今、井伏鱒二さんの珍品堂主人を読んでいる。とてもおもしろい小説で、
骨董好きにはたまらん内容。左党のあこがれに「唐津の徳利に斑唐津の杯」
というのがある。どうもこれも井伏さんがいいだしたことらしい。先日ぼう女子大の先生
が昼酒を飲みにきたときにそんな蘊蓄に興味を示した。根来盆にのせると、なおいい。
さて今日から3月。卒業式があったり、昔から3月は「別れの月」でもある。
井伏さんの名訳で、「さよならだけが人生だ」というのがある。
唐の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」(かんしゅ)を訳したものだ。
・・・・「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」
別れたり、出会ったり・・・人は毎日・生・滅・生・滅の繰り返しの刹那の中に
生きている。終わりは始りであるし、刹那は永遠に通じるものだし、さよならだけが人生
だから、また味わい深い。
今日は日曜日なので16時で閉店。近くのカフェ関連の連中が味噌作りにこられる。
昨日も近所の「ふれあい館」の素敵な女性たちが、味噌つくりにこられた。中條きよしの
「うそ」の詩みたいに、エプロン姿が似合い、普段からワークショップなどを日常にする人
たちなので、出際がよく、あっという間に味噌ができた。もとい、味噌の元ができた。これから
約一年間は、麹くんたちががんばって、味噌の元を味噌にしてくれる。
春を待つ、味噌ができる間を待つ、出番を待つ・・・「まつ」というのは、とても大事な才能だ。
だからこの星で一番最初に生まれた植物に「松」という名をつけた先人もまた素晴らしい。