かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

筝(こと)と尺八の演奏会

2016-01-03 | 気ままなる日々の記録

  新年に入り、此処のところBGMはズーット筝の演奏曲が流れている。新年らしい雰囲気があって、まことにいいものである。

  2日の午後は本物の筝と尺八の演奏会があった。「春の海」から始まって「キヨシのズンドコ節」まで演奏者も10歳ぐらいから94歳までとバラエティーに富んでいた。

 圧巻はやはり「春の海」で筝の演奏者は迫力があり珍しい音色や技法もたくさん聞いたり見たりした。尺八の奏者も古典から軽い曲まで渋い音色で対応され自信を持って演奏されているように見えた。小学校高学年と思しき少年も独奏で将来有望な何かを感じさせるなど、近頃にない良いコンサートであった。

 筝の演奏と云うと決まって思いだすのがさる知人から招待された筝とフルートのコラボコンサートのこと。会場は何と名古屋城近くの能楽堂。杉本画伯の若松の絵も初めて目にすることができると少しおしゃれをしていそいそと出かけた。名古屋駅から能楽堂までは見栄を張ってタクシーにした。観客も礼儀正しいし、演奏者も超一流だったと思う。ステージには数台の筝が置いてあり、数人のフルート奏者が現れた。和楽器と洋楽器と云う斬新な組み合わせ。悪くはないが、何と言っても私の中には筝と尺八と云うイメージが強すぎてとても感動とまでいかなかったと思う。

 もう一つ残念なことがある。終了は9時ごろだったと思うが、家への終バスには十分間に合うと考え急いで帰宅の途に就いたのだ。だぜ余韻を楽しみながら名古屋のホテルで一泊しなかったのか。60歳前後と云う年齢のせいか、9時10時と云うのは今と違ってまだ宵の口と思っていたのだろうか。返す返すも残念ことをしたと今になって思う。(E)(註;1月3日「琴」を「筝」に改めました)、

 

 


淑気(しゅくき)

2016-01-03 | 気ままなる日々の記録

  アマゾンで「美しい日本の季語」金子兜太監修を手に入れた。ペラペラ見ていて驚いた。知らない言葉ばかりだったからだ。確かに美しい言葉が多い。

  俳句を勉強している人たちが美しい心で自然を見ておられることがよくわかった。自然の中にある美しさも言葉をよく知っている人には良く見えるが、言葉を知らないと気付かないことが多い。

  淑気もその一つである。淑気は、正月や新春のすがすがしくおおらかで吉兆に満ちた気配や空気、景色のことだそうだ。淑には水が清らかに澄むという意味があり、漢詩に用いられてきた言葉が、日本の季語として定着したのだそうです。

  「衣擦れの袴より立つ淑気かな」新たな年を迎えると今まで親しんだ身の回りの何気ないものにも、洗い清められたようなあらたまっ た感をうけます。この言葉を覚えるとお正月が一層楽しくなります。幼稚園ぐらいから、高校生までくらいは、沢山いい言葉を覚えるようにすると人生がゆたかになるのではないでしょうか。皆様お孫さんには、道端の小さな草花にも目を止めて「綺麗だね」と話しかけたり、夕焼雲を指差して「幸せを呼ぶ龍が泳いでいるようだね」と話しかけるようにしようではありませんか。(T)