昨日はねんどの会だった。夕方から雨が降り出して、
遠くからくる人はずぶぬれになったけど、「夏」をテーマに
それぞれの「思い」をねんどで作っていった。
かたわらで、料理をしながらみんな集中した様子を見ていると、
なんかとても元気になって、そのままおもてにでて、散歩したら
ずぶ濡れになった。
今日は書の会。二階には玉蘭の掛軸を飾っている。
池大雅の奥さんで、夫婦で清貧と風流を楽しみ、東山の
小さな家で煎茶を楽しんでいたことで知られている。
玉蘭の絵は、破れた信楽の器の向こうに、自然の蘭が
優美にたたずんでいるような絵だ。なんのてらいもないし、
見せよう、みたいな力が入っていないのがいい。それに喬木
という祇園の名妓が蓮月さんみたいに、やわらかな筆はこびで
詩をつづっている、のがいい。
少し禅みたいだけど、
最近掛軸を眺めていると、反対に向こうから見られている、
ような気持ちになってくる。「ひとつごと」をやりとげ、
ひとつの世界に到達した人たちの「思い」がそこに内包されて
いるのだろうか。
この二日ばかり、はらわたが煮えくりかえることがあったけど、
玉蘭の絵を見ていると、すーと消えていった。
「まだまだ修行が足らない」という声が聞こえた。
遠くからくる人はずぶぬれになったけど、「夏」をテーマに
それぞれの「思い」をねんどで作っていった。
かたわらで、料理をしながらみんな集中した様子を見ていると、
なんかとても元気になって、そのままおもてにでて、散歩したら
ずぶ濡れになった。
今日は書の会。二階には玉蘭の掛軸を飾っている。
池大雅の奥さんで、夫婦で清貧と風流を楽しみ、東山の
小さな家で煎茶を楽しんでいたことで知られている。
玉蘭の絵は、破れた信楽の器の向こうに、自然の蘭が
優美にたたずんでいるような絵だ。なんのてらいもないし、
見せよう、みたいな力が入っていないのがいい。それに喬木
という祇園の名妓が蓮月さんみたいに、やわらかな筆はこびで
詩をつづっている、のがいい。
少し禅みたいだけど、
最近掛軸を眺めていると、反対に向こうから見られている、
ような気持ちになってくる。「ひとつごと」をやりとげ、
ひとつの世界に到達した人たちの「思い」がそこに内包されて
いるのだろうか。
この二日ばかり、はらわたが煮えくりかえることがあったけど、
玉蘭の絵を見ていると、すーと消えていった。
「まだまだ修行が足らない」という声が聞こえた。