1月14日の朝日新聞に見出しのような記事があった。
わが身につまされ眼を皿にして読んだ。
それによると、普通壊れた神経細胞は2度と再生しないと信じられていたのに、ラットを使った実験で脳の中に新しい神経細胞の網が形成されていたというのである。
この研究をしたのは岡崎にあるある研究機関と名市大医学部の共同研究ということであった。
動物実験とは、ラットの脳を破壊し、半身不随のラットを造りこのラットを狭い通路の中にある皿の上に乗せその近くに餌を近づけるとラットは落ちないように狭い通路を渡り餌を食べる。
これを繰り返しているとだんだんと動作も機敏になり、スムーズに狭い通路が渡れるようになり気軽に餌をたべられるようになった。
そこでこのラットの脳を調べたら新しい神経回路が出来ていてその回路は脊髄の上の方にある赤核と呼ばれるところと繋がっていた。つまりこれによって脊髄から出ている運動神経をうまくコントロールして安定的に餌のところへたどり着けるようになったと考えられる。ということだった。
オソマツ君はこの分析に若干の不満を覚えた。
この研究の「リハビリの効果」と云うタイトルが大きな誤解を招くと思うからである。
着眼点は餌を使ってラットの意欲を引き出している点である。
現在我が国のリハビリと呼ばれている訓練は、殆どが鍛練と云うか無理やり負荷をかけ筋肉強化ばかりが強調され自然な運動機能回復とは天と地ほどの違いがある。
これでは脳の中に神経伝達回路が出来上がるはずがないと思われるからである。
悲鳴を上げて泣いている患者に運動を無理強いして、大脳の中に素敵な神経回路が育つはずがない。大自然の摂理に反するからである。楽しいことやりたい意欲に満ちたことを繰り返すとそのことに関していつの間にか大脳の働きが良くなり運動も上達する。これは一般教科の学力強化にもいえることである。意欲こそが大切でありその裏には楽しさがあることを忘れてはならない。
こうした考え方は我が国のリハビリ業界になく、一般に我が国の運動競技の訓練の世界にも乏しい。我が国では、精神主義的に真冬に裸になった瀧に打たれたり、俵を担いで土俵の周りを中腰で歩いたりする訓練が重視される。
我が国が訓練に関して無闇にストイックになったのは、仏教の禅の修行の影響が大きいと思われる。仏教では人間の欲望を全て悪とみなしそれらを捨て去って全てを自然=仏に任せることによって悟りが開けると説き、座禅を始め滝に打たれて高僧への資格を手にした。これが運動部の訓練やリハビリの世界に大きな影響を与えたと思われます。
楽しいとか面白いと思わなければ理科や数学の学力が付かないことは教育界では早くに明らかにされてきた。脳細胞の中の神経の発達と繋がりと関係するからです。
リハビリも楽しくなければ効果は半減、と云う人間的な視点を大切にし研究発表もこうした視点を大切に分析してもらいたいものだ。
ここで思い出されるのが1歳前後の時である。はいはいが上達しky久力が付いてくると親が何もしなくてもヨイショと立ち上がり足を交互に前にだそうとする。最初はすぐにバランスを崩してドスンと尻餅をつく、しかし、すぐにもう一度立ち上がり足を前に出す。上手くいくと、キャキャと笑い喜んで何度でも自主的に練習を繰り返す。立ち上がって歩けると嬉しいのだ。自主トレが楽しいのである。あの時身に着けたバランス感覚で人は一生うまく歩けるのである。(T)
夕焼け