフラン風味、ドルチェ。。

この美しい景色と相まって忘れる事ができないランチとなりました。

 
    4 イタリア ピサへ続きます)

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4 イタリア ピサの斜塔

2008-07-13 00:37:58 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

     旅の始まりはこちらから  1 イタリア ローマ
     
     旅のスケジュールは     こちら

1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉 
2バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂・ローマスペイン階段
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ 
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国


2004年 7月1日(木)

シエナを出て、バスは高速道路を、フィレンツェ方面に向かいます。
ピサはシエナとフィレンツェの間にある街なのです。

トスカーナ地方の平原や糸杉の林など、流れる景色を目で追っていると、




「シエナ・フィレンツェ間の高速道路は、結構事故が多いんですよ。。」

と、添乗員さん。

「え~~っと、私達。

昔からこの二つの都市は、ず~っと争いを続けていて、
その長年に渡る戦争で亡くなった戦士達の呪いとか。。

今でも、この間の道は事故が多いらしいのです。。うそっ。。


「あ。。でも、大丈夫ですよ。この運転手さんはベテランですからね。」 


そう言われても。。。

「。。。。」
「。。。。」 


すごいスピードで高速を走るバスが、急に怖くなった私達でした。


ピサの斜塔

何とか無事に着いて、ほっと、ほっとのピサの斜塔です。

重力を発見したガリレオが、この斜塔からりんごを落として
「落下の法則」を証明したといわれているピサの斜塔。

ローマのコロッセウムや、アレクサンドリアのカタコンブ
万里の長城などと並んで世界七不思議の一つだったピサの斜塔。

ピサの斜塔は、小学校の頃、中世世界の七不思議という本
読んで以来、いつか行ってみたいと憧れていた場所でした。

そのピサの斜塔に、今日出会えたのです。

「ほんと。。やっぱり、斜めになっているんや~。

 
長い間憧れ続けていた人に、ようやく会えたような
そんな感動。




ピサの斜塔に、登ってみたかったのですが、
なんと4時間待ち。

今日、これからフィレンツェに行く私たちは
とても登る事はできません。



でも、聞いた話によると、
ぐるぐると階段を上がっていくだけでも目が回るのに、

斜めに傾いていて、平衡感覚がおかしくなってしまう
ピサの斜塔の螺旋階段を登っていくのは、
普通の人でもかなり気分が悪くなるとか。。。

それでなくても、ぐるぐる巻きには弱い私達。。

じゃ~、かえってよかったかも。。
と、あっさりと納得です

だって、しんどくなるのはいやだもんね。。



            この手は主人の手                     

登れなかったけど、せめてピサの斜塔を支えようと
主人が頑張っています。


        この上の手は、私の手です。

そして、私も。。頑張りました~よいしょっと。


ピサ大聖堂・ドゥオモ広場

ピサの斜塔の隣には、白亜のピサ大聖堂があります。
修道院でよく見られる厚い壁、小さな窓、
石の天井を特徴とするロマネスク様式だそうですよ。

周りを緑色の芝生で囲まれた広場の中にある、
ピサの斜塔と大聖堂。

中世っぽい古い街に、遺跡としてひっそり佇むピサの斜塔を
想像していた私にはちょっと意外な、

緑の芝生に囲まれた、明るいイメージのピサの斜塔でした。




この芝生の広場はドゥオモ広場と呼ばれ、
訪れる観光客の憩いの場になっている様です。



白亜のピサ大聖堂の中は、黄金に輝くモザイク画、
壁に刻まれたアラベスク模様、縞模様のアーチなど、
イスラムの香りがする装飾の数々で飾られ豪華~。



中央には、「ガリレオのランプ」と呼ばれる
ブロンズ製のランプが吊り下がっています。

「ガリレオのランプ」

ガリレオはこのランプの揺れを見て、
「振り子の等時性」の法則を発見したとか。。

でも。。。

ピサの斜塔からりんごを落としたという話とともに、
事実の方は定かではないようです。


洗礼堂

洗礼堂は、大聖堂の西側に建っている白い円筒形の建物です。
この洗礼堂は、建物の下側がロマネスク様式、
上側がゴシック様式でできている珍しい建物だそうです。




なるほど、いわれてみれば、
下は厚い壁が修道院的で素朴な感じが、
上はゴシック様式の特徴、尖塔装飾やレース模様で豪華な感じが、
。。。たしかにしますよね。


さて、ピサの観光も一通り終り、集合時間までの間は
ティータイムと買い物です。


ピサの斜塔が見えるカフェのテラス席でお茶を。
実は、お手洗いも借りたかったんです。。


カフェテラスから見たピサの斜塔。こんなに目の前に見えます。


そして、買い物。
とっても素敵な雑貨や小物を売るお店を見つけてしまいました。

