4月28日(木)
1リトアニア・ヴィリニュスへ 2ヴィリニュス夕暮れ散歩
3杉原千畝公園・ケルナヴェの丘 4トラカイ城・昼食
5聖ペテロパウロ教会・三つの十字架の丘 6ヴィリニュス旧市街地観光1
7ヴィリニュス旧市街地観光2 8ヴィリニュス旧市街フリータイム1
9ヴィリニュス旧市街フリータイム2 10杉原千畝旧日本領事館
11カウナス観光1 12カウナス観光2 13シャウレイ~ラトビア
14ラトビア・リガ市内ホテル 15リガ1ユーゲントシュティール建築
16リガ2聖ペテロ教会・市庁舎広場 17リガ3ドゥァマ広場スェーデンの門
18リガ4リーブ広場・中央市場 19ルンダーレ宮殿 20ルンダーレ庭園
21ラトビア伝統料理レストラン 22朝の旧市街地散歩
23ガウヤ国立公園トゥライダ城 24グートゥマニャ洞穴・スィグルダ城跡
25ラトビア~エストニア・バースディーパーティー
26エストニア・タリン・カドリオルク公園 27タリン・アレクサンドルネフスキー聖堂
28タリン・展望台 29タリン・展望台~ラエコヤ広場
30タリン・ラエコヤ広場~カタリーナの小道 31タリン旧市街地観光
32 タリン・昼食フリータイム1 33タリン旧市街・フリータイム2
34 タリン旧市街・フリータイム3 35 タリン旧市街・フリータイム4
36タリン~フィンランドヘルシンキ・マーケット広場 37ヘルシンキ・市内観光
38ヘルシンキ市内観光フリータイム1 39ヘルシンキ市内観光フリータイム2
40バルト3国ヘルシンキ~関空・お土産と人々 バルト3国を旅して
バルト3国2 リトアニア・ヴィリニュス夕暮れ散歩の続きです。
ホテルの部屋のカーテンを開けると、朝の陽ざしがさ~っと
入ってきました。
今日もいいお天気の様です。
ホテルのレストランで朝ご飯。
いつもながらのビュッフェ方式です。
サラダやチーズやハム、エッグ。。
朝からしっかり食べないとね。
旅のコツの一つは、食べれるときに食べておくこと。
私は、お肉が苦手なので、 昼食・夕食と
ど~んとお肉ばかりが出て来たら、あんまり食べる気がしません。
でも、ツァーの場合は、自分だけ他の物を頼むわけにもいかないし。。
だから、朝ご飯はしっかり食べておかないと。
ツァーでも、お肉が苦手な人にはシーフードが選べるように
なっていたらいいのにね~。
本日は、真っ青な空のいいお天気。
ツァーは、まず、杉原千畝さんの記念公園から始まります。
実は、この記念公園は、私達のホテルの真横にあるので
朝ご飯の後、すでに、主人と散歩してしまっています。
ホテルの横のカジノ、このカジノの並びに
桜公園はあるんですよ。
その時に、同じツァーの方にも何組かお会いしました。
桜満開の杉原千畝桜公園
下調べ済みの杉原千畝記念公園に、今度は皆でやってきました。
ヴィリニュスの中心を流れるネリス川沿いの通称「杉原桜公園」。
そうなんです!なんと桜が今、満開だったのです。
例年は5月の初旬から中旬ごろが見頃なのだそうですが、
今年はちょっと早かったのでしょうか。。
今日4月28日、今まさに咲き誇っているという感じでした。
この桜は、杉原千畝さんが在学した早稲田大学が、
杉原千畝さんの生誕100周年を記念して植樹したものだそうです。
やっぱり、日本の桜だったんですね~。
ほんと、まるで、日本でお花見しているみたい。
でも、この景色を見ると。。
やっぱり、ここは海外だって思いますよ。
ピンクの桜の花は、こんな海外の景色にもぴったりなんですね。
今、生前退位で話題になっておられる天皇陛下も、
ここを訪れられたことがあるそうですよ。
こちらが、外交官で「日本のシンドラー」と呼ばれ、
多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝さんの功績を称える記念碑です。
この桜を植樹した早稲田大学の建てた記念碑で、
「故杉原千畝氏は1900年に日本に生まれ、
早稲田大学在学中に日本国外務省の留学試験に合格し
ハルピン学院に学び、その後外交官となった。
1940年リトアニア共和国領事代理の時代に、
身近に迫る戦争の危機の中にありながら、
必死の覚悟と信念を以って、亡命ユダヤ人約6千名に対して、
一か月にわたって査証を発給しつづけ、彼らの生命を救った。
これは戦争時における輝かしい人道的行為として歴史に記憶され、
永く語り継がれるべきものである。
ここに早稲田大学は、級友として世界に誇るべき氏の
功績を称えて記念碑を建立するとともに、
