先週のある日主人が「俳句教室に入ろうかと思う」と云い出した。俳句とか短歌と云うのとは、縁遠い人だと思っていたので、びっくりした。
聴けばお茶会でいつも一緒になる人が入居以来3年間この教室に出席されているという。この方は書の方も熱心で、草書まで書かれるそうだ。主人は一度だけ試に出席したが言葉が出てこないからダメだとあきらめ気味。
次の日だったと思う。3年間出席された人が、筆で書いた巻紙を届けてくださった。自分の作った句を全部見て欲しいと。小筆で書かれたきれいな字が並んでいた。
読んでいると、一つの句が私の心に残った。水仙の花を見て春を待ちわびる句だったと思う。私はその句の中の”春どなり”と云う言葉に強く魅かれたのだった。今まで一度も聞いたことのない言葉であるが、何故か心に沁みた。
「春はそこまできている」「春の足音が聞こえる」という意味に取れたが自信がないので広辞苑で調べてみた。「春が近くまで来ていること。」と書いてあり<季・冬〉となっていた。冬の季語であるらしいことを、初めて知った。それ以後心がざわつきだした。何故なら「すぐ近くまできていること」になると今頃の時期を云うのではなかろうかと気付いたからだ。
早速”春どなり”の気配を肌で耳で目で探し、確かめたい衝動に駆られて蓮池に出てみた。1週間前までは氷が張っていた池の表面もなごみ、心なしか水音まで違って聞こえる。肌に当たる風も冷たさがあるものの、大寒の始めの頃のような、凍てた冷たさではない。こともあろうか、数匹の鯉たちまでも見かけた。何気なく見ているとあまり感じないが、よく見ると確実に季節の移ろいがある。
考えてみると数日で立春だ。
何だか少しだけ”春隣り”の気配を感じ取れたような気がして、陽だまりの中しばらくベンチに腰かけていた。(E)
夕日と並木