時計を気にしながらの買い物。

もっと、もっとゆっくり見たかった~。



フィレンツェ

ピサから約1時間、フィレンツェのホテルに到着しました。

今日は、シエナ、ピサと二つも観光都市を周ってちょっとお疲れ。

添乗員さんがチェックインしてくれている間も、
ソファーにどど~っと座り込んでいます。



今日の夕食は、このホテルででした。
レストランは、赤を基調としたクラッシクな雰囲気。
壁のランプもお洒落です。

あんまり食べたくないかも。。とか言ってたのに、
ポルチーニ茸のフェットチーネもおいしかったし
メインのポークのカツレツもおいしくて。。

イタリア野菜のサラダとポテト、ドルチェ

ほぼ完食してしまったのでした。

さて、明日はフィレンツェの街を観光して
そのあとベニスへ向かいます。

5 イタリア フィレンツェへ続きます。)

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5 イタリア フィレンツェ

2008-07-11 08:46:23 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

     旅の始まりはこちらから  1 イタリア ローマ
     
     旅のスケジュールは     こちら

1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉 
2 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂     
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ 
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国


2004年 7月2日(金)

今日はいよいよ、楽しみにしていたフィレンツェの市内観光です。
バスを観光地近くに停める事ができない為、
バスを降りてから、添乗員さんの後を15分ほど付いて歩き、
世界遺産の街、フィレンツェにようやく到着です。

花と芸術の都 フィレンツェ

さすが、「花の都」フィレンツェ、街の至る所が花々で溢れています。



果物や野菜さえも、アートの一部のよう。。
芸術の都では、何もかもが芸術に見えてしまうのが不思議です。



ウフィッツィ美術館

イタリアの観光ガイドは、資格のある人しかできないので、
今までの観光地でも、添乗員さんがガイドをする事はできませんでした。

私達4人に対し、運転手さん、添乗員さん、現地の観光ガイドさんと、
3人の方が私達をお世話して下さっていたのです。

添乗員さんが笑いながら、

「このツァーは完全に赤字ですよ~。なんて言っていましたが、

このウフィッツィ美館前では、なんと現地のガイドさんが二人も
待っていて下さいました。

日本語を話す無資格ガイドさんが、有資格ガイドさんの下について、
私たちを案内して下さったのです。

つまり、お世話する方とされる方が4:4になってしまい。。
ラッキーだけど、なんだか申し訳ないような。。



         ウフィッツィ美術館です。

ウフィッツィ美術館は、16世紀中頃、コジモ1世が
フィレンツェ公国の役所として建てた建造物だそうで。。

海の泡から誕生したヴィーナスが貝殻の上に立つ、
有名なボッチィチェッリの「ヴィーナス誕生」が
展示されている美術館です。

やっぱり、本物を見る感動というのは大きいですね。


館内は写真撮影禁止の為、これは貰ってきた写真です。

そして、これは、ウフィッツィ美術館から見た
アルノ川にかかるヴェッキオ橋。

この橋の上には、宝石商がいっぱい並んでいるんですよ。



ヴェッキオ宮殿

14世紀後期から15世紀にかけてルネッサンス文化が花開き
メディチ家の台頭とともに隆盛を極めたフィレンツェ。

広場に面したヴェッキオ宮殿は、600年たった今でも
市庁舎として使われているそうで、驚きです。


ヴェッキオ宮殿鐘楼の高さは、94メートル。

こちらは、その市庁舎の玄関。
なんて素敵な天井の装飾~。



こんなにも豪華な文化財を、市民の日常生活の為に
使っているなんて、ちょっと日本では考えられませんね。


サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

赤茶色の煉瓦、八角形の屋根がフィレンツェのシンボルでもある
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)です。




イタリアゴシック建築を代表する建物と言われているドゥオモ。
花の聖母寺院とも呼ばれています。



白大理石を基調に緑、ピンクの大理石によって装飾されている
ドゥオモの美しさは目を見張るばかり。。



今日本で、岐女短の女子学生や、京産大の男子学生、
はたまた、どこかの野球部の監督さんまでもが、
壁に落書きをしたといって、問題になっているのは
この大聖堂なんですよ。

こんなに素晴らしい聖堂に落書きなんて。。
あまりにも大人気ない行動に、同じ日本人として
とっても残念な気がします。。。

でも。。正直言って、イタリアは至る所が落書きだらけでした。
さすがに世界遺産級の建物には、あまり見かけませんでしたが
町の壁なんか、これでもか~っていうくらい落書きがありました。

