昨夜午前2時頃、目が覚めて「俺は何処で何をしているんだ。早く部屋へ帰ってもう寝なきゃ!」と思い、エッサカ、エッサカ、車いすに移って、動き出してから、ハッとした。
俺は部屋にいるんだ。何処へ行こうというのか、今まで寝ていたんだ、と気が付いた。車椅子へ移るときは自分が何処にいて何をしようとしているのか、まるで考えなかった。
そうだこれが呆けるということだ、と気が付いた。
僕の祖母は80歳を超えて派手に呆けた。よく行方不明になった。
当時は道に車も少なく、田舎の人は同じ村のお年寄りをよく知っていて、
おばあちゃんがうろうろしていると、上手に話しかけて家まで連れてきてくださったものだ・
母がお礼を言うと、「しっかりしたお婆ちゃんだったが、年には勝てんでなも」と云って呉れていた。
僕もこの祖母の血を引いていて徘徊を始める可能性がある。その点この施設は時間が来るとすべての出口が自動的にロックされて、事務室の前の玄関しか通れなくなるから安心だ。最低限、よく思い出して行動するように心がけよう。
(追記》祖母の惚けぶりは1級品だった。
ぐしゃぐしゃの自分の枕を風呂敷に包み大切そうに両手に抱えてお出かけだ. 僕は中学生ぐらいだった。「お婆ちゃん何処へ行くの?」と僕。「チョットおっか様に逢いに行ってくる」とのこと。祖母の実家は同じ字(あざ)で徒歩10分ぐらいの距離だった。
「お婆ちゃんのおっか様はもうだいぶ前に亡くなったよ」「おっか様が亡くなった?、おみゃあさんは嘘ばっかり言ってワシを騙そうとしたって、そうは騙されんわな!」
「お婆ちゃんは幾つ?」「80とチョットだぎゃあ。毎年替わるで忘れてまうわ」
「お婆ちゃんが生まれたときおっかさまは幾つだった?」「そんなことしらんぎゃあ。30ちょっとだったろう」とこういう話はちゃんとできた。
そこで「30チョットで産んだ子が80チョットになったら、おばあちゃんのおっか様は今幾つだね?」「そんなこと知らんぎゃあ。」「おみゃあさんは話を逸らして。邪魔ばっかりしやあす。チョットどいてちょう。わしは忙しいで、大急ぎで行ってくるで」と出かける・僕は大急ぎで母を探し母に知らせる。そんなことがよくあった。そんな祖母の遺伝子を僕も受け継いでいると思うとゾッとする。
それはそれとして、此処では、僕が子どものときよく聞いていた生粋の尾張弁を再現しようとしてこの文を書きました。祖母たちが庭先で日常の雑談をしていた時の国宝級の尾張弁が聞けなくなって久しい。流暢な尾張弁を残す努力が足りなかったと思われる。(T)
(追記)今から20年ほど前だったでしょうか、毒舌お笑い芸人のタモリさんでしたか、「エビフライが、名古屋へ行くとエビフリャアーになる、名古屋弁はオミャアさんだの、はよ,イリャアだの、すぐに、ミャー、だのリャーだのと、春先の猫のようになって話します。とラジオで云って尾張弁が全国で話題になったことがあります。オソマツ君も学生の時、東京での会議に出て、美しい標準語で話していたつもりでしたが、東京の学生から、「君の流暢な聴き慣れない言葉は何弁ですか?と聞かれ気を悪くしたことがありました。「京都弁、大阪弁,に習っていえば、生粋の名古屋弁だよ」と答えてやったことを思い出しました。
初雪