
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
除夜の鐘を撞き、人心を迷わせる108の煩悩を追い払い、すがすがしい気持ちで新しい年を迎える。除夜の鐘を打つのはそんなイメージが気持ちの中にあった。なにかからの耳学問かもしれないが、この歳まで特に深く思いをはせたことはなく「ゆく年に感謝し、くる年の安穏を願う」、そんなこころもちだった。
昨夜の除夜会、例年のように煩悩についての法話があった。法話で例示された煩悩、より理解を深めるための身近に誰でも思うことを聞きながら「もしかして、煩悩のお陰で、私は日々の生活での生きがいや達成感を感じているのでは」、不謹慎かもしれないがこんなことを思いついた。不謹慎な思いは鐘を撞いた後も消えなかった。
煩悩は仏教用語。生きるときに感じる苦しみの原因となるもので、欲望や欲求、迷いの気持ちなどがある。煩悩は、耳・眼・鼻・舌・身・意の六根それぞれの悩みが過去・現在・未来にわたって存在する話だとされた。綺麗な洋服が着たい、美味しいものを食べたい、痩せたい、これらも煩悩の例示にあった。
「洋服を着たり美味しいものを食べるために働く、痩せるために暴飲暴食をやめる」、こうした煩悩を克服して穏やかになれるように思った。煩悩を解消する方法は人によって異なるだろう。鐘を撞いて煩悩が消えなかったら新しい煩悩が生まれる、そんなことを思いながら善哉をいただいて本堂を後にした。
(今日の575) 煩悩は体に住みて惑わせる
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