日本人も、もちろん反省して、今後こういうことがないように
気をつけないといけないと思いますが、

イタリアの人も、せっかく素晴らしい文化遺産に囲まれて
暮らしているのですから、
落書きに対して、もう少し厳格な気持ちを持ってもらえたらなって。。
そう、思いました。



さて、いつまでも、いつまでも見ていたい気分ですが、
これから昼食まではフリータイム。

待ち合わせ場所を決めて、買い物に出かける事になりました。



フィレンツェは露天商も有名。
皮の鞄、服、靴、雑貨などが結構安価で売られています。



フェラガモ本店

途中、新婚さんにばったり会って、いっしょに
フェラガモ本店に行く事になりました。
フェラガモの本店はフィレンツェにあったんですね。知らなかった。。

アルノ川沿いにあるフェラガモ本店。



中に入ると、背の高いすらっとしたモデルさんのような
イタリア人の若い女性が対応してくれました。

私が鞄を見ていると、彼女が、さっとその鞄を取り出し、
自分で持って、素敵でしょう~と言うように見せてくれます。

白いシャツに黒いパンツスーツのすらっとした彼女が持つと
もう、とっても素敵に見えて。。。



。。という訳で、右側の鞄、今、うちの家のクローゼットに
ちょこんと収まっています。

今日の昼食はピザ。
お店の窯で焼いた、大きなあつあつのピザが一人一枚。
冷たいビールに、チーズたっぷりのピザ、おいしい~。

続いて、ポーク、ポテト、アイスクリーム。。
もう、お腹いっぱいです。



ミケランジェロ広場

バスでミケランジェロ広場にやってきました。
小高い丘の上にあるこの広場からは、
フィレンツェの街並みが一望できるのです。

花の聖母寺院のクーポラが見えます。
その左側には、ジョットの鐘楼(ドゥオモの一部)も見えています。



絵葉書で見たことのある、絵葉書そのままのフィレンツェの姿が
眼下に広がっています。うわ~っと、もう感激でした。

ベニスへ

途中、免税店に寄ったりしながら、バスで約3時間、
ベニスのホテルに到着しました。



こじんまりとした、アットホームな感じがする可愛いホテルです。 

ワインと、バジルソースのパスタ、地中海シーフード、
ポテト、ティラミスの夕食を終えた後、主人と二人で
近くのお店に、ジェラートを買いに出かけました。

町のジェラート屋さん

小さなかわいい、町のジェラート屋さん。

「チャオ~」「チャオ~」とお店に入っていくと、
「チャオ~」と、お店のおじさんもにっこり。


色々なジェラートがいっぱいあって、何にしようかな~。
レモンを指差して、「ウノ、ペルファボーレ」(一つ、どうぞ。)
青りんごを指差して、「ウノ、ペルファボーレ」


いくらですかのイタリア語は忘れてしまって。。
「How much ?」


ジェラートを一つずつ貰って、「グラ~ツェ」(ありがとう。)
そして、最後は 「アリベデルチ~」 (さようなら)

ご主人も、「アリベデルチ~、○#△#○*#▽#*~~」
最後になんか言ってくれたけど、それはわからずじまい。。

でも、こんな簡単なイタリア語で、ジェラート買えました。嬉しい~。

シエナのパリオ

ホテルに帰って、テレビをつけると、シエナの映像が。。
7月2日。。。今日がシエナのパリオの日なのです。

昨日見たシエナのカンポ広場に人が溢れ、
本当に裸馬が走っています。

 このすごい人、人、人。


いつか、シエナにゆっくり滞在して、このパリオも見てみたいね~

そんな話をしながら、イタリア語でぺらぺらっと話す、
ニュース番組の映像を見ていました。

でも、それまでに、ちょっとイタリア語勉強しないとな~。。


さぁ、明日はベニス観光、ゴンドラにも乗ります~。


   6 イタリア ベネティアへ続きます)

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6 イタリア ベネツィア

2008-07-09 01:06:27 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

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     旅のスケジュールは     こちら


1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉 
2 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂     
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ 
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国



2004年 7月3日(土)

