何処で読んだか、、誰のエッセイだったか、どうしても思い出せないが、忘れられないエピソードがある。それは「思い込んだら命がけ」をずーと「重いコンダラ命がけ」と思い込み、何かコンダラという器具があって筋肉強化のため、命がけでその器具を動かしているのだと思っていたのだそうだ。
今流に云えば、リハビリのために辛い筋トレをさせられる羽目になったという意味だと思い込んでいたというエッセイだった。
こうした、同音異語は日本語の基礎発音単位が少ないために起こるのだそうだ。。日本語の場合基礎音はアィウエオノ50音と若干の拗音と濁音があるのみであるが、英語の場合発音記号を思いだせばわかる通り、基礎音が沢山あり、日本人には聞き分けも、発音も難しい。中国語の場合は同じ「あ」でも「-」や「最後を下げる」発音や「最期を挙げる発音」などがあり、基本発音が一挙に増える。
よく京都では「雨が5種類も6種類もありそれを使い分けないと京都弁がはなせることにならない」と云われるが。其れとも違う。日本人が外国語学習に弱いのはこんなところに原因があるのかも知れない。(T)