南天の新芽
難を転ずると言うことで、縁起物の植物
富士山は、4月16日の朝の富士山
苦難にも負けないで震災で出来た割れ目に咲いている白いタンポポの花
私が、初めて線維筋痛症候群と診断された日
平成19年4月20日は、私が初めて線維筋痛症候群と診断された日です。
あれからもう丸八年の月日が経ちました…
一言ではとても表現出来ませんが、敢えて表現しろと言われたら、
『疼痛との闘い』と言う日々。
経験したことの無い、得体の知れない痛み。
平成10年2月、相手の脇見運転による交通事故で頭や顔、背中、腰等を怪我して、救急車で搬送されて、入院。
それからずっと激しい痛みが続いています。
交通事故で怪我をしてから、9年の歳月が流れていました。
勿論あちらこちらの病院で診て貰いました。
当時は線維筋痛症等と言う病名は殆ど知られていませんでしたので、整形外科や、脳外科等を受診しました。
痛くてまともに息も出来ませんし、夜眠ることも大変な時もあるので、呼吸器内科や、循環器系の医師にも診て貰いました。
病名を告げられた時には、それまで沢山の医師に診察してもらっても、どこも悪くないと言われて、保険金詐欺や、怠け者みたいな酷い扱いを受けていたので、
何か、ホッとしたのも覚えています…‥
線維筋痛症を調べると、原因不明で治療法の無い難病と言うことが解りました。
日本には専門の医師も少なく、医学界でもあまり知られていない病気のようでした。
その頃は、毎日泣いてばかりいたような気がします。
八年後迄生きているなどと想像も出来ませんでした!
もっと書きたいのですが、体調不良のため後日に続く
富士のお山が、守ってくださっているのかもしれませんね