ベネツィアは、6世紀頃、イタリア本土の沖3キロ、
アドリア海の湿地に人工的に造った浮島だそうです。
知らなかった~。。

「水の都」ベニスというのは知っていたけれど、
浮島だったなんて。。

だから、イタリア本土からは水上タクシー
行かなければなりません。

風を受けながら海上を走ること15分ほど。気持ちいい~。


イタリア本土がだんだん遠ざかっていきます。

運河が迷路のようになっている、水の迷宮都市、
憧れのベネツィアへ到着しました。


ベニスの桟橋です。

ドゥカーレ宮殿

まずは、ドゥカーレ宮殿(こちらのピンクの建物)へ向かいます。


横に写っているのは、サン・マルコ大聖堂です。

ドゥカーレ宮殿は、白とピンクの色合いが優しい
中庭をはさんだコの字形の宮殿です。


宮殿への入り口となっている階段は、
16世紀、サンソヴィーノにより造られた黄金の階段です。

この階段は、その昔貴族専用だったとかで。。
天井の装飾も、豪華そのものすご~いです。




上から見ると、床の模様も、遠近法で茶色の部分が浮き出て、
白い部分が深い穴の様に見えます。 

「落ちないで下さいよ~ と、
主人が添乗員さんに声をかけると

添乗員さんも、おっとっと。。と言いながら、
ちゃんと茶色の部分だけを渡ろうとして、ヨロヨロ。。
見ていた皆は、大笑いでした~。


宮殿内部は外観のシンプルさとは違い、絵画や装飾品で豪華絢爛~。

写真撮影禁止で残念ですが、
ベネチアの街の栄光と繁栄を伝える絵画で、
天井も壁も埋め尽くされていました。


また、浮島に建設されたこの宮殿は、地盤がとても柔らかいため、
団体さんのグループが一斉に歩くと、結構揺れるらしく、
私達も、皆でちょっと、どんどんと歩いてみました。

4人だけでも、気のせいかちょっと揺れてるみたいで(誰のせい?
も、もう、やめとこ~。。。


ドゥカーレ宮殿は、ヴェネチア共和国時代、総督政庁だったので
議会場や裁判室、拷問部屋までありました。

小運河に架る橋をはさんで、牢獄が隣接しています。


この橋は、二度と牢獄から出られない囚人たちが橋を渡る時、
小さな窓から、最後の娑婆の景色を見て溜息をついた事から
「溜息の橋」と呼ばれるようになったそうです。

左が宮殿           右が牢獄(壁が真っ黒です。)
間に架る橋が溜息の橋です。
 


私達もこの橋を通って、牢獄へ行きましたが、
おかげさまで、もう一度、橋を通って戻ってくる事ができました。
よかった、よかった~。

そして、出てきたのはサン・マルコ広場です。


サン・マルコ大聖堂

サン・マルコ広場にあるサン・マルコ大聖堂です。
サン・マルコ大聖堂は、ビザンティン様式と
ゴシック・ルネサンスとが融合した独特の雰囲気を持つ大聖堂。

サン・マルコ広場には、鳩がいっぱい。
私達が行った当時は、鳩の豆屋さんが20軒ほどあって
観光客が鳩に豆をやるのが一つの風物詩でした。

でも、鳩の糞害やウイルス問題があり、
今年5月、鳩の豆家さんが営業禁止になったそうです。



風物詩がなくなるのはちょっと寂しいけれど、
人の健康が一番、仕方ないかな。。


これは、サン・マルコ大聖堂のアップです。
アラビアンナイトの世界を思わせる建物がエキゾチック。



「世界一美しい広場」とナポレオンが大絶賛した
サン・マルコ広場。


温暖化の影響でここ数年、満潮時の浸水がひどく、
サン・マルコ広場が海水に浸る「アクア・アルタ」(高い水)
の日が増えてきたとか。。



「ベニスに来たい人は、早めに来る様に言っておいて下さいね。 
 このままだと、「アクア・アルタ」が普通になってしまうかも。。。


と、ガイドさんが嘆いてられました。

あれから4年。。「アクア・アルタ」はどうなっているのかな。。


ベネティアンガラス工房

さて、これから添乗員さんに連れられて、
ベネティアンガラス工房へ行きます。

運河の上の橋を渡り、



ベネティアンガラス工房に向かって歩きます。



ガラス職人さんによる、グラス作りの実演を見せてもらい、



素敵なベネティアングラスも、いっぱい見せてもらいました。



お洒落な花瓶、かわいいシャンデリア、
陳列棚も波うっていてお洒落でしょう~。



冬、ベネチアのカーニバルの時、仮面をつけた多くの人が
サン・マルコ広場に集まるのですが、

その仮面も、色々と揃っています。



おひとついかがですかって。。
いやぁ。。
これが家に飾ってあったら、ちょっと怖いかもですよね~。


そして、今日のランチはイカ墨のパスタ。

でも、まずはビールで乾杯です。

あとは、サラダ、魚のムニエル、アイスクリーム、苺



歯を真っ黒にして食べたイカ墨パスタ、
とてもおいしかったです。

さて、次は、すっごく憧れていたゴンドラに乗ります。

7 イタリア ベネツィアゴンドラへ続きます。) 

コメント (14)

7 イタリア ベネツィアゴンドラ

2008-07-07 00:15:32 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

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1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉 
2 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂     
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ 
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国


2004年 7月3日(土)

