今日は日曜日、リハビリもお風呂もなく24時間フリー。朝は私の好きなトーストしたパン。新聞を見に行ったり自主トレと称してリハビリコーナーへ行けば友人たちとのおしゃべりが始まる。そんな中で、もう少しまとまった仕事をしようとブログを書く気になりました。そしてタイトルに書きましたように最近夢中になっている散文を紹介させていただきます。先ずはその本文を!(本では2行になっているのに、此処では1行にして書きました。だから、左から右に読んで次に下の行へ移って下さい。)
全てがずっと深かった 森の緑が深かった
稲穂の黄色が深かった 川の流れが深かった
人との交わりも深かった 昭和
その時代に様々な事変があり 暗い記憶もいろいろ刻まれたが
それらは常に 痛いものは痛く
辛いものは辛く 楽しいものは楽しく
だがそのいずれもが決して浅くなく 痛切に深く刻まれた気がする
それにたいして戦後俺たちを さまざま形で通過したものは
政治も科学も気象変動も うそも偽装も国家機密も
それぞれ十分に深いはずなのに なんとなく浅薄にフッと過ぎ去り
すぐに風化して風に溶けたことか 傷口は直ぐ癒え
瘡蓋は素早く消え あばたもケロイドも残らず
それが世の中のスピードのせいか 科学医学が進歩したおかげで
忘れることにぐいぐい馴らされ 認知症と云う厭な言葉で
笑い飛ばされなんとなくごまかされ 深く思うこと
こだわることは 現代に似合わないやぼだとされて《以下略》
これは、倉本総氏著の「昭和からの遺言」《双葉社発行定価1000円》の一説である。どの1行も味わい深く若いときのように全部を暗記しようと思うのだけれど老いた脳は受け付けて呉れません。
倉本総氏は「北の国から」や「風のガーデン」等のシナリオを描き演出もされた東大卒の脚本家であり演出家としても有名なお方である。
他のタイトルのぶんしょうでは、「この国が古代から培ってきたわび、さび、雅(みやび)、奥床しさ、蓄積してきた一切の文化を放棄して傲然と眩しく、ひたすら眩しく恥も外聞もなく光で染め上げたそれが最高と単純に考えて光を!もっと光を!光量の多さで世界一を目指そうと狂ったように列島を輝かした。」という一文もありオソマツ君が日ごろテレビを見ながらゲストを迎えて奇妙な答えを出させて笑いを取ろうとしている見るに堪えないクイズ系の番組を見事に切り捨ててくれた文章に感激頻りである。
如何でしょうか?オソマツ君は上記二つのテレビは毎週欠かさず鑑賞しました。番組の時間に合わせて夕食を済ませテレビの前に正座して見ていました。
倉本さんの言葉を借りればテレビ番組と云うのは今よりもっともっと重かった時代でした。学校へ行って昨夜のテレビの話になってもほとんどの友達が同じ番組を見ていて話が弾み、見ていないと肩身がせまいきがしたものです。そのうち民放ができ野球のナイターが中経されるようになると野球は見ない家庭も多くだんだんとテレビの存在も薄くなっていった気がします。(T)
葉牡丹