「夢」、広辞苑第7版で調べるといくつかの解釈が載っている。子どもには夢を持て、その夢に向かって進めなどとはっぱをかけるのは普通の常識と思っていた。ところが先日、私でも名前を知っている有名な元運動選手、いや元アスリートの「夢は持つもので夢を子どもに押しつけるものではない」という主旨の話を聞いた。今の世ではどちらが是でどちらが非なのだろう。
そんな価値ある夢ではないが定年までの毎日の通勤で思ったことがある。そこは国道の上り線で、片側2車線から1車線になる場所で渋滞と混雑にイライラや気をもんだりしたところ。その1車線に陸橋が掛かっている。「あの陸橋の上から眺めた国道の混雑はどんな眺めだろう」。自転車の時も車になってからも見上げていた。
最近、その近くに用向きがあって出かけた。路上駐車が出来ないので近くの駐車場に止め歩いて訪問先へ向かった。その時、初めて40数年以上も見上げてくぐっていた陸橋を渡った。少し急な勾配の階段を上る。幅はそれほど広くないが見通しはいい。ちょうど昼食時間帯だからか、車の通行量はまばらで、あの頃の混雑が夢のように浮かぶ。
そういえば、あの向こうの信号待ちで追突された、無理に割り込んできたのは知人で出社後に「すまんすまん」と電話して来たなど、何でもないことがふと思い浮かんだ。いつか渡ってみたいと思っていた陸橋、なにかが叶ったようで、所用先での会話が弾んだ。
(今日の575) 懐かしい橋より見下ろす通勤路