ベネツィアで最も有名なゴンドラ。
ゴンドラに揺られて、ベニスの運河めぐりをする。。

ベネツィアに来た人々の最大の楽しみです。

ベネツィアの街の主な交通手段は、街の中を迷路のように
はりめぐらされている運河。

ベネツィアでは、車はもちろん、自転車さえも走れません。
人々の日常は、この運河を行く船によって成り立っているのです。




ベネツィアには、ゴンドラの船着場がいくつもあり、
周るコースもそのゴンドラによって色々と決まっている様子。
どんなコースで周ってくれるんだろう~わくわく楽しみです


そして、さぁ、いよいよゴンドラでの遊覧のはじまりで~す。

私たち5人を乗せたゴンドラが、船着場を出航しました。




赤茶けたレンガの橋の下を通り、ベニスの人々の居住地を抜けて
ゴンドラはすすんでいきます。

家々の窓に飾られている花々は、私達観光客を温かく
迎えてくれているよう。。




さすが居住空間だけあって、運河の上に渡したロープに
干した洗濯物が、風になびいていたりして。。。

でも、そんな風景にも、ベニスの人々の生活の匂いを感じ、
異国の情緒を味わえるんですよね~。


狭い運河、ゴンドラをぶつけないように。。
でも、さすがプロ、うまいもんです。


さて、小運河を抜け、大運河に出てきました。

リアルト橋

大運河の中ほどに架かる、山形の石造りの橋。
白い巨像と呼ばれる「リアルト橋」に向かって、
ゴンドラは進んでいきます。

ベニスの集落は、比較的海抜の高いリアルト橋の周りから
できたといわれ、この橋の周辺は、
商業都市ベネツィアの発祥の地といわれています。

12世紀に初めて造られた木像の橋は、女侯爵の結婚式の際、
なんと、見物人の重みで崩壊したそうで、

今の石の太鼓橋は、1591年建造されたそうです。。

それでも、400年以上経っているんですね~。




ゴンドラに揺られながら、中世の色合いを残した町並を遊覧。




イタリアの青空、優しい風。。。

オソ~~レ、ミーヨ~

どこからかカンツォーネの歌声も聞こえてきて、




すれ違う人とも手を振り合って、

長年の夢であった、ベニスゴンドラの遊覧が終りました。


さて、ここからは、しばらくフリータイムです。
ベネチアの街の狭い路地には、ベネチアンガラスや小物
アクセサリーのお店などが、ずらっと並んでいます。



どのお店も可愛くて、可愛くて、時間の経つ事の早いこと。
今度は、ベネチアの島に宿泊して、ゆっくりしたい~と
思いました。ま、今度があるならの話なのですが。。

小物やネックレス、ベネティアングラスなど
お土産もいっぱい買えました~。



お土産を包んでくれるおじさん。
ナイスミドルのおじさんとツーショットの写真も撮りました。

カメラマンは、もちろん主人です。


本当に素敵だったベネツィアとお別れ。。。




アリベデルチ~ベネツィア
でも、いつかもう一度来たいよ~。

ミラノへ

ベネチアからミラノへは、バスで約4時間。
がらがらの45人乗りのバスの中、
私達は、思い思いのスタイルで過ごしました。

私と主人は、前後の窓際に一人ずつゆったり座り、
時には景色の綺麗な方へ移動。

新婚さんも二人並んでは座らず、
やっぱり一人ずつ前後の窓際に座ってられましたね~。
いいのかな。。でも、これだけ空いていたらね。。

主人なんか、一番後ろのソファーシートで寝たりして。。
もったいないよ、景色きれいなのにね。




ミラノへ到着するとすぐに夕食へ出かけました。

とりあえずはビールで乾杯~。
でも、今日のお料理はメモが残ってなくて、
なんだったのか、全然覚えていません。


お洒落でかわいいレストラン。

ただ、疲れていて食欲ないよ。。と言いつつ、
すごくおいしくて、結局は食べてしまった~と
いう記憶はあるのです。。

うん?。。これって、いつものことですかね。


レストランから戻り、ホテルのロビーで
新婚さん、添乗員さんの5人で談話を始めました。





これが、なんとえんえんと2時間近くも続いたのです。

いつもなら、時間が少しでもあれば夜の街に繰り出して、
夜の観光もしよう~と欲張ったり、
明日の為の荷物の整理を始めたり、

時間を有効に使うことを考えてしまうのですが。。


ミラノのホテルのロビーで、たわいのない話を談笑して2時間。
添乗員さんお薦めの海外旅行地や(←これは、お値打ちの話題

日本のドラマの話。。。歌手の話。。
俳優さんの名前が、みんな出てこなくて悩んだり。。

家族みんなで、茶ぶ台をはさんでするとりとめのない会話、
どうってことのない話題をゆっくり話して、
時には、わ~っと笑いあう。。

そんな感じだったのに、でも、これが。。。


どういうわけか、いい思い出となっているのです。
ゆったりとした、贅沢な時間の使い方とでもいうか。。

こういう、心にゆとりのある時間の使い方も案外いいな
感じたひとときでした。


さて、明日はミラノ市内観光、
そのあと夕方にはパリへ出発です。


8 イタリア ミラノへ続きます。)