リトアニア共和国との学術交流による友好関係が
さらに深まり花咲くことを祈念して桜の木を植樹するものである。」
2001年10月2日 早稲田大学
と、書いてあります。
実際に、杉原千畝さんが発行したピザのレプリカも
ありました。
本当に、杉原千畝さんのいたリトアニアという国に来たんだ。。
と、感激した記念碑でした。
ケルナヴェの丘
さて、これから、バスで、 中世リトアニア大公国の首都
ケルナヴェの丘へ考古遺跡を見に向かいます。
田舎の町を通り、
レンガ色のとんがり屋根が可愛い教会を見て、
童話の中で見るような家々を見ながらバスは走り。。
そしていよいよケルナヴェの丘到着です。
ケルナヴェ
ケルナヴェって、なんと旧石器時代末期
(約3万年前~1万年前)に、
定住生活が営まれていた所なのだそうです。
集落群は中石器時代や新石器時代に入ると
どんどん増えていったそうです。
1230年代にミンダウガスがリトアニアの諸部族を統一、
リトアニア王となってからは、
リトアニア大公国の首都として栄えました。
ところが、14世紀後半にドイツ騎士団より
建造物群はすべて焼き払われてしまいます。
その後、都市の遺跡は土に覆われ、損壊することなく
保存されたといわれているんですよ。
ケルナヴェの丘新聖堂と旧聖堂礎
でも、ケルナヴェ古代遺跡の丘の前にまず見たのは、
ケルナヴェの丘にある新聖堂。
旧聖堂礎と共に世界遺産に登録されています。
新聖堂は、レンガ造りの重厚な建物。
真っ青な空に赤いレンガの教会、本当に綺麗です。
一昨日までは雨と厳しい寒さ
現地のガイドさんが、先週は冬のように寒くて雨も降って大変でした。
ヨーロッパでは、雪が降っていたところもあるんですよ~。
いいお天気でラッキーでしたねとにっこり。
実は、今回の旅行前、ネットで天気予報を見ていたら、
リトアニアやバルト3国は雨がずっと続いていてすごく寒い。。
ということで心配していたのですが、
昨日から雨が上がり、いいお天気になったみたいなのです。
私達も、結構、お天気には強い方だと思っているのですが、
今回のツァーは、旅行中ほとんど雨具を使ったことがないと
いう人が多かったので、
雨の方も恐れをなして逃げて行ったのかも。。
晴れ男や晴れ女が多いツァーはいいお天気になるし、
反対にいつも雨。。という人が多いツァーはお天気がいまいち。。
確かに、そんな感じもするのですが、
そんな事って、本当にあるのかな~。
なんて、話は横にそれてしまいましたが、
この石が積まれていう所が、 旧聖堂の礎だそうです。
新聖堂は、1920年に旧聖堂の横に建設されたそうです。
ケルナヴェ古代遺跡
そして、いよいよケルナヴェ古代遺跡の丘へ。
入り口にあった世界遺産の碑です。
木造の礼拝堂
14世紀後半ドイツ騎士団によりすべて焼き払われた後、
町は再建されることはなく、
残った住民たちは谷に残らずに丘の頂上に移住したらしいのですが、
この木造の礼拝堂の向うに、土に覆われた古代の都市の遺跡が
眠っているのですね。
木造教会の屋根の上の飾り。。青空に映えて綺麗です。
ケルナヴェの丘
そして、木造教会のある丘の上から谷を見下ろすと。。
あれあれ。。
古代遺跡というよりは、緑にあふれた絶景が広がっていました。
この緑の下に、旧石器時代後期から中世までの居住跡、
5カ所の丘陵要塞などの考古遺跡が隠れているんですね。
今はただ静かに横たわるこの雄大な景色の中に
何世紀にも渡る歴史が眠っているなんて。。
ケルナヴェは、考古遺跡(文化保護区)としてユネスコ世界文化遺産に
登録されていますが、
「リトアニアのトロイ」とも呼ばれているそうですよ。
緑の斜面を駆け下りて、歴史を訪ねたい気持ちになりました。
ただ、こうして見ているだけはもったいない様な。。
そんな景色でした。
ケルナヴェ国立考古歴史博物館
こちらは、2012年に新装オープンした考古学歴史博物館。
出土品や、要塞の復元模型や当時の生活の様子が
見られるということですが。。
残念ながら、私達はトイレを借りただけ。。
リトアニアの通貨はユーローですが、(バルト3国ともユーローです。)
確か一人30セントでトイレが借りれました。
さて、次は、ヴィリニュスに移るまで、
リトアニアの首都が置かれていたトゥラカイの
トゥラカイ城に向かいますよ。
バルト3国4 リトアニア・トラカイ城・昼食
へ続きます。
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