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8 イタリア ミラノ

2008-07-05 00:50:12 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

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2004年 7月4日(日)

イタリアで、ローマに次ぐ大都市であり、
北イタリア最大の都市でもあるミラノ。

ミラノコレクションで知られるように、ファッションの街であり、
シックでお洒落な街です。

スフォルツェスコ城

朝、一番に着いたスフォルツェスコ城は、
14世紀のヴィスコンティ家の居城を、15世紀半ばに、
ミラノ公国を支配したスフォルツェ家が改造した、
ルネッサンス様式のお城で、今は市立博物館だそうです。



スフォルツェスコ城

時計塔の下をくぐり、練兵場であった中庭を横切り、
市立博物館の中へ入って行きます。


練兵場

美術館には、
ミケランジェロが89歳で亡くなる直前まで取り組んでいたという
未完の遺作「ロンダニーニのピエタ」が展示されています。


視力を失いながら制作を続けたといわれる第四のピエタです。
    第一のピエタはサンピエトロ寺院に。

彫刻や、絵画の他、衣装・工芸品なども展示されている美術館を
ゆっくり周ります。

そして、美術館の中庭を出ると、そこは広大なセンピオーネ公園です。
緑の木々や芝生が美しい公園ですが、至る所に、
路上にシートを敷いただけの露天商が。。

売っているのは、ブランド物のコピー品。
と、その露天商の人達が、シートに商品を丸包みして
あわてて逃げていきます。

何事かと思ったら、騎馬警官の登場でした。
でも、警官が行ってしまったら、またすぐにお店は
開いていましたが。。


騎馬警官。。かっこいいですね~。


ヴィットリオ・エマヌエール2世アーケード

さて、次はヴィットリオ・エマヌエール2世アーケードを目指します。

途中、ミラノの街並み。。左側の車は全て路上駐車の車です。
車と車の間がとても狭く、出るときに前の車にぶつけても、
お互いあまり文句を言わないみたいです。

日本では考えられない。。。
イタリア人の鷹揚(おうよう)な気質が伺えますね~。



ヴィットリオ・エマヌエール2世アーケードは、
ガラスのドームに覆われた、世界初のアーケード
ショッピングストリートで、ガッレリアと呼ばれています。



ルイ・ヴィトン、プラダなど、世界的に有名な高級ブランド店が
軒を連ねている一方、こんなに可愛いお店も。。


私はこちらのお店の方が興味あるな~。

マクドナルドも、黒とゴールドでしっくにまとめてあります。
ミラノには、マクドの赤や黄色の原色は似合いませんよね。
さすが、ミラノ~って、感心しました。



ガッレリアを出ると、そこは広々としたミラノドゥオーモ広場でした。
イタリアを統一した初代国王、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の像が、
ドゥオモ広場の真ん中にあります。


ミラノドゥオモ広場
左側にカフェテラス、右側にエマヌエーレII世ガッレリア入り口があり、
手前には、ミラノのドゥオモがあります。

ミラノのドゥオモ

ミラノドゥオモは、イタリアの代表的なゴシック建築です。

1386年に着工して、竣工が1887年、
なんと、500年もの年月をかけて完成したこの教会。

500年って。。孫の、孫の、その孫の。。
いったいどれだけの人が、この教会の建築に係わって
きたのかと思うと、気が遠くなりそうです。。



でも、その甲斐あって、
天に向かって伸びている135本の小尖塔、
レース模様のような窓ガラスの装飾。。。

その美しさは息を呑むばかり。。



中に入り、ステンドグラスの美しさや、
厳かに流れる賛美歌の音に心を奪われ
人々が灯し続ける無数のろうそくの温かい灯かりを見たとき、

ここは神に近い場所なんだ。。。と、素直に
そんな気持ちが心にす~っと広がりました。

  

私も1本のろうそくを灯してきました。

この空気の荘厳さ、静粛さ。。

神聖という言葉の本当の意味を
この素晴らしい教会で体感した思いでした。


リナシャンテデパート

さて、ドゥオモの見学も終わり、フリータイムです。

私たちはドゥオモ向かいの、リナシャンテというデパートへ
行きました。

地下の家庭用品売り場には、カラフルな色彩の
お皿やコップがいっぱい。

どれも、これもほしい物ばかりです。



イタリアらしい色使いの素敵なお皿を買ってきました。
ぐるぐる巻きに包んでもらって、6枚。



残っているのはこの2枚。
あとはお土産としてプレゼント。皆喜んでくれましたよ~。


ミラノでは道路に線路がひかれていて、路面電車が走っています。



なんだか、電車の色も素敵、形もスマートです。


ミラノ風リゾットとミラノ風カツレツ

さて、今日のお昼は、ミラノ風リゾットとミラノ風カツレツです。

お店の雰囲気は、ブルー一色で統一されて、
ちょっと怪しい雰囲気。。

 


サフランで色づけし、バターとチーズで味付けしたリゾットも、
薄く叩き伸ばした子牛肉を揚げたカツも、
それぞれミラノの名物料理だそうです。
おいしかった~。

イタリアでの最後の食事で、ミラノの名物料理も頂き、

さて、これでローマ、シエナ、ピサ、フィレンツェ、
ベネティア、ミラノと周ってきたイタリア旅行も終わりです。

夕方、私たちを乗せた飛行機は、パリに向けて、
イタリアを離陸しました。



イタリア各地で買った小物に集合してもらいました。


ここまで、たいしたトラブルもなく、順調に楽しく進んできた
ヨーロッパ旅行ですが、この後、明日はとんでもない
トラブル続きの日となってしまいます。。

そのことについては、また続きで。。

9 フランス モンサンミッシェルへ続きます)

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9 フランス モンサンミッシェル

2008-07-03 08:10:03 | 海外旅行2004 6月 イタリア・フランス

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3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔 
5 フィレンツェ 6ベネティア
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9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
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2004年 7月4日(日)

飛行機の窓から見えたパリの街。。。
うわ~、パリだ~と、感動~。
その後間もなく、シャルルドゴール空港へ着陸しました。

夜の7時過ぎ、でも、外は明るく、まだ4時か5時くらいの感じです。

迎えのバスは、やはり45人乗りのバスで、
お客さんは、やっぱり4人だけでした。

普段なら3~40分もあれば、充分に着くというパリ市内なのに
今日は、夏休み為の大移動が始まっているとかで、大渋滞。
パリ市内のレストランに着いたのは、なんと9時過ぎでした。

それでも、パリの初日を祝って、ちょっと豪華にシャンパンで乾杯。



スープ、サラダ、パン、メイン、デザートの本場のフランス料理。
さすがにおいしかった~。。のですが、
何を食べたのかは記憶にも、メモにもなく。。あぁ、もったいない。。

そして、パリのホテルに到着です。
明日は、このツアーを外れて、個人でモンサンミッシェルの
オプショナルに参加します。


その明日。。。旅行もあと丸2日残すのみとなった私達が
色々なトラブルに遭遇することになってしまうのです。

が、この地点では、明日のトラブルのことなど知る由もなく。。





7月5日(月)

モンサンミッシェル。。今では、大人気の世界遺産ですが、
4年前は、人気の走りの頃で、モンサンミッシェルがついている
ツアーもそんなに多くはありませんでした。

なんとかしてモンサンミッシェルに行きたかった私たちは
今日、本来付いている、パリ市内観光をキャンセルして、
モンサンミッシェルのオプショナルに申しこんでいました。

6日なら、丸一日フリーだったのですが、
6日はモンサンミッシェルのオプショナルツアー自体が、
なかった為、そうせざるを得なかったのです。

それでも、憧れのモンサンミッシェルに行く事ができて、
心はうきうきです~。


モンサンミッシェルトイレ事件

モンサンミッシェル行きのバスは45人乗りのバスで、満員状態。
出発は7時30分の予定。
バスでの往復8時間、滞在時間約3時間の、ほぼ半日の観光です。

ここで、一つ忘れられない苦しい思い出ができてしまいました。

出発前にトイレに並んでいた私を、主人が呼びにきたのです。

「お~い、もうバスが出るってよ~。」

びっくりして、バスに戻った私だったのですが、
その後一人足りないとかで15分もバスの中で待たされ。。

これやったら、充分にトイレに行けたやん。。

その間、なんどか行こうかな。。とは思ったのですが、
私が行っている間に、その人が戻ってこられたら
今度は私が、皆に迷惑かけることになるしなぁ。。とぐずぐず思案、

主人も、行ってきたら。。と言ってくれる様子もないし。。
と、私は、結局我慢してしまったのです。

そしてこれが、とんでもない苦しい時間を招く事になってしまいます。



バスは、ノルマンディーの自然豊かな穀倉地帯を
軽快に走り続けますが、私はトイレの事ばっかりが気になって。。

ノルマンディーののどかな風景どころではありません。

気にすれば、気にするほど、だんだん苦しくなってきて、
冷や汗まででる始末。。

トイレまで呼びに来んでもええのに。。という、
私の恨めしそうな視線を感じた主人も、

横で、どうしよう、どうしよう。。と焦っているようですが
こればかりは、どうしようもなく。。

私の苦しさは増すばかり。。
出発してから2時間、
初めの1時間はまだなんとか我慢できたものの、
後の1時間は、地獄の苦しみを味わった私。

あと、10分でトイレ休憩ですという言葉を聞いた私は、
事情を説明して、一番前の添乗員さんの横の席に座らせてもらい、
バスが着くや否や、トイレに一番乗りさせてもらいました。

今思い出しても、モンサンミッシェルよりも、トイレに着いた事の方が
嬉しかったなんて。。


こちらが、私を救ってくれた休憩所です。

その後、どうしたって。。。?
そりゃあ、主人に文句言いましたよ~。
だって、めちゃくちゃ苦しかったんだから。。

「トイレまで呼びにくることないやん。。
 それに、私が、行こうかどうしようか迷っている時、
 一言、行っておいで。もし、迷惑かかりそうやったら僕が謝っておくし。。
 くらい、言ってくれてもええのとちがう。。?


主人も、「ごめんごめん。。」と、平謝り。

まぁ、私も、さっさと自分で決断して、
行ってしまえばよかったのですけどね。
それができなかった自分も、なんか情けなくて。。


モンサンミッシェル

でも、モンサンミッシェルが、小さく見え出すと
わぁ~モンサンミッシェルや~と、気分は一掃。



文豪ビクトル・ユーゴーが海のピラミッドと称したという
神秘的なその姿が、だんだん迫ってきます。


でも、その前に、ランチタイムです。
モンサンミッシェル名物のオムレツ、
プレーンオムレツの上に、メレンゲがたっぷりかかっています。

あとは、ポテトと、デザートのりんごのタルト、
飲みものは地酒のりんご発砲酒、「シードル」でした。


オムレツはあっさりしたお味でしたが、りんごのタルトは
とってもおいしかったです。


そして、いよいよモンサンミッシェルへ。

フランスの北西部、ノルマンディー地方にある離島の要塞
カトリック巡礼の修道院としても有名なモンサンミッシェル。

モンサンミッシェルは、潮の満ち引きにより、陸続きになったり、
離島になったりしてきました。

かつて、巡礼者達は、引き潮で陸地が現れる時だけ道を進み、
モンサンミッシェルへ渡っていたといいます。

でも、潮の満干が激しく、急に満ちてきた海の中へ押し流される
巡礼者も多かったとか。。

いまでは、モンサンミッシェルへの道が整備され、
バスのままで行く事ができるようになりました。



島に入るには、王の門といわれる跳ね橋や大砲がある
大きな門をくぐります。

すると、修道院へ行き着くまでの坂道の両側には、
レストラン、宿屋、土産物屋などがずらっと。。

ここは、Grande Rue(グラン・リュ)と呼ばれる、
モンサンミッシェルのメインストリートなのです。





なんだか、おとぎの国へ来たみたい。。。

修道院までの道のりは、坂道と階段の連続、結構きついです。


モンサンミッシェル修道院

モンサンミッシェル修道院は、
英仏100年戦争の折は「要塞」に、
ナポレオン1世の時代には「牢獄」としても使われたといいます。

人々の色々な悲しみ、苦しみ、その歴史を見続けてきた
修道院、モンサンミッシェル。。。

こちらは、その西のテラスより臨んだ干潟です。



そして、これが、寺院の最上階にある空中庭園、
「ラ・メルヴェイユ」といわれる回廊と中庭です。

修道士たちの瞑想の場として使われていた庭園は、
よく手入れされていて、美しかったです。



食堂、貴賓室、騎士の間。。。
色々な部屋を廻りながら下へ降りてきました。




そして、フリータイムにお買い物を。
フリータイムといっても20分くらいしかないので、
大急ぎでお店を回ることに。。



オムレツで有名なプーラールおばさんのお店のクッキーも
お土産に買いました。



憧れのモンサンミッシェル。。

天空の城ラピュタや、ルパン3世のカストロ城の
モデルにもなったと言われるモンサンミッシェル。。

とっても素敵な街であり、修道院でした。

でも、いつかこの街のホテルに泊まって、もっともっとゆっくり
モンサンミッシェルを散策してみたい。。

そんな、思いを残して、バスはパリに向けて出発しました。

そして、第二の事件はパリのメトロで発生するのです。

10 フランス エッフェル塔へ続きます。)

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